第二十話 隠密会談

 見覚えのある丘の上に降り立った俺達は今、眼下にドルムセイル城塞を見ている。俺の記憶の中にあった〝見渡す限りの樹海〟は、この時点をもって上書きされた。


閉じよ、門フェルム・ラ・ポルデゴン


 涼香さんの言葉に従って、俺は〝現在と繋がった〟門を閉じた。退路はなくなり、俺達は前に進むしか道はない。俺達は正しく〝ルビコン川を渡った〟のだ。


「ウ、せめづらいしろだニャ」


 ディアが俺の右肩の上に上手く飛び移りながら、そんな事を独りごちる。

 流石は戦いが絶えないとかいっていた世界を生き抜いて来た子だな。先ず見る所がそこなのかと思わされたよ。攻めるも何もない筈なんだけどね。


「さて、それじゃあウチは予定通りここでお別れや。後は伊吹とディアちゃんに全部任せる。ウチもなるだけ早くに戻ってくるから、その間頼むで」


 腕を上にぐいっと伸ばし、屈伸をするなどして身体をほぐしながら、小さな荷物を背負った茨木が涼香さんとディアに後を託す。


「もんだいニャい。ハルカこそ、ちゃんと、かえってこい。よりみち、げんきん」


「茨木、ここに至っては最早何も申し上げません。何かルミナーテで起きているのは間違いないのでしょうが、どうか無茶だけはしないで、ちゃんと戻ってきてね」


「わあっとるわい。ガキの使いにいくんとちゃうんや。心配せんでもええ。ほなら、またな。そっちこそ紺碧龍王との戦いで死ぬなや」


 そういって彼女は地面を強く蹴り上げてジャンプしたかと思うと、一陣の黒い風のように颯爽と東の空へ飛び去っていった。この期に及んでも騒がしい人だ。


「さて、それでは改めまして……黒埜さん、ディアちゃん。城塞西門に着いたら先ず私が門番兵と話をしますので、話がつくまでの間は私にお任せを――」


 気を取り直し、俺は肩の上の白猫とともにドルムセイル城塞における振る舞い方のレクチャーを彼女から受ける事になった。


 □■□■□■□■□■□■□■□■


 今俺は、目の前にそびえるドルムセイル城塞を見上げている。

 城壁の高さは二十五メートル程度だろうか。一定間隔で狭間や監視塔が設けられ、上は鼠返しのような構造になっている。この辺も世界が違えど考える事は一緒だな。

 城壁で囲われた内部の面積がどれくらいなのか分からないけど、少なくとも城壁は横に二キロメートル程度はありそうだ。見える範囲で判断すると、多分円筒の形に組み上げられている。

 城壁の向こう側には、そこまで高くはないものの質実剛健という言葉が良く似合う城が見える。こうやって見ると、大きな城だったんだなあ……


 それと同時に、これだけの大きさや高さを誇る城塞を、最上部の中央尖塔を残して全て土砂の中に埋めてしまう〝隕石衝突後の土砂降り〟がいかに桁外れだったのか。そこに思いを致すと悪寒が背筋を駆け上がってゆくのが感じられてしまう。


〈黒埜さん、どうですか? 大きな城塞でしょう?〉


〈え、ええ……これだけ大きい城塞は……地元の城もかくやか……〉


 先程繋げた闘嵐星波スポカローカを通じて、涼香さんが少し誇らしげに話しかけてくる。嘘偽りなく俺はこんな巨大で〝現役の〟城塞を見た事がないので、素直にそう伝えた。

 ディアは〝攻めづらい〟といっていたが、戦争を経験していない素人の俺が見てもこの城は攻め落とすのに骨が折れるだろうなという印象がある。


 俺が住んでいた大阪には日本でも最上級の知名度を誇る城跡がある。大坂冬の陣でかなり外堀を埋められてしまったが、それ以前はとてつもない広さを誇る、豊臣家の大要塞だった。感覚的にはあの城と似たような大きさだとは思うけど、実際に比較をする事は不可能なので、詳しい所までは分からない。


