第24話 血まみれの日常生活
時は少しさかのぼる。
ロシーボの通信機の改造作業が終わるのを待っている空白の時間帯、ウィーナの部屋を一人の従者が顔を見せたのだ。
そのとき、ウィーナは静寂に包まれた自室で時間を潰していた。ベッドに寝ると、巨大な頭で壊しかねない。
彼女が憂鬱な気分で冷たい壁によりかかっていると、ふいにドアを小さくノックする音が聞こえてきた。
「ウィーナ様、ユーイです」
その声は高めの声色を持った女性のものだ。
「入れ」
「失礼します」
ウィーナの返事に応じ、静かに足を伸ばしてきた若い女は、平従者のユーイであった。
上下を青いジャケットスーツとスカートで着こなし、胸には赤いネクタイを締めている。そして、魔術士を髣髴とさせるトンガリ帽子を被っており、片手には見るからに安物の杖、背中には使い古したホウキを携えている。
栗色のショートヘアは、髪の先端の二、三センチほどの部分が糸でできたガラスのように透き通っており、光の当たり加減で虹色に輝く。
「あの、お話は下で皆さんから聞いてきました」
その魔女が制服を着たような出で立ちの女は、大きな瞳を持った顔に愛想笑いを浮かべ、壁によりそうウィーナの前に直立した。
ウィーナも、従者の前でだらしない姿勢をとっていることに気付き、すぐに立ち上がった。
おそらく、彼女も共に戦うべく駆けつけてきたのだろう。
「ユーイ、お前も共に戦ってくれるのか?」
「いえ、実はそうではなくて。申し訳ありません」
ユーイはウィーナから少し目線をそらし、もじもじとし始めた。ウィーナは期待外れから来る拍子抜けの感情を腹の中に飲み込んで、「どうした?」と問いかけた。
「大広間、あのままっていうのはよくありませんよね?」
シュロンとゲッケンの死体のことを言っているのだろう。もう一時間半近く放置していることとなる。ウィーナの言葉を待たずに、彼女は話を続ける。
「事情は聞きましたので。もしよろしかったら、届け出や後の処理は、私に対応させてもらえればと……」
人手が足りない状況で、死体をそのままにしていた。ウィーナと共に戦場に出向かなくとも、役人を呼んで現場検証の手続きをしてくれるというのなら、断る理由は無い。
「これから戦いに臨むのに、玄関をあの有様にしておくのは気がかりだったのだ。そうしてくれるなら大いに助かる」
「恐れ入ります……。それでですね、その代わりと言ってはなんですが、一つお願いしたいことが」
少しの沈黙の後に、ユーイはウィーナの顔色をうかがうように切り出す。
「何だ?」
「
そう来たか。
「分かった。この戦いが終わったら必ず書こう」
面倒なことは先に延ばしたい。
「あの……、本当に申し訳ないのですが、できれば今書いて頂けませんか?」
「やはり、今じゃないと駄目か?」
ユーイの言うことは当然である。戦いに行くということは、ウィーナが死ぬかもしれないということだ。
「お願いします。お留守の間、役場へ届け出るだけじゃなくて、契約違反のクレーム対応、非常事態の顧客への説明、お屋敷の掃除もやります。だから」
ユーイは余裕なさげにまくし立て、頭を下げた。
「ああ、分かった分かった。少し落ち着け。今、一筆書こう」
ウィーナはベッドの脇の引き出しから、封筒と白紙を取り出した。
「しかし、お前も中々の胆力を持っている。組織のトップに取り引きを持ちかけ、別の働き先の紹介を訴え出るとは」
ウィーナのこの言葉は、決して皮肉ではなく、本心から彼女の強かさを褒めたものだ。
「申し訳ありません。ただ、身内の死体を転がしたままにしているのを近所の者に見られたり、依頼の予定が入った戦闘員が逃げたのを顧客に説明しないままだったり、そんなことでは世間体がよろしくないと思いまして」
「フン、世間体、か……」
「その、これからもウィーナ様が冥界でやっていくには、不祥事の後始末はちゃんとやらないと」
「お前、今私を脅迫していることに気付かないか?」
「あーっ! すみません、すみません、決してそんなつもりは!」
ユーイは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに両手で口を塞いだ。
「フフ……」
ウィーナも、その様子を見て口から笑いが吹き出してしまった。
「委員会に、次の仕事先を紹介してくれという内容でいいのだな?」
「はい、それと、少し希望が……」
「何だ?」
「城下町内の魔法アイテムの集荷業者で、非戦闘員の内勤で、週二日休みの所をどこかお願いします」
この無遠慮な注文には、さすがのウィーナも苦笑するしかなかった。
「お前なあ……。まあ、書けと言われれば書いてやるが、全ての希望が叶う職場を紹介されるとは限らんぞ」
「いえ、大丈夫です。何といっても勝利の女神であるウィーナ様の祝福がこもった推薦状ですから。この世で最高の縁起物ですね」
ユーイは顔に満面の笑みを浮かべた。透明な前髪の先端が七色に光り、まるで彼女の喜びを表現する虹のようだ。
「ほら、書けたぞ」
丁寧に封をした茶封筒をユーイに渡すと彼女は「ありがとうございます!」と明るい口調でおじぎをして、両手で紹介状を受け取ると、素早い手つきでスーツの内側にしまいこんだ。
「あの、他の従者だった人に出会っても、このことは言わないで頂けませんか?」
「分かっている」
