第十五話 勉強特訓

 本格的にモルドニアに引っ越して十四日、俺は今も準備作業で多忙を極めている。悠久書庫レムスタルニカに蔵書されている王国史の勉強から近隣各地の文化の予習までやるべき事は山のように積み上げられ、解消の目処は未だ立っていない。


 そして今日は地球から移動してきた全員で、転移した日から隕石が落下するまでの間に起こった歴史を予習し、おおまかな動きを決定する話し合いを行っている。


「では、改めて転移日の出来事をおさらいしましょう。こちらが地図です」


 場の進行は涼香さんだ。部隊長も任されていたそうだし、まとめ役としての経験が豊富なのだろうね。彼女に委ねていれば大丈夫そうだ。


https://kakuyomu.jp/users/Thor_Razing/news/16816700427691986660


「転移する先は大エスカニオン第二暦グランダ・エスカニオン・ドゥア四二一八年遠雷月十八日、ラスパイア王国内のドルムセイル城塞近郊……最初に私達が使った座標と同じ場所になります。こちらがヴァロン様から頂いた遡行点です」


 ヴァロンさんの言葉によれば、今から一一一二年前の時代だとのこと。日本でいうなら平安中期、世界は十世紀初頭。ちょうど唐が滅んだ頃だろうか?

 更にそこから約五ヶ月を現地で滞在、帰還するのは現地時間で翌年鹿角月十八日。


 先ずは転移した当日、ドルムセイル城塞が襲撃を受け、半壊する事態に出くわす。

 襲撃するのは、天精族オルムランと呼ばれる特級精霊体の一種、【紺碧龍王ゾル・ドレッグ】というらしい。いきなりとてつもなくヤバそうというか、名前だけで絶対にお近づきになりたくない類の危険な香りしかしませんが。


「ドレッグ、とてつもニャいちから。エール、めいわくしてた。きたのやま、いつもこおっていた。もりのきも、たおされた。あのぼうりょくにたいこうするの、エールでもゴールでも、むり。どれっぐのそんざいが、おおいニャるわざわい」


 ディアの説明でも、とにかく恐ろしい存在である事が強調されている。

 ――そんな理不尽なまでの暴威が、転移した当日に襲撃してくるだなんて。今ならまだ間に合う、転移先を変えないか――俺がそう思うのも、無茶な話ではない筈だ。


「おい伊吹。何でいきなりそんなハードな展開のど真ん中にぶっこむんや? もっとマシな場所に転移しとったらええやんけ」


 と、俺の気持ちを代弁した訳ではないだろうが、茨木が問う。しかし、涼香さんは首を横に振るだけだ。その理由は――


「いくつか理由があります。先ずこの事件についての記録を読むと――」


 その襲撃で三千人程度の行方不明者が出たと記録に書いてある。紺碧龍王ゾル・ドレッグによって捕食されたものと思われるが、涼香さんは彼らを何らかの方法で匿い、この時代まで連れて帰ってきたいという思惑を抱いているようだ。

 後、涼香さんは黙して語らないが、やはり自分が配属されていたという地が襲撃を受けたと聞いて、何とかしたいという気持ちもあるのだろう、とは思っている。


「……ふん。まあええわ。ルミナーテにも近いし、ウチは何でもええ」


 他にも様々な出来事が起こる訳で、隕石が落ちるまでの五ヶ月間は恐らく文字通り息をつく暇もない程の展開が待ち受けているのだが、先ずは紺碧龍王ゾル・ドレッグに集中したい。そんな涼香さんの言葉で、俺達はその話に集中する。


 しかし、話し合いの最中に茨木が漏らした一言が気になる。地図にはドルムセイル城塞の東、山脈を挟んだ反対に『ルミナーテ王領』がある。ここが彼女の国であり、領土を巡ってドルムセイル城塞側と長い戦いを繰り広げていた、という事だろう。。

 ――この悠久書庫レムスタルニカにある刻識石板ボルデアルカブとやらに、ルミナーテなどの近隣諸国で発生した事象の記録がないのは何故なのだろうか?