「――止まれ。通行許可紋はあるか」


 城塞の衛門の前まで歩いた俺達は、当然そこで尋問を受けることになる。予定通り後は涼香さんにお任せしておこう。


「いいえ、許可紋はございません。それより、この城塞は現在もドルムセイル侯爵の統治する所でお間違いございません?」


「な、何だ貴方は急に。たっ、確かにここはドルムセイル侯爵の城塞だ」


「そう、ありがとう。ではガルハルド・グ・ドルムセイル侯爵へお取り次ぎ下さい。異界派遣監視部隊指揮官、並びに空異転陣ケラスの監視調整役を拝命し、任務遂行中であるリョークル・グ・イルブルギが緊急報告を携え、任務を途中で切り上げ帰還したと。私の横におりますこの方々と、国家の命運を左右する重大なお話がございますので、何卒入城、拝謁の許可を頂きたいと、お伝え下さるかしら?」


「け、空異転ケラ――!? そ、それにイルブルギ……! しょ、承知した。少しそこで待っていなさい」


 涼香さんの物言いは本当に全く淀みがないね。それに衛兵さんが『イルブルギ』の名前を聞いた途端に突然浮足立ったけど、涼香さんはこの世界ではちょっとした名前なのだろうか? 真偽の程は分からないが、引き続きここは涼香さんに一切を任せることにしよう。


 とその時、肩に乗っていたディアが『いたい』と口にした。何があったんだろう?


〈ニャ。ここのえいもん、カルノアルノスへた。ちょっといたい〉


〈ん? ディア、どうした。大丈夫か?〉


 ディアがまた新たな単語を使って来たが、話を聞くとどうやらスキャンだな。

 涼香さんは苦笑いしつつ『今日の当番は新兵だったみたいね』と言っているので、秘能マダスの一種なのだろう。

 秘能マダスの名前は【空捕魂波カルノアルノス】というらしい。

 そしてついでに、アルノなるものについてもご説明を頂いた。


〈【魂波アルノ】は、魂を持つ者ならばあらゆる生命体が発している、地球でいうと電波のような感じのものです。異なる魂波アルノが同じ波長や波形になることはほぼありません。簡単にいうなら、指紋や声紋のようなものと思って差し支えないでしょう〉


 とは、衛兵の問い合わせ待ちをしている涼香さんの御言葉。

 そんな学びを得ている所へ、衛兵が慌ただしく戻って来た。先程の〝スキャン〟と合わせ、涼香さんが本物だと分かったのだろう、衛兵がカチコチになっている。


「――た、大変お待たせ致しましたイルブルギ准将閣下・・・・。城主ドルムセイル侯爵が、すぐにでも話をお伺いしたいとの仰せです。ただ念の為に武具装具などはこちらにて預からせて頂きますが、何卒ご了承の程、お願い申し上げます」


 と、先程の気だるそうな態度と一変して、下にも置かない応対だ。

 それにしても准将閣下て。やっぱり涼香さんはここでは名の知れたお人なのかも。准将といえば将官の中で一番下の階級だけど、将官である事に変わりはない。彼女は一軍を指揮する立場と権限を有しているお人だった。本当にお強い。


「ニャ……! それ、ぼくのたべもの……! もっていったらダメ!」


 荷物を預ける際、スーツケースを含めて一旦全て衛兵に預ける事になった訳だが、その中に詰め込んであった(そして荷物が重くなった主な原因でもある)サバ缶は、『中身が分からず得体が知れない』という理由で特に念入りに調べられた挙げ句に、城塞滞在中は返して貰えないという話に発展してしまった。それに激しく抗議の声をあげるディアだったが、涼香さんに取りなされ、彼女は一旦大人しくなった。

 ――しかしディア、本当にサバ缶が気に入っちゃったんだな。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ガルハルド様、ご無沙汰しております」


 俺達は城塞の一室に案内された。部屋の正面奥、そこにある重厚な木製の机の奥に座す人物へ、涼香さんが恭しい一礼を施す。

 見た目は壮年で、立派な口ひげと顎ひげを蓄えている。威風堂々とした佇まいと、温厚さを窺わせる顔つきが特徴的な方だ。

 そんな彼の横に、ほっそりとした体躯の若い男性が直立不動の姿勢で立っている。神経の細かそうな顔立ちをしているものの、無能や愚鈍などとは程遠い印象を与える精悍な雰囲気。額には小さめの黒い角が見え、そこは茨木と印象が少し似ていた。

