第十四話 無理難題

 更に時は過ぎ、八月も終わりを迎える。

 部屋の片付けや不用品の整理を行う傍らで、当面の生活に必要な物をモルドニアの悠久書庫レムスタルニカに運び入れるなど、多忙を極めた二ヶ月だった。


 これまで住んでいたマンションを引き払う準備は着々と進んでおり、荷物は当座に必要なもの以外はあらかた片付いたが、これまで先延ばしにしていた判断をそろそろ決めなければならない時期にやってきていた。


 結局住民票は、妹に頼む事にした。本当に大事なものをいくつかの荷物にまとめて妹夫婦の家に送り、必要な書類を揃えて妹に手続きの代理を委任する。色々と事情を聞かれたものの、答えた事は先輩に話した事と何も変わらない。


 最後に一言、『何だかんだお母さんも兄貴の事すごく心配してるし、お願いだから一度連絡してやって』と言われた時はどうしようか迷ったが、結局何かがつっかえて連絡を付ける踏ん切りがつけられなかった。


 税金やら年金は次に戻ってきた時に考えよう。そもそも異世界間の〝引っ越し〟の手順や対処法なんて全く分からないんだからね、仕方ないね。

 その他、支払い関係なども全部口座から引き落とすようにまとめる。郵便物などは妹の方に管理して貰う事で請け負って貰ったけど、面倒な住所変更が地味にきつい。


 そういえば銀行口座を確認した時、つい最近になって見知らぬ所から入金があり、残高が思っていたより遥かに増えていた事実に俺は驚かされた。振込明細を見ても、全く知らない個人名だった。一体誰が、何故ゼロが六つも並ぶ金を……?


 何か嫌な感じのするお金ではあるけど、折角だし、頂いておこう。


 そして俺は涼香さんが張った結界の中で転移門を開き、何度目になるか分からない異世界転移を行った。寂しくはあるし、不安も心配も山盛りだけど、もう後戻りなどできないのだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――悠久書庫レムスタルニカの一室で寝泊まりを始めてから四日程度が過ぎ、ようやくエアコンのない生活に体が順応しだしてきた頃。長らく愛用していた目覚まし時計がこちらでも問題なく使えて何より。一日が何時間なのかまだ分かっていないけど、もしかしたら地球と大きく変わらないかもしれない。


 俺が活動拠点を大阪からこちらに移した理由はただ一つ、できるだけ時間を多く、集中配分してモルドニアの歴史を学びたいからだ。どれくらいの期間を滞在するのか分からないけど、俺が使える空異跳陣デラスとかいう秘能マダスで過去に飛ぶ前に、現地の情報をできるだけ正確に、できるだけ多く予習する必要がある。そうした時毎回門を使って移動するよりはこちらで部屋を貸して頂いた方が何かと都合が良いという寸法だ。


 あと、地味に家賃も浮く。実はこの理由も割と切実だったりする。

 向こうに戻る必要が出てきた時は改めて物件を探さなければならないけど……多分何とかなるかな……


 ちなみに茨木は、掛け持ちしていた仕事を全て〝バックレて〟来たと。いいのか。


「大丈夫や。いざとなりゃ奥の手があるしな。ウチにかかりゃ誰でもイチコロやで」


 ――いや、そんな事を聞いた訳ではないのだけど……まあ、それは茨木の問題だ。それにしても、今俺は何枚もの石板を相手に格闘している。こちらに存在する文献は紙ではなく石が媒体となっているようだ。しかも表面に文字を刻み込む形ではなく、秘能マダスに似た力を使って石の中に直接情報データを記録させるような感じらしい。


 涼香さんはこれを刻識石板ボルデアルカブと呼んでいたが、石板の一枚一枚が結構な重さで、腕が少し疲れてくる。ただ、この刻識石板ボルデアルカブ、慣れると本当に便利なのは確かだった。


