第21話 死闘の合間

 ヴィクトは本来の武器である剣を捨て、シュロンの得意とする魔法で勝負を挑んだ。


 攻撃魔法の中に、邪悪な魔力を浄化する回復魔法を包み込んで放ち、ロシーボを正気に戻す。そして、自らそのことをネタ晴らし、シュロンが気を取られた隙に煙ばかりが上がるファイヤーストームを連射して敵の視界を奪い、こっそりメモ書きをロシーボに渡す。


 更には、不意打ちが通用しなかったシュロンに対し、わざと怯えて見せる。そうすると、シュロンはヴィクトが騙し打ちをしたと思い込み、ロシーボにかけていた魔法が本当に解けていたとは思わない。


 仕上げに、自分に注意が集中した瞬間にロシーボに合図を送り、背後から不意打ちをさせたわけだ。戦場の各人の位置関係まで計算した上での作戦である。


 一息ついてヴィクトの行動を思い返してみると、何気ない動作のひとつひとつが全て計略に裏打ちされたものだったのである。


 三人は訓練所の脇にある医務室にニチカゲを運び込んだ。


 ヴィクトが傷を癒す回復魔法をニチカゲに唱え、ウィーナは体中の傷口に包帯を丁寧に巻いた。


 元の工兵服の姿に戻ったロシーボは、先程の戦闘で心底疲れきった表情で、背筋を曲げながら薬を取ってきたり桶の水をくみ換えたりしている。


「不甲斐ない戦いをして、すみません」


 ベッドに横たわるニチカゲが吐く息荒く声を漏らした。


「それを言うのなら、謝らなければならぬのは私の方だ」


 続きの言葉は出なかった。


 本当に不甲斐ないのはウィーナ自身の方だった。このような馬鹿みたいな容姿に身をやつし、部下に殺されそうになる始末。ゲッケン、ロシーボ、ニチカゲ、ヴィクト、彼らが居合わせなかった場合を想定すると、自分はまさに四回死んでいた。


 しかし、憂鬱なことをいつまでも考えていてもきりがないので、こういうこともあると割り切ることにした。今大事なのは、この合間の時間、戦闘が途切れたつかの間の休息を全身に受け止めることだ。今のうちに、緊張ですり減った精神をできる限りリラックスさせるのだ。


「シュロンの奴、わざわざやらなくてもいい殺し合いをさせやがって。まだ脚の震えが、くっそう……」


 ロシーボがうつろな目で天井の方を見ながら、誰に言うでもなく、ウィーナの心情を恐ろしいほど的確に代弁した愚痴をこぼす。


「……使用人達に暇を与えたのは失敗だった。一人でも残していれば、役場に届出をさせるのだが」


「そうですね」


 ウィーナの言葉に対して、ヴィクトが視線を落として相槌を打ち、ロシーボは音もなくため息をついた。


 とにかく人手不足である。本来ならシュロンの騒動を、仲間内の争いとして城下町の役所に連絡しなければならないが、冥界が危機的状況の瀬戸際である今、ウィーナ達にそんな人手はない。


 恥骨がウィーナの部屋に入ってきた今日の昼間から夜の今にかけて、一日の戦闘時間が戦場並みであった。


 慌ただしいこと極まりなく、役場の警察隊に現場の検証をさせなければ、シュロンやゲッケンの死体を片付けることもままならない。


 包帯を巻き終えたニチカゲにしばし無言で視線を向けていた。


 すると、まるで弛緩した神経を張り直させられるように、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「すいません、ビギナズです」


「ああ、入って」


 ヴィクトの声に応えてドアは開いた。


 そこから、背中に剣と盾を携えた鎧姿の、地味な顔つきの男が急ぎの様子で入ってきた。


 彼はウィーナの部下である平従者、ビギナズだった。


 他の部下達は去ったはずなのに、彼がここに来るということはヴィクトが何らかの手回しをしているということなのであろう。


 入ってくるなり彼は一頭身のウィーナを見て、「おっ」と声を上げた。


「すまんな」


 ウィーナが困った顔つきを作ってビギナズに軽く言い流すと、ビギナズも「すみません」と言い、ヴィクトの方を向いて「ヴィクト殿、持ってきました」と続けて、大きな鍵つきの皮製のカバンを差し出した。


「おお、よくやってくれた! ありがとう」


 ヴィクトは微かな喜びの表情を見せてカバンを受け取り開錠し、中身を確認する。


「何それ?」


 服や顔の返り血をタオルでふき取っていたロシーボは遠くから声をかけたが、ヴィクトもビギナズも取り込み中でロシーボに反応しないため、彼は自分で確認しようとこちらにやってきた。


