第十八話 転移前夜

 更に時は過ぎて遠雷月十七日。遂に過去への転移を明日に控えて、俺達は現地での行動計画について最終確認を行った。


 今や俺達の会議室となった編纂室で俺とディア、涼香さんと茨木の四人が鳩首して地図を睨みながら話し合っている。涼香さんが主に確認進行を取りながら話を進め、俺は大事な事や気づいた事などをノートに記し、彼女達の言葉に耳を傾けていた。


 転移先の日付は遠雷月十八日の上刻十一限午前十一時、場所はドルムセイル城塞近郊。

 同日下刻一限午後一時、城塞に特級精霊体、紺碧龍王ゾル・ドレッグという強大な化物が襲来して、城塞を半壊に追い込む。この時消息不明者が数千名余発生するという事が、保管されていた刻識石板ボルデアルカブに刻まれている。

 更に遠雷月二十七日の下刻十限午後十時半を過ぎた頃、ドルムセイル城塞の北に遠く離れた距離にあるボルダ・テンの街が大規模な崩落事故と大火災に見舞われる。原因は一切不明で、こちらの被災者も数千名規模で発生する見込みだ。ボルダ・テンの街の治安維持活動はドルムセイル城塞の管轄なのでこの対処も考えなければならないそうだ。

 その後遠雷月三十日上刻十限午前十時頃、ドルムセイル城塞にルミナーテ方面からの難民が殺到して、ドルムセイル城塞はこの難民を受け入れる、との事だ。難民発生の経緯は現時点では不明で、これを調べる方法がない。ただ、茨木は事情を知っているような気配があるのだが、彼女が何も語ってくれない以上、お手上げであった。


 変転十一月に入ってからも息をつく暇もない程の展開ではあるのだが、俺達は遠雷月に発生する出来事に――紺碧龍王ゾル・ドレッグへの対処に――先ず集中したいというのが涼香さんの提案であり、これには誰も異論を差し挟まなかった。


 その上で俺達はどう動くのか、が今日の本題であった。


「先ず、茨木は転移後にそのまま現地で離脱、ルミナーテの状況確認に向かいます。幾つか懸念点はございますが……」


 茨木が主張するには、彼女はルミナーテ王領の軍人であって、ドルムセイル城塞に足を踏み入れれば良くて捕縛投獄、下手をすれば直ちに即刻処分の可能性もあると。涼香さんが口添えをしても聞き入れられない可能性はそれなりに高いので、それなら先にルミナーテ方面の視察に向かった方が良いという話だった。


「その話には基本的に異存ありません。懸念点と言っても互いの連絡をどうするか、不測の事態の際はどう行動するのか、段取りしておくといった所かしら。個人的には紺碧龍王ゾル・ドレッグに対処するために茨木の力も借りたい所なのだけれど……」


「そりゃ無理や、時間がなさすぎる。ウチらが現地に着いてから紺碧龍王ゾル・ドレッグが来るまでたかだか二時間しかないんやろ。自分トコの大将に状況説明して迎撃準備までして、住民どもを避難させて……どこにウチの説明するヒマあんねん。しやから諦めや」


「ええ、そこはもう私達で何とかするしかないわね」


 茨木は遅くとも遠雷月一杯までには戻ると約束していたが、その際の連絡についてどうするのか、と言った所で俺が手を挙げる。


「それなら、こうしてはどうでしょう?」


 茨木が言った懸念点については宿題になっていたので、何日かかけて考えた事だ。といってもやる事は至ってシンプルなんだけど。


 茨木と別れてから紺碧龍王ゾル・ドレッグの対処を行った後、城塞の主――涼香さんの上官――のドルムセイル侯爵に茨木の話を通した上で、滞在の特別許可を貰う。その後三十日にやってくる予定の難民を率いて、ドルムセイル城塞に入城する……という段取りだ。


