第二十四話 凍結地獄

「うおおおおおおああああああああああっ!?」


「総員退避っ! 一般人を優先して地下へ誘導しろ!! 今すぐだっ!!」


「きゃああああああああああ!」


 城塞の中は阿鼻叫喚の様相を呈している。そこにいる者達は軍民の区別なく、また老若男女の区別なく、等しく混乱と錯乱の渦中に否応なく叩き込まれた。

 彼らが抱えていた荷物、あるいは装備などがぶちまけられ、そこら中に散乱しては逃げ惑う人々に踏み荒らされてゆく。それに足を取られて地面に転がり、別の者達を転ばせたりする光景もあった。身動きが取れず、人混みの圧に潰される者もいた。


「グッ……グアアアアア……!!」


 紺碧龍王ゾル・ドレッグがドルムセイルの城壁に激突し、煙と煤と怒号と悲鳴が空中に渦を巻く。破壊されたのは城塞のほんの一部でしかなかったが、轟音は聞く者の冷静さを奪い、衝撃は感じた者の正気を奪う。そしてこれまで以上に間近に迫った紺碧龍王ゾル・ドレッグの風貌は見る者の恐怖を煽り、その体躯から発せられる強烈な冷気は、そこにいる者達の命を削ろうとしていた。


 そんな光景を眼下に見ながら、黙して紺碧龍王ゾル・ドレッグを睨みつける男がいる。

 彼の名はステルクロウ・アズガドーナ。ドルムセイル城の最上階にある見晴台から一部始終を見守っていた彼は、眼下の城壁に激突して大きな穴を開けた巨大な怪物をいかにして追い払うか、頭を悩ませていた。

 彼の背後には、厳選された兵士達が並んでいる。決死防衛隊とでもいうべき彼らは五十人あまり。


「あ、アズガドーナ大佐っ! このままでは、城が潰されてしまいます! い、一体どう対処すべきでしょうか!? ご指示を下さい!」


「――総員、弓構え! 火矢にて紺碧龍王ゾル・ドレッグを追い払うぞ!」


「りょ、了解っ! 総員、弓構え!」


「連射できるものはどんどん打ち込んでよし! できるだけ頭を狙うんだ!」


「了解っ! 頭部を狙えっ!」


 命令に従い、兵達は各々が背負っていた弓を構え弦を引き絞る。紺碧龍王ゾル・ドレッグの唯一の弱点は火だという事は周知であるため、予め油を染み込ませた布を矢尻に巻きつけ、城壁に据え付けられた松明で各自着火する。瓦礫の中で体勢を崩している紺碧龍王ゾル・ドレッグを見下ろしながら、指揮官の号令を待った。


「――放てぇッ!!」


 短く鋭い叫びと同時に高く掲げていたステルクロウの右手が振り下ろされる。

 限界まで引き絞られた弦がヒュンヒュン音を立て、赤い軌跡を伴った数十本の矢が重力を味方につけて紺碧龍王ゾル・ドレッグに殺到する。


 ――しかし、その矢が届く事はなかった。

 着弾する前に火が消え失せ、矢尻が凍りついたかと思うと、砂糖菓子の如く粉々に砕け散ってしまったのだ。


「――ッ!? たっ、大佐っ、矢が届いておりませんっ!」


「怯むな! 次々に打ち込め! 紺碧龍王ゾル・ドレッグの意識をこちらに向けさせ、下の人々から気を逸らさせよ!」


 その掛け声に後押しされ、防衛隊の総員が次々と火矢を打ち込む。赤く燃え盛った流星群が、青い龍めがけて飛んでゆく様は、普段であれば壮観な絵となっただろう。


「グウウウウウウウウオオオオオオオオオオオオ!!」


 次々と降りかかる火矢を消し飛ばし、紺碧龍王ゾル・ドレッグは頭上を見上げる。火矢を降らせる邪魔な存在の居所を確認すると、それは大きな口を開け、凄まじい冷気の暴風を空に撒き散らした。途上にあったものすべてが凍りつき、粉々に砕け散る。


「まずいっ! 総員散開……いや、もう手遅れかッ……!!」


「――ドムドアルク!!」


 その瞬間、どこからともなく声が響き、次いでステルクロウ率いる防衛隊の前方に光り輝く壁が出現した。それは冷気の息吹を跳ね返し、光の粒となって霧消する。


「ステル、大丈夫ですかっ!? 紺碧龍王ゾル・ドレッグには物理攻撃はほぼ効きません! 火矢は怒りを買うだけで、何もなりませんよ!」


 ディアを抱え、空羅飛足フルクカロスを使って飛んできた涼香がステルクロウの横に着地する。何とか九死に一生を得たステルクロウは、眼下の紺碧龍王ゾル・ドレッグをなおも睨みつけながら、ディアと涼香の助けに謝意を示した。


