第15話 敗走という名の前進

「俺は、冥王にしか用がない。俺は生き返りたいんだ。……出て行け、出て行けえええっ! もし、テメーら全員で俺を倒すっていうんなら、この冥王も道連れにしてやる! そうなると冥界の悪霊達が一斉に暴れだすぜ、ヒャーッハッハッハ! ヒェーッヘッヘッヘエ!」


「クソ野郎が、そういうことか」


 ジョブゼは不満げな顔つきで体の構えを解き、自然体になった。


 あれだけ好戦的で狂戦士的な男だが、これで結構刃を振るう時と場合はわきまえているのである。


 しかし、ヘイト・スプリガンは当然ジョブゼを許さない。


「ちょっと待てよ、テメーだけはぶっ殺す! 俺が受けた痛みを百兆倍にして返してやるぜ!」


 ヘイト・スプリガンが緑色のオーラに包まれた巨大な拳を目にもとまらぬ速度で、ジョブゼに向けて振りかざす。


 ジョブゼは避けようと横に飛びのいたものの、敵の拳が直撃してしまう。ジョブゼの身体は遥か後方に吹き飛び、玉座の間の壁を轟音と共にぶち破る。彼は廊下まで吹き飛び、床に激しく叩きつけられぐったりと倒れた。


「ジョブゼ!」


 ウィーナが叫ぶが、今の一撃が相当効いたようで、全然起き上がる気配がない。


「おっと、まだ死ぬなよ? たっぷりと苦しめてやるぞ!」


 ヘイト・スプリガンが人質である気絶した冥王を引きずりながら、ジョブゼの元へ向かおうとする。


 ハチドリがすぐに全速力でジョブゼの元に向かい、小さな体で彼の体を懸命に持ち上げる。そして、持ち前の素早さで廊下の奥に飛び立ち、姿を消した。


「あっ、逃げんなこの野郎!」


 冥王を邪魔そうに引きずりながらヘイト・スプリガンは地団太を踏む。


「ウィーナ様、私達も!」


 シュロンがウィーナの頭に触れ、目をつぶって「外へ……」とつぶやくと、ウィーナとシュロンはその場から姿を消した。シュロンは移転の魔法を唱えたのだ。


 結局、依頼の遂行は失敗に終わった。




 ウィーナがシュロンの魔法でワープした所は、冥王軍の軍勢が玉座の間を包囲している城内の大広間である。玉座の間へと進む赤絨毯が敷かれた通路は、広く開け放たれており、先ほど戦闘をした場所が遠目に見える。


「何だ、コイツ!」


 近くにいた兵士の一人が、三つある目玉を殊更大きく見開き、物珍しそうな眼差しをぶつけてきた。大勢の人物の視線が一頭身のウィーナに集中し、周囲のざわめきが一層大きく聞こえてくる。突然、こんな姿の生き物がワープしてきたのだから、それも当然であった。


「ウィーナ様、どうしましょう?」


 狼狽した顔つきで、小声でシュロンが言った。


「ハチドリとジョブゼはどこだ?」


「あっ、いました」


 人ごみの中から、ハチドリが合間を縫って飛んできた。


 一方ジョブゼは、広間の隅の壁によりかかってぐったりとしているが、ひとまず無事なようだ。


「ハチドリ!」


「ウィーナ様、どうもどうも、ご無事でしたか」


「ジョブゼは?」


「傷は深いですが、命に別状はありません。さっきの医務室に連れて行こうとしたんですが、いいって言うんですよ」


「そうなのか、困った奴だ……」


 ウィーナはでかい顔でため息をつき、しばし途方に暮れる。


「とにかく、今後のことを話し合わねば。もう少し静かな所へ場所を移そう」


 ハチドリとシュロンはうなずいた。


 三人はジョブゼの方へ歩んでいく。


 壁に寄り添うジョブゼは、酷いやられ方であった。青い鎧のそこかしこがひび割れ破損し、手斧を握っていた左腕は折れて使い物にならない。口から喉にかけて、乾燥した血の跡がこびりついていて、鼻先は小刻みに震えていた。


「シュロン、回復魔法だ」


 指示を出したが、シュロンは困った顔つきを作った。


「すみませんが、……私は呪術の方が専門で、私の回復魔法ではここまでの深手は治しきれません」


「そうか……。ジョブゼ、肩を貸すぞ」


 ウィーナはうなだれているジョブゼに向かって、ごっつく変化した手を差し伸べる。


「……肩なんてないじゃないですか」


 ジョブゼは弱々しく笑いながらウィーナに手を差し出す。その笑みは、さっき一頭身のウィーナに投げかけた馬鹿にしたような笑いではなかった。


「戯言とは殊勝だな」


 少し安心したウィーナはフッと鼻で笑いジョブゼを担いで、後頭部で負ぶさった。


「いやあ、絵的にシュール過ぎますな」


 ハチドリが淡々と言った。


「そういうことは言わなくていいのよ!」


 シュロンはハチドリに一言添える。


「もう少し静かな所へ場所を移そう」


 ウィーナ達が現場を後にしようとしたとき、後方に一人の人物が接近していたことに気付いた。


「傭兵さん、もうお話ししてよろしいかしら?」


 低く、ガラガラした感じの声であるが、それは確かに女の声である。その人物は鱗に覆われた肌を持つ半魚人風の女性であった。黒を基調としたその役人然とした服は、紛れも無く執政官のもの。横に大きく広がった口を持ち、目は丸く大きいもので、頭や耳にヒレがついている。


