第二十一話 総議紛糾
空気は重く、表情は険しい。言葉はなく、あるのは肌を刺すような緊張感だけだ。俺と涼香さん、そしてその涼香さんに抱えられたディアはただ、重厚な机の向こうに肘をつき、眉間に皺を寄せながら押し黙っているドルムセイル侯爵さんの次の反応を待つ事しかできなかった。
しかし、こんな事を言うのは失礼にも程があるのを承知で言わせて貰えれば、今はとにかく時間が惜しい。後二時間強もすれば、暴虐と暴力の化身とも言われている、
「――これは他の者には聞かせられん。ステルクロウも含め、人心が大いに惑うのは甚だまずい。リョークル、私の名において許可する。ここに結界を張れ」
そんな侯爵さんであったが、ついに反応を示す。少しだけ張り詰めた声色で指示を出した侯爵さんに、一礼して涼香さんが応じた。
「承知致しました。それでは早速――」
「ガルハルド様、お話の所大変申し訳ございません。緊急にお耳に入れおくべき――ガルハルド様?」
そんな折、先程自分が出ていった小さな扉(多分従者や側近の詰所に繋がるもの)からステルクロウさんが入って来る。そして、ただならぬ雰囲気を自らの主君に感じ取った彼は腰にかけた剣に手を伸ばすが、それを侯爵さんが手で制した。
「良い。私には何もない。だがステルクロウ……少し隣室に控えておれ」
「は――えっ、しかしガルハルド様」
「外せと申しておる。この者らとそなた抜きで話す必要があるのでな」
「――御意。ですがその前にご報告申し上げなければならない話が二件ございます」
若干の抗議を言葉に含ませながら、ステルクロウさんが報告の許可を乞う。厳しい一瞥をくれた侯爵さんが『簡潔に報告せよ』というと、短く返答してから脇に抱えた石板を取り出し、報告を始めた。
「一つ、ルミナーテ王領の首都ノーメヤ、正体不明の勢力による強襲を受け、壊滅。一つ、北方より当城塞の方角へ向け飛来する巨大な魂波反応あり。等級は少なくとも超特級、移動速度などを併せて判断するに、特級精霊体【
「……何だと。もう一度、ゆっくりと説明せよ。ノーメヤがどうした? 一体何が、
こちらの方へ向かってきていると?」
その報告を受けた侯爵さんは三度――というか何度目なのかもう分からない程――驚きのあまりに声を荒らげてしまった。しかし俺達は半分以上予想できていたので、少なくとも表立って狼狽する者はいなかった。飛来する超特級の精霊体とは、きっと
茨木が言っていた〝あいつら〟がしでかした事である可能性は非常に高いだろう。だが、俺は茨木から聞いたこの話を『誰にも話さない』と約束した。この場で全員に打ち明ければ何らかの対策にはなるかもしれないが……とりあえずは様子を見よう。今はとにかく
そして一通りの報告を受け終えた侯爵さんは、疲れ切った、あるいはうんざりした表情で額を押さえながら、重苦しい声をひねり出した。
「……ステルクロウ、幕僚総議を招集せよ。四十分限で支度するのだ。その間、私はこの者らと話さねばならぬ事がある。準備を整え次第、隣室で待機しておれ」
「御意。では失礼致します」
ステルクロウさんは淀みなく返答し、足音も立てずに部屋を後にした。だがやはりその口調に少しばかりの不満が込められていたように思ったのは、俺だけだろうか。
そしてステルクロウさんが部屋の扉を閉めた瞬間、空気が一変した。というよりは〝裏返った〟。涼香さんが結界を展開したのだろう。驚くべき早さとスムーズさだ。
「さて、もう少しだけ詳しい話を聞かせて頂きたい。そこに掛けるがよい」
応接用の椅子を勧められた俺達は長ソファに腰を降ろす。侯爵さんは俺達の正面に座り、がっしりとした腕を組んで、ゆっくりと、重苦しく言葉を吐き出した。
「では、聞かせて貰おう。この世界が滅ぶという、その詳細を」
「その前に、もう一つ重大なお話がございます。今しがたのステルクロウの報告にもございました特級精霊体の件について。こちらの方が当面、喫緊の案件です」
「……正直な所、もう私の頭はどうにかなってしまいそうだ。世界の滅亡などよりも緊急に対応すべき話などあろうはずが――」
畳み掛けるような涼香さんの言葉に、若干うんざりした渋い顔を見せた侯爵さんは頭を振った。多過ぎる情報量に頭が拒否反応を示しているのかもしれない。気持ちは分かるが取り急ぎ、説明だけは進めなければならない。
「時間もありませんので、手短にご報告申し上げます。本日
「――
淡々とした概要説明を受けた侯爵さんは目を大きく見開き、勢いよく立ち上がる。矢継ぎ早に繰り出される信じ難い、だが聞き流すには深刻過ぎる話。俺が彼の立場であれば、脳が理解を放棄してしまうかもしれない。
