ヒトの産む物語

うらなきあい

 町を出発してから一週間近く経過した今もなお、彼は目的地には到着できずにいた。例年と比べだいぶ早くに降った雪のせいで山道が悉く閉鎖されてしまったのが災いしたのだ。

 それでも途中寄った村で買った雪蓑とかんじき、脛まで覆う藁沓のおかげで踝まで埋まる雪道でも存外快適に歩みを進められている。この調子なら、あと半刻も歩かぬうちに辿り着くだろうと彼が自身を奮い立たせていると、ふと道の向こうからこちらに近づいてくるかすかな足音が彼の耳に届いた。道は両脇を林に挟まれた一本道で、左手へ向かって湾曲している緩い下り坂である。誰か集落の者だろうかと思い彼が伸びあがり目を凝らすと、懐かしい灰色がかった一つ纏めの長髪が見えた。


 彼が手を振りながら大声で呼びかけると、此方に気づいたらしい彼方の人は手を振り返し走りだした。ざくっざくっと雪を踏み締める音はあっと言う間に近づいてくる。

「お久しぶりです、バア様」

「久しいねえアキ!道中疲っちゃろ?そら、乗ってけ」

 言うが早いか彼の祖母は雪の上へとしゃがみ込む。見ればわざわざ防寒具の上から馬具を着て来てくれているのが目に留まった。彼はもう子供じゃなし荷物もそれなりに抱えているので断ろうとも思ったが、身内の顔を見たせいかどっと疲れが湧きだしてしまっていた。申し訳なく思いつつも背に跨り鐙に足を掛けると祖母は機嫌よく笑い立ち上がった。目線の高さが七尺近くになる。


 その背に揺られていると、彼は祖母と同じく馬の獣人だった父の背に幼い時分跨って遊んだ事を微かに思いだした。このように乗せてもらうのは何時ぶりだろうか。人一人乗せ、かんじきを付けているにも拘らず、彼女は跳ねるように雪の上を駆け抜けていく。この坂を下ればもう間もなく、彼女の住む集落『シラクワ村』である。


 彼が通された板張りの居間には、寒さ避けの為かゴザやら綿入れやらが散乱している一方で、隅には生糸の束や織られた布が整然と積まれ寄せられていた。適当な場所に荷物を降ろし、まずは奥の一段高くなった所に祀られた守り神様の像――細工をした木材の胴体に布を幾重も着せた、二体一対の人形――に手を合わせる。振り返ると囲炉裏で炭がチロチロと燃えており、手をかざせば冷え切った身体に温もりがじわりと沁み込んだ。

「冬の準備が出来てねぇうちにあの雪だろ?参っちまあはあ」

 かんじきを編み付けた特製の藁沓を脱ぎながら祖母は盛大に溜息をつき、内履き用の草履ともんぺに履き替え土間へと上がる。囲炉裏を挟んで二人は向かい合う形になり、暫くは互いの近況など取り留めのない話をしていたがそれもだんだん下火になってくる。ちょうど良い頃合いだと、彼は居住まいを正してから口火を切った。


「バア様、ご相談があるのですがよろしいでしょうか」

「先に届いた手紙のやつだね。現物は?」

「はい、こちらに」

 彼が荷の中から厳重に包まれた袋を取り出す。その口を解いて中身を差し出すと、彼の祖母は大きく目を見開き小さく感嘆の声を漏らした。白く輝く衣が仄暗い室内の真ん中に悠々と横たわる。

「店の者で調べた限りでは、家紋等の個人に繋がりそうな情報は得られませんでした」

 彼が奥から古い衣桁を引っ張り出して来た時には、既に彼女の興味は手元の打掛へと完全に向けられていた。ブツブツ呟きながら手近にあった適当な古紙に叩き込むような勢いで何かを書き付けていく様子を見て、しばらくの間こちらの声は届かぬであろう事を悟った彼は湯を沸かそうと腰を上げた。





 白桑皓助しらくわあきすけ坦人たんじんのおひろと馬の獣人の季乃介ときのすけの間に生まれた一人息子である。

 坦人とは薄い皮膚に全身を覆われており、二本の腕・二本の脚・一つの胴・一つの頭を持ち、翼や鱗、尻尾等のような特徴的な器官は基本的に持たぬ者達である。馬型獣人はおおよそ馬の首を坦人の上半身に挿げ替えたような姿をしている。

 ではこの二者より生まれた彼はどうかというと、馬の尻尾や耳を持ち、腰より下は馬の下半身様であるが、その他は坦人とほぼ変わりない容貌をしていた。混血児は大抵どちらかの親に寄った姿になるものであり、この様に両親を折半したような形質の子が生まれるのは少々珍しい事である。

 彼は呉服屋『天蚕堂てぐすどう』で六つの時から今に至るまでずっと奉公をしている。白桑家の家計の苦しさを案じた祖母が、知己であり天蚕堂の主人である一ノ瀬益吉に、通常よりも早くから丁稚として勤められるように取り計らってくれた為だ。

 




 一か月程前、彼は話があると主人直々に奥座敷へと通された。皓助は今年の夏に手代に昇進したばかりである。部屋に入った皓助の目にまず留まったのは、部屋の奥の衣桁に掛けられた見慣れない立派な白い打掛であった。その前に座る主人の、背中の翅や額から生えた触覚がまるで周りを警戒するように揺れているのが妙に気になって、彼は何事であろうかと身を固くした。

「新しい商品ですか?」

「いや、こんな手紙を添えられて今朝ちよ宛に届いた物だ」

 主人は渋い顔で文机に載せてあった手紙を掴み皓助に押し付けるように渡した。ちよとは主人の一人娘である。歳は八つだ。純血の蚕の虫人ちゅうじんである彼女は、翅や首周りの和毛こそまだ生えてないものの、柔らかな白い肌と黒目がちな大きな目が可憐で近所でも評判なのである。

