第25話 時空の生贄
高速のドライブドラゴンを乗り飛ばし、急ぎ城へと到着したウィーナ達。
未だに、ヘイト・スプリガンの立てこもりは膠着状態が続いていた。
一同はバリアナの手引きにより、城のとある地下室へ案内される。既にニチカゲは協力者を集めに軍勢が包囲しているメインフロアへ向かった後だ。
衛兵によって厳重に警備された分厚い鉄扉を越えると、薄暗く、湿った石造りの部屋が視界に広がる。
黒塗りされた燭台の灯りが吹き込んだ空気の流れで静かに歪むと、壁に刻まれた無数の呪文が陽炎により波打つ。
「これだけの戦力で、大丈夫かしら?」
先に部屋へと入ったバリアナは、報告よりも遥かに少ない戦力でやってきたことに対して不安そうに目を光らせた。
「それなりの作戦を立ててきた。やってみよう」
ウィーナは暑苦しい一頭身顔をさらに熱い表情に作り変え、気色悪い拳を握り締めた。
「執政官殿、なかなか面白いことになってますね」
そう言って遅れて階段を下りてきたレンチョーは、腕を組んで鼻で笑いながら左右を見回した。
周囲ではバリアナに指示された兵士達が机を並べ、簡易的な作戦本部を作っている。
「執政官殿、そうメランコリックな顔をなされては、せっかくの美しさが曇りついてしまいますよ。まあ、ご安心下さい。ウィーナ様の右腕であるこのレンチョーがいるからには万事問題ありませぬゆえ……」
レンチョーはバリアナの半漁人顔に余裕の賛辞を送ったが、不意にそんなことを言われてもバリアナは困惑するだけだった。と言うよりも、いつからレンチョーがウィーナの右腕になったのだろうか。
「ヴィクト、余った通信機をバリアナに渡してくれ」
ウィーナはヴィクトが出した通信機をバリアナの水かきの張った掌に置いた。
「現場の状況が変わったらこちらにしらせてくれ」
「分かったわ。上に行ってる。後はよろしくね」
バリアナは通信機を耳ヒレに装着し、階段を上って地下室を後にした。
「……ところで、入り口って?」
ロシーボが背筋を曲げて部屋をきょろきょろと見回すが、彼は時空の塔の入り口がどこにあるか分からないようだった。
ウィーナは時空の塔の鍵を軽く前にかざした。すると、鍵はまばゆく強い光を放ち、部屋の壁に刻まれていた印字がそれに呼応して発光する。その様子に、ロシーボやビギナズ、周りの冥王軍兵士が浮き足立つ。
鍵は見る見るうちに形を変えて大きくなり、人が入れるくらいの扉の形を作っていく。
そして、気が付いたときには、金色の金属で縁取られた枠の中に、闇のような霧を放つ亜空間へ繋がる入り口ができていたのだった。
「異界への扉が、開かれた……!」
ヴィクトが感慨深げに声を漏らす。
「こりゃまた随分と派手だな」
レンチョーが馬鹿にしたような軽口を叩く。
「ヴィクト、頼んだぞ」
ウィーナはヴィクトの方へ目を移した。彼の青い肌全体を静かな闘志が包んでいるようであり、凛々しくも真剣な顔立ちはその覚悟を想起させる。そのとき、ヴィクトの口元から何か小さい言葉が漏れた。
「これ以上冥界を乱されるわけにはいかない」
「ん? 今何か言ったか?」
ウィーナにはその小声はあまりはっきりとは伝わらなかった。
「いえ、ウィーナ様、チェンジバトンの一本、受け取って下さい」
ヴィクトは鎧の上から羽織っているコートの内側から、チェンジバトンの片割れを取り出し、ウィーナに手渡した。
「それと、これも」
次に彼がコートから取り出したのは、四つ全てのエリクサーであった。
「お前のは?」
「自分の分はユーイに使ってしまったもので。それに、私は回復魔法が使えます。これは後に続く者のために温存すべきです」
ヴィクトはほんの僅かに笑顔を見せた。
「へえ、いい覚悟だな。だけど本当に大丈夫なんだろうな。失敗は許されないぞ。うまくバトンを繋げないと、そこでお前の作戦はおじゃんなんだからな」
レンチョーがヴィクトに釘を刺した。
「安心しろ、レンチョー。チェンジバトンは死体が身に着けていても効果がある」
「ならいい。じゃあ、問題はニチカゲがお前の代わりを連れてこれるかだな」
レンチョーがニタリと笑って安堵の表情を形作る。どうやら、仲間であるヴィクトの生死など彼にとって全くの問題外らしい。
