第20話 呪術VS知略
ロシーボが右手をかざすと、彼の手元に光が立ち込めた。その光が形を成していき、両手で携帯できるほどの大きさである大砲のような武器に変化した。この大砲も、緑色のプレートで縁取られたものである。
「おおおおーっ!」
ニチカゲが腹の底から出したようなかけ声を張り上げ、ロシーボに突撃する。それに合わせロシーボは、無表情で武器の引き金を引いた。大筒の銃口から、まるで竜巻を思わせるような突風が吹き出してニチカゲをえぐる。それは、ゲッケンが使いこなす風魔法とよく似たものであった。
それでも、ニチカゲは前進をやめず、突風をかいくぐり一歩ずつ歩みを進めた。彼の体を覆う血潮が、ロシーボの放つ壁のような突風に洗い流される。屋敷の大広間に、血の嵐が吹き荒れた。
「無力の術!」
ロシーボの背後に控えていたシュロンが六本の腕を再び扇のように広げると、またしてもニチカゲの体が闇に包まれた。それと同時に、彼の大きな体が風に持ち上げられ、はるか後方へ吹き飛ばされる。
ニチカゲは、激しい地鳴りと共に部屋の壁に叩きつけられて、前のめりに崩れ落ちた。
「ニチカゲ!」
ウィーナは叫んだが、ピクピクと痙攣するだけで反応は無い。
「さあ、とどめを刺して……」
シュロンがロシーボに命令しようとしたそのとき、正面玄関を入って左側の位置にある、地下室へと続く扉を激しく叩く音が聞こえてきた。
「ウィーナ様、ご無事ですか!」
ヴィクトの声である。彼もまた、ウィーナに仕える幹部従者であった。
「ヴィクト、扉を開けられないか!?」
ウィーナは必死で扉の向こうへ呼びかけた。
「それが、今、剣がありません!」
ヴィクトの焦りを感じる声色と共に、ドアを叩く音も大きくなる。
「ヴィクト、あいつ、まだいたの?」
シュロンが次々現れる乱入者対していよいよ痺れを切らしたようで、顔には怒りの形相が形作られていた。
彼女が二本の腕を交差させると、扉が勢い良く開き、一人の若い男が飛び出してきた。シュロンはヴィクトを迎え撃つために自分で施錠の術を解いたのであろう。
その男は、真っ白なワイシャツと、黒いズボンを身に着けた普段着姿だった。肌が青く、髪は先端に少しカールがかかった質の柔らかそうな銀髪である。切れ長の鋭い目を持つ精悍な顔立ちのこの青年こそ幹部従者、ヴィクトなのだ。
「ロシーボ、お前? この化け物は、シュロンか? 」
ヴィクトは眼前の敵や負傷した仲間を目の当たりにし、表情を強張らせて身構える。
「まさか地下室にいたとはね。大人しく隠れていれば死なずにすんだものを……」
「そこを出てきたんだから、死ぬ前にぜひ教えてもらいたいね。それがお前の本当の姿なのか?」
「そうよ、これが今の私の本当の姿……」
「今?」
「誘惑に負けて禁呪に手を染めてしまいましたの。強大な魔力に、永遠の美貌と若さがほしかった。その副作用として、こんな異形の姿になったのよ。何とか変身の魔法で、以前の姿を形作っていたわ」
「なるほどな」
「欲に溺れた者のなれの果てがこの私ですわ。でも、その結果手に入った美しくも禍々しいこの体……。この体が与えてくれる甘美な堕落の快感、一度浸かってしまったらもう手放すことはできなくってよ、ウフフフ……」
「そこまで客観的に自分を分析できるのに、改善する気は無いわけだ?」
「そんな必要はなくってよ。私は女神になるのだから!」
シュロンの掌から凄まじい雷撃が放出され、ヴィクトはそれをどうすることもできず派手に攻撃を浴びた。ヴィクトはたまらず悲鳴を張り上げ、早々に床へひざを突いた。
