第二十二話 龍王襲来

「ぞっ、紺碧龍王ゾル・ドレッグがっ、本当にこの城塞に――!?」


「いっ、いい、一体何が目的でっ……!」


 陪臣達が驚き戸惑い、口々に狼狽を声にしつつ右往左往している。未曾有の事態であるのは間違いないが、それにしても少し慌てすぎじゃないかな……と思う。

 だが、そんな事を考えている俺にも余裕など一切ない。この事が起こるのは知っていたとしても、まさかこんなに早くくるなんて、という思いはある。


「鎮まれい! 報告は分かった。およそで良い、この城塞までどの程度で来るか」


「はっ、推定ではあと二刻限二時間も経たず、城塞上空に現れるかと!」


「やはり早い……! 急ぎ市中へ避難を伝令せよ!」


「は、はっ! 直ちに!」


 命令を受けた報告者は、一礼するのももどかしそうに駆け足で部屋を走り去る。

 その直後侯爵さんから涼香さんへ、対策を進言せよとの言葉が発せられた。


「二百年前の記憶で恐縮なのですけれど、ドルムセイル城塞地下の一般兵宿舎区域が一番安全で広い場所です。その区域を一時避難所として、最小限の人員を残しつつ、全員速やかに避難させましょう」


「そこは今もそなたの記憶通りだ。して、城塞の防衛は如何する?」


「今回私が得た情報によれば、龍王様は城塞の完全な壊滅が目的ではないようです。それであれば、人的被害を最小限に留めるべく動くが上策と思います。壊れた城壁や建物など、人がいれば幾らでも直せますから」


「そ、そんな事ではわた……城塞に住む人々の安全が保たれない! 最大限の人員を防衛に割くべきではないのか!?」


 ヒステリックな声を上げて異を唱えるのは、先程叱責を受けていたゲルメとかいう陪臣の一人だった。言いたい事は分からなくもないけど、〝私〟と言いかけたのは、ちょっと印象が悪いな。そしてそれは彼が仕えるべき上官も同様だったようだ。


「ゲルメ、そなたに即刻退席を申し付ける。己の事しか考えず、緊急事態の最中にも和を乱す陪臣など私には不要だ。城塞の地下へでも逃げるが良い!」


「ど、ドルムセイル大将閣下……い、今のは、言葉のあやで――」


「くどい! 我々の貴重な時間を浪費させるな! 早く立ち去れい!」


 弁明の機会は大喝で吹き飛ばされ、ゲルメと呼ばれた陪臣は憮然と悄然の面持ちで逃げるように消えていった。彼が今この場で役に立ったとすれば、それは他の陪臣に『今異を唱えるのは自殺行為だ』と分からせた事だろう。


 そしてゲルメなる男はきっと〝ドルムセイル侯爵には不要な人物〟として、今後は席を与えられないのかもしれない。俺からしたら厳しすぎる措置だとは思うのだが、これぐらいの指導力とカリスマを持っていないと軍を預かる身として統制が取れないのかもしれないな。


「余計な邪魔が入ったが、続けよう。イルブルギ准将、先程の言に異はないな?」


「はい、閣下。ございません」


「よし、承知した。アズガドーナ大佐、速やかに残す人員の選定を行え」


「はっ、かしこまりました」


 アズガドーナ大佐と呼ばれたステルクロウさんは短く返事して頭を下げる。成程、彼の名前はステルクロウ・アズガドーナか。覚えておこう。その他にも必要な指示を恐るべき手際の良さで出し尽くした侯爵さんだったが、一段落ついた所で脇に置いた剣を鞘ごと持ち上げて、勢い良く床に突き立てる。鞘の先端が強かに打ち付けられる乾いた音が堂内に響き渡ると、場の空気が一段と引き締まった気がした。


「――さて、皆の者。乾坤一擲である」


 厳かに宣しながら、侯爵さんは席を立った。彼の双眼に最早逡巡はない。陪臣達と涼香さんはその場で片膝をついて彼に最敬礼を施す。


「不幸にして異界よりきたる預言者殿の言、その正しさが証明された。かくなる上はイルブルギ准将の進言に従い、最小限の戦力を残して、総員退避行動を開始せよ! この期に及んで、異を唱える者はおるまいな!」