他の離反した従者達にしてみれば、彼女の行為は抜け駆けそのものだ。仕事を失い路頭に迷っている元同僚らに知られたら非難され、恨みを買うだろう。何はともあれ、ウィーナは留守番という、後方の憂いを絶ってくれる人員を手に入れたのだ。
その後、ロシーボの作業がようやく終わり、まさにこれから城へ出向くときとなる。
「皆さーん! ちょっと待って下さーい!」
ユーイは広間に集合した戦士達の前にばたばた姿を現した。
「皆さんを見送らせて頂きます。これは私から、ほんの気持ちです」
そして、ウィーナ達六人に向かって杖を構え念じ始める。
「日常生活特殊魔法、一括便利お風呂!」
杖からは柔らかく暖かい魔力が出始め、ユーイは全員に向かって杖を振りかざした。すると、ウィーナの体が、まるで風呂で体を清めたかのように清潔なものとなったのだ。他の者達も同じようで、すっきりとした様相を見せる。
「おお、何かすっげえ風呂上がり! サンキュー!」
通信機を改造し終え疲労困憊に老け込んでいたロシーボが、生き生きと感嘆する。
「ぶへー!」
いきなりユーイが激しく吐血し、床にひざを突いた。
「おい、どうした!」
ウィーナ達が慌ててユーイの元に駆け寄る。
「私は、日常生活に命を賭す覚悟です……。路頭に迷ってたまるもんか……」
頭をうつむけて、ユーイはぼそぼそと話した。
「訳が分からん! とりあえず無理をするな!」
この日常生活魔法とは、どうもユーイの命を削るものらしい。
「いえ、ほんの、気持ちです……!」
ユーイが杖を使ってよろよろと立ち上がった。もう片方の手で、脱げかかったトンガリ帽子を押さえる。
「日常生活究極魔法、一括便利お洗濯!」
渾身の力で魔力を搾り出したユーイは、再び杖を振りかざした。
すると、各人の服や防具が、洗濯や手入れを施したかのように清潔さを取り戻す。しかし一頭身のウィーナは服を着ていないので、無意味だ。
「ぶへへー!」
再びユーイは喀血し、床に崩れ落ちた。彼女の胸元が赤い血で染まる。
「ユーイ! 何をするんだ、もうよせ!」
「まわしっていうものは、基本的に本場所終わるまで洗濯しないッスよ!」
ウィーナとニチカゲがユーイを支える。
「へぇーっ? そうなんだ。凄い豆知識……ぐふっ!」
豆知識に刺激された彼女は三度血を吐いた。
ヴィクトは心配そうに、レンチョーは呆れ顔で「何やってんの?」と言って様子を見守っている。
ロシーボとビギナズは遠巻きにおろおろとしているだけだ。
「ふ、服が、また、クリーニング代が……かさんじゃうよー!」
息も絶え絶えでありながら、能天気にもユーイは出費の心配をした。命を張った茶目っ気である。他人の服を綺麗にして、自分の服に洗濯代をかけるとは、皮肉としか言いようが無い。
「エリクサーを使いましょう……」
ヴィクトが顔を曇らせ、コートの内ポケットから人差し指程度の小さな薬ビンに入った最高級の回復薬、エリクサーを一つ取り出してユーイにまぶした。
ビギナズが委員会からもらってきた全部で五つのエリクサーの内の、一つだった。
ユーイの体が光に包まれ、見る見るうちに表情に生気を取り戻していく。
「すみません! ご迷惑をおかけしました!」
彼女はすぐに立ち上がり、顔面に汗を浮かべ、ウィーナ達に頭を下げて謝罪した。
なにせ、ニチカゲの回復をエリクサーを使わずにわざわざ待ったのに、こんなことで一つ使ってしまったのだ。
「貴様、何を考えてるんだ?」
レンチョーが呆れの表情を怒りに変え、ユーイの胸ぐらをつかむ。
「世界平和について少々」
「貴様あっ!」
多分ふざけているであろう、ユーイの意味不明な弁解が、レンチョーの怒りを増幅させる。数秒前に必死に謝っていたくせに、凄い態度の切り替わり方だとウィーナも思った。
「よせよレンチョー。丁度服が汗臭いと思ってたんだ。よかったよこれは!」
ロシーボが真っ先に止めに入る。
「何だと!? 仕事を投げ出したくせによく偉そうな口が聞けるな?」
「それはそれ、これはこれだろ!」
ロシーボが開き直って、ユーイの胸ぐらからレンチョーの手を振りほどく。
「いや、違わないな。これから戦う者に対して風呂や洗濯が必要か? お前の依頼放棄の件も、プロ意識が足りない点で共通してるんだよ!」
レンチョーの鋭く冷ややかな視線が、まさにロシーボをえぐるようだ。
「許す!」
ウィーナは声を張り上げ、口論していた二人を黙らせた。
「ロシーボの依頼の件も、今のユーイの行為もよかれと思ってのこと! 許す! この話はここまでだ! ユーイ、気を遣ってもらってすまないな、後のことは頼んだぞ」
「あ……、はい、分かりました! 役場へ行ってきます」
慌ててユーイは玄関を飛び出した。背中のホウキを取り出し、それにまたがって空を飛ぶ。そして、冥界の漆黒の夜空に舞い上がり、見えなくなった。
「よし、これから城へ向かうぞ! ビギナズ、ドライブドラゴンは?」
「はい、すぐそこにつないであります」
ビギナズが玄関先の方を指差した。
待ち時間に、ビギナズはドライブドラゴン貸付屋に再び足を運び、人数分のドラゴンを委員会付けでレンタルしてきたのだ。
「向こう、どうなってますかね。ともあれ急がないと」
ヴィクトが心配そうに、自分の銀髪に手を当てる。
六人は屋敷を出て、庭先に用意してあったドライブドラゴンに乗り、城を目指し空へ飛び立った。
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