「皆様、大変お手数ではございますが、ヴァロン様がお呼びでございます故、どうぞ執務室までお越しくださいますよう」


 俺がその石板を落とさないよう慎重に持ち上げ、机の上に並べて整理していた時、ファティさんがヴァロンさんの言葉を伝えにやってきた。貸し与えて貰った編纂室で資料や文献を整理していた俺達はそこで作業を中断し、最下層へ急ぐ。


「使えそうな遡行点が見つかった」


 悠久書庫レムスタルニカ最下層にある特殊文献保管室兼筆頭司書長執務室に入った俺達が開口一番聞かされた言葉がこれだった。ヴァロンさんはこの一ヶ月これを探していたらしい。


「――与えられる滞在期間はおよそ五月限五ヶ月弱。向こうでの準備を滞りなく進めるには時間が少ないが、この遡行点の前の遡行点となると、更に十数年という時間を現地で滞在する必要が生じる故、使えるのはこの遡行点をおいて他にない。汝らには労苦を強いる事となろうが、幸いにしてこちらから過去に出発する時宜は任意だ。当館でも協力を惜しまぬ故、できる準備は予め整えてゆくがよかろう」


「現地に向かうのは俺の他に誰が?」


「ぼく、いっしょに、いける。ケン、ひとりに、しニャい」


「私もその時期なら行けると思います。その頃は向こうにおりましたし、同一世界に存在していない以上、大丈夫ではないでしょうか」


「ウチもいかせて貰うで。やっぱルミナーテがどうなっとんのかは気になるしな」


「ルミナーテ?」


「ルミナーテは茨木の国ですよ、黒埜さん。私の住んでいたラスパイア王国の東隣にありました。後で地図を見ながら予習しましょう」


 涼香さんの言葉に一つ頷き、俺はヴァロンさんの説明に再び耳を傾ける。


 更に、先日の講義では省略されていた〝時間遡行時の各種制約〟についても改めて説明を受ける事となった。長くて複雑ではあったが、時間遡行をするにあたり絶対に守らなければならない事だそうで、要約して覚えておこう。


 一つ、遡行点は二度使えない。

 理由は単純で、その瞬間に同一の存在が同じ場所に複数出現することになるから。この場合、該当する者は転移そのものが行えないだろうという話。


 二つ、同一世界で自分が存在している時間への突入はできない。

 これも理由は同様。この場合は通常で考えるなら『後からきた存在が消滅する』と思われるそうだが、はっきりとは分からないらしい。他にどのような挙動を示すのか分からないけど、少なくとも『同一時間、同一世界に同一の存在は並存できない』と認識しておけば間違いなさそうだ。


 三つ、転移先での滞在時間よりも短い時間で転移元に戻る事はできない。

 この概念を理解するのは中々骨が折れたが、多分次のような感じだろうと思う。

 例に出して説明すると、三月一日に過去へ行って、そこで百日を過ごしたとする。この場合、過去から現在に戻る際に過去で過ごした百日分の時間を加算した六月九日より前の期日は指定できないという話だ。過去や現在、未来を問わず本人が過ごした時間が均等に消費されるという概念らしいけど、そもそも時間を往来するお話自体が先ず地球では考えられない。なので、そういうものだと言われたらそうなんですかと受け入れるしかできないというのが正直な所だったりする。

 ただまあ、過去に飛んでいった一分後に、過去で数十年を過ごしてよぼよぼ老人に成り果てた状態で戻ってくる事を考えると、確かにぞっとしない話ではある。

 ――俺の世界にはない理に適ってはいるのだろうな、という所で納得しておこう。


 他にも〝時間遡行の入れ子の概念〟や〝遡行者の存在基軸の概念〟を教わったが、近い内に俺が経験する事になる時間遡行に密接に関連するものではないようなので、ここでは詳細を省こう。


 結局何が重要なのか。

 一つ、過去に飛ぶには〝出発用〟遡行点の他に〝帰還用〟遡行点も必要になる。

 二つ、歴史に刻まれている以外の遡行点を過去で勝手に作り出す事はできない。

 三つ、出発用遡行点から帰還用遡行点の間は、現地に滞在する必要がある。

 四つ、帰還用遡行点で転移門の構築に失敗すると次の遡行点まで待つ必要がある。


「――ただし今回に限っていえば、帰還用の遡行点で転移門の構築を失敗する事は、即ち汝らの死を意味する事になろう。隕石落下による世界滅亡もだが、そこから先、遡行点は存在しない故にな……汝らがここを初めて訪れた時まで、約千年」


