第10話 人質は冥王

 一行は死体だらけの廊下を後にし、冥王の玉座の間の眼前まで来た。


 後方ではたった今駆けつけた兵士達が絨毯の火を消している。


 鉄で縁取られた巨大な木製の扉が閉まっており、耳をすませても音が聞こえてこない。


「いいか、お前達、絶対に武器は出すな! 戦って勝ち目のある敵ではない」


 ウィーナは意を決し、玉座の間の扉を開いた。


 鈍く大きな音と共に、目の前に広い空間が現れる。玉座の間は整然としており、戦いの形跡は感じられない。


 ウィーナ達が通れる分だけ開いた扉は、すぐに再び閉まった。


 そこにいたのは、二人の巨大な人物だった。


 一人は、巨大な玉座に座っている大仏のごとき人物、この冥界を治める王――。


 冥王・アメリカーンである。


 漆黒のマントと礼服に身を包み、頭部にはヤギのように歪曲した二本の角が生えている。鋭き眼光、線の太く力強い顔立ちを持ち、威厳に満ちた雰囲気を出している。


 と言いたいが、もう一人の人物にヘッドロックをかけられているので、威厳も何もあったものではない。


 もう一人、その玉座に座る冥王に、ヘッドロックをかけた体勢にある人物。これまた大仏のごとき筋骨隆々でスキンヘッドの巨人である。


 体が暗い緑色の皮膚に覆われ、薄い布を衣服として身につけている。ピンク色の瞳がない目が気色悪く、顔中に刻まれた力強く深いしわが印象に残る。陽炎のように波打つ緑色のオーラで包まれており、一目で悪霊であることが分かった。


「Oh! 誰かと思ったら愛しのマイハニーネ! ミーを助けに来てくれたのデースか?」


 冥王がその容姿からは想像もつかぬほどフランクな声で話した。


 この奇妙な口調は、冥界の王家に属する者が使うもので、正式な作法に則ったしゃべり方である。別に、彼が変人というわけではない。


「勘違いするな……」


 ウィーナは小声でつぶやいた。おそらく冥王には聞こえていない。


「黙れ! 余計なことしゃべるんじゃねぇ! 本当に首をへし折られたいか!」


 巨人の方が怒りをあらわにして声を荒げる。


「チ・チ・チ、冥王たるもの、首を折られたぐらいでは死にまセーン! 肩がこるだけネ!」


 冥王はヘラヘラしながら指を振った。この胆力は中々のものである。


「あっそう! そんじゃあお言葉に甘えて!」


「Oh No! ほんのアメリカンジョークネ! 暴力反対デース!」


「テメーら、俺は冥王と平和的に話し合いをしてるんだ。ここには誰も入るなと言ったはずだぞ! 俺が警備に召還しといたシャドウガーディアンはどうしたのだ?」


 巨人が冥王からこちらへ視線を向けた。黒装束の名など興味はない。それより聞くべきことがある。


「斬った。邪魔だったからな。それより、お前は何者なのだ」


「ふん、俺の名はカマセーヌ。しかし、その名は捨てた。今の俺は憎しみの巨人、ヘイト・スプリガンだ!」


「それではヘイト・スプリガンよ、私はお前の望みを叶えるために使わされてきた者だ。名をウィーナと言う。この冥界にて、死者の霊魂にまつわる祭事を任されている巫女だ」


 もちろん、ウィーナの言葉は全くのでたらめである。


 ウィーナはショウリーとカッチをその場に止め、肩のハチドリの共にヘイト・スプリガンへ歩み寄った。


 彼女の作戦は、相手の要求を叶える演技をし、ヘイト・スプリガンを結界に封じ込め、魂を浄化し眠らせるというものである。


「ノー! いけまセーン! マイハニーのすることは何でも許しちゃうけど、それだけはベリータブーデース! 冥王として、死者が蘇ることを黙認するわけにはいきまセーン」


 冥王が巨大な手を前に突き出し、こちらを制止する。それに合わせてヘッドロックの絞まり方も強くなるようであった。


「黙れ。それに、その呼び方はやめろと言ったはずだ」


 ウィーナは一呼吸置いて話を続けた。


「いいか、冥界にとって貴様の死は重大な損失となる。貴様の命を助けるため、重臣達の会議により、冥王が敵の要求を聞き入れないようなら代わりに私が要求を受け容れることとなったのだ」


