誰も買ってくれません

沢田和早

最後はかならず私が勝つ

 ここに置かれてからずいぶん長い年月が過ぎてしまいました。私は平凡な自動販売機です。売っているのはドリンク類。ああ、アルコールは一切取り扱っていません。お子様からお年寄りまで安心して飲んでいただける清涼飲料水だけを取り扱っています。


「今日もお客様は一人もいらっしゃらなかったか。はあ~」


 真夜中の零時、私はため息をつきました。このボヤキはもう日課になってしまっています。それくらい最近は売り上げゼロの日々が続いているのです。


「賑やかだった昔が懐かしいですね」


 今夜は珍しく愚痴まで出てしまいました。温度センサーが零下の気温を感知しているので人恋しくなったのかもしれません。

 そう、ここに置かれたばかりの私は本当に人気者でした。暑い季節にはスッキリ爽やかな炭酸飲料。寒い季節にはホカホカの生姜湯。季節に関係なく好まれるお茶やコーヒー。売り切れになることはしょっちゅうでした。売り上げがない日など年に数えるくらいしかなかったのです。


「まさかこんな日々がやって来るなんて、あの頃の私には想像もできなかったでしょうね」


 販売不振の切っ掛けとなったのは新発売の清涼飲料水でした。『渇いた細胞に愛のムチ、クールビューティー』というキャッチコピーと趣味の悪い派手なパッケージデザイン。最初に出会った時、なんだかとても嫌な予感がしたのを覚えています。


「これは、売れませんね、きっと」


 私の予想は当たりました。陳列棚中央真ん中の一番目立つ位置に鎮座するクールビューティー。私の体内には十五本がセットされました。その十五本は今もあります。そうです、現在に至るまでまだ一本も売れていないのです。しかも被害はこの飲料だけでなく自動販売機全体に及びました。


「ああ、今日も素通りです」


 クールビューティーが売りだされてから自動販売機の売り上げは激減しまた。缶のデザインから醸し出される禍々しい雰囲気が売られている飲料全てに影響を及ぼし、何度も飲んだことのある馴染みの飲料さえも不味く感じさせてしまうようでした。


「お願いします買ってください。どれもこれもとても美味しいんですよ、クールビューティーは別ですが」


 私は賑やかな音楽と軽やかな宣伝文句を発し続けました。けれどもそれらはプログラムされている曲と言葉に過ぎません。繰り返し聞かされて慣れっこになってしまった方々を振り向かせることはできませんでした。


「こうなったら諸悪の根源であるクールビューティーの早期販売終了を祈るしかありませんね」


 それだけが唯一の解決策に思われました。私はその日が来るのを心待ちにして毎日を過ごしておりました。

 しかし待てど暮らせどクールビューティーに代わる新飲料は発売されません、まるで盗賊団の女親分のごとく特等席にでんと居座り、自動販売機に近づくお客様を威嚇し続けているのです。私の希望は闇に覆われ始めました。同時に私の目は閉ざされ私の目は塞がれました。


「ああ、もう近寄る人さえいないのですね」


 自動販売機には赤外線監視カメラと集音マイクが取り付けられています。しかしそれは人感センサー付きなのです。センサーの感知範囲は極端に狭く、半径三m以内の動体にしか反応しません。反応がなければマイクもカメラも作動しないので私は何も見えず何も聞こえないのです。


「最後に見た光景、あれは確か夏でしたね」


 今でも覚えています。最後にこの自動販売機の前に立った人物、それはお客様ではなく販売会社の補充員でした。


「ちっ、また一缶も売れてないじゃねえか。これじゃ仕事になりゃしねえ」


 流れる汗を拭いながら悪態をつく彼。それもそうでしょう。補充するのが彼の仕事なのに補充すべき缶がないのですから。開けた前面パネルを乱暴に閉めて彼は立ち去りました。それが私の見た最後の光景です。そうです。その日以降、お客様だけでなく補充員さえも来ないのです。


「見捨てられたのか、それとも販売会社が倒産してしまったのか」


 原因を考えても仕方ないとはわかっていても、何も見えず何も聞こえず何もすることのない私の頭はそればかりを考えていました。いっそ誰かに破壊して欲しいと思ったことさえあります。与えらえた役目を果たせずただ電力を消費するだけなら、むしろこの世から消え去ったほうがよほど世の中の役に立っていると言えるでしょう。しかしそれさえも叶わぬ夢でした。釣銭を盗もうとするやからさえも現れないのです。