 ……万が一にも失敗は許されない、という訳だ。ますますプレッシャーがかかる。

 これをまとめると、過去に飛んだ後五ヶ月滞在し、その後転移門を向こうで作って帰還しなければ、俺達は死ぬ。しかも、できるだけ多くの人を救い出す必要もある。


 そして、この話を聞いた時点で、俺は先ず確認しなければならない事が出てきた。前からも気になってはいたのだが、この情報をすり合わせないととんでもないズレが生じてしまう事に気づいたからだ。


「過去に飛んで五ヶ月滞在するという話ですが、モルドニアにおける時間の進み方は一体どうなっていますか? 例えば一日が何時間で一ヶ月が何日、とか。俺の認識とモルドニアの実態にズレがあったら、計画が成り立たないと思いますが」


「――確かにその通りだな。この世界での一日限は二十四刻限、一刻限は六十分限、一分限は六十秒限である。そして、一月限は三十日限、一年限は三百六十五日限だ。ただし四年限に一度、三百六十六日限となる。正確には煩雑な規則性があるのだが、基本はそのように覚えておいて問題はなかろう」


 ――完全にうるう年の概念じゃないか。というかこの世界――いや、星か――自転周期も公転周期も地球とほぼ同期している。偶然か何なのかは分からないが、道理で時差や時間の進みに違和感をあまり覚えない訳だ……と、そんな事よりも。


「……一ヶ月三十日なのに、一年が三百六十五日? 割り切れていませんが……」


「ふむ、ではモルドニアの暦についても簡単に説明しよう」


 そういってヴァロンさんの講義が再び始まる。かいつまんで理解すると次の通り。


 新生月――一月睦月

 胎動月――二月如月

 鹿角月――三月弥生

 巣作月――四月卯月

 清流月――五月皐月

 竜巻月――六月水無月

 光明月――七月文月

 巣立月――八月葉月

 垂穂月――九月長月

 遠雷月――十月神無月

 変転月――十一月霜月

 光帯月――十二月師走

 輪廻月――一年最後の数日間新生祭の準備期間


 俺の世界でいう一月が〝新生月〟。そこから月日を重ねた〝光帯月〟が十二月で、これが終わると最後に数日間、通常は五日、四年に一度六日間〝輪廻月〟があると。この間は翌年を迎える祝祭の準備を行うのだそうだ。


「黒埜さんの世界でも、年暮れと年明けは盛大にお祝いしておりましたでしょう? それと同じだと思って頂ければ問題ございません」


 と、俺の横で話を聞いていた涼香さんからも解説が入る。確かに一緒だろうね。


「過去に飛んで、そこで五ヶ月の間に準備を進め、できるだけ多くの人を救い出してここまで帰還する……か。できる気がまるでしませんね……」


 それは今後、様々な情報の取得と検証を行い、対策と予定を立ててゆけばいいか。ヴァロンさんも『出発するのは何時でも構わない』と言っているし。


「それで、ヴァロン様、転移先の期日はいつになるのでしょう?」


 ヴァロンさんの説明が一段落して、一瞬だけ部屋の空気が緩む。涼香さんが肝心なポイントを尋ねたのも、そんな雰囲気を察しての事だったのだろう。ファティさんは相変わらず直立不動で、時々布をかけて隠している特殊文献に視線を配っている以外微動だにしていなかった。


「ああ、大エスカニオン第二暦グランダ・エスカニオン・ドゥア四二一八年遠雷月十八日の上刻十一限午前十一時となっている。現在、こちらは垂穂月七日。日を合わせてゆくにしても、一月限余りの時間がある。無論納得のゆくまで準備を進めても我は一向に構わぬし、判断は汝らに一任しよう」