「「「ぎょ、御意!!」」」


 流石は戦いに生きる者達と言うべきだろうか。理解が追いつかなくとも、一体何を優先して行動すべきか身体が知っている。そう思わせる、彼らの機敏な行動だった。それに先程のゲルメ氏の一件が覿面に効いているのかもしれない。いずれにしても、今この場に必要なのは多様性に溢れる議論ではなく、統制の取れた行動なのだ。

 謁見の間から諸人が慌ただしく退出し、残ったのは俺達と侯爵さん、ステルクロウさんの五人に一匹。そこで侯爵さんが涼香さんへ厳かに命令を発した。


「――イルブルギ准将、現刻をもってそなたの〝異転陣監視調整役〟は解任と致す。そして〝異界の預言者の守護役〟を新たに申し付ける。預言者殿の安全を確保せよ」


「かしこまりました、閣下。謹んで拝命致します」


「あと、これはけじめとして申し付けねばならぬ故、今のうちに申し渡しておこう。諸事の対処が済み次第、そなたに預けた部隊の顛末について〝審問の議〟を行うのでその心積もりでおるが良い」


「は、はっ……」


 やはり、城塞を預かるトップとして、そこは避けられない話のようだった。きっと大事にはならないと信じたいが、それこそこれは今考える事じゃない。


「アズガドーナ大佐。クロノ殿とディア殿を賓客として遇せ。委細は一切任せる故、失礼なきように」


 それだけ言って、彼は謁見の間の奥に下がった。

 侯爵さんの言葉を継ぐようにして、ステルクロウさんが深々と一礼する。


「ただ今、閣下より命を受けました。これよりは、この私が皆様を賓客としてご案内申し上げますので、宜しくお願い申し上げます」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 俺達はステルクロウさんの先導で無骨な造りの城塞の通用階段を駆け下りてゆく。一旦避難場所に足を運び、やらなければならない準備を済ませる為だ。


「――地下に空虚解離ボルサンルウムを構築する議につきましては私めの名において了承致します。ですが、当城塞には我が軍の精鋭付与術士が張った、対軍結界があります。貴方様の御心配も解りますが、杞憂には過ぎませんでしょうか」


「ええ、私もそう思いたいのですけれど、それでも黒埜さんは城塞が半壊する程度の損傷を被ると申しました。であれば、備えは二重にも三重にもしなければ」


「成程、仰る通りです。差し出がましい事を申し上げて申し訳ありません」


 ステルクロウさんが先導しつつ、振り向くでもなく、あるいは息を乱すでもなく、後ろを行く俺達に声をかけた。心肺能力がすさまじいな。典礼用で軽装備とはいえ、金属でできた鎧を纏いながら俺達と同等のスピードで駆け下り、更には道中で会話もこなしているのに、息が上がった様子が全く見えない。一体、どういう鍛え方をして来たんだろうか。