 突飛な話に皓助は思わず手紙と主人、そして着物を何度か見比べたものの、結局何も言わず促されるまま手紙を読んだ。ミミズがのたくったような字で、行の整列などはまるで無視してる上、あっちこっち露で濡れたのか墨が滲んで紙に皺が寄っている。皓助にはほとんどが判読不可能だったが、辛うじて最後の数行は読み取れた。恐らくそこは特に力を入れて丁寧に書いたのだろう。

「『おちよちゃん よければ これをきて きてください』……」

 彼が顔を上げれば、着物を横目に眺めながら主人は額を押さえていた。


「送り主は誰なんですか?」

「それが分からんのだ。今朝裏の勝手口から中に投げ込まれていたんだが、贈り主の名前どころか宛名すらなかったよ」

「お嬢様には?」

「贈り物があった事自体伝えとらん。子供の口からそこら中にこの事が広がって、妙な噂が立っても困るでな」

 確かにそれは一理あると皓助も思う。新婦が結婚式で着るような物が商家の主人の娘宛に届いたという事実は、町民達にとって格好の暇潰しのネタになるだろう事は想像に難くはない。

「奉行所への届け出はどうしましょうか?」

「いや、物盗りに入られたわけでもなし。大事にはしたくないのだ、分かるだろう?」

 ただ、彼が主人の言葉にどこか違和感を感じたのもまた事実である。

「……はい」

「とにかく、出来るだけ騒ぎ立てずに解決して着物を元の持ち主に返してやりたいのだ。そのためにまずこれを検分しようと思うんだが、アキ吉の婆さん……おはくさんに頼もうと考えている」

「それでしたら私が連絡役を務めましょう」

 皓助自身も、事情を知った時から何となく自身の祖母の出番のような気がしていたのだ。皓助の祖母であるはくは今は隠居の身であるが、若い頃には呉服問屋で長い事働いていた。そのおかげで、着物や反物、特に絹製品に関しての目利きなのである。

 その言葉に主人は顔を少し緩めたが、直ぐにまた眉間に皺を寄せて小声で言った。

「子供の仕業ならまだいいんだが」





「結論から言うと、確かに決定的な手がかりはどこにもなかったな」

 各部分の大きさや材質、柄や作りを一通りまとめた書付を皓助に渡しながら白は言った。

「材質は裏地含めて全て正絹、立派な錦織。仕立ての良さから見ても白無垢用の打掛とみて間違いねえべ。十中八九専門の職人が作ったんだべなあ。状態もすこぶる良し。んで、柄の題材の一覧を見て欲しいんだども」

「ええと、胴裏全体にキツネノカミソリ、前裾にスイセン、ヤマユリ、キミカゲソウ、ヒガンバナ、チュ……ちゅうりっぷ?」

「貿易で入って来た外つ国の花さ。うっこんこう、とかっても呼ばれてたかねえ。市場に流通し出したのは十年前位からだったっけなあ」

「そんな事までご存知なんですね」

「隣の玄爺げんじいさんがこういうの好きで、何か咲く度に人呼んで延々説明したがんだよなあ……。まあ多分、柄からも状態の良さからもここ十年以内位に仕立てられたって考えるのが一番適当でねえか?特徴のある柄だから、織った人間は覚えている可能性高ぇべ」

 植物の統一性がないうえ、あまり縁起が良くないとされる彼岸花だの最近入ってきた輸入物の花だのをハレの日に着る服に入れるのはなかなか個性的だと彼女は言う。


「あとこれ、見えっか?」

 言いながら右袖をそっくり裏返す。彼女が指さした先、袖裏のちょうどど真ん中に家紋のような模様が目立たない色の糸で小さく刺繍されていた。

「こんなところに!しかし、先程手掛かりはないって仰ったじゃないですか」

「決定的な~って言ったろ?極力目立たないように入ってっから、持ち主のじゃ無くってこの着物の作り手の印とかの可能性だってあんべ」

「落款みたいな物かも知れないって事ですか?着物にそんな物入れるなんて自分は聞いた事ありませんが」

「いやああたしもこんなのは初めてよ。でもさ、自分とこの家紋だったらもっと堂々と入れりゃ良いっした?」

「それはそうですが……」

「んーまあその辺の事はこの際置いとくべ。んでアキ、この模様に見覚えはあっかい?」


 急に鼻先に着物を突き出され少々たじろいだものの、皓助はそれを受け取ってまじまじと見つめた。『丸に橘』の紋に少し似ている。にんにくのようなものを輪が囲っている図案で、さらに細かく見ると、その輪の全体に矢じりのような模様がいくつも右回りに付けられていた。

 皓助はこれをじっくりと眺め、頭を回転させ、記憶を巡らせ、その上でこんな模様は今まで一切見た事が無いと結論づけた。そう伝えると白はなら仕方がないと着物を受け取り丁寧に畳みだす。

「あたしがこの着物から分かった事はこのくらいかねえ。少しでも参考になったならいいんだども」

「帰ったらまず袖裏の模様について調べてみます。それに特徴的な柄の物なら、取り扱った店や個人も特定できるかもしれません」

「そりゃあよかった。……ああそうだ!帰りはあたしもついてくからなあ」

 え、と皓助が思わず声を漏らす。

「だから、帰りはあたしもアキについて町まで歩ってくわ。滞在は二、三か月位になるかねえ。向こうでの仕事もあっし、お尋ちゃんの顔も久しぶりに見てえしねえ」

「いや、でもそんな急に」

「大丈夫大丈夫、前々から決めてた事だしお尋ちゃんには結構前に手紙で伝えて……、あれ、言わっちぇなかったかい?」

 皓助が呆気に取られながらも小さく頷いたのを見て、相変わらずうっかりした所のある子だねえと白は歯を見せて笑った。





 皓助が帰って来てから、天蚕堂では通常業務の合間を縫って奉公人総出で着物の持ち主探しに明け暮れる事になった。とはいえ主人の意向で大っぴらな聞き込みはせず、親密な取引先に対してこっそりと聞いてみたり、あっちこっちの呉服問屋や古着屋で似通った意匠のものを見つけ出しては調べたり、着物の色柄や産地等に関する資料を読み漁ったりすることでなんとか持ち主に辿り着こうとした。