「剣もないのに、まさか魔法で私とやるつもりだったのかしら? あなたともあろう者がとんだ愚策ですわね」
シュロンがやけに嬉しそうに声色を上ずらせた。新しい獲物をどう殺すか妄想しているのであろうとウィーナは推測した。
「ヴィクト、だ、大丈夫か! 何とかロシーボにかかっている魔術さえ解ければ、我々が逆転するチャンスも得られよう」
諦めるのはまだ早い。つるの激しい締め付けを堪え、ウィーナがアドバイスを搾り出す。
「クッ……ロシーボの奴、操られているか。それはニチカゲ殿もやり辛いだろうな」
ヴィクトがうめき声を上げて何とか立ち上がり、戦いに倒れたニチカゲに視線を流した。
「お~っほっほっほ! さあ、こっちにいらっしゃい……」
シュロンが魔力を帯びた視線でヴィクトを凝視するが、それを察知したヴィクトは視線をそらし、ロシーボの二の舞を回避した。シュロンはその様子を見て軽く笑い飛ばし、うんざりした表情を見せる。
「それじゃあ、もういいですわ。ロシーボ、あなたはボケッせずにさっさとあのデブを消しておしまいなさい」
シュロンの指示に従いロシーボが動き出したそのとき、ヴィクトが両手から火炎を作り出しロシーボへ向けた。
「ロシーボ、お前がニチカゲ殿に一歩でも歩みを進めたら、このままファイヤーボールを放つ!」
その警告に対し、ロシーボはにわかに歩みを止め、硬直した。
「なるほど。心は操られても、体は正直か。熱さのショックで目を覚まさせてやる!」
立ち止まったロシーボに向けて、狙いやすくなったとばかりにヴィクトは魔法を放とうとした。
「あなたのファイヤーボールのショックぐらいで私の呪術が解けると思って?」
嘲笑を続けるシュロンに対して、ヴィクトは顔に脂汗をかいていた。
「何とでも言え。これは賭けさ。幸い、あいつの鎧のおかげで、勢い余って殺すということはなさそうだし」
「悪あがきって、見ていて本当に哀れですわね。いいわ、ロシーボ、ヴィクトを先にやりなさい。そうやって仲間同士で殺しあうのよ!」
「かしこまりました。シュロン様」
シュロンの命令に機械的に応答したロシーボが、背中のウイングを展開して飛びあがろうとした瞬間、ヴィクトが両手から炎の弾丸を一発、高速で放った。
すると炎は見事に命中し、立ち込める煙の中から真っ黒焦げになって仰向けにぶっ倒れているロシーボが出てきた。
彼は気分が悪そうに潰れたようなうめき声を上げている。
アーマーを装備しても、高熱にはあまり意味が無いようだ。
「まったく、人形になっても役に立ちませんわね。元が弱いとこんなものかしら?」
シュロンがのたうつロシーボを見下して不機嫌そうにため息をつく。
ウィーナは、今ヴィクトが放った魔法の質を近く感じて、何か違和感を覚えた。その質とは、攻撃魔法のそれとは別に、何か癒しの力が含まれているようなものであった。
「まあ、いいわ。こんどはあなたを
再び目を光らせたシュロンが尻尾を波立たせヴィクトの方を向き、にじり寄る。これではヴィクトはまともに敵を見ることもできない。
「おお、ロシーボ、気が付いたか!」
突然、しかめっ面から明るい表情へ変貌したヴィクトがロシーボへ向かって大声を張り上げた。
「何ですって?」
「ファイヤーストーム!」
シュロンがとっさに後ろを振り向いた瞬間、ヴィクトは両手から炎の竜巻を連射した。
「ああああああーっ! 食らえええええっ!」
ヴィクトは全ての魔力を振り絞って、ひたすら火炎を発射し続ける。轟音と共に、広間全体の気温がどんどん上がっていき、シュロンの姿が煙にまかれて全く見えなくなる。