「さて、転移した先での動きについてはあらかたおさらいしましたけれど、こちらもそろそろ決めなければなりません。私達がいつ転移するのか、です」


 そして話し合いは次のお題目に移る。転移先の日付は固定されているが、転移する日付は俺達が任意で決められるという話だったな。

 もう少しじっくりと時間をかけて納得のゆくまで準備をするか、それとも転移元と転移先の日付を合わせて混乱をなるべく抑えるか――基本はこの二択だ。


 特に今回は帰還に失敗すると一巻の終わりだ。そこで俺達の命運は尽きて、世界も自分達も助けられなくなってしまう。だからこそ日付を合わせて混乱が少ないようにしておくことは大事だ――これが涼香さんの主張だ。


 その理屈は分かる。ヴァロンさんの説明にもあった『転移先での滞在時間よりも短い時間で転移元に戻る事はできない』という制約がある関係上、双方の世界の日付を合わせて覚えやすくしておく利点は大きい。落ち着いた状況下で門を作り出せるならともかく、不測の事態が起きる可能性も考慮すると、不安要素は取り除いておきたいという気持ちも納得できる。


 だが、一応俺も確認はしておきたい。


「その案には基本的に賛成なのですが、どうもこの図書館にはラスパイア王国以外の歴史が保管されていないように思います。ラスパイア王国の中だけで全てが完結するなら問題ないのですが――」


 先ずは悠久書庫のファティさんやヴァロンさんなりに近隣諸国に関する刻識石板ボルデアルカブの所在などを確認した上で今後の方針を決定しようと、俺は提案したのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 話し合いを一旦中断し、俺はファティさんに話を伺ってみる。涼香さんは引き続き転移した後の予定をディアと煮詰めているが、本当に時間が全く足りない。


「――当館にラスパイア王国以外の国の歴史はないか、ですと?」


 書架の整理をしていたファティさんに尋ねると、彼は自分の体を青く光らせて、自分で自分のモノクルを煌めかせている。意味のない行動だけど何かかっこいい。


「当館に収められる歴史は、ラスパイア王国史のみにございます。近隣諸国の歴史は管轄外であります故、当館にはござりませぬな」


「ええ、それは涼香さんからも聞いたのですが……本当にないのかなと確認を」


 更に話を聞いた所、悠久書庫レムスタルニカという機構は思ったよりも複雑な構造となっていた。この世界全体を統括する〝本館〟の下に地域の管理を司る〝旗館〟なるものがあって、今俺がいるのはその下で各国の歴史を担当する〝分館〟だという話だった。


 無理やり俺の知識に当てはめると、本館が国会図書館だとすれば、旗館は都道府県レベルの、分館は市町村などの自治体レベルでの歴史集積管理を行っている、という事になるのだろうか。


「無論ご所望であるなら、当館から問い合わせる事によってそれらの記録の写しを取得するのは可能でございます。が、これは相当の時間を要しますぞ」


 特に今は、他の分館あるいは旗館が正常に機能しているのかの確認が取れないと。本館の所在や安否などは、そもそも元から分かっていなかったという。結局、他館の情報を問い合わせたとして、正常に処理されたとしても数ヶ月はかかるし、仮に何か問題が発生していればそれ以上の時間が取られるだろうとの事だった。


「――ただ、この世界が滅亡する前に問い合わせを受けて当館が写しを要請した分につきましては、いくつか保管されているものがあるやもしれません。念の為こちらで確認してみますかな?」


 なるほど、それは無いよりは遥かにマシだろう。答えは当然イエスだった。


「所で、他の分館や旗館などにはこちらから連絡を取ったりしないのですか?」


「それは筆頭司書長の専権事項ですので、一司書たる我々には分かりかねますな」


「なるほど……分かりました。機会があったらヴァロンさんに聞いてみます」


 思っている以上に面倒なシステムを採用している気がするな。何かあった時に横の連絡とかをする機会もなかったのだろうか。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――シーマが、ひみつきょうてい……?」


 疑念を乗せたディアの声が、編纂室に響き渡る。先程ファティさんに確認を行って貰った所、リューヌ同盟に関連した刻識石板ボルデアルカブが一枚見つかった。その石板に刻まれていたのが『第二暦ドゥオ四二一五年、風妖人エールの一部族であるシーマが秘密軍事協定を締結』という話だった。


「おかしな話ですわね。私の記憶では、リューヌ同盟は永世中立制度を採用していた筈です。秘密の軍事協定など、本来ならあり得ない筈ですが――」


 リューヌ同盟は周辺各国の保障を受け、永世中立国として長らく認識されていた、とされているらしい。保障を行っていた国の中にはラスパイア王国も含まれていたと涼香さんは語る。ただ、彼女が地球に赴いてから二百年弱の間に何らかの政策変更があった可能性も当然否定できないともいっていたけど。