 調べていくうちにあの袖裏に記されていた模様は、蔵から引っ張り出してきた埃まみれの図案辞典に拠り『花人かじんの用いる紋の一つ。季節の循環を指す輪と冬越え・再生の象徴である球根を合わせて図案化したもので、何かが長く続くようにとの願いを込めて刻まれる』事がわかった。しかし店に勤めている花人達の中には、その印を知るものは一人もいなかった。だが彼らに言わせれば、花人は出身地間・系統間の文化の差異――特に服飾や文様に関するものについて――が他種族と比べても大きい上その変種も多い為、あまり不思議ではないのだという。

 白の指摘がきっかけとなり『打掛の持ち主は花人で、ここ十年以内にこれを仕立てた』可能性が極めて高い事だけは分かったものの、それだけでは如何ともし難く、またずるずると日にちだけが過ぎていった。

 そうして打掛が店に来てからふた月近くが経過し年の瀬が迫ってきていた折、新たな荷物が天蚕堂に届けられた


『おちよちゃん きものたりてませんでした ごめんなさい きて あいにきてくれたら うれしいです』


 手代以上の奉公人は全員、更に白まで呼び出され同席したうえで、閉店後の店内で新しい荷物の開封が行なわれた。滲みの酷い手紙が添えられた箱から出てきたのは、検分するまでもなく件の打掛と組であることがわかる立派な掛下と帯であった。今回は更に、長襦袢やら帯揚げやら、着付けに必要な小物も一式詰め込まれていた。

 これを見て、さっさと然るべき場所へ届け出るべきだと叫ぶ者もあれば、あれこれ噂されるのを避ける為にも決して外に漏らしてはならないと力説する者もいた。そこにここ最近の仕事量の増加への不満や得体の知れぬ贈り主に対する恐怖感、何か良からぬ事が起こるのではないかという漫然とした不安などが綯い交ぜとなり場はかつてない程に紛糾した。怒号一歩手前の声が飛び交い、それを番頭連中がなんとか宥める。

 四半刻以上すぎても議論は決着せず、結局は主人がなんとか皆を取り成して、あと二週間ほど自力で調べてみても何も成果が得られなかった場合は、送られてきた物を全て持って奉行所へ届け出る事を約束しその場は解散となった。

 




 皓助は天蚕堂の二階に下宿しているが、白は現在尋の住む町の長屋に滞在している。その晩は彼が長屋まで彼女を送っていく事となった。すっかりあたりは暗くなってしまい、皓助の掲げる松明だけが頼りである。

「益吉の奴、相っ変わらず変なとこで意地っ張りだなあ」

「何故、あそこまで身内で片を付ける事に拘るのでしょうか」

 そう聞かれると白はまわりを見渡し、それから声を落とした。

「あー……もう数十年前の話だけんじょも……。隣町で、役者に異常に付き纏ってた女を町奉行に訴えたら、女が逆上して刃傷沙汰になったなんてのがあってなあ。そのせいで、当時評判だった鳥人ちょうじんの若い役者さんが片翼切り落とされ、それが原因で帰らぬ人になっちまってはあ」

「……お嬢様もそうなるとでも?」

「いやいやいや!誰もそこまでは言っちょらんした!」

 松明にありありと照らし出された孫の仏頂面を見て、白は顔の前でぶんぶんと手を振った。

「ただ、その役者さんってのが益吉と知り合いだったらしくてなあ、ひどく気落ちしとったんだよ」

「…………」

「それにさあ。亡くなった後もその役者と所属してた一座が、ある事無い事言われ書かれ散々な目に合ってなあ。んだからそれ思い出して及び腰になっちょるんかもなあ。まあ、アイツなりに家や店を守りたいだけなんだべ」


 祖母の話が終わっても相変わらず皓助はむっとした表情を崩さないが、そこに含む意味は少々変わったらしい。

「旦那様の考える事全て、自分に理解できるとは思っておりません。……でも仮に、旦那様一家にそんな事する奴出たら、私が蹴り潰してやります」

 その言葉に白は背を反らし声をあげて笑った。

「頼もしいけんじょもねえ、アキ、そういうのは冗談通じる人の前だけにしろよ」

「はい」

 

「それはそうとあたしゃねえ、手紙送ってきた奴の事も心配だあ」

「……?」

 皓助が意図を汲み取りかねていると、彼女は逆に不思議そうな顔をした。

「だってあの手紙泣きながら書いたようにしか見えねえべした」

「染み皺の事なら、外に置かれた後、露なり霜なりで濡れただけなのでは?」

「手紙、三つに折り畳んで荷物を束ねる縄に挟んであっちゃろ?畳んでから濡れたんなら、紙同士がひっつくべ?手紙両方見せてもらったけど、一度濡れて乾いた物を畳んだようにあたしにゃ見えたなあ」

 手紙の様子を思い返し、言われてみれば確かにその通りだと皓助は目を丸くする。荷物に気を取られて手紙の見てくれにまで意識が向かなかったのだ。

「悲しい、心配、悔しい、怖い……まあ分からんけんじょ。そういった思い抱えて書いてんなら、あの手紙は文面以上に重い物だした」

「バア様の想像通りだとして……送り主は何を泣くほど思い詰めてるんでしょうね」

「さあなあ。その “泣くほど” の理由をあたしゃ知りたいんだ。したっけなんであんなもん送ってきたのか、姿を見せねぇのか、そういったのの訳が全部分かる気がすっからねえ」