魂光流殿ドムドアルクがなければ私達も氷漬けにされていたでしょう。感謝します、ディア様」


「いま、そんニャじかんもよゆうもニャい。それよりちからかして。ケン、あそこにいる。ドレッグのちかく、ぜったいいる」


「そういえば、クロノ様が空羅飛足フルクカロスの制御に失敗して城壁に激突すると同時に、あの龍王も突っ込んできたようでしたが……本当に彼は無事なのですか?」


 ステルクロウは言外に『あの状況で五体満足でいられる訳がない』と言っている。


「はっきりと確認した訳ではありません! ですが、黒埜さんに死んで貰っては……とにかくっ、皆さんにお願いがあるのです! 私とディアちゃんで紺碧龍王ゾル・ドレッグの相手を致します! 皆さんは城の中から黒埜さんを探して頂けないでしょうか!?」


「しっ、しかし、まだ下に――」


「下の人達に影響がないように立ち回ります! 私達には考えがあります! だからお願いしますっ! 黒埜さんを探してっ!」


「ぼくからも、おねがい。ケン、まだしんでニャい。ぜったいに」


「――総員、城の中へ! 異界の預言者様の捜索と保護だ!」


「りょ、了解っ! 城の中へ! 崩落した箇所を中心に捜索を行う!」


 ステルクロウの指令一下、防衛隊が全員城内へ踵を返す。涼香とディアの前には、ステルクロウがただ一人残っていた。


「――リョークル様、本当にお二人で大丈夫なのですか」


「ええ、大丈夫よ。ディアちゃんに考えがあるらしいの。私はディアちゃんを全力で護る役を任されたわ」


「……分かりました。お二人に〝プラルカンのお導き〟あれ」


「……ありがとう、ステル! そちらも気をつけて!」


 こうして二人と一匹はそれぞれの役割を果たすべく、散り散りになった。


 □■□■□■□■□■□■□■□■


『ドレッグ、ぼくたちのことば、りかいする。ぼく、ドレッグにこえかける。だけどきっと、ニャにもきいてくれニャい。あれ・・、ほんのう、つよすぎる』


 ディアちゃんから聞いた説明だ。そして、彼女から提案された『紺碧龍王ゾル・ドレッグを説得し私達を囮にして城塞から引き離す』のは、薄氷の上で曲芸をする以上に困難な所業。私が空羅飛足フルクカロスの制御に失敗しても終わりだし、紺碧龍王ゾル・ドレッグに捕まっても終了だ。


「ディアちゃん、本当に、大丈夫かしら……?」


 思わず弱音のような質問が出てしまったけれど、言葉にした直後に後悔した。

 ――大丈夫かどうかなど問題ではない。黒埜さんが無事である事を心から祈りつつ彼の安否を確かめるために紺碧龍王ゾル・ドレッグを城塞から引き離さなければならないのだから。


「ん、だいじょうぶ。ぼくたち、ちからあわせる。きっと、だいじょうぶ」


 ディアちゃんも、きっと半分以上は自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいる。彼女も恐らく不安なのだ。紺碧龍王ゾル・ドレッグに対抗できるのか、私と上手く連携がとれるか、そして……黒埜さんが果たして本当に無事なのか。


「リョーカ、これからドレッグにちかづく。ぼく、きっとさいごぐったりするから、ぼくがあいずしたら、ドレッグからはニャれて」


「分かったわ。ディアちゃん、安心して頂戴」


「ん――オルアルカダ」


 いつぞやも私達の危機を救ってくれた秘能マダス魂怖霊劫オルアルカダ

 使用者に危害を加える物理的や霊的な干渉を一時的に遮断する効果を持っている。この場面でディアちゃんがこの秘能マダスを使うということは、あの冷気は霊的な干渉か。


「リョーカ、ドレッグにもっとちかづいて。このニャかニャら、きっとあんぜん」


 ただし、物理攻撃を遮断するとはいっても、紺碧龍王ゾル・ドレッグの物理力は圧倒的で壊滅的。もしあれ・・が尻尾を振り回してきたりしたら、私が全力で回避する必要がある。

 そこを含めて、私は『任せて頂戴』と返事した。


 □■□■□■□■□■□■□■□■


「ええ、任せて頂戴」


 リョーカが僕達の命運を請け負ってくれた。彼女の力量があれば、不測の事態にも対応してくれるだろう。


 リョーカに抱かれた僕は、瓦礫の中で翼を動かしながら辺りを警戒するドレッグへ慎重に近づく。ケンがどこかに倒れていないか見回す事も忘れない。


「……」


 ドレッグの鋭い視線が僕達に向けられる。だけど、暴れまわりそうな気配はない。翼と尻尾をゆっくりを動かして周囲を警戒している以外、殺気を全く感じないのだ。


「ドレッグ、ぼくのことば、わかるだろ?」


「……」


 返事はない。しかし、瞳に理解の光が宿っている。このまま話を続けよう。穏便にここから離れてくれたら最高なんだけど、きっと素直には聞いてくれないだろう。


「ぼくたちのだいじニャひと、さがしたい。さっききみがとつげきした、あのひと。とても、とてもだいじニャひと。きっと、まだいきている。ぼくたち、あニャたに、きがいくわえニャい。だから――」