「そういうことだな。でも、あのニチカゲ殿の誘いなら多くの戦士が集まるだろう」
ヴィクトは腰の鞘から静かに、よく磨き込まれ、曇り一つない刀身を光らせる剣を抜いた。
「ヴィクト、ナビゲートは俺に任せろ。お前は先へ進むことのみに集中してくれればいいから」
ロシーボが言った。
「ああ、打ち合せ通りで行く」
改造した通信機はロシーボのヘルメットと連結された。それは他の通信機と連動しており、通信機が得た地理情報などを管制する機能を持っているのだ。
ウィーナは、部屋の隅に用意された椅子に座り、横長のテーブルに手を添える。
「作戦を開始する」
ロシーボが駆け足でウィーナの隣に座り、背中から降ろした皮製のリュックから、ペンとたくさんの画用紙を取り出した。
「行きます!」
ヴィクトは意を決して開かれた扉へと身を投じた。彼の体はすぐに黒い霧に吸い込まれ、見えなくなった。
「レンチョー、お前は周りの兵士と共同してこの場を防衛しろ」
「ハッ!」
レンチョーは身を
「ビギナズはこの場で待機、いざというときに動いてもらう」
「了解しました。待機します!」
ビギナズは時空の塔の入り口を不安げに見ながら、ウィーナの脇に直立した。
「ヴィクト、そちらの様子はどうだ?」
ウィーナは通信機のボタンを押し、口に近づけヴィクトに話しかける。そして、すぐにそれを耳に近づける。
何でこんな面倒な動作をしているかというと、一頭身のため、通信機が己の耳のサイズに到底合わないからだ。
『こちらヴィクト。ただいま1階。内部は石造りの回廊です。窓一つなく、静寂に包まれております。今のところ敵の気配はありません』
「ヴィクト、ここから前方に進むと十字路がある。そこを右に曲がれ、今のところモンスターの反応はない」
ロシーボがヘルメットのバイザーを下ろし、そこに浮かび上がってくる情報を元に、紙に素早くペンを走らせている。
『了解。先へ進む』
「ニチカゲ、今そちらはどうなっている?」
ウィーナは回線を切り替えた後、再び耳に通信機を持って行く。
『親方! 今玉座の間を包囲している軍勢に声かけをしてるッス』
「それで、首尾は?」
『はい、一応、一人協力を得たッス』
「おお、早いな。それで、どんな者だ?」
早い仲間の獲得に、ウィーナも心躍る。
『それが、その……』
「ん?」
『変なスライムッス』
「スライム? まさか」
ウィーナに嫌な予感が走った。
『ばーっはっはっは! また会ったな勝利の女神よ! いかにもこの俺は先ほどのスライムだ! 今からそちらへ行くぞ。この俺が時空の塔の肉体を滅ぼしてくれるわ!』
いきなり通信機から、低く、渋い声色の怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前はもう来なくっていい! お疲れ様でした!」
ウィーナは昼間の苦々しい失敗を思い出し、慌ててスライムを制止した。
『ザコ虫め勘違いするな! 何もお前に協力するわけではない。この戦いが終わったら今度は貴様の肉体を滅ぼしてウォーウウォウウォウ、フワッフゥ! 行っちきプップー!』
相当気分が高揚しているらしく、スライムの語尾は意味不明な歌になっていた。
『すいません親方、あいつもうそちらに行っちゃったッス』
音声がニチカゲのものに戻った。
「他にいないのか?」
『それが、みんなどうも非協力的なんスよ。空気読めとか言われるんスよ』
「他の場所も当たってみろ。とにかく、
『
「また左に曲がって、壁沿いに行けば階段だ」
ニチカゲの通信と平行して、ロシーボがヴィクトをナビゲートしている。
「レンチョー、これからスライムがここへやってくる。奴を部屋に入れるな。あいつは何をしでかすか分からん!」
「お任せを」
レンチョーは引き続き隙のなさそうな構えを維持し、入り口付近をガードしている。
『こちらヴィクト。まだ敵とは交戦していません。このまま二階へ進みます』
ヴィクトの音声がウィーナの通信機に流れてくる。
「待て、ヴィクト。すぐ正面にモンスターを示す反応がある!」
ロシーボが素早い手つきで通信機を操り、とっさに声を上げた。
『正面か?』