 

「なあ楊二ようじ、お前、泣くほど女に会いたい気持ちって分かるか」

「どうしたんだよ、お前仕事馬鹿のくせに」

 皓助に呼び止められたのは、蔵の中の掃除が終わり母屋へ引き上げる最中の、顔の右半分が木肌のような容貌をした手代だった。二人は歳は少々離れているものの同期である。楊二はおどけながらも急な発言に対し戸惑いを隠し切れずにいたが、皓助から先日白と話した内容を伝えられると得心したように笑った。

「でもなんで俺?」

「お前も花人だろう。あと手近にいたから」

 あーそーかいと楊二が失笑するが、皓助は一切動じない。

「言っとくけど俺は花人の中の木人もくじん、さらにその中の枝垂柳型だ。言ったろ、あの球根模様も今回初めて知ったって。わざわざあんな模様使うんだから、持ち主は草本系の花人なんじゃないかと俺は思うねー」

 木の皮のような皮膚に覆われた掌で、右後頭部から車鬢くるまびんのように伸びる数本の枝をこれみよがしに撫でながら彼は言った。

「でもそれでも花人には違いないだろう」

「あーもうお前は本当……まーいいや。泣くほど女に会いたい気持ち?だっけ?」

「そうだ」


 楊二は立ち止まって腕を組み大仰に空を仰ぎ、横で皓助はそれをじっと睨む。

「俺は経験が無いなー。でも泣くくらい気持ちが切迫してるって事は相当の事なんだろ?」

「少なくとも本人にとってはな」

「そうさなー。死にかけてるとか?」

 皓助は心底不愉快そうに目を細めたが、当の本人はどこ吹く風である。劇がかった口調と身振りで仰々しく続ける。

「死ぬべきに いとせめて君に 会ひしがな 我が身委ねん 白きかいなに……なーんて」

「安い悲劇だ」

「あのなーそっちから聞いといてそういう言い方すんなっての!というかもう無理して解決しなくてもいいだろー?二十日もしない内にその件は奉行所に預けられる事になる訳だし」

「ここ迄やってそれじゃあすっきりしない」

「昔っから頑固だよねーお前」


 呆れたような口調ではあったもののその目は笑っている。

「まあお嬢様に手紙見せて、ああいうの送ってくる奴に心当たり無いかって聞くのが一番手っ取り早いんだけどねー」

「この件については、お嬢様に伝えても悟られてもならぬと旦那様から厳命されているだろう」

「おう。だったら彼女の近くにいる人に聞けばいいんじゃないか?」

「世話役の女中達には既に聞き取りを行って、目ぼしい情報が得られなかったはずだが」

「知ってる知ってる」

 楊二はにやにやしながらそっと耳打ちした。

「丁稚の助松君。暇見てはお嬢様の部屋に忍び込んで遊び相手を自主的に務めてるみたいだぞ?」

「……助言痛み入る」

「まあ普通の仕事もあるんだから根詰め過ぎなさんなよ」

 楊二は皓助の背中をぽんと叩いた。





 その会話から更に数日経ち、いよいよ主人の提示した期限が目前に迫った頃に皓助はようやっと助松に話を聞くことが出来た。互いの休憩時間が被った所を捕まえ、二階に上がりその部屋の隅に引っ張っていく。どうやら怒られると思ったらしい彼は耳も尻尾もしおらしく垂れてビクビクしていたが、事情を説明されるとすぐにあれやこれやと饒舌に語りだした。

「お嬢様はなんでもよく話してくれますよ!今日は誰と何で遊んだのかとか、友人の何某にこういう事があったやらとかー……そういやお嬢様ととても仲のいい男の子がいるみたいなんですけど、ここ数ヶ月姿見せてないらしいんですよね、確か初雪降った頃からですかねえ」

「仲がいいとはどういった風にだ」

「ええと、二人でお喋りしたりー他の子らも交えて普通に鬼事とか隠れ鬼とかで遊んだりー、あ、後はよく、文字の書き方をお嬢様がその子に教えてあげてたそうです!その子家では手習いの類を一切受けていないみたいだったんですけど、お嬢様のおかげで一応一通り文字が書けるようになったそうで、いやー教え上手に覚え上手なんでしょうね!」


「その子の名前や家の位置なんかは何か覚えているか?」

「名前は千草ちぐさだったかな。住んでる場所はちょっと覚えてないんです、お嬢様は凡その場所知ってるみたいでしたけど。話聞く限り年の頃は六つか七つ位の大人しい子で坦人……あ、いや、違う!」

「どうした」

「一度、使いっ走りの帰りにお嬢様とその子が遊んでるの見かけて挨拶したんですけど、その子の腕、花束みたいな色と形で、足もまるで草の根っこが引っ絡んで形作ってるみたいな見た目だったんですよ!話の内容から勝手に坦人だと思ってたんでありゃあびっくりしたなあ」

 ここに来てまた花人が出てくるのかと、皓助は引っ掛かりを感じた。


「おーここにいたか!」

「なんだ、今こいつに話聞いてるんだ。後にしてくれ」

 まあまあと間に割り込んだ楊二は二人の肩を抱き声を落とした。

「……番頭達が噂してた。例の手紙と着物が無くなったらしい」

 その言葉に叫びそうになった助松の口を皓助が慌てて覆った。目を見開いて楊二を見ると、彼はしーっと口の前に指をたて周りをちらりと見てから話を続ける。

「噂を真に受けるなら、昨日から今朝にかけて、旦那様が店を留守にしていた間に持ち出されたみたいだ。お前ら、心当たりはあるか?」


「あひまふ!」

 楊二の言葉に被さるように口の中で叫び、全力でじたばた藻掻く助松に二人は本当に元気がいい事だと一周まわって感心する。手を外され、ぶはあっと息を吐き出すと、助松は上気した顔で声を当人なりに抑えながら言い放った。

