第16話 崩壊する職場

 時空の塔とは、古い書物などに伝説として残っている遺跡で、冥界、下界、魔界、天界など、あらゆる次元を一つにつなぐ幻の建造物である。


 そして、普段はそれぞれの世界の王達が施した封印によって異次元に閉ざされていて、封印をとく鍵を持つのは、その世界の王達のみである。


「ご名答、この城の地下室に封じられた入り口からあの塔を上りきった者にのみ、現世への道が開かれる……ってこと」


「どうやって入るのだ?」


 淡い希望を胸に抱き(語弊あり。今のウィーナに胸なんか無い!)、当然の質問をバリアナに投げかけた。


 バリアナは、「鍵を持ってきたわ」とつぶやき、服の内ポケットから金色に光る小さな鍵を取り出したのだ。


「なぜ、こんな鍵を汝が持っているのだ?」


 少し黙って鍵を眺めて言った。本来冥王が管理すべき物で、一介の執政官がどこうできる代物ではない。


「合鍵よ。冥王軍諜報部は、ほとんどの冥界の重要施設の合鍵を秘密裏に作製しているから」


 差し出された鍵を受け取り顔の前に持っていくと、鍵は何かウィーナを誘惑するような妖しげな輝きを見せた。


「諜報部からこの鍵を?」


 すると、バリアナは少し寂しそうな表情を顔に浮かべた。


「少し、長くなるけどいいかしら?」


「構わん」


「……私の夫、諜報部のエージェントだったの。『肩甲骨』っていうコードネームを持っていたわ。合鍵を作らせたら、この冥界で夫の右に出る者はいなかった」


 ウィーナとハチドリは、協力者であるバリアナの話に真摯に相槌を打った。


「私の夫ね、数年前、仕事中戦闘になったとき、鎖骨の盾にされて死んだのよ」


 彼女の形の整った耳ヒレが、怒りと悲しみに共鳴したのかピクピクと震える。ウィーナとハチドリにはかける言葉がなかった。


「戦闘中の不慮の事故ということで、結局鎖骨は不問になったわ。正直言って、あなたの部下があいつを殺したとき、胸がスッとした気持ちになったの。思ったのよ、もしかしたら勝利の女神であるあなたの祝福かもしれないって」


「光栄だな」


 ウィーナは小さく笑った。


「諜報部に、死んだ夫を慕っていた人がいて、そのツテでこの合鍵を手に入れたの。何とか、下界のイケメンコを冥界に連れてくることはできないかしら?」


 兆しは見えた。呪いを解き、元に戻る絶好の機会である。ふいにする理由はない。


「分かった。依頼は続行だ。屋敷に戻れば、私に仕えし百人を超える従者が集まる。総出で時空の塔に望み、イケメンコを冥界に連れてこよう」


「本当? 感謝するわ」


 バリアナがホッとしたようにそう言ったとき、部屋をノックする音が聞こえてくる。


「バリアナ殿! 大変です」


「どうしたの? 入って!」


 中にやってきたのは、青ざめた執政官の男だった。


「ヘイト・スプリガンが、あと二十四時間以内に冥王が自分を生き返らせなかったら、冥王を殺して自分も死ぬと!」


「何ですって!」


 バリアナが驚愕の表情を浮かべた。


「一体どうすんだよ」


 ハチドリも羽で頭をかかえる。


「更に大変なことに、その、大臣達が、ヘイト・スプリガンを新たな冥王にするのもやむなしと」


「馬鹿な……」


 冷静に場を見ていたウィーナもこれには驚いた。


 執政官は早口でさらに言葉を続ける。


「冥王が死ぬと、冥界中の悪霊が抑圧から解放され、暴走してどうなるか! その最悪のケースよりかはマシだという意見がやはり強いんです」


 確かに、その考えには一理ある。


 冥界の大神官が、しかるべき儀式で王位継承を行えば、冥王の能力は正式に受け継がれ、死者を蘇らせる力もヘイト・スプリガンに備わるだろう。だが、あの巨人に冥王の力を持たせるのが、どう考えてもおかしいのは火を見るより明らかであった。


「ハチドリ伝令だ、今すぐ私の屋敷に飛んで、今のことを説明しろ。そして戦闘員全員に出動の準備を呼びかけてほしい!」


「わ、分かりました! 状況の説明と、出動準備!」


 ハチドリは部屋の窓を開け大急ぎで空へ飛び立った。


 ウィーナはその姿を見送った後、バリアナ達に向き直った。


「我々が何とかしてみせよう。急ぎ屋敷へ戻り、部下を編成して時空の塔へ向かう」


「お願いするわ。今は女神の祝福を信じたいの」


 バリアナが静かな口調でウィーナに一礼した。


 その、お願いしながらも既に諦めを漂わせる半魚人女の雰囲気は、ウィーナの心中に事の深刻さを焼きつける発信源としては十分であった。




 屋敷への帰路、通行人に変な目で見られたくないため、顔を手で覆って隠して帰ったが、やはり変な目で見られた。


 屈辱と羞恥の冥界の夕刻、胸騒ぎを引き立てし城下町の往来、迫り来る絶望とかすかな希望への道筋が一本の物語となってウィーナを導こうとしていた。




 ウィーナが屋敷に戻った頃には、すっかり夜になっていた。昼間でも薄暗い冥界は、更に深い闇に包まれていく。


 埃の積もった、白塗りの門を開き、正面玄関から中に入る。


 ウィーナの思惑では、既にハチドリが部下に集合をかけ、いつでも時空の塔へ向かう準備ができているはずであった。しかし、彼女の屋敷はまるで生気が失われたかのように静まり返り、明かりは薄暗く人の気配が全く無いのだ。