「結局、負けたのですね、私は」


 自分の生き方を勝ち負けで測るのは愚かな行為かもしれません。けれども今の私は敗者と呼ばれるに相応しい存在です。微かに残っていた希望も今ではすっかり消え去りました。誰も買わない自動販売機、この汚名を返上することなく私は朽ちていくのでしょうね。もう考えるのは止めましょう。クールビューティーとともにやがて来るであろう終焉の時を待つことにいたしましょう。


 * * *


「おい、こいつはまだ稼働しているぞ」


 不意に声が聞こえてきました。集音マイクが音を拾ったのです。私は急いで監視カメラの映像に目をやりました。


「こ、これは!」


 冷却モーターが停止するほどの驚きに襲われました。そこに映っていた二つの生物が人間によく似た人間ではない何かだったから、というのもありますが、それ以上に驚いたのは周囲がすっかり変貌していたからです。道路のアスファルトは剥がれて瓦礫が散乱し、ごみ箱はペチャンコに潰れています。カメラに映し出されているあらゆる建造物、構造物は見るも無残なほどに破壊されているのです。


「このパネルのおかげだな。太陽光を利用して発電する仕組みのようだ。だから電力の供給が止まっても稼働し続けられたんだろう」

「それにしたって百五十年近くも故障せずによく生き続けられたもんだ。確かこの近くにも核爆弾は落とされたはずだが」

「あそこにあったらしいビルが爆風と熱線を防いでくれたんだろう。高等生物は完全に死に絶えたのに彼らが作り出したマシンは生き残っている。この星を支配していた奴らは頭がいいのか馬鹿なのかよくわからんな」

「しかしこの星の言語はどうにも使いづらい。無駄な語句が多くて聞いているとまどろっこしくなる」

「他の星での活動中はその星の言語を用いるという規則だからな。船に戻るまで我慢しろよ」


 驚きの連続でした。誰も来なくなってから百五十年が経過したのはわかっていましたが、まさか人類が滅亡していたとは。おまけに監視カメラに映っているのは他の星から来た宇宙人のようなのです。想定していなかった出来事ばかりで頭がどうにかなってしまいそうです。


「せっかくだから使ってみるか。ここにコインを入れるんだよな」


 投入口へ差し込まれたコインが私の体内を駆け巡ります。百五十年ぶりに味わう感触に私は昇天しそうになるほど感激しました。しかも購入されたのはあのクールビューティーです。これまで一度も売れなかった飲料がついに売れたのです。


「おい、飲むんじゃないだろうな」

「まさか。まずは成分分析だ」


 二人は傍らに置かれていた携帯装置から小さな検査器具のようなものを取り出しました。缶のタブを開けてクールビューティーを一滴、その検査器具の上に落としています。


「どうかマズイなんて言わないでください」


 私はドキドキしながら二人を見ていました。


「おい、凄いぞ。この飲料の液体にはショーガナイビルが含まれている」

「なんだって。あの幻の抗ウイルス剤か」

「ああ。二十年前、理論的に存在が予言されたがその製法がわからず、未だに開発されていない薬品だ。まさかこんな未開の星で発見できるとはな」

「第七星系でまん延しているコロナリアン熱病もこれがあれば収束できるはずだ。この星に来た甲斐があったな」

「他の飲料にも有効な成分が含まれているかもしれない。このマシンもこの星の貴重な遺物だし、俺たちの星に持ち帰ればみんな喜ぶぜ」

「そうだな。ではさっそく」

「わわ!」


 いきなり体が浮きあがったような気がしました。いや、実際に浮いていました。百五十年間据え付けられていたアスファルトの地面が遠ざかっていきます。

 しかし浮いていたのはほんの一瞬でした。気がつけば私は広い室内に立っていたのです。見たことのない装置、明滅する照明、金属か樹脂か判別できない壁と床。その中を地上で見た二人に似た何かがたくさん歩き回っています。きっとここは彼らの宇宙船の中なのでしょう。


「LO缶*&5すき飲+七GハF唇」


 理解不能な言葉が聞こえてきます。これが宇宙人たちの言語なのでしょう。ここでは地上と違って彼ら自身の言葉で喋っているようです。


「!{こ」


 彼らの一人が私に近づくと投入口にコインを入れ始めました。次々にボタンを押していきます。ガシャンガシャンとけたたましい音を立てて取り出し口に落下するドリンクたち。百五十年ぶりの大繁盛です。私の気分はサイコーでした。


「勝った、私は勝ったのですね」


 宇宙船の窓の向こうに茶色く汚れた星が見えます。さようなら私の星。これからは別の星で新しい日々を送ることにいたしましょう。負け続けても最後に栄光をつかみ取った勝ち組の自動販売機として私は生きていくのです。

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