「あります!お嬢様ですよ!!」

「こら、声が大きいぞー」

「あっすみません……お嬢様、最近旦那様や女中達が自分に隠れて何かしてるってずっと気にしてたんで。旦那様の言いつけもあったので気の所為だって宥めてたんですけど、ほら、あの方かなり活発でしょう?」

 黙って座っていれば深窓の佳人の如しなれど、実際は時間が空けば直ぐに女中を伴って近くの空き地や河川敷に行き、他の子供らと一緒になって走り回り笑い合うのがちよという娘である。

「あーもーこれだけ周りが騒いでりゃ気づくよなーそりゃーなー」

「この時間なら部屋で一人でいらっしゃるはずだ……話聞いてみるか」


 言うが早いか三人は階段を駆け降りちよの部屋に向かう。しかし辿り着いたそこはものの見事にもぬけの殻であった。助松がずかずかと中に入って文机に置かれた紙を取り上げ目を通すが、直ぐに皓助と楊二に駆け寄りしどろもどろでそれを押し付けてきた。

「『友達に会ってきます』ねー、……どーするよ?」

「助松、お前犬型の獣人だよな」

「え、あっはいそうですけど」

「……楊二、女中や他の連中に連絡を頼む」

「おー、晩飯までには帰って来いよ」

 皓助は未だ状況のよく飲み込めない助松を小脇に抱え上げると、もう片手にはその辺に転がっていた適当な雪駄を一足持ち、素足のまま激しい蹄の音と共に裏口から疾風の如く走り出る。助松の悲鳴が一拍遅れて道に響いた。


 助松の鼻を頼りにして裏道細道を暫くぐねぐね進んでいくと、自分達と同じ方向に向かって大荷物を抱えた童女が、此方に背を向け一人で歩いているのが見えた。

「あ、あれです!間違いないです!」

「よし、助松、お前は帰れ。お前なら一人でも迷いはしないだろう」

「え、いやあの、何でですか!こっからが大事な所ですよね!?」

 地面に下ろされた助松は全く納得できぬと噛みついたが、構わず皓助は雪駄と懐から取り出した数枚の銭を彼に押し付けた。

「……いいか、帰って何か聞かれたら “アキ吉に無理やり手伝わされた、俺は何も知らない” って言うんだぞ」

「なんでそんな」

「いいな。返事!」

「ひっ、は、はい!」

 強い調子で皓助が言うと、彼は雪駄を履き尻尾を丸めて今来た道を転がるように戻っていった。その背を見送ると、皓助は前方の影にすぐに追いつき壁になるように回り込む。手拭をほっかむりにし大きな風呂敷を背負って俯いて歩いていた少女は、確かにちよであった。


「お嬢様、その荷物はどうされたのですか」

「……っ!なんでいるの!」

 驚いて力が入ったのだろう、ちよの手の中でくしゃ、と件の手紙が握りつぶされた。慌てて彼女は手紙を広げ皺を伸ばそうとするが、重い荷を背負って手が自由にならない為上手くいかない。見かねた皓助が代わりに手紙を畳み直して渡してやると、彼女はばつが悪そうにむくれた。

「店から追い掛けて参りました」

「私宛の贈り物持って、私の友達に会いに行くのよ。何も問題ないでしょ!」

 ちよは皓助の横をすり抜け通り抜けようとするが、前方に回り込まれ進路を阻まれる。


「千草君、ですか」

 その名を聞くとちよはあからさまに狼狽え走って逃げ出したが、皓助はそれに易々と並走した。一町程そのような状態が続いたものの、先に音をあげたのはちよであった。大荷物を抱えた子供と手ぶらの青年、蚕と馬では敏捷性に埋め難い差があった。

「あなた、足が速すぎるのよ!そんなの振り切れない!」

「お褒め頂き光栄です」

「褒めてないもん!」

 余計腹が立ったのか、ちよはせっかくの顔貌かおかたちが台無しになる程のふくれっ面になった。

「なによもう!みんなで千草の贈り物隠してたくせに、ここに来てまた邪魔しないで!」

 彼女は思わず半泣きになる。皓助は変わらず涼しい顔でその様子を見ていたが、不意にしゃがみ込みちよと目線を合わせた。

「お嬢様、一つご提案があります」

「何よアキ吉!止めたって無駄だかんね!」

「私も同伴させて頂けないでしょうか」

「……へ?」

「着付ける際には手伝い人がいた方が何かと都合が良いでしょう?」

 言いながら皓助はちよの背負う荷物を取り上げ、自分で背負い直した。





 ちよの案内で辿り着いたのは町外れの長屋の一室であった。皓助や他の奉公人達には全く読めなかった手紙だが、ちよによれば、手紙にここまでの詳しい道順も、なんなら千草の署名も書かれていたらしい。

 目的の部屋の両隣はどうやら空き部屋のようであった。なのでそこを勝手に使い白無垢をちゃっちゃと着付け、その後は汚れるとまずいので皓助がちよを横抱きにして目的の部屋へと入った。


 夕暮れの迫る薄暗い部屋の奥で、千草は薄い布団の上で何も掛けずに横たわっていた。所々赤黒いシミのある土色の顔はすっかりやつれており、胴体はクシャクシャの枯れ草を接いだ藁人形のような有様だった。手足の葉や根が八割方枯れ落ち以前より一回り程小さくなってしまったように見える彼を見て、ちよは思わず顔を覆ってしまった。