「シーマ、しんようできニャい。ぼくがしっているシーマ、こうかつ。コソコソと、かくれてわるだくみ、とくい」


「んな話よりもやな、その情報が何を意味するか考えようや。ウチらのやりたい事がそれで邪魔されるんやったら対策は必要やろし、そうでなければ放っときゃええ」


「……ききたいこともある。いちど、もりにいくひつよう、あるかもしれニャい」


 その辺は現地での状況を見て、柔軟に対応する必要があるだろう。俺達は引き続き現地で行うべき活動の優先度を検討しながら、様々な話を進めていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その後ファティさんを通じてヴァロンさんから『他館の刻識石板ボルデアルカブの写しについては現在取得が極めて困難』という情報がもたらされ、ここに俺達の行動指針が決まる。取得が難しい以上、それを期待して時間を浪費するのは無意味だという結論となり、俺達は涼香さんの提案を採用して『日付を合わせて転移する』事になった。


 目標が明確に定まった事で準備作業も密度と速度を増してゆく。覚える事は多く、判断材料は少ない。おまけにこちらから持ち出せる物資の数にも限りがあり、慎重に厳選する必要があった。俺達はそれこそ〝寝る間も惜しんで〟準備を進めていった。


「――黒埜さんには他にも私から教えられるだけの秘能マダスをお教えします」


 歴史の勉強と持ってゆく荷物まとめの合間、秘能マダス教練官として活動していたという涼香さんの手ほどきを受けて俺は色々な秘能マダスを習得した。習得済の秘能マダスと合わせると俺が使えるものはこんな感じになっている。


 ――【空束是識シェイアピス】。

 一人術。効果はあらゆる言語を使用者の母語に脳内変換する。読みと聞きと会話に対応しているが、筆記には対応していない。


 ――【幽涼洗湯アムクリーサ】。

 三人術。身体の内外の老廃物や害虫などを除去する。この内外というのが肝要で、不自然なまでに身綺麗だったディアは多分この術を普段から使っているのだろう。


 ――【闘明光束ダラクシール】。

 十人術。目に干渉し、感光感度が上昇する。つまり、カメラの感度が鋭敏になって色味には乏しいが見える範囲が広くなる感覚だ。


 ――【空羅飛足フルクカロス】。

 二十人術。空気に干渉し、単身で飛行が可能になる。速度はあまり出ないが地形の影響を受けない。体幹操作にコツがあり、円滑な飛行には別途修練が必要。


 ――【闘嵐星波スポカローカ】。

 二十人術。魂波アルノを繋げた者同士で、音声を介さず意識の中で会話が可能になる。詠唱者がこの術を使えさえすれば、影響を受ける者が使えなくても問題はない。


 ――【魔回天翔スキリアサン】。

 二百人術。空気に干渉して大きな竜巻を発生させ、周囲に風圧と突風の影響による無差別攻撃を行う。詠唱者の魔法陣 (半径二メートル程度) の中は無風。


 ――空異跳陣デラス

 大忘術。空間と次元と時間を操作し、異時空、異世界間を往来する転移門を開く。空異転陣ケラスの完全上位互換で、同一時空間の移動も可能。門の持続時間は一時間。


 ……一つだけレベルというか次元の違う秘能マダスがあるけど、俺は気にしないというか気にしたら負けな気がしている。


 それはそれとして、特訓はかなりきつく、心身ともに激しく消耗するものばかり。

 隙あらば走らされ、命源素プリムの複雑な操作を叩き込まれ、正座させられたまま瞑想を強いられ……前にも思っていたけど、涼香さんは紛うことなき鬼教官だった。


「黒埜さん、これは覚えておいてください」


「……」


 下手に返事するとまた肩を叩かれてしまうので反応はできない。それを涼香さんも分かっているのだろう、俺の声を待つ事なく彼女はそのまま続けた。


「黒埜さんは本当に筋が良いです。短期間でここまで命源素プリムを操作する術を我が物にできるのは、滅多にお目にかかれるものではありません」


 ディアが香箱を使って静かに見守っている中、涼香さんの言葉は更に続く。


「ですが、私達がこれから赴く地は、生易しい世界ではございません。黒埜さんにははっきりと申し上げますが、付け焼き刃を磨き抜いた所で、黒埜さんが魂鬼人ゴールの力に真っ向から立ち向かって勝てる道理はない事を覚えておいて欲しいのです」


