ひとつ気になることがある


「感謝しなさいよ。

 藤崎なら、この程度と思って安い居酒屋にしてあげたのよ。


 あーあ、今頃、萌子は課長と素敵な海の見えるレストランとかに行ってるんだろうな~」

とおごった挙句に、めぐに文句を言われながら、両手に花の藤崎が居酒屋で呑んでいる頃、萌子たちは、まさに、そんなレストランにいた。


 ……ドキドキします。


 課長は何故、こんなレストランを知っていたのでしょうか。


 いつも誰と来てるんですか?


 完全、デート用な感じなんですが、と萌子が思っていると、


「なんだ、落ち着かないな。

 炉端ろばた焼きとかの方がよかったか。

 お前、串刺しにしたもの食べるの好きだから」

と総司が言ってくる。


 ……いや、なんでも刺して焼けば好きってわけじゃないんですけど、と思いながら、萌子は訊いた。


「課長はいつも、このようなところに来られてるんですか?

 その……おやすみの日とか」


 すると、総司はチラと目を上げ、こちらを見て、

「おやすみの日はいつもお前とチーズをあぶったり、ククサを彫ったりしてるだろうが」

と言ってくる。


 そ、そうでしたね……。


 では、おやすみでない日に、どなたかとっ?

と萌子の妄想は止まらなかったが。


 そもそも総司はそんな器用に恋愛したり、デートしたりできる男ではなかった。


 このレストランも、萌子のために『女子に人気の近場のレストラン』で検索したら出てきただけなのだが、萌子はそのことを知らなかった。


「ククサが出来上がったら、今度は羽ペンを作ろうかと思うんだ」

と仕事中と変わらぬ真面目な顔で総司は語り出す。


「だが、ひとつ気になることがある……」


 ほう、なんですか、と萌子は身を乗り出した。


「ペンという言葉は、羽根という意味のラテン語『Penna』からできたらしい。


 昔は羽根の根許にインクをつけて文字を書いていたからのようだが。


 ということは、羽根ペンというのは、ペンペンと言っているのと同じじゃないか?」


「……チゲ鍋みたいなものですかね」


 チゲは鍋という意味らしいので。

 チゲ鍋というのは、鍋鍋という意味になると聞いた。


 ペンペンに鍋鍋。


 ……可愛いな、と思ったところで、沈黙が訪れた。


 今日は何度かこの謎の沈黙が訪れている。


 例えば、新しい料理の説明をウェイターさんがしてくれて。


 ほほう、とふたりで眺めたあと。


 なんとなく視線が合い、なんとなく俯き、なんとなく沈黙が訪れるのだ。


 ……キャンプ場とかで課長といるときの沈黙はむしろ落ち着いているときなんだが。


 今日はなんだか落ち着かない沈黙だな、と萌子は思っていた。


 心の中が騒がしい沈黙とでもいうか、と思いながら、家では絶対やらない組み合わせなのに、何故か美味しい、フルーツののった白身魚を食べる。


 総司も同じ気持ちのようで、なにか話題はないのか、というように、こちらを見た。


「そういえば、この間、お母さんが自分で打つのめんどくさいから、お父さんにメッセージ入れてって言ってきて。


 お父さん、呑みに行って、帰りが遅かったんですよ。


 まだ帰らないのなら、もうお風呂の栓抜くよって入れといてって言うから、音声入力で入れたんですよ。


『風呂、抜くよ?』って。


 そしたら、『風呂の供養』と打たれてたんです。


 それで、また入れたんですが、


『風呂の14』


『風呂の94』って出て来て。


 何度も入れているうちに、お父さん帰ってきました」


「手で打て」


 ……ですよね。


 そこから話の広がりようがなかったので、また沈黙する。


 課長の方は話しませんね、と思いながら。


 私より沈黙に耐えられているのでしょうか。


 私だけが動揺しているのでしょうか。


 だが、実際のところ、無表情な総司の方が、萌子とふたりで落ち着かない自分に動揺していた。


 それで上手く頭が働かなかったのだ。


 総司は萌子の話を聞きながら、さっき自分が語った話をいつまでも頭の中で反復していた。


 ペンペンとかしょうもなかったな、といつもそんな話をしているのに、今日は何故か思ってしまう。


 なんだか蘊蓄うんちくを語りにくいな。


 こいつの前で偉そうに語れない。


 嫌な奴だと思われたくない。


 だが、この場で俺になにが語れると言うんだっ!

と総司は苦悩する。


 めぐと多英がいたら、

「いや、愛でしょう」

と言い、


 司がいても、

「愛だな」

と言ってくれていただろうが、いなかった。






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