「ねえ千草、大丈夫?今話せる?」

 ちよがおずおずと千草の顔を覆い被さるようにして覗き込むと、薄らとその目が開かれた。彼はハッとし上半身を起こそうとしたが、力が入らず仕方なしに仰向けのまま話し出した。

「……うん、大丈夫だよ。おちよちゃん、久しぶり……きてくれて、嬉しい。その着物、やっぱり似合うなあ」

 声はすっかり掠れていた。体を少しでも動かす度に、ガサガサと乾いた音が響く。埃っぽい長屋の一室で花嫁姿の子供が病人を覗き込んでる風景は丸っきりちぐはぐで奇妙であったが、窓から差す仄かな光が着物に照り返し不思議な神々しさがあった。


「あの、お兄さんは……?」

「お嬢様の店の手代だ。おまえ、この着物をお嬢様に着て欲しい一心で荷物を天蚕堂うちに送ったのか?」

「はい……あ、あの、それだけじゃなくって、それを着たおちよちゃんに会いたいとも思いました。ごめんなさい」

「いい、謝る必要はない」

 確かにここ数か月天蚕堂に関わる人間の心労や疲労は増えた。しかしそれらの不満を眼前で襤褸ぼろ切れの様になっている少年にぶつけようとは皓助には到底思えなかった。そもそも千草は、店の連中が懸念していたような犯人像からは程遠い存在だったのである。


「それよりおまえ、親はどうしたんだ」

「母は、幼い時に亡くしました。父は半年ほど前から、川の工事に参加するため、三つ隣の町まで出張りしています。年明けには帰ってくる予定ですが……」

「その間、面倒を見てくれる人間は?」

「……いません」

「そうか」

 何か考え込み始めた皓助のかわりに、ちよはいつも通りの明るさで千草に声を掛けた。

「千草、手紙書けるようになったんだね!」

「おちよちゃんのおかげだよ。あれが精一杯だったけど……」


「大丈夫よ、千草の手紙のおかげでここまでこれたんだし!でも、なんで急にこれを着てくれなんて言ったの?」

 言いながらちよは立ち上がり、袖を掴んで案山子のように真っ直ぐに腕を伸ばした。それを見て千草は気まずそうにに目線を逸らす。

「……あのね、その服、母上の形見なんだ。父上がよくね、この打掛を着せたいと思える子に出会えたらその子をよく大事にしなさい、って言うんだ」

「うん」

「……ぼくね、あの、おちよちゃんがこれ着てる所、どうしても見てみたかったんだ……」

「自分が見たかったから、私に着てほしかったの?」

 そう問い返されると、彼はとても恥ずかしそうに目線を漂わせてから観念したように呟いた。

「うん。そう。でも、こんなヘンテコなお願い……」

「なんだーそんな事だったんだ」

 あっけらかんと笑うちよと対照的に、千草は萎縮しきりおずおずと言った風に付け足す。

「打掛送って暫くしてから、似た見た目の着物や小物を箪笥の中から見つけて……一緒に使うもの送らなかったから、おちよちゃん怒らせちゃったかなっても思ったけど」

「そんな訳ないでしょ!ちょっと……家で色々あって、返事も会いに行くことに直ぐには出来なかっただけよ」

「うん、……だから今日は本当に嬉しいんだ、本当にありがとう」

「大袈裟ね。千草が喜ぶなら、私何回でもこれを着るわ。だから元気出しなさいな」


「ねえ、なんで直接顔見せてくれなかったの?遊びにも来なくなったし、荷物もこそこそ夜に置いていって声掛けてくれないし……」

「……顔に変なシミが出てきた頃から、日中に出歩くと、近くの人にひそひそ話されたり、妙な顔されたりして……それで、外行くのが怖くなって」

「そんなのさ、引きこもる前に私でも他の子達でもいいから相談してくれればよかったのに!というかやっぱり病気に罹っちゃった、のよね……?お医者様にはちゃんと診てもらったの?」

 その言葉に千草が曖昧な笑みを浮かべたのを、皓助は見逃さなかった。なんてことない質問のはずだったが、千草は暫く困ったような表情で言葉を探していた。


「…………あのね」

「……外に出なくなった一番の理由はね、……道歩いてたらね……、……『可哀想に、お前そのうち死ぬぞ』、って……通りがかった大人の人に……。詳しく聞いたら、お前のそれは、治らない病気だって……っ」

「………待って、急に何言い出すのよ?ねえ」

「二個目の荷物届けた後、その人が言ってた通り、一気に枯れが進んじゃって……。せっかく来てくれたのに、なんにも、出来なくなっちゃった……ごめんなさい……」


 二人は愕然とした。突拍子のない話ではあるが、彼の今の状況がその言葉にうんざりするくらい説得力を与えていた。

 皓助の脳内では楊二の出鱈目な和歌が勝手に何度も反芻される。同時に、ちよにあんな手紙を送ったのは人恋しさからでもだったのだろうと合点がいく。彼が隣のちよを見れば、唇がふるふる震え、着物を掴む指先が真っ白になっていた。その背を軽く撫でてやり、代わりに言葉を繋ぐ。

「助からないなんて何かの間違いじゃないのか?」

「でも絶対死ぬって言われたんだ!……その人、ぼくと同じ症状になった人が、何をしても治らず次々死んじゃうの見た事あるって……だから……」

「大人も間違える事あるって父上が言ってたもん!ねえ、そんな風に諦めないでよ!」


 殆ど叫ぶような調子でちよはそう言い、一呼吸置いてから打って変わって絞り出すような声を出した。

「……ねえ、千草、あんただって死にたくなんてないでしょう?私は千草が死んじゃうなんて絶対嫌だよ……」

 問いかけに千草はひどく狼狽えた後、顔をくしゃくしゃにしてがくがくと頷いた。それを見てちよも堰が切れたように泣き出す。涙しながらなんとか皓助の方を振り返り、真っ直ぐその顔を見つめた。

