第13話 絡み合う巨体、宙を舞う生首

 結界の中に生きている者がいては浄化できない。しかし、結界を解くとヘイト・スプリガンも出てきてしまう。


 ウィーナの思考が空白となり、彼女の動きを硬直させる。


 しばしの間、周囲に間の悪い沈黙が走る。


 重苦しい雰囲気であった。


「あ、あの、ウィーナ様?」


 ハチドリが気まずそうに声をかけた。その直後、ウィーナの口から心にも無い発言が飛び出す。


「……計画通り」


「え、えええええええっ!?」


 ハチドリがクチバシをまるでフタ開けた宝箱のようにおっ広げた。


「そうとも! これはあのヘイト・スプリガンを冥王もろとも葬る我が策略であったのだ。初めから全て仕組まれていたことだ!」


 ウィーナはうつろな目で叫んだ。今怒り狂ったヘイト・スプリガンを結界から出したらとんでもないことになるであろう。もう後には引けなかった。


「ア、アンビリーバボオオオウッ!」


「ふざけんな、出せ、出しやがれ!」


 冥王とヘイト・スプリガンが密閉された空間で暑苦しくもがいている。


 二つの巨体が激しく絡み合っているように見えて、やけに面白かった。


「いやいやいや! そりゃあないでしょうウィーナ様、さっき『どういうことだ』っておっしゃいましたよね?」


 ハチドリが慌ててウィーナを制止するが、彼女は全く聞く耳を持たない。


「フフフフ、全て作戦通り、消えろ」


 ウィーナは無理矢理結界を縮めようとするが、結界の天井が冥王の頭にゴンゴンとぶつかって一向にらちが明かない。


「アウチ、アウチ! ヤ、ヤメテクダサーイ!」


「ほら、明らかに失敗ですよこれ! 冥王の頭おもいっきりつっかえてるじゃないですか! ちゃんと現実を見ないと!」


「ふう……作戦は終了だ。さて、家に帰って休むとするか。お疲れ様でした」


 ウィーナが真顔で言った。このまましらばっくれて逃げてもいいかなと少しだけ思ったのである。これは悪乗りで、さすがに本気で言っているわけではない。


「え、そ、そうですか、それじゃあ、今日のところは終わりということで……」


「ハチドリ! 本気にするな、軽い冗談だ」


「ああ……そうでしたか。ええ、じゃあそれで、どうするんですか?」


「私はこのまま結界を維持しているから、結界の中から冥王だけ取り出せる魔力を持った奴を呼んできてくれ!」


「しかし、ウィーナ様の結界をどうこうできる奴など……」


「外からなら割と簡単に出せるのだ!」


「分かりました!」


 ハチドリはウィーナの肩から飛び立ち、全速力で部屋の出口に向かう。力を失った今のウィーナの動体視力では捉えきれないほどのスピードである。


 しかし、出口の前でハチドリは急停止した。開きっぱなしになっている扉から、二人の人物が現れたからだ。


 一人は、血塗られた青い兜と鎧に身を包んだ男、ジョブゼだった。ウィーナの従者であり、ハチドリと同格の幹部である。肌は灰色で、目がくぼんで血走っている。おまけに角ばった頬に鷲鼻というともありかなり人相が悪い。


 だが、そんな容姿より一番目に留まるのは、右手にぶらさげている何者かの生首であった。


 それは良く見ると眼鏡をかけた首であり、紛れも無く先ほどこの場から逃走した鎖骨のものであった。根元から血のしずくがポタポタとしたたり落ちている。左手に持つ手斧の刃からも血がこぼれ落ちていた。


 これが意味することは一つ。


 ジョブゼが鎖骨を殺したのだ。


 もう一人、彼の背後から部屋に入ってきた若い容姿の女性がいる。


 白を基調とした地味なローブを身につけ、細身の体に透き通るような白い肌。顔のほりが深く美しい顔を持っているが、顔を覆うように前髪を伸ばしていて、意図的に地味を装っているように感じられる。


 両手を豊満な胸の前にかざし、宙に浮いた水晶玉を見つめている彼女も、幹部クラスの従者である。名をシュロンという。ウィーナの従者の中でも特に強大な魔力を持つ呪術師だ。


「お、お前達、どうしてここに?」


 ハチドリがジョブゼの眼前で羽を羽ばたかせてホバリング体勢をとる。


 ジョブゼは鋭い目つきでヘラヘラと笑っている。


「屋敷でウィーナ様が冥王の城に向かわれたと聞きました。ウィーナ様をお守りすべく水晶玉で様子を見ながらここに駆けつけた次第でございます」


 シュロンがすました口調で応えた。同時に、水晶玉が音も無く消え去っていく。


「……勝手に人の様子をのぞくのはよくないと思うが。それにお前達は別件の仕事が入っているだろう。どうしたんだ」


 ハチドリが抗議の口調でシュロンに言った。


「そんな仕事、もうとっくに終わらせましたわ。それよりハチドリ、問題はあなたの方にありますわね」


「え? 何で?」


「ずっと様子を見ていました。こともあろうにウィーナ様をあんな戦場に立たせて、あまつさえ命の危険まで……。ああ……、こんなことになってウィーナ様がお可哀想でならないわ」


