こんな俺でもいいのだろうか?


 愛を語れない男、総司は困っていた。


 今まで、こんなに人生で悩んだことはなかった。


 なんでも小器用にこなしてきたし、仕事も順調。


 人間関係も、いちいち周りのことを気にしないので、特に問題はない。


 というか、課長に昇進したとき、いろいろ言われた気はするのだが。


 忙しくて聞いていないうちに、なんだか通り過ぎていた。


 ダイダラボッチにとり憑かれたときも、まあ、一週間に一度、山の空気を吸いに行けば実害はないし、別にいいかと思って、そんなには悩まなかった。


 ……が、


 今、俺は猛烈に困っている! と総司はレストランの駐車場で思っていた。


 レストランならまだ周りに人がいたが、車の中はふたりきりじゃないかっ。


 思わず、車を置いて、電車で帰りたくなる。


「あの、課長……。

 どうかしましたか?」

と萌子が不安そうに自分を見た。


 はっ。

 発進しないことで、余計にふたりの時間が長くなっているじゃないかっ。


 俺にふたりきりの時間を楽しむ余裕はまだないっ、

と思った総司は急いでスタートした。


 だが、スタートしておいて、悩む。


 俺は何処に向かってってるんだっ?


 いろんな意味でっ。


 ……とりあえず、花宮のアパートに送りに行くか。


 じゃあ、もうお別れか……。


 萌子のアパートに上がる、という選択肢は総司にはなかった。


 ……いっしょにいても話す言葉を思いつかないし、焦るけど、此処でお別れというのも寂しいな。


 そう思った総司は前を見たまま、萌子に呼びかけた。


「花宮……」


「はい」


「いつもの店、まだ開いてるだろうか」


 萌子は笑い、

「開いてると思いますよ」

と言う。


「じゃあ、ちょっと寄るか」


「そうですね。

 なにか新しいもの入ってますかね~」

と萌子は楽しそうだ。


 よかった。

 お喜びいただけたようだ、と何故か敬語になりかける。





 店に着くと、閉店三十分前だった。


 慣れた場所に来て、ちょっとホッとした総司は、萌子がメスティンを見ているのに気がついた。


 メスティンは取っ手がついたアルミ製の長細い弁当箱のようなものだ。


「それ、米を炊いたりもできるし、なんでもできるし、便利だぞ。

 俺は……」

と語りかけ、総司は、ハッとする。


 また蘊蓄を語りそうになってしまったっ、と思ったのだ。


 だが、萌子はニコニコして自分を見上げている。


 いいのか?


 蘊蓄を語る俺でいいのか?


 ウザくはないか?


 おそるおそる総司は語りはじめる。


「メスティンを買ったら、最初にバリ取りをして、シーズニングをしないといけないんだが……」


「バリ取りってなんですか?

 シーズニングは前、キャンプのとき聞いたのでわかりますが」


 はい、先生、質問っというように聞いてくる萌子が可愛く、そこから長々とバリ取りの意味と上手いやり方について語ってしまった。


 萌子は、うんうん、と聞いてくれている。


 ありがとう、花宮っ。

 俺のつまらぬ話を聞いてくれてっ。


 蘊蓄を語りながら、相手に感謝したのは初めてだった。


 だが、


 そうかっ。

 こんな蘊蓄を語る俺でもいいのか、花宮っ、

と思ってしまった総司は、結局、愛は語らなかった。


「買ってやろうか? メスティン」

「は?」


「そうだ。

 いつもキャンドル買ってたな。


 キャンドルもひとつ、買ってやろう。

 雑貨屋の方がいいか?」


 萌子が笑って聞いてくれたのが嬉しくて、つい、孫になにか買ってやりたいおじいちゃんのように、無理やりにでも貢ぎたくなる。


 急いでメスティンを買ったとき、店内に閉店前の音楽と放送が流れはじめた。


「急げ、花宮っ」


 はっ、はいっ、と慌てる萌子に、なんとしてもキャンドルを買ってやらねばと思った総司は、萌子の手をつかんでいた。


 萌子が、えっ? という顔をしたので、自分がなにをしたのかわかったが、そこで動揺する方が恥ずかしい。


 職場のような雰囲気で、

「もう少しで閉店だ。

 急ぐんだ、花宮」

と命令口調で言ってみた。


 は、はいっ、と言う萌子の手を引き、総司は雑貨屋へと急ぐ。


 萌子の細い手をつかんでいる感触が家に帰っても、いつまでも残っていた。







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