わるい子の品定め
鶴森はり
わるい子の品定め
午後九時。街明かりのせいで昼みたいな輝きを見せる景色を、タクシーの窓越しに眺めた。
「つけてくれてるんですね」
後部座席で座る私の隣、堅苦しいスーツを身に纏った男は目線を指輪で飾られた私の小指に注ぎ、嬉しそうに声を弾ませた。単純だと嘲りの言葉が浮かびつつ彼の喜びそうな返事を的確に選び取った。
「お気に入りなの。貴方が傍にいてくれてるみたいで……なんて、ちょっと変かしら」
彼は幸せそうに顔を綻ばせた。
本当はブランドの指輪が良かった。社長の息子だから期待したけど、ケチな人間らしい。
やがて目的地に辿り着いたタクシーは減速し、歩道へと寄ると緩やかに停止した。財布を取り出すふりをすれば彼が手で制止してくれる。それぐらいの甲斐性はあるらしかった。
「美味しい店があって、今度行きませんか」
社長の息子が好んでいる店。高級店の可能性に気が付いて前のめりに了承すると、彼は私の頬を指の腹で撫でた。仕方なく従えば、唇に柔らかな感触。高級店の前払いのようなものだと受け入れた。名残惜しげに離れていく彼と別れて、私は待ち合わせ場所へと急いだ。
疲れた体で居酒屋まで歩くこと五分。店内に入れば煙草と酒の臭い、騒がしい人々の中で彼氏一号が不機嫌そうに待ち構えていた。数分の遅刻も気難しい彼は許してくれない。気心知れた間柄で一緒にいても楽だが、性格に難があり、ケチでもある。
私は先ほどの男と彼氏一号、どちらを選ぶか品定めをしている最中だ。結婚を考える年齢の私は天秤にかけているのである。同時進行形で付き合っていた男は複数いて、どうにか二人まで絞り込んだが、正直どちらも問題があって決め手に欠けていた。
席に座れば不愉快そうに顔を蹙められてしまう。面倒な男だ、悪態を飲み込んでメニュー表へと手を伸ばした。社長の息子なら、もっと良い店に案内してくれるのだろうか。こんな安っぽくて不潔な店、私には似合わない。彼氏一号は、本当に気が利かない。
「それで? その指輪はどうしたんだ?」
店員を呼ぼうとした私に、鋭い言葉のナイフが突き立てられた。単刀直入すぎて、咄嗟に言葉が出てこない私は滑稽に違いない。高級店に浮かれて迂闊な行動、口は勝手に友達から貰って、という苦しい言い訳を吐いた。
「キスする友達か?」
強力な反撃に為す術もなかった。彼が鼻で笑ってから顎で後ろを示すので恐る恐る振り返れば、心臓が大きく跳ねて冷や汗があふれた。青ざめているだろう私に、後ろの席にいた男が穏やかに微笑み、手を振った。紛うことなき先程別れたばかりの社長の息子である。
どうして、と無様な独り言に彼氏一号がゆったりとした、嘲るような口調で答えてくれた。
「お前は知らないだろうけど、あいつと俺、知り合いなんだよ」
「……っは、なん、ありえない、偶然」
「偶然? おめでたいやつだな。そんなわけないだろ。俺が頼んで、お前を誘ってもらったんだよ」
「なっ、んで」
「そろそろ結婚しようと伝えようと思ったんだが、そうなるとお前の言動とか不審なところが多かったからな」
「ふ、不審?」
「お前言ったよな『今は貴方だけよ』って。男癖が悪いって噂は嘘で、今は俺としか付き合っていないと。俺以外と結婚する気なんて起きないと」
彼は言う。信じられなかったのだと。だから一度だけ試させてもらった。大企業の次期社長の友人に誘惑されてなびかないのか。なびいたとしても、誠実に対応するのか。彼を振って社長と付き合うのか。全て。全部。結婚する女に値するかを見定めるために。
屈辱に、ぶわりと膨れ上がった怒り。私は騙された。自分の彼女を誘惑してくれなどと頼むなんて有り得ない。なんて男なのだろうか。内に秘めるなど到底出来ない、こみ上げてきた激情を荒々しく投げ付けた。
「最低ッ!」
「そうだな。俺は最低だよ。自分の彼女を試すような男だ。だけどな、それ、そっくりそのままお返しする。……はは、俺たちは案外似たもの同士なのかもな」
「馬鹿にするのも、いい加減にしてよ! あんたのせいで時間無駄にしたんだけど! 謝って」
「謝る? 時間を無駄にした?」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった私を、彼が睨み付けた。怒気を孕んだ、鋭い眼光は私を射殺すようだ。まるで縫い付けられるように身動きを封じられて、ひゅっと息をのんだ。冷ややかで侮蔑の表情を真っ向から向けられ、恐怖を覚える。怒りに熱くなっていたのに地を這うような低い声音で一気に体温を下げられ、かたかたと体が震えた。
「だからな、それは全部俺にも当てはまり、お前にも当てはまるんだよ。お前、二股して品定めしてたんだろ」
「そ、れは」
「同じだよ。俺もしたんだ」
気難しい男が嘲笑うように口元を歪めた。
社長の息子が近づき私の背後に立つ気配。前後から威圧されて逃げられないと悟った。
――どうやら、品定めをされていたのは、私の方だったらしい。
わるい子の品定め 鶴森はり @sakuramori_mako
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