第1章 ヘイト・スプリガンの出現
第3話 失われた力
ウィーナが握力大魔王の怨念を鎮め、半年ほどが経った。
冥王の使者がウィーナの屋敷に出向いてきたのは、その日の真昼のことである。
冥界特有の薄暗い晴天の空をコウモリのような翼を羽ばたかせ、窓が開いているウィーナの部屋に直接乗り込んできたのだ。
「我こそは冥王の使者なりいぃぃぃ! 女神ウィーナはいるか?」
使者は、紫の肌に覆われ、鋭い二本の角を頭部に生やした白目の魔族タイプの男であった。一切衣類を身につけていないので、そのたくましい体つきを存分に見せ付けている。
椅子に座って静かに本を読んでいたウィーナは本をたたみ、まじまじとその使者を見つめた。
いきなり人の部屋に乗り込んで来て、おまけに土足ときている。迷惑であるが、その思いが顔に出ないように注意した。
「私だが」
「緊急事態だ! すぐ冥王様の城へ来てほしい」
「断る。プライベートで冥王と付き合う気はない」
これまでにも、冥王アメリカーンからのデートのお誘いだと言って、度々冥王の使者が屋敷を訪れていたのである。
「今日はそうじゃないんだ。このままでは冥王様のお命が危ない」
「何?」
「謎の大巨人が城に攻め込み、あっという間に冥王様を人質に……。我々では歯が立たんのだ」
「要求は?」
「『自分を現世に戻せ』と言ってやがる」
「どうも難儀だな」
冥王が人質になるとはどれほど強い化け物なのだろうか。
ともかく、こんな面倒な話を自分に持ってこないでほしいとウィーナは思った。
「もうあんたしかいないんだ。勝利の女神ウィーナの、あの絶大なる戦闘能力でどうか我々に助力してほしい! 報酬ははずむ。あんた金が大好きだろう!」
「冥王ですら敵わなかった者に、私がかかったところで……」
「勝利の女神ともあろう者が謙遜しないでくれ。力・技・魔法、あんたの力をもってすれば何とかなるはずだ。それにだ、無念の魂を安らかに眠らせるあの能力があれば! ほら、握力大魔王だって倒したじゃないか」
使者は鋭い牙をむき出しにして力説した。このままでは帰りそうにない。
「……実は、今の私は女神としての力を失っているのだ」
ウィーナは使者から目線を落とし、出し辛い言葉を放った。
「え? それはどういうこと?」
「いいか、私は勝利の女神だ。つまり、勝負の場に臨む者に対して、努力できる忍耐力、才能を開花させるきっかけ、そしてひらめき、機運など、まあそういったものを与えてやるのが私の仕事だ。だがな、今、下界の民は私の存在がいらなくなっているのだ」
言い辛いことでも、一度口を開けば案外するすると出てくるものであった。
使者はじれったさそうな表情で、雑に相槌を打つばかりだ。
「まあそんな顔をせずに少し聞け。ほら、そこに座るがいい」
促されるままに、使者は背中の翼をたたんで椅子へ腰かけた。
「半年ほど前の話だ。下界でこの前の握力大魔王を倒したという人間の英雄が、私を信仰する民の住む国を治めることとなったのだ」
「はあ……下界のねぇ」
「世界に平穏を取り戻した英雄だ、民からは歓迎される」
「ほお」
「それからというもの、民は他人と争おうとしなくなり、勝利を必要としなくなった。すると私を信仰する者はいなくなり、用済みとなってしまった」
「はい」
「まあ、何だ。つまりは、そういうわけで私の力はどんどん弱体化していったのだ」
自分を信じる者がいるから、女神ウィーナは強かったのである。勝利の女神としての存在理由、人々の信仰を失うにつれて、彼女は無力となっていった。
「しかし、平和になったからって、仕事を見つけるにしろ、物を売るにしろ、争わんと生きていけんだろう。ちょっと極端過ぎやしないか?」
使者は椅子から立ち、たくましい両腕を広げて狼狽した。
「どうも部下の調べによると、その英雄とは錬金術の使い手らしく、無数の黄金を作り出し、民に富を与えているという。そのおかげで、国民全体が腑抜けになっているそうだ」
ウィーナの従者の中に、情報収集や諜報活動を専門とする者がいる。ウィーナはその部下の働きにより、冥界はもとより下界や魔界の情報も知り得ていた。
「錬金術? 無限の富? そんなアホな話あるか! どぼちて? どぼちて? ねぇ、どぼちてどぼちて? どどぼぼちちててぇっ?」
「私に言われたって知るか! 私は勝利の女神だぞ! どぼちて私がこんな目に会わねばならんのだめカンタービレ!」
ウィーナは声を荒げた。
これは彼女自身にとっても大いに不本意な話なのである。
「飛んで来て私の屋敷を見ただろ。庭園は荒れ果てている、屋根の破損箇所もほったらかしだ。使用人はほとんど休ませてあるからな。こんなこと言いたくないが、今の私は、この通りすっかり落ちぶれてしまったのだ」
下界の人間の貴族が住む屋敷の建築様式を真似て建てたウィーナの美麗な屋敷も、数ヶ月でみすぼらしくなってしまった。
ちなみに、これは言わなかったことだが、裏庭にいたっては従者に勝手に耕されて、畑にされてしまったのだ。
力を失ったおかげで、以前のように傭兵のような真似をして金を稼ぐことができなくなった。
そのため、ここ半年は自らの蓄えを切り崩して使用人や従者に、今まで通りの給金を払い続けてきたのである。
すると、あっという間に金銭的余裕がなくなり、台所事情は逼迫した。こうなってしまえば以前計画した天界との合コンなど、夢のまた夢であった。
とりあえず、従者達には今まで通り怨霊を退治する仕事をやらせいるが、屋敷の家事をこなす使用人達には一時的に暇を与えたのだった。自分一人が戦えないだけでこうなるとは、いかに怨霊退治が自らのワンマン営業だったか思い知らされた。
「何とかならないのか」
使者の絶え間ない会話が、ウィーナの思考に水を差す。
「そりゃあ、行けと言うのなら行ってもよいが、今の私はただの女。瞬殺されるのがオチだ」
「そ、そんなあ。まさか、ただ一つの頼みの綱が力を失っていたなんて。マジ勘弁……」
使者は背中の翼を縮こませ落胆した。
「それより、冥王四天王がいるだろ。まさか、やられてしまったのか?」
ウィーナは冥王四天王の存在を思い出した。
冥界でも最高クラスの使い手を集めた四天王が全員でかかれば何とかなるのではないだろうか。
「四天王は旅行に行っているのだ」
「旅行だと? 何と間が悪い」
「いや、偶然じゃないんだこれが。四天王の紅一点にして最強、冥界のナンバー2であるミズキは未来を予知できる。何か有事の際には責任回避のために決まって旅行に行くんだ。奴ら全員そろって」
「何ということだ……。私など冥界に追放されてから旅行などろくに行ってないのだぞ!どこへ何泊行ったんだ?」
「そういう問題じゃないだろ!」
そんな要領を得ない話をしているときに、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「ウィーナ様、ハチドリです」
ノックしたのは従者のハチドリだった。
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