「アキ吉お願い、千草を、丹砂にしゃ先生のとこまで連れてって!」

 言われるや否や、皓助は迷いなく千草を煎餅布団ごと抱え上げ長屋を飛び出した。確かにもう、何もかも諦めてしまいたくなるくらいに彼は軽かった。それが皓助は遣る瀬無くて、寒々しい月に照らされた土道を力いっぱい踏み締めて走り抜けた。




 

 無理を言って診療所を開けてもらうと、丹砂は一瞬怪訝な顔をしたものも千草の様子を見て直ぐ無言で診察を開始した。丹砂先生は病魔避けの赤い刺青を顔に入れた石人せきじんで、益吉初めここ一帯の多くの人にとってのかかりつけ医である。

 先生は千草に薬湯を飲ませ、湯で絞った手拭いで身体を清めた後、何よりまずは暖かな場所でよく寝る事だと言って奥の部屋に通す。白無垢から着替えたちよが後から診療所に着いたものの面会は許されず、今日はもう遅いから一度戻るようにと赤い提灯を渡され、二人は渋々天蚕堂へ帰った。


 帰り着けばすぐ二人は奥の部屋に通され主人から質問責めにあう事となった。断りもなく勝手に店を抜け出し、夜になるまで帰ってこなかった事をまず咎められるだろうと覚悟していた二人は少々拍子抜けした。

「それで、その千草と言ったか。その子は親と離れて一人で暮らしている訳だな」

「はい、仰る通りです」

「なら私が明日保護者代理として話を聞きに行こう」

 その言葉に二人は面食らった。同時にちよは心配げに顔を歪める。

「話を聞く限り、今千草の近くには適当な大人がいないようだからな。薬代の立替えも必要になるかもしれん。……それに、その子に直接話したい事もある」

「でしたら父上、私も連れて行ってくださいまし!」

「……そうだな。アキ吉、状況を知ってるお前も一緒に来い」

「承知しました」

 これで終わりだと二人は気を緩めたが、そうは問屋が卸さずその後益吉にこっぴどく叱られた。二人が開放された頃には宵五つ程になっており、飯炊きの女中達が気を利かせて握り飯を残しておいてくれねばあわや夕飯を食いそびれるところであった。


「やあ、いらっしゃい。おや、旦那直々にいらっしゃるとは思わなんだ」

「丹砂先生、千草君の所見を聞かせてくれ」

 翌日、三人は朝一番に診療所へと向かった。挨拶もそこそこに益吉が訊ねるが、丹砂はまずはそこに座れと促し別の部屋へ引っ込んでしまう。


 三人が囲炉裏を囲むように座り待っていると、彼女は別の部屋から診療録らしい紙束を持って戻って来た。

「花人のみが罹る奇病だね。患者は滅多に出ないし、人から人へもまず伝染らないけど、厄介な病だ。まず顔に特徴的な斑点が浮かび、植物部分が先の方から少しづつ枯れ落ちてゆき、最後には肉の芯まで侵食されぐずぐずに腐り、全身真っ白な黴に覆われるのさ」

 丹砂がつらつらと病状を述べる程にちよの顔が真っ青になっていく。

「ねえ先生、千草は……」

「大丈夫。つい最近外つ国から特効薬の製法が入って来たんだ」

 その言葉にほっとしたのか、彼女は身体から力が抜け益吉に凭れ掛かる。益吉はその細い肩を翅で包んでやった。

「彼は近所の大人に “治らない、絶対死ぬ” と言われたそうですが」

 その問いに丹砂は至極不満げな顔をした。鉱石で形作られた指先で診療録を何度も軽く叩く。

「……それをなんの心用意の無い相手に急に伝えた事の是非はともかく、そう思ってる奴が多いのは仕方ない事なのさ。この病は長らく不治のものとされて来たし、さっき言った特効薬もまだまだ世間様に認知されていない。直近の事例だと五年位前――その年も今年みたく早雪が降り底冷えする年だったな、この町でもこの病で数人が亡くなってるね」

 旦那は覚えてるんじゃないか?と問われ、益吉は静かに頷いた。


「先生、彼と話は出来ますかな」

「それは本人次第さね、ちょっと待ちな」

 丹砂が奥の部屋に引っ込み、暫くした後襖を開け手だけ出して三人を招き入れる。

「身体に障るから寝たままで応対させるよ。……何があったか知らんが、あまり負担になるような事言うんじゃないよ」

 丹砂は赤く輝く目で三人を軽く睨んで釘を刺し、明かり取りのために襖を明け放ち入れ替わりで囲炉裏の部屋へと戻った。明かりに照らされると、暖かそうなかいまきにくるまれて寝転がっている千草の顔色が、昨晩よりも幾分か良くなっているのが見て取れた。

 当の千草は首だけ伸ばして益吉の方を恐々と見ている。枕元では小さな火鉢が燃えていた。

「初めまして、千草と申します」

「益吉だ。娘らから君の事は聞いている」

 益吉が千草の方へと向き直り、やや距離を詰める。

「君、ああいう着物を他人に軽々しく贈ってはいけないよ。とても、とても大事な物なのだからね。あの着物が持つ意味は分かるかい?」

「意味、ですか?……ごめんなさい、分かりません」

「……そうか。御父上がお帰りになったら、よおくお話をするといい。似合うだろうから、着て欲しいから、という理由で簡単に他人に貸していい物ではないのだ、あれは」

「……ごめんなさい」


 暫し、両者ともに無言であった。ちよが歯痒そうに二人の顔を代わる代わる見つめたが、皓助に制され渋々口をとがらせながら黙っていた。先に口を開いたのは益吉であった。

「……すまない、説教をしに来たつもりではなかったのだ」

 意外な言葉にちよが小さな声を漏らす。皓助も目を見開き空を睨んだ。

「私は、娘に君の贈り物を見せなかった。口にこそ出さなかったが、邪念ある者が送り付けてた物だと心中で決めつけ、娘が傷付けられたり店の評判が下げられたりしては敵わぬと思い行動していた」


