第二十三話 狂瀾怒濤
「皆さん、慌てずに! 落ち着いて行動すれば大丈夫です!」
それでも、上空に具現化した〝己の死〟が見えてしまっている今、効果は薄い。
「早く逃げろーーー!!」
「こっ、こっちに来ないでー!!」
「やっ、やだああああああああああ!!」
下に広がる光景は狂瀾怒濤の様相を呈していた。落ち着きを取り戻したかに見えた人々は、再び無秩序に逃げ惑い、我先にと城塞へ殺到している。
しかし彼らを責めるのは酷というものだろうと思う。例えば大地震の後に大津波がきたら、誰だってそうなる。逃げなければ確実に死ぬという状況で、落ち着いて行動できる存在などいない。俺だってきっと同じ行動を取るだろう。
「…………」
だが、何か様子がおかしい。もちろん、ドルムセイル城塞の人達ではなく、上空を飛んでいる
〈くっ、
〈ケン、むりしたらだめ! ドレッグのちから、けたちがい! はやく、ちかに!〉
――だが、俺は自分の意識を彼女達に向ける事ができない。俺は上空を舞い飛んで城塞を見下ろしている、
「――何か、胸騒ぎがする……というより、あの龍……何故――」
ドルムセイル城塞の上空を舞う龍王が、それの眼下を右往左往する市民達に危害を加えそうな兆候はない。それ所か、城塞そのものを損壊させる気配すらないのだ。
何かが違う。これは単なる気まぐれの襲撃ではない。ディアや涼香さん達が語ったこの化物の恐ろしさは、こんなものなどでは決してないはずなのに……
「何だ、何を見ている……?」
それはまるで、何かを探しているかのような仕草。攻撃の気配は皆無。
だとすれば、石板に刻まれた『ドルムセイル城塞半壊』はどうやって起こった?
間違いなく『ドルムセイル城塞半壊』は起きる。それは既に確定した事だから。
しかし、俺はそれを『龍王が暴れに暴れた結果』だとばかり思っていた。
――駄目だ、分からない。だが実際問題、俺の上に滞空しているあの巨大な龍は、間違いなく何かを探しているような素振りをしている。長い首をゆっくりと、左右に振りながら……まるで、じっくりと確認しているような――
〈く、黒埜さんっ!! 聞いているのですか!? 今すぐにその物見台から降りて地下へ避難して下さい! 襲われてしまいますっ!〉
〈涼香さん! ふと思ったんですが、あの龍は、この城塞を襲いに――〉
むしろ『何かの網に引っかかった』というような感覚。あるいは『声を聞かれた』とでもいえばいいのか。そんな奇妙な感覚が、俺を襲ったのだ。
「グオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
そして今俺は、
蒼龍の双眼は、間違いなく、俺を、正面から、見ていた。
□■□■□■□■□■□■□■□■
「黒埜さんっ!? 本当に死んでしまいますよ!? 何故逃げないのですかっ!?」
私は絶叫した。でも届く訳がない。上空の
――何故? どうして? 訳が分からない。
黒埜さんは何かを言いかけて途中でやめた。襲いに――何なの!?
こちらに転移してきてから紺碧龍王がやってくるまで二刻限しかないなんて、予め知っていた事なのに。もっと手際の良いやりようもあったはずなのに……!
しかし、今更そんな事を嘆いても何もならない。現に今の私達の目の前には、あの暴虐の権化が羽ばたいているのだから。
それに対処しきれなかったのは、全部私の責任だ!
あらゆる可能性を考えて対応しなければ、何の意味もなかったのだ!
――そんな事は今考える事ではない。どうしたらこの状況で彼を――黒埜さんを、救う事ができるだろう?
彼は
彼もそれに気づいて、言葉を失ったのだろうか。そして今も、恐怖で体が竦んで、動きたくても動けない状態なのだろうか?
この世界を救うという無謀に近い計画の序盤も序盤で私達は失敗してしまうのか。彼を喪ってしまっては、私達もこの世界の人達も、何も救えないじゃない。
『――何でいきなりそんなハードな展開のど真ん中にぶっこむんや――』
茨木の指摘が、今更ながらに突き刺さる。私は初手から間違えてしまったのか?
彼女の言うように、もっと安全な計画を立てるべきだったのだろうか?