「ん、それがいちばん、しぜん。きっと、もんだいおきニャい」


「……ふむ、まぁどうなるかは分かれへんけどもやな、頭には入れとくわ」


「ねえ茨木、前から聞こうと思っていたのだけれど、貴方はやっぱり、ルミナーテで何が起きるのか、知っているのではなくて?」


「……何も知らんで、と言いたいトコやけどな、ディアちゃんがおる以上ごまかしも効かんやろ。まぁ、知っとるけどこれはウチの問題や。自分らに言うつもりはない」


「本当に大丈夫なんでしょうね? ルミナーテから難民がくるなんて、余程の――」


「大丈夫や。土台、ルミナーテの方から襲撃があったって歴史はなかったんやろが? しやったら自分とこの国は大丈夫や、後はウチに任せえ」


「――お願いだから無茶だけはしないでね」


 なおも言い募る涼香さんの言葉を、ヒラヒラと左手を振っていなす茨木。その件はそこまでで一段落つけ、俺達は紺碧龍王ゾル・ドレッグへの対処や城塞への説明の段取りなど、転移直後の動きについて詳細を煮詰めていった。


 しかし、今から本当に先が思いやられる状況ではある。

 転移してからずっと、目まぐるしい展開が続く。変転十一月は比較的平和なのだけど、それでもやはり色々な事件がラスパイア王国のあちこちで発生するのだ。しかし今は一旦それらを脇に置いておかなければならない。当然忘れてはならないし対策も後々固めていかないといけないのだが、今は目の前の出来事に集中する。


 ――それ程までに、紺碧龍王ゾル・ドレッグという存在は強大という事なのだろう。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 最終確認のすり合わせが終わり、俺達は支度を整えるためにそれぞれ部屋へ戻る。俺は慎重な性格が幸いしたのか災いしたのか、荷物はとうの昔にまとめ終えていた。


 ラスパイア王国史をかいつまんで書き写した簡単な年表や留意すべき事をまとめたノートは俺の生命線になるだろう。その他にも大阪から持ち込んできた文明の利器、ディアの大好物の鯖缶などもバックパックに詰め込んでいる。


 さて、少しだけ時間が空いてしまった。折角図書館を拠点にさせて貰っているし、寝付くまでの間に何か読めそうなものがあれば借りてこようかな……そう考えた俺は一般文献が保管されている地上階に足を運んでみた。


「おや、クロノ殿。もう準備はよろしいのですかな? 明日は我々にとっても貴方にとっても重要な日であります故、見落としがございませぬようしっかりと――」


 二階の書庫に入ると、刻識石板ボルデアルカブを抱えたファティさんが出迎えてくれた。ここには他にも数人の司書がいるようだが、彼らに面識はない。俺が訪れるとファティさんがいつも応対してくれるのだ。


 俺が何枚かおすすめの文学作品を尋ねると、『ここら辺りが定番ですかな』などと言いながら何枚かの刻識石板ボルデアルカブを勧めてくれた。全部を読めるとは思わないが、写しを頼んでおこう。これくらいならすぐに用意できるそうだし。


「ああそうだ、ファティさん。ついでに自分でも読める秘能マダスの解説書みたいなものはありませんかね?」


「ふむ、秘能マダス……ですか。それならば三階ですな。ヴァロン様から皆様の世話役など仰せつかっております故、私が案内申し上げましょう」


 ファティさんの丁重な案内で三階にきた俺は、そこで改めて何枚かを勧められる。流石にそれを全部という訳にもゆかないので、どれか一枚にしようと思った俺は――


「この〝解離の原理〟というのは、具体的にどんな解説書です?」


「これはですな、空虚解離ボルサンルウム空転解離ケルダンルウムといった解離系の秘能マダスの詳細を解説している、読み応えのある文献です。解離系は少々特殊な構造を持っております故、その原理を読み解けばこの世界を構成している要素についても理解が深まるかと――」


「なるほど。ファティさんのお勧めであれば、これにしましょう。流石にこれ以上は時間もないでしょうから、こんな所ですかね」


「お役に立てたのであれば何より――少々お待ちください。ヴァロン様から連絡が」


 そう言ったファティさんが低い声を虚空に解き放ち、何かボソボソと呟いている。それだけを見ればいかにも怪しいというか危ないお兄さんなのだが、今の俺はこれが俺も最近使えるようになった闘嵐星波スポカローカに似た秘能マダスなのだろうという事が理解できる。特別な装置も使わずに遠隔通信ができるとは、本当に秘能マダスって便利。


「ご多忙の所大変恐縮なのですが、ヴァロン様がクロノ殿に折り入って頼みたい事があると申しております。ご案内申し上げます故、私と共に地下へおいでください」


 ――ん?