 一体どうしたことであろうか。


 正面玄関の広間の奥に、左右対称に二階へと続く階段が伸びている。上階からも人の声は聞こえない。ウィーナは誰か探そうと、左手の訓練所につながる通路へ足を伸ばした。


「ウィーナ様!」


 ハチドリの声と共に訓練所の方から彼が飛んできた。そして手前にある火の灯っていない、銀製の燭台の上に静止する。


「ハチドリ、これはどういうことだ」


 ウィーナはこの静寂ぶりに対し、当然の質問を投げかける。


「……それがですね。ヘイト・スプリガンの話をしたり、ウィーナ様が一頭身で、魂を鎮める力がなくなったという話をしたら、みんな恐れをなして逃げてしまい……。いや、止めたんですよ?」


 ハチドリがウィーナをなだめるように説明した。


「何だって! 冗談はよせ!」


 ウィーナの顔に冷や汗が流れる。百人を超える従者達に、そろって集団退職されたのだ。


「正直言って、大ブーイングでしたよ。ウィーナ様が力を失ってから、赤字続きで給料もいつか出なくなるかもしれないって。そのうえ、冥王を人質にとっているような化け物相手にするなんて聞いた日には」


「行くのは時空の塔だ。直接奴を相手にするわけではない」


「まあ、時空の塔にも行きたがりませんよ。強いモンスターが巣食っているという噂ですし。何より、ジョブゼが傷だらけで帰ってきたものだから、平従者達はみんな萎縮してしまいましたよ。もうこの商売もお終いだって」


 ハチドリはまるで感情を抜かれたかのように淡々と話した。


 ウィーナは目の前が真っ暗になるような気分である。


「ジョブゼは」


「一応、残りました。あいつからの伝言がありまして、参加したいのはヤマヤマでも、今の負傷した自分では足手まといになるだけだから、知り合いの回復魔法のエキスパートを頼って傷を癒しに行くということです。もし間に合えば必ず駆けつけるということです」


「他に、幹部は残ってないのか!」


「シュロンとニチカゲも残りました。……それだけですね。他の幹部達も全員逃げるように出て行ってしまいましたよ。シュロンはさっきから二階の魔法研究室にこもりっきりですね。ニチカゲは調理場で勝手にちゃんこ鍋作ってますよ」


「何ということだ……」


 他に感想が思い浮かばなかった。


 何ということだ。


「まあ、あくまで私がざっと確認した範囲でですよ! 訓練所や詰め所にはもう誰もいなかったんで。探せばまだ残っている者が屋敷にいるかもしれません!」


「そうか。それでは、残っている者がいるか探した後、傷を治したジョブゼを待っている間に策を練る!」


 ウィーナは気を取り直して、自分に喝を入れる目的で声を張った。


 しかし、本当の追い討ちはここからだ。


「それでは、伝えることは全て伝えたので私もこれで……」


「……はい?」


 ウィーナはハチドリの予想外の言葉に対して、返す言葉も上ずった。


「今まで、お世話になりました。ご武運をお祈り申し上げます。どうか、お健やかに」


「い、今何と言った!」


 ウィーナは焦ってハチドリを引き止めたが、彼はまるで小鳥のように(ハチドリはまんま小鳥です。比喩表現がおかしいですね)燭台から飛び立ち、ウィーナの巨大な頭上を飛び越えた。


「今月分の給料、いりませんので。では、失礼します」


 ハチドリは空中から、ウィーナを見下ろすように頭を下げて一礼した。そして、玄関に向かって飛んでいく。


「ハチドリ! 私を、この私を見捨てる気か! 見捨てるのか、この勝利の女神を!」


 これほど必死になって他人とのつながりを維持しようとしたのはいつ以来だったろうか。


「ウィーナ様、あなたからそんな言葉は聞きたくなかった。その、本当に申し訳ないと思いますが、さすがに今回は戦力が少なすぎます! 私にもあるんですよ、色々と。やりたいこととか、やらなきゃならないこととか」


 ハチドリの言葉は正論であった。


 そして、それは従者全員に当てはまることでもあったのだ。


「お前の力、必要なのだ! 今はお前がいないと困るのだ!」


「今は……ですか。あなたからそこまで熱い言葉を、もっと前に仕事で聞けたらよかったと思ってます。必要とされているは嬉しいのですが、やはり敵が大きすぎる……だめだ! 何言っても言い訳に聞こえる。失礼します!」


「ハチドリ!」


 彼は後ろを振り返ることなく、大きな正面玄関の隙間から姿を消した。


 ウィーナは呆然としてその場に座り込んだ。


 おそらく、ハチドリは随分前からここを去る機会をうかがっていたのかもしれない。

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