 執務机の奥に座る人物こそが、涼香さんの上官たるガルハルド・グ・ドルムセイル侯爵その人だった。射抜くような怖さはないものの、威厳は確かに感じられるね。


「楽にせよ。リョークル、息災であったか。しかし、何やら雰囲気が変わったな?」


「閣下もお変わりなく。私の方は、地球での暮らしに慣れ過ぎてしまった影響かと」


 そういえば、今の涼香さんは地球に行ってから千二百年くらい経っている計算だが侯爵さんの方から見れば涼香さんはまだ二百年程しか経っていない計算だった筈だ。互いの認識に千年の開きがあり、雰囲気が変わって見えるのは仕方のない事か。


「ふむ、そうか。それにしても、国家の命運を左右する重大な話とは、穏やかでない物言いだ。任務に忠実なるそなたが途上でこれを切り上げて帰ってくるなど、余程の事情なのであろう……だがしかし、その前に」


 そこで一旦言葉を切った侯爵さん。眼光は元々鋭いものを持っている人ではある。しかし今は、それが更に鋭さと厳しさを増している……気がする。

 これは――きっと、涼香さんが予想していた〝あの件〟を問いただされるのか――


「そなたに聞くべき議は三点ある。一つに、この城塞とそなたが駐留していた拠点を繋ぐ空異転陣ケラスを用いず、如何にしてこれへ戻り得たか。今一つは……そなたが率いる部隊は何故そなたと共に行動していないのか。最後に、その者らは何者なのか」


「その疑問は至極当然なものと思います。簡潔にお答え申し上げます非礼を、どうかご容赦頂ければ幸いです」


 侯爵さんが投げかけてきたのは、やはり俺達がこの時代に転移する前に涼香さんが立てていた予想と異ならない疑念だった。涼香さんは胸に手を軽く添え、落ち着いた声で一つずつ簡単に、しかし丁寧に答えてゆく。


「事情を円滑にご理解頂くためにも、先ずはこちらのお二方をガルハルド様にご紹介申し上げたいと存じます。こちらの普能人フールの男性が黒埜 賢くろの・けん様。〝異界の預言者〟とお呼びして差し支えない御方です」


 〝異界の預言者〟という呼び名で通すという案は、涼香さんから出たものだった。何でもこの世界の人(鬼)達は、そういった御大層な二つ名を持つ者に弱いんだと。俺としては厨二心をくすぐられるというか、面映ゆい感じでしかないが、それだけで対応や反応が変わってくると聞けば、受け入れざるを得ない。事実、話を聞いていた侯爵さんも『ほう、異界にも預言者が』と、顎髭をなぞりながら頷いている。


「――そしてこちらの白猫ですが……」


「猫――が、如何したと申すのか?」


「彼女は風妖人エールの転生体です」


「なっ……!? エ、エール!? 還らずの森を統べる――!?」


「ニャ。エール、まちがいニャい」


 ディアの言葉を受け、落ち着いた物腰で話を聞いていた侯爵さんががっしりとした身を乗り出しかけながら驚きに眉を持ち上げている。だが俺がすごいなと思ったのは横に直立している副官だった。何を聞いてもその姿勢を一切崩さず、表情すら変えず状況を見守り、あるいは上官の安全を最優先しているかのような佇まいだ。


「で、では……これからそなたが話す内容に偽りなど――」


「そのとおり。これからつたえるはニャし、ぜんぶじじつ」


「な、なんと――い、いや。承知した。リョークルよ、続けるがよい」


 風妖人エールという種族が嘘を見抜く力を持ち、そして一切の嘘をつかないというのは、俺も今まで一緒に生活してきた中で散々思い知らされてきた事だった。そしてそれはこの時代、この世界に生きる者達の間でも当然の事実……つまり、これから話す事が嘘か真かなどを論じる手間がなくなる、という事だ。


「御意。では次に――」


「大事な話の腰を折って大変恐縮なのですが、ガルハルド様。諜報部から緊急連絡が入って参りました。色々と奇妙な情報が舞い込んできている様子で、私が直接確認を行わなければなりません。この場の安全は一旦リョークル様にお願いした上で、少し席を外しても構いませんでしょうか」


 涼香さんが口を開き、話を進めようとしたその時。侯爵さんの横でこれまで沈黙を保っていた副官の男が丁寧な言葉遣いで上官に許可を求めてきた。


「……うむ。ここはリョークルに一任し、ステルクロウは速やかに状況確認を行え」


 そう言って侯爵さんはヒラヒラと手を振り、横にいる若い副官を一瞥して告げる。ステルクロウさんというのか、覚えておこう。そしてその彼は無言で一礼し、自分の背後にあった小さな扉から部屋を退出していった。


