悪夢から覚めるには船を漕がずに

小石原淳

悪夢から覚めるには船を漕がずに

 今テレビから流れてるアニメの再放送、見るのはこれで三度目だ。それも、久しぶりに見たんじゃなくって、体感的に三日連続で同じアニメの同じエピソードを見ている。

 どうしてこんなことになったのか分からないけれども、四月二十六日が繰り返されている。

 そしてそれに気付いているのは、私達一家四人だけらしい。


 遡ること三日、もとい、体感的に三日前。私はうきうきする気持ちを抑えるのに大変だった。

 明日はゴールデンウィーク初日。例年なら大した予定なんてないのだけれども、今年は違う。旅行、それも初めての豪華客船のクルーズ。国内を三泊四日で巡るショートクルーズとは言っても、やっぱり楽しみでたまらない。

 何しろ、申し込んだ日から対策を練り始めたくらい。持って行くべき物や持って行った方が便利な物、ドレスコード、食事でのマナー等々、クルーズ船での生活ってある意味面倒なんだなと理解した。まあ、日本船だから言葉やチップについては悩まなくていいし、ドレスコードにフォーマルデーはなかったので助かった。

 ともかく、そんな風にして準備万端とまでは行かなくても、できる限りの下調べを済ませ、安心して港に向かえる。明日は朝早いから早く寝ようと床に就いた。

 ところが、起きてみると朝の七時。いつもの時間だったものだから、びっくりして叫んでしまった。寝過ごした!と大慌てで布団から飛び出し、両親をたたき起こすと同時に文句を言ってやろうと寝室に直行。が、いない。

 まさか私だけ置いて行かれた? 妹の部屋に向かうが、途中で食堂の隣を通ると、そこに両親がいた。食事の準備が進んでいて、焦った様子は全くない。ただ、表情に釈然としないものが張り付いているような。

「ど、どうしたのよ、二人とも。何してるの。急がなきゃ、船に間に合わない!」

「やっぱりそうだよな」

 父の反応が変だ。私が何も言い返せずにいると、父は続けてキッチンの母に声を掛けた。

「理恵も言ってる。間違いなく、今日は出発する日だったんだ」

「ですよね。でも、テレビや新聞が……。どう説明するんです?」

 テレビのチャンネルは、民放のワイドショーに合わされている。普段はNHKのニュースを見るのに、珍しい。

 と、そこで私は気付いた。そのワイドショーは画面の右上日付がテロップされてるのだけれども、4/26となっていた。おかしい。

「あれ? 誤字というかミス? 今日は二十七日なのに」

 画面を指し示した私の目の前に、父の手が新聞を差し出してきた。

「これ、今朝配られたやつなんだが……日付が二十六なんだよ」

 私は視力はいい方だけれども、目を思い切り近付けて新聞の日付を読み取った。間違いなく、四月二十六日。テレビと新聞が同時に間違えるなんて、まずあり得ない。これは……タイムスリップとかループとかいうやつ?

 わけが分からないまま、しばし呆然としていた。けど、父が出勤の支度を始めたのを見て、あっと叫んだ。私達――私と妹――も、学校に行かなくちゃ?

「今日が二十六日だとしたら、そうなるな、うん」

 父は思い切り釈然としない風ではあったが、そう言って出て行った。自分自身に言い聞かせたのかもしれない。


 高校で友達にそれとなく聞いてみた。今日って何日?とか、二十七日じゃなかったっけ?とか、あるいは、何だか同じ日を二度体験してるみたいな気がしない?なんて。しまいにはそれとなく感がなくなっていたのだろう、変な目で見返された。ゴールデンウィークが待ち遠しくて変な夢を見ちゃったせいかな、ってごまかしておいたから、多分大丈夫。

 帰って来て、妹にも聞いたみたところ、周りの友達や先生らは今日が四月二十六日で当たり前って顔をしていたという。母もご近所さんとの世間話の合間に、何気ない風を装って探りを入れてみたが、同じだったらしい。恐らく父もそうだろう。

 四月二十六日が二度目だと気付いているのは、私達四人だけ。テレビのニュースを見ても、ネットでトピックスや書き込みを当たってみても、タイムスリップだのループだのの話は出ていなかった。

