底辺物語

@aoibunko

第1話

元村博子は夕日のあたる校舎からひとりとぼとぼと出てきたところだった。彼女には一緒に帰る友人やクラスメイトはいない。いつもぼっちの女子中学生だ。


夕日のあたる校舎から、生徒たちがにぎやかに、ぞろぞろ出てくる。運動部の部室に向かうもの、仲間とふざけあい、けたたましい笑い声をあげて下校する一団。そのあとから、博子が背中を丸め、こそこそ歩く。


博子が校舎の一棟、特別教室の集まる五階建て校舎の最上階の窓から身を乗り出そうとしている男子生徒を見たのはたまたまで、彼が博子と目があってぎょっとしたように体をひっこめたのもたまたまだった。


博子は勇気や正義感とは無縁であったが、臆病な好奇心はあった。気がつくとかばんを背負ったまま、特別棟の階段を駆け上がっていた。


博子の学校校舎には屋上はない。階段は最上階で行き止まりである。その五階フロアにあがる階段に座りこんでいる男子生徒がいた。博子は四階から五階に続く踊り場の手前で足を止め、自分の体を隠しつつ、そっと上を覗いた。だがあちらにはすぐ見つかったようで、男子生徒はがっくりした姿勢から、はねあがるように立ち上がり、階下の博子を睨んだ。


「ジロジロ見んな、ブスが!」


なるほど博子は不器量な娘である。ブスと言われればはいその通りでございますとうつむくしかない。だが飛び降りに失敗した男子生徒も人のことは言えない容姿である。彼は博子と同じクラスの島田勇気という少年であった。彼は中学二年になるがクラスで一番小柄でなおかつ不器量であった。みじめな境遇を振り払うように島田は怒鳴った。


「笑ってんのか?キモいんだよこのブスが!お前見てたらこっちが吐きそうになった。あーあ、自殺に失敗したのお前のせいだからな、ボケカス」


さすがの博子も罵倒の言葉を黙って聞くのはつらい。博子は罵倒を背負ってこそこそと帰るよりほかなかった。


翌日、博子が登校すると、教室には島田がいた。島田が座っている椅子を男子グループの一人が蹴飛ばし、ふらついたのを皆で笑っていた。いつもの光景である。だが、島田は博子と目があった途端、憎悪をたぎらせた顔つきになったので、博子は慌てて目をそらし、こそこそと机の間をすり抜け、自分の席についた。横にいた女子グループが博子をちらちら見ながらひそひそ話したあと、どっと笑った。これまたいつもの光景である。


 昼休み、一人さっさと弁当を済ませた博子は、教室を出て廊下を歩いた。教室では自分以外の女子はグループを作って昼食やおしゃべりを楽しんでいる。博子はその中に入りたいと思わないし、ぼっちでも一向にかまわないのだが、自分が彼女たちの話のネタにされて、そこから斥候が一人派遣されて、自分がからかわれ、その反応や話し方で笑いものにされるのが毎日続くとさすがにダメージが強いので、教室から離れ、どこかで時間をつぶすのが日課である。この日、背後から声をかけたものがいる。鬼の形相の島田だった。


「てめえ、俺の事笑ったな!」

博子は首を勢いよく横に振った。

「何ウソついてんだ、このボケが!」

島田は小さな体で博子を罵倒する。

「お前友達いないんだろ。女子が言ってたぞ。しゃべるときボソボソして鼻を鳴らすから聞いてて笑えるって。あと髪がくせ毛でアフロっぽいとか、いつも靴下が汚いとか。だからみんなお前に近づきたくない、友達だったら最悪だってさ」

「あーブサイクで汚いって最悪だな、二度と来んな、このバカ」

島田は自分から近づいた博子に、なぜか接近禁止令を出して、去っていった。


 博子は島田の言葉に頓着せず、昼休みが終わるチャイムが鳴る前に教室に戻った。島田はこのクラスの男子の中ではやんちゃで大人びたグループと仲がいい。ただし、いわゆる「いじられ役」のポジションにいるらしい。男子グループが突然手を叩いてゲラゲラ笑いだしたときはたいてい島田が中心にいて、プロレスの技をかけられたり、制服のズボンを脱がされそうになっている。それでも島田はこのグループから抜けようとしない。抜けられないのかもしれないが、学校で唯一の拠り所が、クラスのちょっと悪いグループにいることなのかもしれないと博子は推測する。


