やるせなき脱力神
伊達サクット
プロロロロロロローグ
第1話 握力大魔王との再戦
上空から前方の岩山を見ると、巨大な手の姿をした悪霊が岩肌で暴れ回っているのがかすかに見えた。
「あれか、
死者が眠る土地、冥界の薄暗い上空を、鎧と兜に身を包んだ一人の女性が風を切って飛んでいる。
その表情は固く、背中に携えた光の翼を羽ばたかせ、セミロングの黒髪は激しく風になびいていた。
闇に包まれた冥界の空で、彼女の翼は一筋の流星のようである。
「ウィーナ様、お一人で大丈夫でしょうか?」
ウィーナと呼ばれたその女性の肩に止まっている
「一度倒している相手だ。それよりハチドリ、お前は巻き添えを食らわないように離れていろ」
「分かりました。お気をつけて」
ハチドリはウィーナの肩を離れ、色鮮やかな羽をパタパタと羽ばたかせながら、ウィーナとは逆方向に飛んでいった。
ついに目標の真上へやってきた。
殺風景な冥界の果ての果て、冷たい岩場しか存在しない不毛の地獄でこの手は不毛な所業をし続けている。
その光景に、ウィーナは特段思うこともなく、ふわりと握力大魔王の怨念の前に着地した。鎧越しに生えていた光の翼は音もなく消え去る。
握力大魔王の怨念は、大きさは軽くウィーナの三倍はあるだろうか。巨大な右手そのものの姿をしており、邪悪な気配のする陽炎を辺りに立ちこませながら、ごそごそと周囲の岩石を片っ端から握り潰している。
「2552、2553、2555……」
どうやら握り潰した岩の数をカウントしいるらしい。それは地を這うような声だった。
「握力大魔王よ、今カウントが一つ飛ばしになっていたぞ」
声をかけると握力大魔王は突然握っている岩をこちらに飛ばしてきたので、ウィーナはとっさに腰の鞘から剣を抜き、下から上への居合い斬りで岩を真っ二つに切り裂いた。
分割された岩がウィーナの左右に転がり、握力大魔王はその巨大な掌をこちらの正面に向けた。
「貴様は、女神ウィーナ! なぜこの冥界にいる? 貴様も死んだのか」
「死んではいないが、色々あってここの住人だ。この通り、体はある」
握力大魔王の問いに対してウィーナは小さく笑い、胸に手を当てた。
「そんなことどうでもいい! 貴様、よくもこの俺を殺してくれたな。あのときの恨み、この十年、一日たりとも忘れておらんぞ! ぬおおおおおーっ」
「お疲れ様」
「なっ? 貴様! 口惜しやあっ、俺どんだけ口惜しいんだよーっ!」
魔王の咆哮が激しく響き渡る。
眼前の怨念がこれほどまでに彼女に恨みを抱くのも無理はないことだった。
十年前、魔界(冥界とは無関係)の大魔王である握力大魔王は突如下界に宣戦布告し、人間や他の種族に対して侵略を開始した。握力大魔王の目的は、下界のとある王国を支配することで、最終的には世界を征服することだった。
握力大魔王はその圧倒的な握力を遺憾なく発揮し、人々の希望を握り潰していった。王国が闇に包まれ、人は大魔王に立ち向かうことができなくなった。人々の心が絶望に支配されたそのとき、天界に住まう勝利の女神、ウィーナが下界に光臨した。
勝負は一瞬でついた。
ウィーナは一直線に握力大魔王の居城に向かっていき、握力大魔王を一撃で葬った。それが人々に希望を与えるきっかけとなった。人々は武器をとり、残る大魔王の手下と一戦を交えた結果、ついに魔界の軍勢を、魔界に追い返すことに成功したのだ。
握力大魔王は死んで冥界に行くことになったが、ウィーナ自身も冥界に落とされてしまった。
なぜなら、本来見守るだけの神が下界に下りて、直接誰かに荷担してしまうという禁止事項を犯してしまったからだ。
堕天使として冥界送りの刑に処された勝利の女神ウィーナは、二度と天界に戻ることはできなくなった。
仕方がないので、この闇に包まれた世界で、荒れ狂う怨霊を鎮め安らかな眠りにつかせてやることを生業にしているのである。
しかし、握力大魔王は蘇った。それもつい最近。
一体何がどうなったのかはウィーナも知らないが、とにかく復活して現世に舞い戻ったのである。
握力大魔王は再び王国を支配するため大暴れしたが、つい昨日、再びここへ戻ってきた。結局は死人の世界に出戻りである。ハチドリの報告によると、どこぞの人間の英雄が握力大魔王を倒したらしい。
「握力大魔王よ。口惜しいのは分かる。だが、どんな大物でも死ねばただの人だ。気を鎮めろ」
ウィーナは無駄だと分かっていても、一応問いかけた。