 それでも、私達家族にできることはなかった。この現象は一時的なもの、もしくは集団催眠やヒステリー的なやつで、今夜一晩をやり過ごせば、明日こそ四月二十七日になるんだと楽観視していた。いや、希望的観測だったかも。

 念のため、スマホのアラームの他、目覚まし時計も二つセットして眠りに就いた。


 起きたらまた二十六日が来ていた。しかも、“昨日の二十六日”のことも、“本来の二十六日”のこともしっかり記憶に残っている。

 どうしよう?と不安は募るばかりだったけれども、とにもかくにも私と妹は登校し、父は出社しなくちゃならない。

「くれぐれも妙な気を起こさないように」

 朝の食卓で、父は真剣に話し出した。

「妙な気って?」

「この四月二十六日が繰り返され、我々以外は誰も記憶に残らないとしてもだ。憎たらしい奴をぶん殴ったり、お金を盗んだり、片想いの相手に試しに告白してみたり、高層ビルの最上階から飛び降りたり、とにかく普段の生活じゃやらないようなことを、いい機会だとやらかさないようにするんだ」

 全然思いも付かなかった。そういえば父はSF好きで、小説でも漫画でも映画でもよくみている。まあ、ここは忠告に素直に従おう。

 ただ、ちょっとぐらいは有効利用しなくちゃもったいない。小テストで満点を取ったし、親しいクラスメートに、数学の授業であなたが当てられるのはここだよって教えてあげて感謝された。この程度なら問題ないでしょ。

 そんなことより、私は早くクルーズ旅行を楽しみたいの! 何とかしてこの繰り返しの日々から抜け出さないと。


「眠らないってのはどうかな」

 妹の加奈が言い出した。小学生らしい素直な発想だと、変に感心してしまった。私も両親も、もっと科学的、論理的な解決策を模索していたんだと思う。とりあえず試してみる分には、妹の案がうってつけだ。

 ということで早速実行に移すことに決めた。ただ、心配もある。仮にこれで正解だとして、四人とも朝まで起きていられたら問題ない。が、もしも脱落者が、つまり途中で寝てしまった者がいたら、どうなるんだろう。たとえば私だけ寝てしまった場合、私は二十六日に取り残されて、両親と妹は二十七日に? その二十七日には別の私がいるのかしら? そもそも、二十七日に私達家族以外の人々はいるのかどうか。

 そんな心配を抱えたまま、見切り発車で寝ないぞ作戦は始められた。当初は強烈な眠気との闘いを想像していたのだけれど、意外と早く答えは出た。

 午前0時を迎える瞬間、世界が全体的に白くなったのだ。


「割と早かったね。三回目で気付くとは」

 脳天気な声が頭上から降ってきた。何だか知らないけれどすっごくむかつく。

「誰?」

 と声に出すよりも先に、「僕、デヒ。時の糸車管理人だよ」と同じ声が言った。実際に音として聞こえているのではなくて、頭の中に直接届いているような気がした。

「時の糸車? デヒさん、何ですかそれは」

 父が尋ねる。見えない相手に、言葉遣いも丁寧になる。

「詳しくは話せないんだけれどね。今の状況についてと合わせて、簡単に説明するよ。時間の流れって、僕みたいな管理人が糸車を回すことで、一定方向に進むんだけど、希に糸がほつれて、修繕する必要が生じるんだ。その際、さらに希なことなんだけど、今回のあなた達四人みたいな目に遭う人が出て来る。修繕の糊に引っ付いちゃった、とでもイメージしてくれたらいいよ」

「はあ。それってデヒさんが剥がしてくれるのではないんですか」

「残念ながらできないんだ。無理に引っ張ると、糸のほつれが拡大して、最悪切れちゃう。そうなったら、最初っからやり直しだから。そんな危険はおかせないんだなあ」

「じゃあ、解決策は……」

「本人達が自力で気付くのを待つ、これしかない。大して難しい解決策じゃないでしょ? 起きてればいいだけなんだから」

「まあ、確かに」

 口ではそう認めたものの、父は不満そうだった。私も同感。それならそうと、眠るなってメッセージを出して、知らせてくれればいいのに。でもまあ、文句は言わないでおこう。元に戻れるんなら、早くしてもらおうじゃないの。そして少しでも眠っておきたい。