「……」


「決して無理はしないでください。一時の感情で動かないでください。自らの力量を過信しないでください。それらを一つでも誤れば、簡単に死にます。これから私達が向かう世界は、そういう所であると……どうか知っておいて欲しいのです」


「ケン、きっとつよくニャる。でも、むりしニャいで。ぼくたち、ケンまもる」


 涼香さんとディアが俺の事を大事に思ってくれているのは、痛いほど感じられる。本当にありがたい話だし、感謝しなければならないだろう。


 ――だけど、それと同時に。

 彼女達にここまで言わせる自分の力のなさに一瞬悔しさを覚えてしまったのは……果たして俺の思い上がりなのだろうか。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 俺はあいも変わらず刻識石板ボルデアルカブと格闘している。

 今日は一人で編纂室にこもり、読書に勤しんでいる所だ。ラスパイア王国の歴史をずっと追いかけてきていたせいで少し頭が疲れてきたので、気分転換がてらこちらの世界の文化や芸能にも触れておこうと思ったのだった。


 という事で、今俺が読んでいるのは『モルドニア伝話』という刻識石板ボルデアルカブ

 分かりやすく言えばギリシャ神話や北欧神話、あるいは古事記などと同じもので、創世や国創りから始まり遥か昔から連綿と語り継がれてきた物語が収録されている。文量が膨大なので全部読み切れるとは思わないが、どういった哲学や精神論が世界に根付いているのかを窺い知る事くらいはできるだろう。


 この文献は、序文からして謎めいていた。


 一天いってんの果てより二創にそう至りて、世界を興す。

 三界さんがい分かたれて四方しほうに散りて、災禍に屈す。

 五精ごせい争いて六源ろくげん儚み、平和を望む。

 七星しちせい輝きて八仙はっせん平伏し、回帰を願う。

 九重ここのえ振り下ろす十握とつかの黎明、大地を払う。

 百〓〓〓〓〓〓魔〓〓業〓〓〓〓〓つ。


 序文自体が韻文で何が言いたいのか分からなかったのだけど、特に気になったのは最後の行だけ虫が食ったように歯抜けの文章になっている事だった。辛うじて行頭に百という文字が記されているのは分かったのだが……


 というか、情報が直接頭の中に流れ込んでくるのに、こんな事があるのか。


「――クロノ殿、今日も励んでおられますな。そう言えばヴァロン様から特別許可を頂いております故、上階に所蔵されている刻識石板ボルデアルカブであれば、持ち出し可能な写しを無料で用意する事もできます。ご入用の際は遠慮なくお申し付けくださいますよう」


 ちょうどその時、ファティさんが編纂室に足を運んできた。写しを用意するという話もありがたいが、俺は今自分が抱いた疑問を彼に尋ねてみる事にした。


「――ああ、刻識石板ボルデアルカブの記述に穴が見られるという話ですか。それは我々司書の天敵【魂喰蟲ルバーシュ】が中の情報を食べてしまったせいですな。稀に良くある事でして……」


 話を聞くと、刻識石板ボルデアルカブに貼り付き、刻まれた情報を吸い取って食べてしまう害虫がたまに現れるそうな。つまり紙魚しみか。どこの世界にもいるんだね……


「我々も文献の保全修復を行っております故、もしご希望であれば。ただし、相応の時間を要します事は平にご容赦くださいますよう」


「今は大丈夫ですね、致命的な虫食いでもなさそうですし……何か問題があった時はお願い致します」


「承知致しました。それでは失礼」


 ファティさんは編纂室の片隅に平積みされた十数枚の刻識石板ボルデアルカブを軽々と持ち上げ、そのまま部屋を出ていった。というか十数枚も一度に持てるのか、ここの司書は。


 しかし、ここの所編纂室に籠もりきりで石板に首っ引きだったためか、あちこちがきしんでいる気がする。運動不足もあるだろうけど、こういった作業は適度に休みを挟まないと体を壊してしまいそうだ。


 完全休息の日を入れて、気分転換をした方が良いのかもしれないな――

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