「私は構わない。汝の名は何と言う?」


「バリアナ。冥府執政部の執政官。諜報部の恥骨が死んだことで、軍の方から依頼の件を引き継いだの。これから静かなところへ案内するわ。何点か、執政部を代表してを話したいことがあるの」


「話とは?」


「今言った依頼のことと、そこの人の処遇について」


 そう言って、バリアナは水かきのついた手でジョブゼを指差した。いよいよ来たか、と思ってウィーナは眉をしかめて瞳を落とす。


「ウチのショウリーとカッチを身代わりにしたのはあの野郎の方だぜ? 俺の首もあの眼鏡野郎みたいに切り落とそうってか」


 ウィーナに背負われたジョブゼが痛みを堪えた表情でバリアナを嘲った。


「それも色々事情があったのだ。どうか寛大な処置を望みたい」


 ウィーナもジョブゼをかばったが、一方でバリアナはそんなに必死になることはない、とでも言いたげな顔つきで、丸い目でこちらを見回す。


「まあ、詳しい話は奥でしましょう。ね?」




 ウィーナ達が通されたのは、城の一階、執政部が有する客室であった。


 扉の前まで通され、バリアナは足を止める。


「申し訳ないんだけどさ、ちょっと、人払いをしてほしいかな」


「人払い、しかし……」


 ウィーナは背中のジョブゼに視線を向ける仕草をしようとしたが、1頭身の身では首を回せないため、ジョブゼを見ることができない。なんとも情けない話だった。


「大丈夫よ、そのジョブゼって人も帰しちゃっていいわ。もう、送らせる手配はしてあるから」


 ウィーナは意外に思った。ジョブゼのことはもういいのであろうか。


 すぐに一人の兵士がやってきて、ウィーナからジョブゼを預った。


「それでは、我々はここで失礼します」


 シュロンはウィーナに一礼して、この場を去ろうとする。


 ハチドリも「失礼します」と言って小さな羽を羽ばたかせて、ゆっくりとシュロンの後へ続く。


「待って、ハチドリさんなら、以前執政部も良くお世話になったから、入っていいわ」


 バリアナがハチドリを呼び止めた。


 さすがに、冥界でも有数の名家の出だけあって、こういうところでは顔の利く男である。


「いや、別に私はいいですよ」


 ハチドリは興味なさそう、というか、それどころか面倒臭そうな雰囲気であった。


「ハチドリ、いいからお前もこい。面倒臭がるな」


 ウィーナはハチドリに命令した。大事な話なら、ハチドリにも聞いてもらったほうが何かと都合がいいと思ったからだ。


「はい、分かりました」


 ハチドリは、諦めたように、音もなくウィーナの頭頂部へとまった。


 その様子を見ていたシュロンがキッと鋭い視線でこちらをにらみつけた気配を感じたのだが、それを確認する前に彼女は背中を向けて、ジョブゼを背負った兵士と共に城の出口に向かってしまった。


「部屋、入れる?」


「ああ、横になれば」


 客間は、掃除の行き届いた小奇麗な空間で、冥界には珍しい明るい緑色の葉をつけた観葉の広葉樹や、窓際にちょっとした遊び心を加えた猫の置物などがあり、殺風景な場末の街角とは一線を画す、内部から来る明るさというものがあった。


 バリアナに促され、ウィーナは顎をテーブル前のソファーに乗せた。これでも座っているのである。


「ジョブゼの処遇については……」


「不問よ。公式には、正式な決闘の末鎖骨は敗北した、という体裁にしておくから」


 そういうことであった。


 詳しい話を聞くと要するに、今、政府も軍もヘイト・スプリガン立てこもり事件にてんやわんやで、そんな事件で無駄にゴタゴタしたくない、ということなのだ。


「もうひとつの話は、依頼のこと。結論から言うと、あなたに意思があれば、ヘイト・スプリガンを鎮める任務、継続してほしいの。それが執政部の判断」


「嬉しい話だが、今私は呪いをかけられて、浄化の力までも失ってしまった。もはや、どうしようもあるまい」


 ウィーナは悔しそうに唇を結んだ。


 この冥界で追放され十年、悪霊専門の傭兵稼業で頑張ってきたが、こんな姿に変えられ、挙句の果てに専売特許の力もなくなった。


 自分ももうそろそろ潮時で、本気で死に場所を探す時期が来ているかもしれないと思うと、寂しい気分になってくる。


「承知しているわ。あなた達が玉座の間にいたときの状況はさっき聞いたの。後ろの方で様子を見張らせてたからね」


 何が言いたい、と思いながら、ウィーナは沈黙してバリアナを見つめることしかできない。


「やっぱり、あなたに依頼したいの。そのさ、実績ってやつ? ……十年前、罰せられるのを覚悟で、自身を投げ打って下界に降りて握力大魔王を倒したって伝説。種族違いの私でも、あなたの美しさは分からなくても気高さなら分かる。冥王様も、そんなあなただから、あれほど惚れたのかもしれない」


「この姿を見て失神していたが?」


「うーん、まあ、それはさておき……。下界の勇者、イケメンコを連れてくる必要があるんでしょ? 本来、下界に上がることができるのは、冥王から正式な命を受けし死神達のみ。でも、それ以外に下界に行ける方法はあるの」


「時空の塔か……」


 ハチドリが始めて口を開いた。

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