「さて、遮って済まなかったな。では続きを」


「承知致しました。それでは……私がガルハルド様よりお預かりした部隊について、監視対象であったルミナーテ王領の派遣部隊より強襲を受け、私を除いて全滅――」


「全滅だとっ!? そなたのような将に率いられた、我が城塞でも屈指の精鋭部隊が、よもや全滅などと……」


「ガルハルド様より拝命しました部隊長としての職責を全うし得なかった事につき、慙愧の念に堪えません。本件については改めて、如何なる処罰をも受ける所存です。ですが、その前に話を進めさせて頂きたく。よろしいでしょうか?」


 正直な所、俺が直接その場面を見てきた訳ではないので、真偽の程は分からない。だがディアが何も異を唱えていないという事だけで、それが嘘ではない事だけは俺も理解できる。しかしそれがどれだけ涼香さんの心に重くのしかかっているのかは……俺ごときでは何も推し量れなかった。


 侯爵さんの無言の了承を受け、涼香さんは説明を続けた。襲撃してきた相手部隊は逃走した一人(茨木の事だ)を除いて撃滅した事。その状態で空異転陣ケラスを展開すると不測の事態を招く可能性が高かったため断念せざるを得なかった事。更にそのままの状態では撤収もできないので、他の手段を用いて帰還を果たした事。


「と言う事は、空異転陣ケラスを使える者が他にもいたという事になるが……一体そなたは如何にしてそのような人員を確保した? よもや現地の普能人フール空異転陣ケラスなどという高等術式を操れたという話ではあるまい?」


「実はその〝よもや〟という幸運に、私は恵まれました。空異転陣ケラスを習得し得たのがこちらにいらっしゃる黒埜様――異界の預言者様です。そして私が座標をお伝えした上で、一緒にご足労頂いた次第です」


「――ふむ。俄には信じ難い話だが……風妖人エールの転生体たるディア殿が異を唱えぬとなれば、真実なのであろう……しかし、そなたが直近でもたらしてきた話によると、その世界に住む普能人フールはおよそ秘能マダスを操る素養が欠落しているとの事だったが」


「極まれに、素養を持つ者も存在しておりました。その事実をご報告申し上げるには通信手段が途絶しており、情報の更新ができなかった次第です」


「なるほど……クロノ殿、リョークルの言に相違はないのですな?」


 おっと、俺に水が向けられてきた。これはきっと『俺の口から直接肯定させる事に意味がある類の質問』だろう。となれば、下手な小細工は逆効果だ。


「はい、仰る通りです。私は涼……リョークルさんと力を合わせ、この世界を救うと約束致しました。その過程で空異転陣ケラスを習得し、ここまで来た事も事実です」


「この世界を――救う? 国家の命運を左右する重大事とは聞いたが、よもや世界を救うとは、ますます穏やかならぬ物言いをなさりますな」


「ガルハルド様、どうかご傾聴頂きたく。私はこの御方よりこの世界が五月限五ヶ月の後に滅びを迎えるという話を聞きました。これは我が国のみならず、世界全体にとっても喫緊の重大事であると判断し、報告に参上した次第です」


「なっ……何だとっ……!?」


 涼香さんが淡々と事実のみを報告する。その瞬間、椅子に腰を下ろし、泰然とした居住まいで話を聞いていた侯爵さんが飛び上がった。その顔には理解の範疇を超えた何かを聞かされた者特有の、狼狽と困惑と焦慮の三重奏に彩られた表情が浮かぶ。


「…………っ」


 そして、ややしばらく続いた沈黙の末に再び口を開いたのは侯爵さん。その口調は重苦しく、眉間は狭く、表情は暗い。


「でぃ、ディア殿、念のために問わせて頂きたい。リョークルの言に偽りは――」


「ニャい。はニャし、ぜんぶじじつ。ウソ、どこにもニャい」


「……そ、そうなると……この世界があと五月限五ヶ月で滅ぶというのは――」


「ん。じじつ。もう、かえること、できニャい」


「……な、何と言う――」


 城塞の一室、ドルムセイル侯爵の執務室は、その言葉を最後に重苦しい沈黙の帳が下ろされたのだった。

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