第二十五話 悄然後祭
私は傷めた右足を引きずり、ディアちゃんを抱えて医務班の所に向かった。どんな道を歩いたのか、全く覚えていない。ディアちゃんも
――違う。単なる身体の疲れや怪我の痛みなら、ここまではならなかった……私もディアちゃんも、きっとそうなのだ。
私達の計画は、初日で頓挫した。あれだけ必ず護り通すと啖呵を切った黒埜さんをむざむざと連れ去らせてしまった。その落胆と悲嘆が、今のディアちゃんや私の心に振り払えない暗闇をもたらしている。
同時に、不甲斐ない自分達への怒りが、まるで釜の底にこびりついた黒炭のように魂を蝕んでいる。
何度でも言おう――私は、失敗したのだ。
ガルハルド様から賜った新たな役目も、いきなり果たせなかった。どの面を下げて報告に上がれば良いのか、今の私には分からない。分かりたくもない。
医務室に到着した私は、ディアちゃんを病床に横たえ、自分もそのまま崩折れた。何故か涙は出ない。医務班の人達が私に何かを語りかけ、右足の様子を調べて膏薬と包帯を巻いてくれてはいるが、正直痛みすら感じていなかった。
私は一体これから、どうすれば――
黒埜さんが
私は――どうしたら良いの。
誰か、教えて。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
約束したんだ。必ずケンを守り抜くって。どんな事が起きようと、僕が彼の安全を絶対に破らせないって。絶対に死なせないって。
けどその誓いはあえなく引き裂かれた。文字通り理不尽極まりない暴虐の権化に。
悪いのは僕達だ。僕達が、無策のままあれとの邂逅に臨んだのが原因だ。
時間が足りなかっただとか、まさか
――いや、待て。
酷冷山脈の奥に棲まうあの化物の事で、鍵になる習性を思い出した。
もし僕の記憶と経験に間違いがなければ、ケンは
そうだ、まだ死んだと決まった訳ではない。僕達はケンの死体をまだ見ていない。諦めてしまうにはまだまだできる事がある。
さあ、考えろ、僕。最短最速で、ケンの探索と救出に向かえる、その妙案を――
――諦めるのは、まだ早いぞ?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
医務室で応急処置を受けた私は、そのまま病床に横たわって呆然としていた。今も頭の中の整理がついていない。泣きたくても泣けないもどかしさにすら腹が立つ。
〈リョーカ、きこえるか。つニャがっているか〉
〈でぃ、ディアちゃん。体の方は大丈夫ですか? 無理はしないで――〉
〈そんニャこと、いっているよゆう、ニャい。ぼくたち、ケンさがしにいく〉
〈え……それは一体、どういう――〉
〈おもいだした。ドレッグのしゅうせい。ケン、いきている、かのうせいある〉
黒埜さんが生きている可能性がある……? それが事実なら確かにこんな所で油を売っている訳にはいかないけれど……!
〈お願い、何を思い出したのか聞かせてくれるかしら? 黒埜さんの生死に関わる、
〈ん。ドレッグ、ごはん、もちかえらニャい。いつも、そのばで、あるだけたべる〉
〈そ、それは……つまり、
〈ん、そう。だから、いきている、かのうせいある〉
その言葉は私にとって救いの福音だった。光が一切差さない暗闇の中に突如現れた一条の光明。あるいは地獄に垂らされた一本の糸。縋るには頼りない希望だけれど、今の私にはそれだけで十分だった。
〈それなら、早く助けにゆかなければ……! でもどうやって酷冷山脈まで――〉
〈いま、かんがえてる。ニャんとかして、すぐにむかえるほうほう、ニャいかニャ〉
〈……ガルハルド様に聞いてみましょう。何か知恵をお貸し下さるかもしれません〉
〈ん。でもリョーカ、そのあしニャおして。それでニャいと、うごけニャい〉
〈……完全に痛みが取れるまでには十日程かかるそうです。けれど大丈夫。私は元々痛みには強いので――〉
〈ダメ。ドレッグともしニャにかあったら、にげられニャい。だから、ニャおして〉
ディアちゃんにきつく言われた。でもその気持ちも言葉の意味も良く分かる。私の体が万全じゃなければ、私もディアちゃんも、何より黒埜さんも危ないのだ。だからディアちゃんの叱責に、私は何も言い返す事ができない。
〈……やっぱり、私は本当にここぞと言う時に、ダメなんです〉
〈よけいニャこと、かんがえるニャ。とにかく、あしニャおすんだ〉
ディアちゃんからもたらされた希望の光。それを追いかけるには、私という存在は足かせにしかなっていない。私は無言で頷いてはみせたけれど、正直言って今だけはこの足が恨めしい。
本当に、私は一体何をしているのだ。
皆の足しか引っ張っていないではないか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私の城塞が酷い目に遭ってしまったが、リョークルの言う通り、それは人が無事でありさえすれば何度でも復興ができる。その意味でリョークルと異界の預言者殿には本当に感謝しなければならないだろう。ディア殿も彼女らの言を支える立場として、貢献を果たしてくれていた。そのお陰をもって、人的被害は奇跡的に極少数だった。
しかし……
その〝極少数〟の中に、我々にとっての最重要人物が含まれているとは。
異界の預言者殿が
リョークルも責任を感じているであろう。ステルクロウもだ。我々は全員、彼への恩義と責任を感じている。
だがあの
何とかして彼女達を慰められないものか……
「ガルハルド様、今よろしいでしょうか」
「うむ、入れ」
城の上層部は半壊し、私の執務室も謁見の間も見事に崩壊してしまった。今私は、城塞地下の下士官兵用宿舎に仮の部屋を用意して貰っている。その扉がノックされ、私の返答と同時に副官のステルクロウが入ってきた。
「失礼致します。現在の状況ですが――」
彼も決死の防衛隊を率いて心身ともに疲労困憊であるはずなのに、私の副官として被害状況を事細かに報告してくれている。諸々落ち着いたら、この男にも何かの形で報いてやらねばなるまい。
報告の中で民間人への被害は微々たるものだったのがせめてもの慰めだ。その他、城壁や家屋などの損壊状況が分かっている限りで詳細に報告される。
「我が隊に所属する者の被害状況については――」
リョークルが右足に重度の捻挫を負った他、【
――そう言えば。
リョークルが上級士官学校で訓練に励んでいた頃、確か【
一応頭の隅に入れておくか……
しかし、本当に頭が痛い。相手が
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
赤い太陽が中空を過ぎ、地平線に向けて傾き始めた頃、眼下に広がる深緑の森林の遥か上空を飛ぶものがあった。
それは途方もなく巨大であり、途轍もなく凶悪で、比類なき力を誇る、この世界を統べるとまで言われる君臨者。両翼をはためかせる度に強烈な冷気が辺りを凍らせ、息を吐く度に純白の結晶が嵐に舞う。鱗は蒼く、尻尾は長く、爪は鋭い。角は尖り、瞳は輝き、翼は強い。
運ばれているのは一人の男。意識はないが命に別状もない。本来なら強烈な冷気で瞬く間に氷の彫像と成り果てるはずの男は、しかし体温を失う事もなく、蒼龍の掌の中でずっと夢を見ているようだった。
――モルドニア伝話に曰く。
そんな
そんな存在が、一体何を目的としてドルムセイル城塞まで赴いたのか――
――この時はまだ、誰も知らない。
第一章 ―了―
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます