第2話 冥界の隙間産業
ウィーナの住居である屋敷は、冥王の膝元である城下町の外れに位置しており、広大な敷地を持つ邸宅であった。
彼女の経営する悪霊退治組織『ワルキュリア・カンパニー』の本部も兼ねており、従者の詰め所、訓練施設、医務室、武器庫など、さしずめ砦のような様相を呈していた。
「お帰りなさいませ」
ウィーナを最初に出迎えたのは二人の男だった。タキシードに身を包んだ初老の男性ピエールと、竜をかたどった鎧を装備した騎士風の男、リザルトだ。
「ご苦労。もう始まっているのか?」
ウィーナは、握力大魔王の任務達成の祝賀会が、自分抜きで開始されていることについてピエールに質問した。
ピエールはウィーナの屋敷に仕える執事長であり、戦闘員ではない。ウィーナが組織の経営を外部委託しているプロの経営集団『マネジメントライデン』から派遣されている人物であり、執事としては非常に優秀な能力を持っている。
「は……、明日も朝早くから任務が始まる戦闘員への配慮にございます。ウィーナ様のお帰りがある程度遅くなるようでしたら、一足先に始めようかと」
「お前の判断か?」
と、一応は質問したが、ウィーナにとっては宴が自分が来る前に始まっていようがいなかろうが、そんなことはどうでもよかった。
「はい。ウィーナ様が握力大魔王に勝利することは分かりきっていることですので。それにウィーナ様はそのようなことを気にするようなお方ではありませんし」
ピエールが穏やかな笑顔で、顔にしわを作った。
「よく分かっているな」
「それでは、ウィーナ様のご席へ」
「その前に、幹部会議はちゃんとやっているか?」
ウィーナがピエールと並んで立っている竜騎士・リザルトに問いかける。リザルトはその見た目通り戦闘員であり、中核従者という肩書である。ウィーナの従者には、位の高い者から幹部従者・管轄従者・中核従者・平従者という階級がある。
リザルトはウィーナの
「はい。幹部は城下町の公営多目的会館で会議してます」
リザルトがその鋭い目をウィーナに向けて答えた。
「分かった。私もほどほどで切り上げる」
「会議に顔を出すのですか?」
「いや、今日は早めに休もうと思っている」
「そうですか。……あの、先週の戦闘会議の件で、ちょっとよろしいですか?」
リザルトがウィーナの歩みを止め、話を切り出した。先週の戦闘会議とは、今行われている幹部会議ではなく『戦闘実務対策B会議』のことを言っている。
「ウィーナ様、お着替えの用意ができております。お席に着かれる前にいかがでしょうか?」
直後、若いメイドのリアが遠くからウィーナに声をかける。
「ウィーナ様はお話し中だ。後にしなさい」
ピエールがとっさにリアをたしなめた。ウィーナはそのままリザルトと話を進める。
「どうした?」
「会議でサクスは解雇すべきだと決まりましたし、自分もそう提案しました」
「ああ、そのことか……」
組織内の規律を破り、無断で魔界と契約を交わし、大幅にパワーアップしたサクスという従者の処遇のことである。
「魔術師ギルドに頼んであの者の契約を解除してもらうなど。しかもその費用、こっちで負担するんでしょう? ウィーナ様が会議の後で決められたって聞きましたが」
「その通りだ。あの者はまだ若いし、契約を解除して元に戻ればそれでいい」
「何だか仰ってることがよく分からないですね。自分の頭が悪いんでしょうか?」
「何が言いたい?」
明らかにケンカ腰なリザルトの態度が、ウィーナの表情を怪訝なものにさせる。
「何で会議で決定したことを後になってわざわざ覆すんですか? それに普段の訓練や実戦での経験で腕を磨くことを奨励しているのはウィーナ様ではないですか?」
「また同じことを繰り返したらクビにする。お前達に説明が遅れているのはすまなかった。会議の参加者には私の方から直接話をしておく」
「はあ……、分かりました……。しかし、会議の事務局は自分なんですから、何か気に食わないことがあったら直接言ってもらえますか? こういうことがあると会議をしている意味がないので!」
「悪かった。以後気をつける」
どうやらリザルトが言いたいのは、サクスに対する処遇が甘いということもあるが、要は会議の決定をウィーナが勝手に覆した点にあるようだ。誠に多くの部下をまとめ上げていくのは難しいものである。
話を終わらせて、自分の席に着こうとした矢先、今度は別に二人の平従者がウィーナの元に歩いてきた。
一人は片目に眼帯をしており、顔の肌が灰色で悪人面の男、ロジックだ。
「ウィーナ! 給料安いんだよ! ふざけんじゃねーっ!」
ロジックはかなり酒に酔っているらしく、ふらつきながらウィーナに対して怒鳴った。知性の欠片も感じられない据わった目つきは、怒りと憎しみで満ち溢れているようだ。
「ロジック、よせ! ウィーナ様にそんなこと言うな!」
旅人風の服装でレイピアを携えた眼鏡の男、カートックが慌ててロジックに対して警告する。
「この者は酒乱か?」
ウィーナがピエールに問いかける。ロジックが、かなり粗暴で素行が荒い男であることはウィーナも知っていた。その割に実力の方は平従者の中でもあまりパッとせず、評価の低い従者である。
「そ、そのようで……」
ピエールはハンカチで頬をぬぐいながら辟易したようなそぶりを見せた。
「俺の給料を八万にして、コイツの給料を五万にしろ、さあ、今すぐ! 早く!」
ロジックがカートックを指差してさらに怒鳴った。
「何で僕が!?」
カートックが顔をひきつらせる。
「給金に関しては、各人の職群、働きを考慮して正当な額を払っている」
「嘘つけ、じゃあ何で俺の給料安いんだよ?」
「ロジック!
ウィーナの口調も相手の態度につられて強くなっていく。
「上等だ! 安い給料はたいて買ったこの青竜刀、テメーで切れ味を試してやる!」
何と、ロジックは腰に提げた鞘から、刀身が歪曲した青竜刀を抜き、ウィーナの眼前に突き出した。
「馬鹿! やめろロジック! 早くしまえ! あの、ウィーナ様すいません。コイツちょっと酔ってるだけなんで」
カートックはロジックを制止するため腕をつかむが、ロジックは有無を言わさずその腕を振りほどき、カートックに対して剣を振るった。
「うるせええええっ! クソがーっ!」
「ロジックやめろ! 自分が何をしているのか!」
ロジックは奇声を上げて二度、三度と青竜刀を振るったが、泥酔した男がやみくもに振り回した剣など簡単に見切れる。
「分かっているのか!」
「うらああああ! くらああああ!」
カートックは身を
周囲でドンチャン騒ぎをしていた従者達も、明らかに宴会とは性質の違うその騒ぎに気づいて何事かと集まってくる。
「リザルト、何とかしてくれ」
ウィーナの力をもってすれば、ロジックを黙らせることなど造作もないが、ここは部下の働きに期待したい。
「自分も給料をもらっている立場で、雇われの身の上。雇う側の問題はウィーナ様ご自身で解決して頂かないと」
リザルトは骨付き肉にかぶりつき、グラスに酒を注ぎながら言った。体と意識は完全にテーブルの方へ向いているようだ。
「死ねえええっ!」
カートックを殴り飛ばしたロジックが、ウィーナに突っ込んできた。仕方がないのでウィーナは、ロジックに向けて指をかざし、意識を失わせる魔法をかけた。ウィーナがすかさず青竜刀をかすめ取ると、ロジックはその場にうつ伏せで倒れ込み、気絶した。
「医務室に運んでやってくれ」
ウィーナが青竜刀をロジックの鞘にしまってやりながら、カートックに言った。カートックは頬を腫らせ、鼻血を垂らしながら、床に落ちた眼鏡を拾っていた。
「ええっ? 何で僕が」
カートックは露骨に不機嫌そうな顔を作り、ウィーナの言いつけに従おうとしない。
「私がやります」
僧侶の姿をした女性の平従者、ラプリンが駆け付けロジックの肩を担いだ。その見た目通り、回復・援護系統の魔法を得意とし、対悪霊戦闘の適性も高い闘うプリーストだ。
「ラプリン!? 何も君がそんなことしなくたって。放っておけばいいじゃないか」
カートックがそう言うと、ラプリンはにっこりと笑って、腫れあがったカートックの顔に回復魔法をかけた。
「後は私がやるから、休んでていいわよ」
「え、あ……、ごめん……」
カートックは非常に決まり悪そうに、隅へ引っ込んだ。
「うーん……、何かいい臭いがするぜ……。そしてこの感触。ゲヘヘヘヘ」