「エリクサー? こんなにたくさん」


 カバンを覗き込んだロシーボが面食らう。


 ヴィクトはカバンの中からエリクサーと耳当てのようなもの、そして、筒状のバトンのような棒をそれぞれ一つずつ取り出しテーブルに置き、念入りな様子で眺めている。


「ドライブドラゴンの領収書です」


 ビギナズはポケットから紙片を取り出し、ヴィクトに渡した。


 ドライブドラゴンとは馬程度の大きさの竜である。背中に乗って空を飛べるため、移動に重宝するのだ。ビギナズが出した領収書は、城下町にあるドライブドラゴンの貸し出し屋が発行したものだった。


「ウィーナ様、これは委員会の方に回せますので。既に向こうにも今回の件を伝えてあります。相談もできずに申し訳ありませんが、非常事態なので」


 ヴィクトが受け取った領収書をコートの内側にしまいながら、ウィーナに言った。


「構わん。よく動いてくれた。ビギナズを委員会に使わせたのか?」


「はい。書簡を持たせました。私の考えた作戦に必要な道具と、支援要請を」


 彼が言った委員会とは、冥界民間軍事契約組織調整委員会のことである。


 この委員会は、ウィーナが営んでいる悪霊退治のような、いわゆる傭兵稼業を行っている民間組織が連携して利害を調整したり、共同で作戦を行ったりする機能を持つ。民間の傭兵組織が冥王軍に対抗する発言力を得るために、結成した委員会なのだ。


 ウィーナの部下であるヴィクトはこの委員会の主要運営メンバーの一人なので、いち早く協力を要請したのだろう。


 相変わらず二手三手先を読んで行動する男だとウィーナは感心した。


 ともあれ、ドライブドラゴンの貸し出し料は高額なので、それが委員会持ちになることはウィーナにとってはありがたい話である。


「……その、援軍のことなのですが、やはり報酬の配分が分からないからと言われまして」


 ビギナズが申し訳なさそうな表情で口を挟んで、委員会の署名が書かれている封筒を差し出した。


「どこも出し渋ってるのか?」


 ヴィクトが眉をしかめて封筒を破り、折り目のついた書簡を取り出した。ウィーナやロシーボも横から書簡を眺める。


 書簡の内容を要約すると、「委員会にいくら報酬が入るかも分からないのに、それぞれの組織から戦力を割くことはできない。それに、ヘイト・スプリガンが冥王となって冥界がさらに荒れるというのであれば、我々の仕事が増えて却って好都合。よって、委員会は様子見の立場をとる。ただ、あなた方単独の依頼に助力するという形式をとって、道具だけは提供しても構わない」というようなことだった。


 要するに、委員会はこちらにやんわりと恩を売ることで、どう転んでも得をする立場をとったのである。


「この大事なときに奴らは何を言っているのだ……。何なら報酬の100万G、全部奴らに配ってやれ」


 ウィーナは委員会の日和見的な態度に失望し、疲れのため息を漏らした。


「いやあ、そりゃあちょっとどうでしょうか」


 投げやりな発言に対し、ロシーボが苦笑して首をかしげた。


「まあ、向こうも商売ですから仕方ありません。援軍の方はそれほど期待していませんでした……ビギナズ、城の様子はどうだった?」


 ヴィクトは書簡から目を離し、ビギナズの方に向き直った。


「はい、城の兵士に状況を聞いてきましたけど、まだ巨人は冥王を人質にとったままで、膠着状態が続いているということです」


「分かった。ありがとう。ビギナズ、よかったらもう少し手伝ってもらえるかな?」


「はい! 乗りかかった船です。私にできることなら」


 ヴィクトの問いかけに対しビギナズは二つ返事で承諾した。


 目立たないながらも、このようなところはヴィクト直属の部下らしさを感じさせる。


「それでは、皆さんそろったところで、私の提案した作戦を説明させていただいてよろしいでしょうか?」


 ヴィクトが真剣な面持ちで周りの四人を見回す。


「よろしい。説明してくれ」


 ウィーナは巨大な一頭身の顔を真剣そのものの表情に作り直す。


「それでは、事は一刻を争うので、手早く簡単に説明させていただきます。ロシーボ、ちゃんと話聞いていろよ」


「分かってるよ。ちゃんと聞くよ!」


 注意をされたロシーボは周囲の顔色をうかがうような仕草を一瞬見せ、「よしっ」と小声で付け加えながら、ニチカゲが横たわるベッドの隅に腰掛けた。


 ニチカゲも、包帯だらけの重症の身であるが、その目は力強くウィーナ達の方へ向けられていた。


 ウィーナも、固唾を飲んでヴィクトの説明に集中する用意をした。


 初めは百人以上の部下総出で攻めようとしていた時空の塔を、たったこれだけの人数で突破する作戦の説明を。

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