 涼香さんも平常時と変わらない口調で言葉を返している。

 俺は、そんな彼らについて行くだけで精一杯。落ち着いたら身体を鍛えよう。


「あと、できれば落ち着いた時に、私と黒埜さんに、ディアちゃんとガルハルド様の四人でもう一度話がしたいわ。取り計らってくれるかしら?」


「了解しました。事がこう運んだ以上、ガルハルド様に拒む理由などありますまい」


「ケン、ちゃんとあしもと、みて。ころんだら、あぶニャい」


 ディアは相変わらず、俺の肩の上。事態が事態だからか、今は『自分で走る』とは言わずに大人しくしてくれている。空気が読める子って良いよね。


「大丈夫だディア。これでも俺は人並みの運動神経でね!」


「ひとニャみか。ちゅうい、おこたるニャ」


 ――ちょっと場を和ませようとしただけなのに。


 そんな事を話しつつも、俺達は目的地に到着した。ここがドルムセイル城塞地下の一般兵宿舎と室内訓練場を兼ね備えた、城内で一番広い空間か。確かに広いな。

 宿舎スペースと合わせれば、六十メートル四方はあるだろうか。

 一般兵達が慌ただしく走り回りながら、訓練場を片付けている。多分侯爵さんが直々に命を下してこの空間の片付けを命じたのだろう。


「じゃあ、早速張らせて貰うわね」


 涼香さんが、結界の展開準備を進める。

 その間、俺達にできる事は何もない。あるとすれば涼香さんの仕事を見守っている事くらいであった。

 しかし、見守っているという実感を得る前に、涼香さんは作業を終えてしまった。


「――お待たせしました。展開完了です」


 いやいや、ちっとも待っていません。


「久方ぶりに見ましたが、相変わらずリョークル様の結界は見事ですね」


 ステルクロウさんがそんな感想を述べているが、お世辞ではないのだろうね。

 彼女はどうやら結界を張るだとか、そっちの方に才能があるようだ。

 俺もこんな風にピシっとした結界を張ってみたいものだ。

 ――解離系の秘能マダスは刻めなかったけど。


「ではステル、できるだけ多くの兵と市民をここまで誘導しましょう」


「はい、私とリョークル様で手分けして。〝プラルカンのお導き〟あれ」


 そう言って、ステルクロウさんも足早に区域を立ち去ってゆく。

 プラルカンのお導き……使い方からして『ご武運を』かしら。

 ま、一刻も早い行動が求められる時だ。軍人というのは頼もしいものだね。


「黒埜さんは私と一緒に来て下さいな。ディアちゃんはこの地下区域で待機を」


「わかった。スポカローカ、まだのこってる?」


〈はい、残っていますよ。今日一日は使える筈です〉


〈ん。ニャにかあったら、こっちでれんらく〉


〈ディアも気をつけてくれよ。何が起きるか予想も付かないからな〉


 時間が惜しい俺達は、二人と一匹で通信魔法を介して、お互いの健闘を祈り合う。その後、涼香さんと俺は二人で慌ただしく地下区域を後にした。

 ディアは区域の端の方で周辺を警戒するらしい。無茶はしないようにね。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「おい、邪魔だ! 早く行け!」


「お前こそ押すなよ! こっちにゃガキだっているんだぞ!?」


「慌てるなー! 周りによく注意して進めー! 大きな荷物は持つなー!」


「早く城の地下に逃げろー!」


「何だって紺碧龍王ゾル・ドレッグがこんな所にまで――!」


「お母さんどこー!? お兄ちゃんー!?」


 城の外、街路には人がごった返している。恐らく兵士達の指示で避難をするように言われたのだろうけど、誰も整理誘導をしていないので動線がめちゃくちゃだ。

 ――いや、しようとはしているのだ。だが皆がパニックになっている状態で、声が彼らの耳に届いていない。


「【闘嵐拡星スピカプレド】! ドルムセイルの皆さん、聞こえますか!」


 そんな中、涼香さんの声が市中に響き渡る。

 闘嵐拡星スピカプレドとは、自分の体で行う拡声器のような秘能マダスだ。

 習得難度は五十人術。ただし自分の声を届かせる範囲を広げる程、命源素プリムの消費が激しくなるという事だった。ちなみに俺は使えない。


 そして彼女の声に反応する形で、浮足立っていた人達の顔が一斉に涼香さんの方へ向けられる。彼女は、物見台の一つに登っていた。


「お城まで落ち着いて避難して下さいっ! 地下に避難所が開放されております! 押しかけず、押しのけず、押しやらずで避難すれば大丈夫です!」


「あれ、リョーちゃん! いつの間に戻ってきたんだっ!?」


「あっ、あれっ、娘がいないわっ!」


「カヌラちゃんならあっちで泣いてたからあたしが連れてきてやったよ!」


「お母さーん!! こわかったよー!」


「慌てなくても時間はまだありますので落ち着いて避難を! 周りに困っている方を見かけたら手を貸してあげて下さい! 繰り返します、落ち着いて――」


「皆、慌てたら駄目だ! とにかく兵士さんの指示に従え!」


「あんた達落ち着きな! 侯爵さんが何とかしてくれるから!」


 涼香さんの声を聞き正気を取り戻す者や彼女に代わって周囲に大声を浴びせる者、更には彼女の姿を認めて懐かしさを感じる者など、皆は様々な反応を示しているが、少なくとも涼香さんの声を聞いた人達は全員等しく混乱から脱し、騒然としながらも秩序を保って行動を開始していた。