「グルアアアアアア!! グアアアアアアア!」


「あっ、危ないっ!!」


 ドレッグがいきなり尻尾を振り回してきた。やっぱり穏便な話し合いは無理かな。リョーカが気配を察知して避けてくれたから僕達は無傷だけど、城壁がまた壊されて何の部屋か分からないが中の調度品が砕け散っている。


「グルルルルルル……オオオオオオオオ……!」


 ドレッグが翼を大きく羽ばたかせ、空中に浮かび上がった。僕達の言葉など聞く耳持たない、とでもいいたいのだろうか……?


「ね、ねえディアちゃん!! 紺碧龍王ゾル・ドレッグが抱えているの、もしかして……!!」


 頭上からリョーカの絶叫が浴びせられて、耳がとても痛い。その言葉を受けて僕が宙に浮かび上がったドレッグの前脚に意識を向ける。確かに何かを抱えている。

 ――人間の足が見える。血も出ていないようだ。五体満足かまでは確認できないが魂波が今も感じられ、乱れてもいない……それに、あの茶色い靴は――


「……ケン!! ドレッグ、そのひと、かえせ!!」


「グルアアアアアアアアアアアアア!! !! !!」


 僕の絶叫に返ってきたのは、凍える息吹。今の僕達には効かないけど、背後にある町は瞬時に凍らされたようだ。生物がいなければいいんだけど、生憎そこに気を割く余裕なんて全然ない。


「グオオオオオアアア!! ウウウウアアアアア!!」


「ディアちゃん! このままでは、黒埜さんが連れ去られて……!」


「わかってる! リョーカ、ドレッグおいかけて!」


「ウオオオオオオ!!」


 ドレッグを追いかけてリョーカの秘能マダスで上空に舞い上がった僕達を、凍える息吹が再び出迎える。リョーカはそれを難なく避けるが、下にある町は次々と凍てついては粉雪のように崩れ去っていった。


 今の僕には、逃げ遅れた人がいないようにと祈る事しかできない。


 そして、ドレッグの攻撃は間断なく続けられる。というより、なりふり構わず首を振り回し、無差別に凍える息吹を撒き散らしているように見えなくもない。

 ――平たくいえば、必死そうに見えるんだ。あの・・ドレッグが。


「ドレッグ! おちつけ! おまえ、ニャぜあばれている! ひっしに、ニャにからにげようとしている!」


「ディアちゃん!? 紺碧龍王ゾル・ドレッグが逃げようとしている、というのは――」


「グゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! !! !! !!」


「ずぼしか。おまえ、むかしとちがう。こんニャたたかい、しニャかった。だれも、おまえにかニャわニャかった。だから、おまえ、にげるひつよう、ニャかった」


「グウウウウウウウウウウ……!!」


 目に見えて悔しがるドレッグ。目の前のドレッグは必死に逃げる隙を探している。少なくとも僕にはそう見えただけの話だけど、どうやら間違ってはいないようだね。


「ニャににおびえているか、わからニャい。でも、そんニャことより、ケンかえせ。ケン、ぼくとリョーカの、だいじニャひと。おまえのえさに、させるもんか!」


「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 ドレッグが再び凍える息吹を吐き出す――いや、これは……!


「リョーカ、よこ!! あれ、おとりだ! しっぽ、よけ……ッ!!」


「きゃああああああああああっ!!」


 しまった、ドレッグがまさか、フェイントを使ってくるなんて……!

 本当にどうしたんだ!? あのドレッグが何故ここまでして……!?


 僕はリョーカと一緒に吹き飛ばされ、原型を留めていない町の中へと墜ちてゆく。僕が張った魂怖霊劫オルアルカダのおかげでダメージは軽減されたけど、もう張り直すだけの力が残っていない。リョーカも足首かどこかを痛めたようだ、苦痛に顔をしかめている。


「ゴオオオオアアアア!! !!」


 ――そして。

 ドレッグはなおも無差別に町を蹂躙しつくし、僕達を含む全員を絶望の沼底に叩き落とした後、ケンを抱えて北へと飛び去ってしまった。

 僕達に残されたのは瓦礫と化した城塞と、彼を救い出せなかった無念だけだった。

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