そのとき、ウィーナは見た。
ヴィクトは一旦魔法を撃つのを片手のみにして、もう片手でズボンのポケットから丸められた紙切れを取り出してロシーボに放り投げたのだ。
目の前に落ちた紙くずを、ロシーボは震える手で拾った。そして、紙切れを見た後それを口に入れてまた苦しそうな表情を作った。
ウィーナは気付いた。ロシーボは既に魔力が解けている。
先程ヴィクトがロシーボに放ったファイヤーボール。ウィーナは違和感を感じていたが、いま真相が分かった。ヴィクトがファイヤーボールの内部に、何らかの回復系の魔法を隠して放ったに違いない。
「シュロン、引っかかったな!」
その台詞と共に、ヴィクトは両手を正面にかざして、渾身の一撃をぶつける。
もはや火炎というよりは、屋敷を壊しかねないような爆発が巻き起こり、ウィーナの顔に細かい床の破片がパラパラとぶつかってきた。
「やったか?」
ヴィクトは息を荒くして炎と煙の塊を見つめる。一方ウィーナは息を呑んでヴィクトの様子を見ていた。ウィーナの読みが正しければ、既にシュロンはヴィクトの作戦の手の内にあった。
「お~っほっほっほっほ! 痛くも痒くもありませんわ!」
高笑いと共に濃厚な煙の壁が晴れると、火傷ひとつ無い蛇女が姿を現す。
それを目の当たりにしたヴィクトは戦慄の表情を浮かべ、後ずさりする。
「最初に言ったはずよ? 魔法で私に挑むことは愚策だと」
シュロンが六本の腕をくねくねと躍らせると、ヴィクトの足元が一瞬にして石化した。
ヴィクトが動かなくなった足元に目をやると同時に彼の両手も石になって動かなくなる。
「待て、よせ、やめろっ!」
「おーほほほほ! つ、か、ま、え、た!」
ヴィクトは叫ぶが、シュロンはまるで耳を貸さず、エメラルドグリーンの尻尾でヴィクトを捕らえた。
彼の体が宙に持ち上がる。
「私の尻尾が肌を這いまわる感触はどうかしら? ちゃんと毎日鱗のお手入れをしてるんだから。ほーら、もっと抵抗して」
「た、頼む、命だけは……!」
苦悶の表情でヴィクトが声をしぼり出す。
「だーめ。女の肌に包まれて死ぬのは幸せでしょう? 快楽に身を任せてお逝きなさい……。でもそれは、たっぷりと遊んでからですわ」
シュロンは長い舌を伸ばして、恍惚の表情でヴィクトの首筋、頬を舐めまわす。
そのときである。
ヴィクトがシュロンの背後で倒れているロシーボに向かってウィンクすると、いきなりロシーボが起き上がり、銃を抜いてシュロンの巨大な背中に狙いをつける。
シュロンがそれに感づいたとき、すでにロシーボは引き金に指をかけていた。
「今度は俺がお前のハートを打ち抜く番だ」
「い、嫌あああああああッ! やめてえええっ!」
シュロンが甲高い悲鳴を上げた。
ロシーボが引き金を引くと、細く、それでいて威力を凝縮させたビームがシュロンの胸を貫いた。ビームが屋敷の壁に穴を開け、そのまま消えていった。そのときには、既にシュロンは悲鳴を上げた表情のまま、床に倒れて動かなくなっていた。
「フルパワーチャージって凄い威力だな……」
ロシーボは煙を上げる銃口を見つめ、驚きの声を上げていた。
彼の持っている銃は、先程見せた魔法エネルギー収束レーザーガンだったのである。
ウィーナに絡み付いていたつるが消えて、ようやく自由の身となる。
ヴィクトも石になっていた手足が戻り、彼女の尻尾から解放された。
「ニチカゲ!」
ウィーナは慌ててニチカゲに駆け寄り、彼の安否を確認した。
「……ウィーナ様、僕は、平気ッス。ちょっとやられ過ぎただけで……」