 ヴァロンさんから折り入って頼みがある? 一体何だろうか。

 現時点でも結構一杯一杯なのだが、何かややこしいお願いでもされるのかしら……


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 今俺は、色々と用件を済ませて自分の部屋で一人、ベッドに突っ伏している。少し頭の中で整理をつけながら、俺はヴァロンさんのお願いを反芻していた。


『過去の悠久書庫レムスタルニカから写しを持ち帰って欲しい刻識石板ボルデアルカブがあるのだ』


 前にファティさんから少し話を聞いていた〝虫食い〟に関する話だった。魂喰蟲ルバーシュが時々刻識石板ボルデアルカブに刻まれた情報を吸い取って食べてしまう話は既に聞いていたのだが、その中で修復が極めて困難なものを持ってきて欲しいのだと。


 世界を救うついでに、余裕があったらで構わないという注釈つきだったので、俺はとりあえずその話を受ける事にした。転移するまでに持ち帰って欲しい文献を記した石板を用意すると言っていたが、何枚ぐらい持ってくる事になるんだろう……

 これ、結構重いんだよな。大丈夫かしら。


 その過程で、明日転移した後、どこに悠久書庫レムスタルニカの入口があるのか確認してみた所、どうもドルムセイル城塞にあの魔法陣を移動してきたのは俺達が転移した後らしい。確か変転十一月の後半と言っていたか。確認しておいて良かった。少なくともそれまでは脇によけておいても問題ないだろう。


 ベッド脇の小さなテーブルに置いてある時計を見れば、今は午後十時過ぎだった。まだ寝るには少し早い時間で、生憎眠気もきていない。

 ディアも涼香さんの部屋でギリギリまで予定を詰めると言っていたけど、彼女達も余り根を詰めすぎないで欲しいものだ。何もかもが前代未聞の旅なのでその気持ちは良く理解できるんだけどね。


「――開け、石板マルフェルマ・ボルデ


 という事で、折角写しを作って貰った事だし、読んでみよう。

 先ず、手に取ったのは〝解離の原理〟だった。


 解説書というよりは学術書に近い感じで、種々雑多な情報が矢継ぎ早に俺の脳へと飛び込んでくる。石板を持つ手に命源素プリムを集中させて情報の流れをコントロールし、どうにか渦巻く情報を整理する事ができた。


「というかファティさん、これを面白いと言っていたけど……」


 ちっともわがんね。

 解離系秘能マダスの仕組み、制約、留意事項などが刻まれていたが正直よく分からない。空間と次元と時間の三要素の大まかな性質と制御方法、そして互いに与える影響など相関性についても記述されていた所までは何とか追いかけられたのだけど、そもそもこの説明自体が俺の世界にはない原理を基準に記述されているため、基礎をゼロから学んで理解しない事にはちんぷんかんぷんだ。まるで、小学生が『フェルマーの最終定理の証明論文』を読もうとするようなもので、解離やらの基礎も習っていない者がこれを読んでも単なる〝ナンダコレ〟になるだけだろう。実際今の俺がそうだ。


 これは時間の無駄だと他の石板に興味を持ちかけ、とある単語が頭に引っかかる。〝空虚解離ボルサンルウム〟と読める項目には、その効果や習得難度、取扱上の制限事項や注意など色々な説明が記されているのに続き、その術式構文がしっかりと書かれていた。


 そう言えば涼香さんは、この空虚解離ボルサンルウム、または空転解離ケルダンルウムに関しては最初から教えてくれなかった。何でも『まだ黒埜さんには早い』という理由だったけど……