「はい。城塞の半壊は免れられません」
「し、しかし何故龍王がこの城塞に――」
「理由までは不明ですけれど、全滅まではさせられません。ですので、城兵や市民の皆さんを避難させる事は可能だと思います」
「……分かった。一旦私は何も口を差し挟まん。リョークルよ、説明を続けてくれ」
「承知致しました。では、こちらの地図をご覧下さい」
ラスパイア周辺地図 (差し替え)
涼香さんは、ヴァロンさんから聞いた歴史と
やはり、この状況でも彼女の表情は涼やかなものだった。恐らくこういった場面を数多く経験しているのだろう、堂々たる物腰だ。
現時点で侯爵さんに説明するのは、
もっとも、今全てを一度に打ち明けられない理由は他にもあったのだけど、それはここで語る事ではなかった。
「う、ううむ……この十日余りで、それだけの出来事が……」
額に手を当て、渋い表情をする侯爵さんの問いに、涼香さんが応じる。
「はい。ガルハルド様にはご心労を更にお掛けする事になるのは承知の上で、敢えて申し上げれば、これらの出来事は端緒に過ぎません。
「す、少し待て。理解が追いつかぬ――否、そんな時間の余裕などなかったのだな。
「御意。一刻も早く対処を取らねばなりません」
「分かった。それで、世界が滅びの時を迎えるというのは――」
――翌年の
「――巨大な隕石が落下して、世界が全て炎に包まれる、か……」
侯爵さんはそういったきり、絶句してしまっている。
そうなるのが当たり前なので、こちらとしては彼の次の言葉を待つしかない。
「――簡潔に問う、リョークル。そなたはその情報を如何にして得たか」
「これらは全て、こちらの黒埜さんからお聞きしました」
ここで、涼香さんが俺に話を振ってきた。俺は軽い会釈を施す。
……打ち合わせ通りだとは言え、こうして作り話をするのは気が引ける。ディアも良い顔はしていなかったが、こうするより他に『俺達が未来からきた』事を隠しつつこの場を切り抜ける術がなかった以上、〝悪意なき方便〟としてディアも目を瞑ってくれたのだった。
「私には、少し先の事が分かる能力があります」
「ふむ?」
「今回の話は、私が涼――リョークルさんにお伝えした事です」
「成程、クロノ殿は異界の預言者と呼ばれておいでであるとの事でしたな」
「――そうですね。これらの詳細についてはまた後日改めて説明させて頂きますが、差し当たっては今日一日を乗り切らなければなりません。龍王の襲撃を、です」
「――承知した。では、この話を改めて幕僚総議にて諮る事としよう。そなたらにも出席して頂いて、直接我が陪臣達に説明されたい。だが、
厳かに言葉を発する侯爵さんの顔に、逡巡や戸惑いといった色はもう見られない。『結界を解け』と、次いで発せられた指示に従って涼香さんが部屋の結界を解くと、気配を察知したステルクロウさんが入室してきた。全て準備は整っているとの事だ。
俺達は侯爵さんに付き従って、幕僚総議という名の騒乱の舞台へ足を運んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
舞台は謁見の間。
侯爵さんは一段高く設えられた壇上の重厚な椅子に座している。侯爵さんの右横に側近であるステルクロウさんが直立しており、非戦闘用の礼装である軽鎧を装着して細い剣を帯剣していた。
ひな壇の下、侯爵さんの真正面に涼香さんが片膝をついて最敬礼の姿勢を保って、その後方に俺達が立っている。そんな構図だった。
侯爵さんの陪臣が、涼香さんと侯爵さんの視線を遮らないようにしながら、整然と雑然の中間で列をなして並び、互いに声を潜めて話をしていた。
そして〝裏〟では、涼香さんから俺に指示が入っていた。
〈賢さん、これより私達は幕僚総議に臨みます。ですが、誰が何処に通じているのか全く分かりませんので、黒埜さんは今回何も話さないでいて下さいな〉
〈分かりました。涼香さんに全てお任せしますよ〉
予め話を合わせて、できる準備を整えた俺達は、謁見会議に臨む。
余談だが、幕僚総議の間は、ドルムセイル侯爵ではなく、ドルムセイル大将として臨席するそうだ。軍務と政務によって役職が変わるのは結構ややこしいな。
「――さて、イルブルギ准将。疲れているとは思うが、今一度この場にて、そなたの持つ情報を皆と共有せよ。その間、何人たりとも口を挟む事はせぬように」
「それでは、閣下のご許可を頂きまして、私、リョークル・グ・イルブルギが皆様へご説明申し上げます」
「イルブルギ准将、先ず問おう。貴官はそも、異界での任務を何故無断で――」
「ゲルメ、私は『何人たりとも口を挟む事はせぬように』と申し付けたはずだ。次に私の言葉を違えたら、退席とする。良いな?」