「ところで、迷惑を掛けたお詫びに、一つ大事なお知らせがあります」

「え?」

 デヒがいきなり言い出したので、こっちは慌てた。お構いなしに続ける時の糸車管理人。

「ひょっとしたら、このことがあるからこそ、糸車はあなた達を絡め取ったのかもしれないよ。実はね、あなた達が乗ることになっているクルーズ船、遭難するんだ」

「ええ? 嘘でしょ!?」

「ほんとほんと。信じられなくても無理ないけど、何日目かに巨大な海洋生物と接触して、低層階の横っ腹に穴があくんだ。そこから海水がどばどば入り込んで、沈没とまでは行かないものの、何名かがお亡くなりになる」

「ちょ。その死者って、まさか」

「さあ、話せるのはこの辺りまで。あ、言っておくけど、このこと口外したら、船の運命がどうなるか分からないよ。悪い方に転がるのは間違いない」

「で、ではどうしろと」

「頬被りしてなさいってこと。心が痛むだろうけどね。あなた達の少なくとも一人は犠牲になるんだから、それと引き換えにしたと思えば」

「私達の中の一人が死ぬですって?」

 母がいつもと違って、しわがれた声で言った。口の中がからからに乾いて、張り付いた感じだ。

「おっと、口が滑りました――なんてね。今のはサービスだよ、決断を促すための。このままクルーズ旅行をキャンセルして、誰にも言わずに連休を過ごせばいいじゃない」

「……」

「良心の呵責? そんなもの無視するに限るよ。実際問題、あなた方の誰かが口外したからって、船が遭難するのは止められないし、犠牲者はかえって増えるんだから」

「うーん、私、豪華客船に乗るんだって、ネットに書いちゃったんだけどな」

 加奈があどけない調子で言った。妹は普段からブログに我が家の出来事を写真付きで気軽に載せている。ちょっとは用心しなさいって言ってるのに全然聞かない。

「でも仕方ない。そういう事情だったら、嘘つきって言われても我慢する。嫌な予感がしたから乗るのをやめたってあとで言えば、予知能力があるみたいで格好いいし」

 加奈は敢えてあきらめる言葉を口にしたのかも。私や両親の背中を押すために。程なくして、父が言った。

「分かりました。デヒさんの言う通りにしましょう」


 時の糸車管理人の話した通り、次に目覚めたときには二十六日が終わっていて、二十七日がやって来た。ニュースやワイドショーは内容が変わったし、新聞は二十七日付けになり、再放送のアニメは一話進んだ。

「キャンセル料金、百パーセント取られてしまうんですね」

 母がしかめっ面をして言った。一人頭十万超えで、惜しいのは当然。キャンセルした直後にその船が遭難しても、キャンセル料は全然戻ってこないのかしら。

 ああ、いや、遭難のことは考えないでおこう。考えると、頭がパンクしそうな追い詰められた心地になる。

「ご近所に旅行に行きますって挨拶してなくてよかったよ」

 それもそうだ。もしクルーズ旅行に行くんだって自慢げに話していたら、四日間は家に閉じ籠もり、息を潜めて暮らす羽目になっていたかも。

「いずれ行けるさ。同じ船は無理だろうけど、日本船はいくつかあるんだし」

 父はそこまで語って、空虚な笑いで語尾を濁した。家族で改めてクルーズ旅行をするつもりはあるんだろう。ただ、これから起きる遭難事故のことを思い描いてしまい、気分が沈んだんだわ。


 二十七日の夜。布団を被って天井を見つめていると、変な気持ちになってくる。次に目覚めたらちゃんと二十八日になってるんでしょうねって。


             *           *


 二十八日の夕刊の一面を、二つの大きな事件の記事が飾った。

 一つは、豪華客船の遭難事故。

 もう一つは、一家四人殺害事件。

 後者については、下の子がブログに書いたGW中は旅行に出るという話を信じた窃盗グループが深夜、留守だと思って忍び込んだところ、家族と鉢合わせし、殺害に至ったとみられる。



「ごめんね。どう転んでも僕の勝ちなんだよね」

 “時の糸車管理人”デヒは、死神めいた笑みを浮かべてポツリと言いました。


 終

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悪夢から覚めるには船を漕がずに 小石原淳 @koIshiara-Jun

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