「黙れ、俺はこの冥界でさらなる筋トレをして、もっと強い握力を身に付け、ふたたび現世に生き返るのだ! 現に俺は一度生き返った!」
「それは許されん、第一、握力でどうにかなる問題でもあるまい。貴様は私の腕の中で安らかに眠るのだ。そうすればもう蘇ることはない」
そう言ってウィーナは握力大魔王に近づき、手を差し伸べたが、握力大魔王は巨大な手をウィーナ目がけて振り下ろした。
ウィーナは身を
「貴様、もう休め。こんな冥界でいくら憎しみを募らせようと、どうにもならん」
彼女は言い終わった後、少し歯を食いしばり、腰を落とし敵を迎え撃つ構えをとった。
「黙れと言っている。貴様の腕の中だと? 気色の悪いことを言うな! キモいんだよ! 筋トレの邪魔だ、もう二度と俺の邪魔はさせん、くたばれ!」
「キ、キモい? お前、頭の中でリハーサルしてきた台詞だぞ! もう少し言い方というものが……うわっ!?」
握力大魔王は巨大な
握力大魔王が周囲の岩肌を振るわせるような悲鳴を発したが、先程発射したビームの爆発で遠方の岩山が消し飛び、その爆音で彼の悲鳴は掻き消えた。
構わずウィーナは念じながら、左手を敵に向かってかざす。
すると、水晶のような透明の結界が敵の四方をぴっちりと包囲し、握力大魔王を捕獲した。
決着は着いた。
昔ウィーナが一撃で倒した相手なので、そうそう苦戦するはずもなかった。
「貴様、畜生、こんなもの、握り潰してくれるわ!」
「無駄だ。外からならともかく、内から結界をつかむことはできない」
ウィーナは左手をそっと握ると、結界は徐々に収縮していき、赤子程度の大きさになった。内部の巨大な手もそれに合わせて縮小し、もはや人の手とそれほど変わらぬ大きさである。
ウィーナは剣を鞘に収め、やかましくわめく握力大魔王を尻目に結界に近づいた。そして、結界をそっと胸元に寄せ両手でしっかりと抱きしめた。ウィーナは死者の安息を願い、結界に心を込める。
「やめろおっ! ここから出せーっ! 俺はまだ死なん!」
「全てを忘れろ。今度こそ死者があるべき形をとるがいい。怖くも痛くもない。しばし闇の底で、安息の眠りにつくだけだ。今度生まれ変わったら、魔族でも天使でも獣でも虫でもいい。穏やかに生きろ」
ウィーナは相手の無駄な抵抗を歯牙にもかけず、少し笑みを浮かべながら淡々とつぶやいた。
「畜生、眠い、寝てたまるか」
握力大魔王は必死の抵抗も空しく、うつろな断末魔を漏らした。
ついに巨大な手の化身は徐々に色あせて、結界と共に霧散していった。
ウィーナは両手を下ろし、軽く溜息をついた。横を向くと、先程の敵の攻撃で変形した地形から、白い煙が立ち込めている。するとそこから、小さい影が現れて、彼女に向かってふらふらと飛んできた。よくみると、羽がボサボサの黒焦げになっているハチドリであった。
「あの、ウィーナ様、終わりましたか……」
ハチドリは溜息と一緒に、口から焦げ臭い白煙を吐き出した。
「どうした、それは。焼き鳥屋から逃げ出してきたのか」
ウィーナは無表情で問う。間違いなく、握力大魔王のビームに巻き込まれたのであろう。
「戦いの様子を見ようと、近くまで来ましたところ、突如巨大な光が押し寄せて……。とっさに逃げましたが、余りにも一瞬のことで、気付いたら、山はクレーターに……」
「だから危ないから離れていろと言ったのだ」
ウィーナはハチドリに向かって腕を振り、回復魔法を唱えた。ハチドリの体は一瞬にして元通りになった。
「えっ? あ、ありがとうございます! 以後気をつけます」
ハチドリは意外そうな表情でクチバシをカツカツ鳴らせた。
「無事ならいい。それよりハチドリ、お前は冥王アメリカーンの城に飛んで握力大魔王を眠らせたと報告して来い。それと、ちゃんと報酬を指定した口座に振り込んでおくように言っておけ。20万
「え、私が報告するんですか?」
「そのためにわざわざお前を連れてきたのだ。私は先に屋敷へ帰る。何と言っても、私がいないと祝宴は始まらんからな」
「分かりました。行ってきます」
ハチドリはウィーナの顔を見て事情を察したらしく、すぐに冥界の上空へ飛び立っていった。
ウィーナとしては、金さえもらえればそれでいいのである。冥王に会うと色々と面倒なことになるので、顔を合わせたくないのだ。
屋敷に戻ると、彼女の予想に反して、既に従者達がそろって宴を始めていた。
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