「それは、ウィーナ様が自分で戦うっておっしゃったんだ。別にいいだろう」


「真に主君を思う忠臣であるならお止めするべきね。もしウィーナ様に万が一のことがあったらどう責任を取るつもり?」


「なっ!? 責任? お前、そんなこと言ったって、こっちはカッチと、恥骨とかいうやつと、ウィーナ様と、三人同時に援護しながら戦ってたんだ! 一体あれ以上何をどうしろって言うんだ! 見てたんなら分かるだろうが!」


「そうね、あなたなら仕方がないかもね。分かった、それならもういいですわ。あとは私に任せなさい」


「あ、ちょっと待て、勝手に話を……」


 シュロンはハチドリの方を振り向きもせずウィーナに向かって駆けつけた。


「ウィーナ様、遅れて申し訳ございません。お手伝いさせていただきます」


「ああ……。すまない」


 ウィーナは失礼にならない程度に軽く流した。


 ハチドリが言い負かされた感じだが、正直言ってウィーナはハチドリの意見に賛成である。加勢を頼んだ覚えはないし、勝手に水晶玉なんぞでこちらを盗み見するなと言いたい。


「ウィーナ様、今日は一段とお美しい。いつにも増して血と死臭にまみれていらっしゃる」


 ジョブゼが不敵な笑みを浮かべながら言った。初めて口を開いたかと思えばこんな小馬鹿にしたような台詞である。


「ジョブゼ、控えなさい。いつも思うけどあなたはそれが勝利の女神に対しての物言いだということを自覚しているのかしら?」


 シュロンがやや感情的な視線でジョブゼの方をにらむ。


「そりゃすまない」


 ジョブゼはさらっと受け流した。


「楽しい雑談の途中すまないが、シュロン、結界から冥王だけを抜き取れんか?」


 ウィーナは結界に手をかざしながら問いかけた。


「ハッ! 直ちに!」


 シュロンはウィーナと同じように結界に手をかざした。


 しかし、また事態は悪化する。


 突如、ヘイト・スプリガンが部屋を吹き飛ばすような雄たけびを上げた。


「こんなものーっ!」


 彼がそう言って両手を頭上に上げると、結界は内部から粉々に砕け散ってしまった。


 光るガラスの破片のような結界の片鱗が、雪のようにヘイト・スプリガンと冥王の周囲に舞い散った。


「しまった!」


 思わずウィーナは叫んだ。ウィーナの力ではヘイト・スプリガンの圧倒的な抵抗力をはねのけるには至らなかったのである。


「ぬおおおおーっ! 殺す! もう冥王以外は皆殺しにしてやるーっ!」


 ヘイト・スプリガンはウィーナに向かって巨大なパンチを振り下ろした。ウィーナは後ろに跳躍して何とか攻撃を回避する。


「ウィーナ様、防御魔法を!」


 シュロンがウィーナに向かって掌を向けると、ウィーナの体の周囲が光の幕で包まれた。これで敵からのダメージをある程度緩和できるはずである。なおも敵はウィーナを執拗に狙おうとする。


「待ちな! テメーの相手はこの俺だ」


 部屋の入り口にいるジョブゼが、鎖骨の生首をポンポンとリフティングしながら声を張り上げた。


 ヘイト・スプリガンがジョブゼの方へ向き直ると、突然ジョブゼは鎖骨の首を巨人めがけて蹴っ飛ばしたのである。


 すると首は高速回転がかかり、青白いオーラをバチバチと放ちながら、カーブを描きヘイト・スプリガンへと迫ってくる。


「馬鹿め! こんなもの」


 ヘイト・スプリガンは首をパンチングで弾き返そうとしたが、首と拳が接触した途端、首から大爆発が巻き起こった。ヘイト・スプリガンは巨体を吹き飛ばされ、すぐそばでまごまごしていた冥王に激突した。二人の大仏クラスの巨体が城の床に倒れこみ隕石でも落ちたかのような振動が巻き起こる。


 ジョブゼは空いた右手に腰の鞘から抜いた剣を持つ。


「ハハハハハ! 死にきれんなら俺が引導を渡してやるぜ!」


 剣と手斧を獲物にし、マントをなびかせ、ジョブゼはヘイト・スプリガンに一直線に突っ込んでいった。

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