 島田は博子を毎日罵倒した。一人になるのを見計らって大声で怒鳴りつけたり、あるいは教室移動のとき一人でひっそり歩く博子を追い越しざまに「ドブス」「死ねバカ」とささやいた。罵倒する島田の目は悪魔的にいきいきとしていて、男子グループと一緒にいるときの媚びたような表情は見せない。一人の少女への罵倒は少年に力を与えた。


 やがて、島田は博子に罵倒の代わりに命令をした。

「松尾さんに好きな子いるかどうか聞いてこい」

松尾さんはクラスで一番の美少女で、女子グループのリーダー的存在、そして博子の容姿や仕草に笑いのネタを発見し、女子たちを笑顔にする名人でもある。要するに博子がクラスで一番苦手とする人物である。とてもじゃないが博子から話しかけられるような人物ではないが、島田は博子に松尾さんとのコンタクト、それも恋バナをしてこいと求めたのである。博子は連日の罵倒に参っていたせいかこれに従うと返事してしまった。


 博子はとりあえず、松尾さんの動きを追った。松尾さんは登下校も学校にいるときも仲良しグループでいるため、二人きりになって話を聞く機会はまずないという知見が得られた。この報告では島田からまた罵倒されるに決まっているが、博子は話しかける蛮勇より、罵倒される臆病を選んだ。


が、博子は奇跡的に松尾さんと恋の話をすることに成功した。なんと松尾さんのほうから話しかけてきたのだ。教室の掃除当番の日、博子は松尾さんとゴミ捨てに行くことになったのだ。松尾さんは、ゴミを抱えた博子にニヤニヤしながら

「ねえねえ、元村さんて好きな人いるの?」

博子は首を横に振る。こういう人に好きなひと・モノを打ち明けるのはのちにからかいのネタを提供しているようなものである。そして博子はじゃああなたは?と質問を返せる度胸も機転もなかった。博子は島田に、松尾さんは好きな人はいないらしい、と偽の報告をした。目を瀾瀾とかがやかせた島田はどうやら松尾さんに告白するつもりらしい。人を傷つけて得た根拠のない自信で大望を抱く島田に、博子は同情というかお悔やみのような気持ちがわいた。


 数日後、金曜日の放課後だった。帰り支度をする教室に見慣れぬ少年の一団がどやどやと流れ込んできた。隣のクラスの生徒や上級生、制服を着ていないのもいる。彼らの目当ては島田だった。妙な熱気に浮かされたようなオラついた雰囲気で小柄な島田を囲むとなにやら話し込み、そして島田は彼らに連行されるようにそろって教室を出ていった。教室の入り口の席に座っていた博子は一部始終を観察し、そして島田が泣きそうな顔で引っ張っていかれるのを黙って見送った。


 翌日、新聞もテレビのニュース番組も男子中学生リンチ殺人事件がトップで報じた。島田の名前は出なかったものの、市や学校名から博子たちはすぐに島田と想起できた。犯人は建設業の17歳の少年、そして中学生数人。昨日のガラの悪い一団であろう。


 島田は聞くもおぞましい暴力を数時間ふるわれ、ほとんど服を着ていない状態で公園に放置され、死んでいるのを発見された。犯行に加わった一人の母親が、息子の様子がおかしいことに気付いて問い詰め、警察に届けたことから、犯行グループは一網打尽ととなった。警察の取り調べに彼らは「生意気だったのでしめてやろうと思った」と供述した。


島田が松尾さんに告白した「事件」は、ひそかになおかつ猛スピードで学校を駆け巡り、島田とはつきあいのない素行のよろしくないグループ、さらに卒業してもグループとつながりのある社会人の先輩にも届いた。彼らは会ったこともない少年を「生意気」と決めつけ、正義の鉄槌を降ろしたつもりだったらしい。


月曜日、博子のクラスは担任から事件の遠回しな説明を神妙に聞き、島田の死を悼み、悲しみにくれた。島田をいじめていたはずの男子でさえ、目を真っ赤にして、涙をこらえていた。松尾さんも顔を覆って涙をこぼしていた。博子はもし自分がターゲットになっていたらと考えていた。実際、島田の告白に自分が関わっているのがばれていたら、島田と同じく死体になっていたかもしれない。島田が知恵の回る卑怯者であったなら博子に告白を強要されたと言って危険を回避したなら、何がおこったか想像するだけでぞっとする。


教室のあちこちですすり泣きが続く。博子は目を閉じ、島田の冥福を祈りつつ、決して高望みはせず、クラスの「底辺」の住人であることを甘受しようと誓うのであった。


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