肩を担がれているロジックが朦朧とした意識の中、満面のいやらしい笑みを浮かべ、ラプリンの尻をスリスリと撫でまわした。ラプリンは再び、慈愛に満ちた天使のような笑顔を浮かべた。そして、その直後、間抜け面で笑っているロジックの顔面に重い肘鉄を叩きつけた。
「ぐえええ……」
グシャリという重々しい嫌な衝撃音がして、ラプリンの肘がロジックの顔に深々とめり込む。ロジックは鼻から血しぶきを上げ、今度こそ完全に気を失った。
「神よ……。この愚かな者を、どうかお救いください……」
ラプリンは天に向かって祈りを捧げた後、ロジックの足首をつかみ、床を引きずりながら医務室へと向かっていった。
「す、救……う?」
その様子を見たカートックが怯えた様子で、ずれた眼鏡を直していた。
「ピエール、握力大魔王との戦いなどより何倍も疲れるのだが……」
「ええ、飲み会は相変わらずでございますな」
ウィーナは深いため息をついた。
ウィーナは宴席をほどほどに切り上げ、三階の自室へ戻る。そして、窓に手を添え、冥界の夜空を見上げながら今までの出来事に思いをめぐらせた。
冥界に追放されて十年、彼女はこの間に荒れ狂う怨霊相手に戦い続けた。
冥王達ですら手こずるような悪霊を鎮めて報酬を得ることで、たくさんの金を稼いだ。次第に冥界の住人からも一目置かれるようになり、彼女の下で働きたいという戦士達が集まってきた。ウィーナはそれらの部下達にも怨霊を捕獲させ、女神の力でその御霊を鎮めていった。
人手が増えるにつれて、稼業の収益はますます上昇した。そして、次第に冥王からの信頼も培われていった。
冥界の住人はこの世界を故郷に生まれ、そして死んでいく。
彼らは死んだ者の霊魂を力ずくで押さえつけることはできても、安息を与えることはできない。
我執の塊と化した怨念が満ち溢れていた冥界も、彼女が来たことによって少しずつ穏やかになっていった。
これは最高の隙間産業であった。ウィーナはこの世界での十年で、金と地位と名声と人脈、そして自分に仕える多くの従者を手に入れたわけだ。
「あとは男だな……」
少々酒が入っているウィーナは独り言をつぶやいた。女神である能力を利用し、この冥界でここまで成功を収めたのだ。最終的には、天界のいい男を手に入れて、自分をこんな場所に追放した天界の女神達を見返してやろうという目標が彼女にはあった。
そんなことを考えながらしばらく風に当たって、窓から見える冥王膝元の城下町の夜景を眺めていた。
すると、遠方から小さい影が接近してきた。
ハチドリである。
「ただ今戻りました」
「ご苦労だった。報酬は?」
すかさず質問した。
「既に振り込んだそうです」
「そうか。向こうはどうだった?」
「取り繕うのが大変でしたよ。冥王がウィーナ様を連れて来いとおっしゃるもので」
「本気になった冥王は私より強い。夜は危ないのだ」
ウィーナは顔を強張らせた。あの冥王の好色を帯びた視線を思い出すと、背筋が凍る。やはり、あちら側の祝宴に行かないで正解だと思った。
「冥王四天王が命がけでなだめてました……」
しかめっ面のハチドリが気まずそうにささやく。
「知るか」
そっけなく返すと、ハチドリは「それでは私は下に行きます」と言って去ろうとしたので、ウィーナはとっさに彼を呼び止めた。
「おい、例の件、どうなった?」
「はあ……。あの、天界との合コン……?」
「それ以外にないだろ」
思ったより酔ってしまったらしく、ウィーナに自然と期待の笑みがこぼれる。
「そう言われましても、天界なんて、どうやってコンタクトを取るのか皆目見当がつきません」
ハチドリが辟易した様な声を漏らした。
ウィーナはハチドリにじれったさを覚え、目にもとまらぬ速さで小さい彼を
「そんなことどうにかしろ、私はどうしても天界の奴と合コンがしたいのだ!」
「わ、分かりました、放して下さい!」
ウィーナが手を放すと、「もうお休みになられてはいかがですか」と捨て台詞を吐き、ハチドリは逃げるように窓から飛び出していった。
ウィーナは下方に去っていくハチドリが見えなくなると、そのまま脇のベッドに倒れこみ、眠ってしまった。
この半年後、冥界に追放されることなど比較にならない大変な事態が訪れることを、彼女はまだ知る由もない。
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