 何というか、涼香さんは思っている以上に指導者タイプなのだろうか。少なくとも後方支援役としての資質に溢れている感じはする。こんな状況でアレだけど。


〈リョーカ、こっちに、すこしずつひときてる。そのままで、だいじょうぶ〉


 地下の様子を監視するディアからも報告が入って来た。

 多分だが、ここまでは順調といっていいだろう。

 時間があとどれだけ残されているのかは気がかりだけど、今はとにかく皆を安全な場所まで誘導することに集中し――


「お、おい……! あれを……!!」


「きっ、きたっ!!!」


 今俺は、涼香さんが登っているのとは別の物見台に登り、下の様子を窺っている。城に向かっていた眼下の人達が、その場に立ち止まって上空を指差した。


 ――何という、大きさ。

 ――何という、威容。

 ――何という、異形!!


「「「紺碧龍王ゾル・ドレッグだあああっ!」」」


 大気が震える。大地が震える。視界が震える。意識が震える。

 凄まじいまでの存在感。


〈――何ですの、この痺れるような威圧感はっ……でたらめにも程があるわ!〉


 涼香さんが空を仰ぎ見ながら、呻くように言葉を絞り出す。

 俺も同感だ――と、言いたかったんだけど。


 何も感じられない・・・・・・・・


 一体、どうして。

 俺の身体は何故、こういう威圧感やら何やらを浴びても、何も感じないのだ?


 最初からおかしかったんだ。

 茨木のせいで百年後の地球に飛んだ時もそうだった。

 あの時、茨木が言っていた言葉は今でも覚えている。


『お、おい黒埜! 自分こないな環境で、人間の癖に何平気なツラしとんねん!?』


 その後に涼香さんからあそこで起きていた詳細を聞くにつけ、多分『生物に過酷な環境だった』というのは放射線が暴れ回っていた影響なのだろうと推測できる。

 あの時、俺は特に何も感じる事はなかった。魂鬼人の涼香さんや茨木まできついと言っていたあの環境でも、俺は何ともなかった。


 ただ、これを〝威圧感〟などと同列に語って良いのかどうかは分からない。


 そして今回もそうだった。

 こちらの世界の人々が恐怖に慄き、涼香さんが〝痺れるような威圧感〟と表現した何かを、俺は感じ取る事ができていない。

 確かに姿を見れば恐怖と絶望を具現化した化物である事は嫌でも理解できる。だがそれ以上でもそれ以下でもない。


 何故、俺には、何も、感じられないのだろうか。


 今はまだ、遠い上空を飛ぶ龍。だがそれですら、想像を絶する巨大さだった。

 結界など――否、小さき者が張り巡らせた防御など、紙にも劣るだろう。

 両翼を広げた体長は、目視で五十メートルは下らないように見える。

 体躯は巨大で、後脚はまるで巨木。前脚ですらそこらの丸太以上の太さだ。

 頭頂には二本の長い角。尻尾は十メートル程度だろうか。

 かぎ爪は鋭く禍々しい漆黒で、薙いだだけであらゆる生命の源を断ち切る圧倒的な強さがそこに感じられる。

 流石は、幻想世界でも王者の一角と言われるだけある、圧倒的な暴力の顕現。

 その色は、ラピスラズリを砕いたウルトラマリンの如き鮮やかな深青。


 モルドニアで最強にして最凶の力が一種と言われる特級精霊体、紺碧龍王ゾル・ドレッグ


「――良くこんなのに襲われて、半壊で済んだな・・・・・・・


 俺はそうこぼさざるを得なかった。それ程までに他者とは隔絶した威容。

 余りの巨大さと異様さに、軽口すら叩く事もできない。

 でも、それだけ。何故か何も怖くない。何も不安を感じない。


 むしろ、何だろうか、この感覚は。良く分からない。分からないが……


「グルオオオ……」


 低い咆哮が城壁に反響し、殊更大きな音となって市中を駆け巡る。

 ドルムセイル城、最上階層より高い所で長大な体躯をうねらせている龍。

 龍翼がうねるたび突風が巻き起こり、砂塵が勢い良く吹き上がる。

 遂に、龍王が城塞のすぐ上空まで舞い降りて来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る