 基本的に、俺は戦闘に向いていない。そこは厳然たる事実だ。軍隊で訓練した事も武術を学んだ事もない。喧嘩は好きではないし、そもそも争い事は避けたい方だ。

 それであれば、戦闘になった時に少しでも周りの人の力となるために俺が支援する手段を多くしておくにこしたことはない。

 そう思った俺は、早い遅いはともかく、『自分に習得できるのかどうか』に興味を惹かれ、この術式を詠唱してみる事にした。


「――ダメ……か。残念だ」


 流石は、習得難度万人術を誇る難易度だ。確率もかなり小さなものになっている。しかしこんな所でめげている時間があるなら、次に進もう。


 空転解離ケルダンルウム。習得難度十五万人術。難しさが跳ね上がっている。詠唱文もその分だけ長くなっていて、結構覚えるのにも苦労した。


「――空転解離ケルダンルウム


 結果は……さっきの焼き直しだった。俺には解離系を習得する器がないらしい。

 涼香さん、俺は『まだ早い』のではなく『素質がない』ようです。


 ただ、文献にはもう一つ記述があった。


 ――空異解離デルナンルウム

 大忘術。通常世界から空間と次元と時間を切り離した設置型結界。

 詠唱文は当然書かれていない。大忘術は失伝した秘能マダスなのだ。

 そしてこれ以上の情報はなかった。まあ、あったら大忘術じゃないもんね。


 中々どうして、事はそう上手く運ばないものだな……


「まあ、仕方がない。結界は涼香さんやディアにお任せして、俺は別の方法で助けになれるよう努力しよう……閉じよ、石板フェルム・ボルデ


 俺は〝解離の原理〟を閉じ、他の石板に興味と意識を移した。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 ――また夢を見た。

 小さい頃から何度も繰り返される明晰夢。全ての景色、全ての視界が完全なる赤に染まる、悪寒と熱気を同時に感じさせる夢だ。

 眼下に広がる世界は燃え、焼け、熔け、焦げ、崩れ、潰える。大気も生命も自然もこの暴虐の前には無力。


 そんな夢を見て、俺はまたいつものように滝のような汗を流しながら、気がつけば同じ場面で目を覚ます――


「ようやく独りになったようだな。この時を今かと待ち焦がれていた」


 ――事はなかった。今俺は、夢の中で何者かに声を掛けられている。

 聞いた事のない、しかし魂のどこかが恐怖のような震えを感じる、そんな声だ。


「貴方は一体――」


「余が何者であるかはこの際後回しだ。余は貴様に問わねばならぬ」


「問うとは……何をでしょう」


「貴様、余と交わした言葉を覚えているか」


「そもそも俺には貴方が何者か分かっていません。一体俺はどこの誰と、何の――」


 ある意味当然発せられるであろう俺のその反問は、嘲笑によって遮られる。


「フン、時まだ至らずという事か。では貴様に用はない。余も彼奴の目を欺いてまで貴様に接触――チッ、もう気づきおったか」


 俺の夢を覆い尽くす重厚な声に焦りが滲んだ気がしたが、何がどうなっているのか俺にはさっぱり理解できない。分かるのは、今回の夢はいつもと違うという事だけ。


「覚えておけ。貴様の魂には、とある――」


 声は、そこで途切れた。トランシーバーで向こうから通信を途絶された時のようなノイズが一瞬だけ走った気がしたけど、それが何を意味するのかすら分からない。


 そこで俺はゆっくりと目を開け、明かりの消えた部屋の天井をぼんやりと眺める。着ていたシャツはやはり大量の水分を含んで重くなっていた。

 眠気が飛んでしまった俺は、少しの間ベッドの上でただいたずらに時間を過ごす。


「……失礼、クロノ殿、起きていらっしゃいますかな」


 半身をベッドの上に起こしなおもぼんやりとしていると、ファティさんの低い声が扉の向こうから聞こえてくる。俺は半分生返事のような格好でそれに応じた。直後、扉が静かに開き、青色に淡く光輝くファティさんが部屋の中に入ってくる。


「ヴァロン様からの申し付けで、クロノ殿のご様子を確認しに参りました。どうやらひどくうなされていたらしいと聞きましたが、大丈夫ですかな?」


 え、ヴァロンさんってそんな事まで分かるの? というかこの図書館で起きている事が全部お見通しなのか、筆頭司書長には……?


「え、ええ、少し嫌な夢を見ましたが……小さい頃から良く見る悪夢のようなものでいつまで経っても慣れないんです」


「……ふむ。本当に・・・それだけですかな?」


「あの、それは一体どういう――」


「否、それであればよろしいのです。寝苦しい環境かもしれませぬが、元来当書庫は普能人フールなど生者の宿泊を考慮した造りになっておりませぬ故、何卒ご容赦下さい」


 何だろう、俺が確認しようと反問したのを押し留め、ファティさんが恭しい一礼を施してそのまま退室してしまったのは、何か意図があっての行動なのだろうか。


 だが、言いそびれてしまった。俺はもしかしたら彼の質問の意図を問い質す前に、自分の身に起こった意味不明な現象を説明すべきだったのだろうか。


 今更彼を追いかけて『実はこんな事が』と説明するような事には余り思えないが、やはり俺の夢は毎回何かが引っかかる・・・・・・・・


 そんな事を考えていると、再び眠気が俺の全身を優しく包み始める。俺は今度こそ赤くも黒くもない、普通の夢の世界へと旅立った。

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