 ウィーナは落ち着き払って言った。伊達に女神として数百年の時を生きていない。こういう場で緊張することはなかった。敵を欺くにはまず味方からである。


「オーマイガー! いつの間にそんなことになったのデースか? それよりもミーとユーの二人で戦えばきっと勝てマス!」


「いや、それはない。この玉座の間が荒れていないということは、貴様はほぼ抵抗できずに奴に捕まったことになる。貴様の力で戦えばこの部屋は無傷ではすまない。そして貴様は部下を戦わせておいて自分は無抵抗で降伏するような男でもない。つまり、貴様とヘイト・スプリガンの力量差は圧倒的だ。そこに戦闘能力で貴様に劣る私が加わったところで奴には勝てん」


 ウィーナの説明に対し、冥王は言葉を失った。


 死んだ諜報部の恥骨ですらウィーナが力を失っていることを把握していなかった。ということは、この事実は冥王の耳にも入っていない。とにかく、一世一代の大芝居なので、持っているカードは最大限に使うしかない。


「つべこべ言ってねぇでさっさとしろ! 後ろの連中一人ぶっ殺すぞ!」


 ヘイト・スプリガンがショウリーとカッチに目を向けた。さすがのウィーナも焦りを感じた。


「そういうことだ。やむを得んのだ、冥王よ。……それではヘイト・スプリガン、私がお前を現世に蘇らせてやろう」


 ウィーナはさらにヘイト・スプリガンに接近した。


「ガッデム! こんなのが下界に復活したら、大変なことに! OK?」


 冥王がなおもウィーナに警告した。


 こちらとしては、冥王が必死になってくれた方が演技に真実味が出てよろしいのである。


 それを聞いてヘイト・スプリガンは含み笑いをした。


「心配するな、俺は元人間。死後の世界では恨みの力でこんな姿になったが、蘇ったら人間カマセーヌに戻っているはずだ」


 それを聞いた冥王はついに観念したようで、苦々しげな表情でウィーナを見るだけであった。


 冥王とて、やはり命は惜しいのであろうとウィーナは思った。


「では、気を静めて、目をつぶれ。これより汝の復活の儀式を執り行う」


 ウィーナはかしこまった口調で言い、巨大なヘイト・スプリガンの足元に手を触れた。


「そう、それでいい……」


 これで奴を結界に閉じ込め、魂を鎮めれば任務完了である。彼女の心中に成功の確信が芽生える。勝負は完全に終わるまで分からないから油断するなと、自分の理性に言い聞かせた。


「へっへっへ、巫女さんよ、早いとこ生き返してくれよ」


 ヘイト・スプリガンは言われた通りに目をつぶった。


「では、行くぞ」


 ウィーナが巨人を結界で包囲しようと、手をかざしたまま念じ始める。


 ウィーナの手が光で包まれ、ヘイト・スプリガンに光は伝達した。ここに来て、ようやく冥王もウィーナの作戦に気付いたらしく顔つきを苦いものから面食らった表情に変化させた。


「ウィーナ様、この部屋に接近する反応あり! 数は三、さっきのスライムに冥王軍所属の反応二つ!」


 広大な玉座の間の入り口で待機していたカッチが声を張り上げ報告した。


「何だと?」


 ウィーナはヘイト・スプリガンから手を離し、扉の方へ注意を向ける。


 開いた扉から出てきたのは、先ほど逃げたスライム、トゲだらけのいかつい鎧を装備した鬼のような巨漢。


 そして、スーツとネクタイ姿で、髪型は七三分けにして眼鏡をかけたひ弱そうな男であった。


 彼らは扉の前に待機していたショウリーとカッチを押しのけ、こちらと相対した。


「何だ、お前らは?」


 ヘイト・スプリガンが不愉快そうに尋ねる。


「冥王軍諜報部副頭格、コードネーム肋骨!」


 大男が拳を震わせ、身構えて叫んだ。


「同じく鎖骨! 我らが戦友恥骨の仇討ち、今こそ時は満ちたぁーっ!」


 スーツ姿の方が背筋を伸ばし、神経質に中指で眼鏡を押さえながら怒鳴る。


「おーい、貴様ら、喜べ。この俺がこいつらを説き伏せて、援軍に駆けつけてやったぞ、みんなで力を合わせてあいつの肉体を滅ぼしてやろうぞ!」


 スライムが小ジャンプを繰り返して言った。


 ウィーナは立ち尽くして絶句した。しばし思考が空白になった。


 スライムに、誰も今回の作戦の目的を説明していなかったのである。だから、自分達の目的がヘイト・スプリガンを倒すことだと思ってしまっているのであろう。とにかく、せっかく成功しかけた作戦がこれで台無しである。


「あのスライム、余計なことを……」


 肩のハチドリが小声でささやいた。

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