私はまた、護りたいと思った人を護れず、自分の目の前で悲嘆と混乱と絶望の渦に飲み込まれながら命の灯火を消してゆく仲間の姿を見せつけられてしまうのか……?
そもそも、何故私は頭を下げてでも茨木の力を借りなかった? 彼女さえいれば、こんな事態にはならずに済んだのではないか? ここまで逼迫した状況になるのだと分かってさえいれば、他にも色々対策は講じられたのではないか?
そんな思いがぐるぐると、まるで万華鏡のように私の心をかき乱す。
私は一番大事な所で、いつも間違えてしまう。今回も、そうなのだろうか……?
今更そんな事を考えた所で、もはや後には戻れない。そんな事は百も承知だ。
それでも『本当に自分の決断は正しかったのだろうか』と思わずにいられない。
私は、私は一体、どうしたら――
黒埜さんを救い出し、城塞を救い出し、私を救い出す妙案はないのか――
〈――カ! リョーカ! きみまで、ニャぜはんのうしニャい! リョーカ!〉
〈ッ!! ごっ、ごめんなさい! ちょっと色々混乱してしまって……!〉
〈いま、ケン、どうニャってるの!? ニャにがおきてるの!? おしえて!〉
〈黒埜さんは……今、
〈ニャんだって……!? リョーカ、いまぼくもいく。ケン、しニャせニャい〉
――ああ、ディアちゃんは、強い。あんな小さな体で、心が強い。
一体どれだけの修羅場をくぐり、何を見てきたらそこまで強くなれるのだろう。
……そうだ。私も呆けている場合ではない。
『〝異界の預言者の守護役〟を新たに申し付ける。預言者殿の安全を確保せよ――』
ガルハルド様から新たに賜ったこの任務、いきなり失敗する訳にはいかない!
――そう、何を弱気になっているのだ。私は――
私は、絶対に、黒埜さんを、守るのだ!
〝紫電の舞鬼〟などという大層な名を戴いた私が、くじける訳にはいかない!
□■□■□■□■□■□■□■□■
――ケン! 僕を拾ってくれた人!
こんな所でむざむざと死なせてたまるものか!
君はこんな所で死ぬべき人ではない! 僕が君を命がけで守ると約束したんだ、僕の許しなくして死ぬなんて許さない!
まだまだ、君には伝えていない事がたくさんある。教えていない事だってある。
全部君に打ち明けられる日がいつなのかは僕にも分からないけど、その時がきたら絶対に全てを話すから。
だから……だから、その時まで君は生きていなければならないんだ!
確かにあのドレッグは強い。僕だって一人ではせいぜい足止めができれば良い所。いや、この姿では足止めにすらならない。鼻息で吹き飛ばされるのがオチだろう。
でも、そんな事はどうでもいい。
僕一人の力ではドレッグに敵うはずもない?
やってみなければ分からないじゃないか!
僕は絶対にもう二度と諦めないと、魂に誓ったんだ。
裏切りなんて、するのもされるのも、もう懲り懲りだ。
僕はかつて、諦めた事で裏切られた。
仲間が僕を裏切ったのではない、僕が仲間を裏切ったのだ。
僕はただ、その報いをこの身に受けただけに過ぎない……!
もう二度と、あんな思いはしたくない……!
もう二度と、あんな思いはさせたくない……!
待っていてくれ、ケン。待っていてくれ、リョーカ!
何としてでも助けに行くから!
絶対に間に合わせるから!!
だから僕を……裏切り者にしないでくれ!
リョーカに力を貸すと約束した僕の言葉を……!
ケンを守ると約束した僕の想いを……!
こんな事で破りたくない……!
これは僕の
――ああ、猫の体がもどかしい。
昔の自分の姿だったら、すぐにでも駆けつけられるのに!
有り余る
君達を絶対に死なせずに済むのに!
だけど、僕には今その力がない。そんなのは百も承知だ。
無いものをねだっても仕方がない。今の僕にできる事をやりきるしかない。
でも――
もし、僕が昔の姿だったら――
――いや。
できるかできないかではない、やるんだ。
やるんだ、ディア!
「まってて、ケン、リョーカ。もうすぐ、ぼくがそこにいくから!」
僕が、絶対に、君達を、守る!