「――ぐっ……たっ、大変失礼を致しました。平にご容赦を」
涼香さんの流麗な声色を、少し神経に障る感じの甲高い声が遮ろうとして、それが侯爵さんの太い一喝によって押し潰される。ゲルメと呼ばれた陪臣は顔を青くして、そのまま俯いてしまった。
陪臣達が大人しくなった様子を確認した涼香さんは、そのまま先程まで侯爵さんと話していた内容を、謁見の間にいる一同に語り聞かせた。
その内容は、やはり初めて耳にする者達にとっては衝撃的だったようで、表立って涼香さんの言葉を遮ることはないものの、自分の両隣と顔を見合わせながら不安げな表情を隠そうともせず、涼香さんの言葉の意味を飲み込もうとして失敗していた。
陪臣の何人かは既に『ルミナーテ王領の都壊滅』の報に触れているようだ。
『一体この地に何が起きているのか』と小声で独りごちている。
「――以上が、ガルハルド様へご報告致しました案件となります」
涼香さんが語り終えると、一斉に怒号のような詰問が波濤となって押し寄せる。
「い、一体そのような戯言を、どのように信じればよろしいのですかな!?」
「さ、さなり! 暴虐の悪名高き彼の
「かっ、閣下はこのような世迷い言をお信じなさるのか!?」
「何故そのような事を知り得たのか、根拠を示すのだ、イルブルギ殿!」
おお、おお……散々な物言いだね……
もちろん、最初から全てが受け入れられるとは露ほども思っていなかった訳だが、ここまで絵に描いたような拒絶反応を示されると、いっそ清々しくすらある。
だが、先程ゲルメと呼ばれた男が言いかけた『涼香さんが与えられた任務を放棄し城塞まで帰ってきたのは何故か』についてはすっかり放り投げられている。
「鎮まれ! だが、そなた達の言い分も分かる。私も最初は、到底信じられぬ思いであったからな。だが、根拠は示されているのだ。イルブルギ准将」
「はい。では、こちらの方々を紹介させて頂きますわね。こちらの方は
その言葉に追従するように『異界にも預言者が』『まさか、
そして涼香さんは、俺の肩の上にちょこんと座っている白猫ディアに手を伸ばして抱き寄せた。ディアは彼女のしなやかな手で撫でられながら、目を閉じている。
「この白き猫はディアと申します。還らずの森の番人、
「「「「なっ……!?」」」」
「
「それでは、イルブルギ殿の言葉に嘘は――?」
「ん、ニャい。すべて、じじつ。もうかえられニャい」
「ばっ……!」
「――さて、皆の者。事は一刻を争う。この者達の言によれば、間もなく
「――」
事態の深刻さを測りかねているのか、それとも下手な言葉を発して侯爵さんの興を削ぐのを恐れているのだろうか、誰も何も言わない。顔色を見るに両方だろうけど。
互いの顔を横目で見ながら牽制、あるいは譲り合う陪審達を睥睨した侯爵さんは、一つ大きなため息をついて頭を振りながら、言葉を続けた。
「意見の一つも出ぬとはな。では私の考えを述べよう。私としては
「私は異論ございません、閣下」
間を分かたず、涼香さんが決然と呼応する。これはきっと、揺れ戸惑う陪臣達への後押しとなる一石を投じたものだろう。それでも黙して何も言わない彼らだったが、侯爵さんは最早彼らの言葉を待つ事をしなかった。
「異論はないようだな、宜しい。それでは――」
「か、閣下に緊急のご報告を申し上げます!!」
一同を見回し、言葉を継ごうとした侯爵さんを遮って、極度の緊張を纏った絶叫に近い声が謁見の間の扉を蹴破るようにして飛び込んで来た。
俺を含めた全員が、その声の方に視線を飛ばす。恐らく下っ端の衛兵だろう。
そんな衛兵に、陪臣の一人から厳しい叱責の言葉が飛ぶ。
「現在は幕僚総議の最中であるぞ! 控えよ!」
「良い。手短に報告せよ。何事か」
そして、衛兵が息を整えて発した報告。俺達には予想ができていたものだったが、その最悪を極めたものでもあった。
「は、ははっ……! 北方より飛来する巨大な魂波反応について、その軌道と速度を検討した結果当該反応は
「「「ぞっ、
――きたか。
いや、大物感を演出しようとしている訳ではなく、もう色々な感情が吹き飛んで、逆に冷静になってしまっているのが今の俺です。人間は極限の状態に追い込まれたら笑い出すだとか突拍子もない行動をするとか色々言われているけど、俺の場合はただひたすら感情が動かなくなってしまう、らしい。
しかし、思っていたより展開が早い。これでは対策も何もあったもんじゃないな。こうなったらもう出たとこ勝負にいくしかない訳だが……いきなり難題過ぎる。
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