 一息置いて益吉は真っ直ぐ千草を見つめた。

「しかし結果、君の心も、ちよの心も蔑ろにしてしまった。奉公人達にも大分悪い事をしてしまった。憂懼ゆうくするあまり、ちよがこの件に関わることを頑なに禁じ、周囲には徒に遠回りをする事を強いた。本来であれば、ちよに荷と手紙を見せれば数日で済んでいただろう話をだらだらと伸ばし、四方に迷惑をかけたのは私だ。……返事を待たせてしまい、大変、申し訳なかった」

 益吉はゆっくりと、深く深く頭を下げた。





 年が明けた所で白桑家には取り立てて何が起こるでもなく、皓助はつかの間の正月休みを満喫していた。彼が出先から長屋に戻ると白が一人で繕い物をしていた。尋は井戸端で洗い物をしているらしい。

「バア様、あの白無垢の仔細が分かりました」

「おや、どうだったんだい?」

 ついさっきの千草の長屋での会話を辿りながら、ぽつりぽつりと祖母に伝える。


「本日お会いした千草君の御父上に教えて頂きましたが、十年ほど前、千草君の母方の御婆様が娘の挙式に合わせて一式誂えさせたらしいのです。キツネノカミソリ型の花人であったためそれを胴裏に配し、表にはキツネノカミソリと同じく球根で殖える植物を並べたそうで。ちゅうりっぷは、新しいもの好きな御母上の趣味だったみたいです」

「自分達に一番馴染み深い花を、敢えて見える位置には配置しないんだなあ」

「着物を仕立てる際はどんな形式のものであれ、キツネノカミソリの意匠を胴裏……身体に一番近い位置に着けるのがあの家の習わしなんだそうです。それから袖裏の印は、夫婦の縁、更には夫婦の血筋が長く続く事を祈って御婆様が直々に刺繍した物だったようです。あのようにひっそりと縫い付けるのは、やはりそういう伝統だそうで」

「……そっかあ、すっきりしたあ、どうもねアキ」

 白が穏やかに微笑む一方、皓助は難しい表情で板間に上がり胡坐をかいた。


「……結局、あの騒ぎは誰が悪かったんでしょうか」

「益吉の奴が引責して仕舞いにしたけんじょも、強いて言えば、関わった全員が少しづつ足りてねえ部分があったんでねえか?あたしだって、おちよちゃんとアキが強硬突破するより先に、益吉に言える事あったはずだしなあ」

「私も、もう少し良い身の振り方があったのでは、と思うのです」

 仕方無しとは言え子供を一人で置いていった父親、無責任な死亡宣告をした大人、死ぬと思い込み突飛な行動に出た少年、恐れるあまり歪な形で対処しようとした主人、その方針を強く否定できなかった奉公人、勝手に物を持ち出し家を飛び出した娘……。

 誰だって少し気の遣い方や身の振り方が噛み合わなかっただけで、害意や悪意などと言ったものは無かったはずなのである。

「まあ誰某が悪い、よりも、次似た事が起きた時にどうしたらいいか考えてた方がまだ建設的だした、な。……命一つ救えただけでも良しとすんべ、アキはアキなりによくやったよ」

「……そうだと、よいのですが」

 

「そういや、アキはいつまで休みなんだい?」 

「明後日までです」

「そうかあ、正月も終わるしあたしもそろそろ帰っ……あ、あーっ!!」

 突如白が立ち上がり村から持ってきた荷物を漁りだす。暫くして取り出したのはいくつもの頭陀袋だった。

「数が多くて余してたからこっち持ってきたんだけんじょも、あーやだことすっかり忘っちぇたあ!」

 盛大な独り言を言いながら彼女は土間に降り適当な鉢を物色し始める。


 皓助がにじり出て袋を一つ開け逆さにすると、赤い薄皮に包まれた、栗のような形をした一個一寸から二寸程の何かが大量に転がり出た。彼は適当にいくつか取り上げ検閲するかのように眺めてみるが、とんと見当が付かない。

「これは一体?」

「玄爺さんに分けてもらったちゅうりっぷの球根だ、桃色の株らしい」

「これが……しかし、今時期に植えるものなのですか?」

「紅葉の時期から正月頃までに植えれば良い、って言わっちゃから……ぎりぎり平気だろお……多分」

 それを聞き何か言いたげな表情になった皓助に彼女は笑いかける。

「だ、だいじょぶだあ!植物ってのは意外と丈夫にできてっから、なあ!」

「……そうですね」


「……良ければ、その球根、少し分けていただけますか?」

 急な皓助の言葉に白は一瞬目を見張ったがすぐに破顔した。

「おお、好きなだけ持ってけ持ってけ!路地植えでもいいし、鉢に植えて店の軒先にでも置いときゃちょっとした話題にはなんべよ!」

「では、ありがたくいただきます」

 皓助は頭陀袋を一つ取り上げると、天蚕堂に戻る際に忘れず持っていくように自身の手荷物の上に乗せた。その姿を白は不意にぼやっと眺める。

「思いやり、だったかなあ……、そんで桃色は……」

「何の話ですか?」

「あーいや、何でもねえ。ほら、千草君にも持ってっちゃれ!せっかく実物あんなら見せてやりてえしなあ」


 彼女が膨らんだ頭陀袋を更に投げ渡すと、一度にこんなに持てませんよと皓助は薄く笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天蚕堂説話 あんび @ambystoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