「だけど、反応が非常に弱い。何かの余韻のような……」
『見える。糸だ。通路に糸が張り巡らされている』
「触れないように通れないか?」
ウィーナがヴィクトに尋ねた。
『無理です。排除しなければ先へは行けません。魔法で焼き払います。他に何か反応はないのか?』
「今のところない」
ロシーボが言った。
『ここで足止めを食らっている暇はないな。攻撃魔法で焼きます』
「レンチョー、スライムはまだ……」
『こちらヴィクト! 糸が燃えて、集まっていきます!』
ウィーナがレンチョーに話しかけている途中、話を遮りヴィクトの大声が通信機に入ってきた。
「何だと、どうなっている!?」
ウィーナが状況を把握しようと耳に通信機を押し当てた。
「糸の反応が、どんどん倍増していく。ヴィクト、危険だ!」
ロシーボが頬から冷や汗を流し、警告した。
『これは、蜘蛛だ、蜘蛛になっていく! でかい!』
ヴィクトの声は冷静さを失い、恐怖の色を帯びたものへと変質していく。
「はーはっはっは! 喜べ、この俺が仲間を連れて援軍に駆けつけてやったぞ!」
そのとき、前方から忘れもしないスライムの声が聞こえた。はっと左側にある入り口へ目を向けると、いつの間にかスライムがここまでやってきていたのだった。
しかも、再び、まるでデジャヴのように冥王軍と思しき二人の男を引き連れて。
一人は、ハリネズミのように逆立った髪を持ち、細長の鋭い顎を持った顔立ちに、サングラスをかけた大男だ。武器は持っておらず、体によくフィットした、身のこなしのよさそうなアーマーを装着している。
もう一人は、赤焼けした顔で、つりあがった目つき、耳元まで裂けていそうな口元を持つ小柄な猿形の獣人である。頭は体毛が抜けて禿げ上がっており、背を曲げて、不敵な笑みでこちらを見上げている。
「どうした? そんなに力んで。とてもお友達になりたそうな態度とは思えないが……」
レンチョーが武器である鎖状の鞭を取り出し、スライム達の前に立ち塞がった。
「ヴィクト、敵のパワーがどんどん上がっていく。お前以上の反応だ。危険だ! 今退路を指示するよ!」
ロシーボがひどく慌てた様相で、言葉を噛みながらヴィクトに呼びかけた。
「ロシーボの言う通りだ、一旦身を隠してやり過ごせ!」
ウィーナもヴィクトに指示を送った。
塔を進む者より強力なモンスターが出現したら、何も馬鹿正直に戦う必要など無い。
ひとまず後退し、ロシーボの言う敵の『反応』に勝る戦士をニチカゲが勧誘するのを待ち、ヴィクトとチェンジさせて投入すればいいのである。
『無理です! この蜘蛛の糸に足を取られました、戦います!』
「分析できたぞ! 敵の属性は炎だ、氷系の攻撃で戦うんだ!」
ロシーボが机の紙にペンを走らせ、何かの計算をしながら怒鳴った。
「ニチカゲ、こちらウィーナだ! ヴィクトが危ない、まだ二番手を引き抜けないのか?」
たまらずウィーナはニチカゲに回線を開いた。
『すいません!
「報酬の約束をしてもいい、その辺の判断はお前に任す! とにかく急いでくれ」
「何者か知らんが、ここから先へは通さんぞ」
レンチョーが前方のサングラスの男に言った。
「ワイは冥王四天王が一人、グヮンモドキ様や! それを分かってそないな口を叩いとんのかワレ!」
怒りの形相でグヮンモドキなる男は凄まじい力を放つオーラを放出した。
「ウッキッキー! そしてアッシはグヮンモドキ様一の子分サル・マタでやんすよーっ!」
甲高い不快な声を出した猿男は、グヮンモドキの影に隠れるような形で名乗りを上げた。
「お前はもう用済みでやんすよ! ウッキー!」
サル・マタは横にいるのスライムをわしづかみにし、後方へ投げ捨ててしまった。
「き、貴様ら謀ったなーっ!」
スライムは呪詛の絶叫を上げ、階段に崩れ落ちた。
「遺言ならまとめて聞こう。その方が効率的だ」
レンチョーが不敵な笑みを浮かべながら、グヮンモドキ達を挑発した。
「じゃあ俺は帰るね。次は第74話で会おうぞ」
スライムは意味不明なことを言いながら階段をぴょんぴょん登り、その場を去っていった。
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