だから、お願い、死なないで!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
今俺は、龍に睨まれた人間のように身動きも取れず固まっている。
比喩表現でも何でもなく、俺を睨むのが龍なのだから間違ってはいない、筈だ……などと、今の状況にはとても相応しくない考えが頭を過ぎってしまっている時点で、きっと俺はもう思考を放棄したのだろう。
しかし今の状況は何なのだろうか。もっとこの状況に恐怖するものと思っていた。もっと体が強張って、精神が乱れて、心臓が跳ね上がって、涙腺が緩んで手が震えて胃が痛くなって歯の根が噛み合わなくなって耳が遠くなって背筋が凍る、そんな事になっていてもおかしくない、というよりそうならない方がおかしい状況の筈なのに、何故俺は今、冷静に目の前の
腰が抜けた訳でもない。足に力が入らない訳でもない。首が動かない訳でもない。なのに俺の目と意識は、この現実から逃げられない。
もしかして、これが『極度の恐怖に身を置かれた人間の反応』だったりするのか。
「……グルルルル……」
そんな事を考えていると、これまでより静かな咆哮をあげながら、
「ケン!!」「黒埜さん!!」
突然俺の背後からディアと涼香さんの叫び声が聞こえたかと思うと、首を掴まれた感覚がして、後ろに力いっぱい引っ張られた。
涼香さんが俺を物見台から無理やり降ろしたのだ。
「ドムドアルク!」
直後、ディアの声が響き渡り、俺の目の前に光り輝く壁が出現した。俺も知らない
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
目の前の龍が激しい雄叫びをあげ、翼をはためかせる。少し上昇したかと思うと、光の壁にそのまま突進してきた。壁は粉々に砕け散ったが、俺自身はかすり傷一つも負っていない。状況から察して、攻撃を防ぐ防護壁のようなものだろうか。
――そもそも、一歩どころか半歩間違えただけで塵芥に消し飛んでもおかしくない存在が俺に向かって突進してきたのに、何故俺は悠長に状況を観察しているのか。
「黒埜さんっ!
えっ、申し訳ないが一体何がどうしてこうなっているのかさっぱりですよ!?
……あれ、何で俺は、声を出せない?
それどころか、いつの間に
「貴方はここにいてはいけません! 紺碧龍王の強大な圧に晒されてしまえば、身も心も凍てついてしまいます! ですから、早く、この場を――!」
「ケン、ドレッグ、ぼくがとめる。だからおねがい、にげ――」
俺のすぐ近くで声を限りに逃げろと言うディアと涼香さんの叫びは、どこか遠くの世界から届く音のように思えた。まるで何かが俺達の間に障壁として存在している、そんな感覚。ありとあらゆる事象から俺だけが隔絶させられたかのような錯覚。
だが、ここにいては俺が死んでしまうだろうというのは理解できる。理解できるがその次の思考に至るまでの感覚が、どうしても鈍くなってしまっている。意識だけがドロドロの水飴のような物体に絡め取られた感覚が俺の全身を包み込む。
……訳が分からない。だが、やらないと死んでしまうなら、やるしかない!
「……」
俺が今やらなければならないのは、前にもやった事の繰り返し。
先ず、
(――
駄目もとで心の中で詠唱した瞬間、俺の足元に白い魔法陣が浮かび上がる。成程、これでもいけるのか。一つ勉強になった。
しかし、問題はここからだ。自分の体を、しかもこんな極限状態で、きちんと操作できるのだろうか……? まあ、やらなければ死んでしまうんだ、四の五の言うな。
「……!!」
――失敗した。バイクでいきなりフルスロットルしたような感じで、俺の体は宙を激しく飛び回る。このままではコントロールなんてできそうにない!
「黒埜さん、危ないっ!! 壁にぶつかるっ!!」
「ケン! おちついて、プリムおさえて!!」
「グッ……グオオオオオオオオオオオオオ!!」
俺の体はまるで出来損ないのブルーインパルスのようにとんでもない軌跡を描く。そしてこのままいけば、間違いなく即死レベルのスピードで城壁に激突するだろう。
「くっ、黒埜さんっ!?」「け、ケン!!」
今度こそ、彼女達の絶叫が俺の背中にぶつけられた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアア!!」
すると突然絶叫のような咆哮をあげ、
――これはもう、終わりだ。
眼前には城壁、背後には
どちらに激突してもされても、俺の体は木っ端微塵だ。
……ああ、こんなにいきなり、こんなにあっけなく、失敗してしまうのか――
――そんな事を考え。
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