ニチカゲは弱々しい笑顔を見せた。
「あまりしゃべるな。とにかく手当てをしよう。みんなでニチカゲを医務室へ運ぶぞ」
「はい」
ロシーボがウィーナとニチカゲの元へ向かおうとしたそのとき、倒れていたシュロンが突然ロシーボの足をつかんだ。
ロシーボが目を大きく見開き、顔を凍りつかせる。
「あうう、お願い、助けて……何でもするから……!」
シュロンがロシーボの目を食い入るように見据え、命乞いの言葉を絞り出した。続けて震える手でロシーボの両足を自分の元に手繰り寄せる。そして巨大な上半身を、引きずり倒したロシーボに覆いかぶせた。
シュロンの熱い吐息が、ロシーボのバイザーからはみ出た前髪をなびかせる。
「ひいいいっ!」
ロシーボは夢中で銃の引き金を引きまくったが、先ほどフルパワーで撃ったので、もうビームは出なかった。
「げっ! まだ生きてたのか!」
ヴィクトもこの展開は想定外だったらしい。
ウィーナはその様子を見て、別の部分で驚愕した。
「ロシーボ……、わ、わたくしの目を見て……」
シュロンは四本の腕でロシーボを捕まえているのと平行して、残りの二本の手を自分の胸元にあてがっている。そこから青白い光が出ている。貫かれた胸に回復魔法を唱えているのだ。
「しまった! 回復するぞ!」
ウィーナとヴィクトは慌ててシュロンの方へ疾走する。
「うわあああ! ああああああああっ!」
ロシーボが恐怖のあまり絶叫して、シュロンの腕を振りほどき、ベルトの鞘からメモリーナイフを取り出した。そして、何かに取り憑かれたようにナイフでシュロンの顔を滅多刺しにしたのだ。
「うう……、呪ってやる。悪霊となって取り憑いて差し上げますわ! ロシーボ!」
シュロンは顔を無数の刺し傷で彩られロシーボに呪詛の台詞を吐き、今度こそ倒れた。
ロシーボは、体中をがくがくと震わせて、シュロンの死体の下から這いずりでてくる。
「ロシーボ、大丈夫か!」
ヴィクトはロシーボに声をかけながら、シュロンの完全な死を確認した。
「あ、ああ、とにかく死ぬかと思った……」
ロシーボは恐怖の余韻に引きずられ、しばらく立ち上がれなかった。
「魔物となった者の生命力を甘く見たか……。それでは、医務室でニチカゲを介抱しながら、作戦を練ろう。そう考えていいのだな? ヴィクト」
「異議ありません。その前に」
ヴィクトは反転して、自分が現れた地下室へ続く廊下へ走っていった。そして、胸を覆う普及品の鎧と、着古した茶色いコート、鞘に収まった剣をいっぺんに抱えて持ってきたのだ。
「ヴィクト、お前、わざと剣や鎧を置いて戦いに望んだのか?」
ウィーナは驚いて声を上げた。
「シュロンを油断させるためです。調べ物をしているときとはいえ、勤務中に剣を手放したりはしません。まあ、剣に生きる者であれば、剣で勝てぬ相手も分かるものです」
ヴィクトがすました表情で、綺麗な笑顔を作った。
結局、扉を必死で叩いていたときからヴィクトは計略の実行段階だったのだ。
「なるほどな。ロシーボ、さっきヴィクトが投げた紙には何と書いてあったのだ?」
「え? ああ、『俺がウインクで合図したら、全力の不意打ちをぶち込め』って書いてありました」
ロシーボが疲れきった様子で説明した。
「ロシーボ、結構熱かったろ、ゴメンな!」
ヴィクトが気まずそうな顔を作って、ロシーボに謝罪した。
「いや、本当にお前に助けられたよ」
三人は、傷ついたニチカゲを担ぎ、医務室へ向かった。
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