「承知致しました。その辺りも含め、一度こちらで相談して決めたいと思います」


「ふむ、随意に致せ。では伝えるべきは伝えた。我は――」


「済みませんが、俺もヴァロンさんにお聞きしたい事があります。今日までこちらもバタバタしていてヴァロンさんにお尋ねする余裕もなかったのですが、折角ですからこの機会にお話を聞かせてください。俺の世界を救う手段について」


「ん……ああ、そうであった。救世を成すか否かに関わらず、我の願いを受けた礼に汝の世界を救い得る手段について我の考えを述べる……そういう約束だったな」


 ヴァロンさんはそう言うと椅子に座り直し、顎に手を当てる仕草を見せながら思慮にふける。ファティさんはやっぱり直立不動だ。


「汝、〝ケルデメニアスの憤激〟に関する情報を集めようとしたという事は、世界を襲う災厄もそれに類するものなのであろう?」


「はい、ディアはそう言っていました」


「……ん、そう。だいちてらす、あかきほしの、いかりのはニャし。きえぬほのお、かれるみず、ふきあれるかぜ、とけるつち。とざされるひかり、きえゆくたましい、くちはてるいのち、ときはニャたれるやみ」


「つまり、汝の世界は劫火と熱風に晒され、あらゆるものが灰燼に帰す、そう考えて差し支えないのであろう。然して、ヴェセロカーダを造る力はないと」


「…………」


 俺は頷く事も反論する事もできず、黙ってヴァロンさんの言葉の続きを待つ。正直想像するのも辛い話だが、何とかしなければあの星に住む人々が消え去ってしまう。家族や友人、そして先輩を始めとした、自分に関わってきた人達もまとめて、太陽の暴虐に屈してしまうのだ。


 ――正直、自分の手に負えるような話ではないと思うけど、やれる事はやりたい。諦めるのは性に合わないのだ。


「――然らば、我の考えを述べよう。ただし覚悟せよ。汝が自らの世界を救うには、乗り越えねばならぬ試練が幾つもある」


 そう言いながら強烈な存在感を放つ少年の如き見た目の司書長が椅子からゆっくり立ち上がり、俺の眼前へおもむろに歩み寄りつつ細く青白い指を俺の鼻に突き出して言葉を続けた。


「先ず、汝はやはり我が求めるこの世界の救世を成さねばならぬ。次に、汝がその力を得る資格を持つや否やは我にも分からぬ。そして、力を得たとしてもそれは己の身を滅ぼす危険が極めて高い。最後に、汝がこれらの試練を乗り越えてもなお、完全に救世を成せる保証などない。それでも、汝は進むか?」


「……俺は――」


「一朝一夕では定まらぬであろう。幸いにしてまだ時間はある。じっくりと己の内に問いかけ、悩み、決断するが良い。だが、救世を成し得る可能性を我は他に知らぬ。汝が怖気づいた所で誰も責める事はない。よくよく己に問うのだな」


「……分かりました。もう少し時間をください」


 何という話だろうか。俺はどうすれば良いのだろう。

 その答えは、すぐには見いだせそうにない。


 ただ、ヴァロンさんは最大限、俺にも分かりやすいように言葉を選んで道を示してくれたように思う。


 話を総合すると、特殊文献の中に記されているのであろう秘能マダスを習得して、それを活用して何とかせよと、ヴァロンさんは言っているのだ。


 正直言って、俺には手に負えない話だ。覚悟もまるでないし、ましてや俺にそんな力などある訳がない。

 しかし、やってみなければ分からない。可能性がゼロでないのなら……

 俺はそんな事を考えながら、もう一度深く頭を下げて一礼した。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――また、あの夢を見た。

 空から飛来する絶望の巨岩に、世界が燃やし尽くされる夢だ。正直何度も見てきて内容を完全に覚えてしまった程だ。まるで何かの動画をリピート再生しているように何もかもが同じ光景なのが気持ち悪い。


 目を覚ますと無骨な石壁が俺の視界をぼんやりと満たす。部屋は暗いが、地球から持って来た便利グッズが俺の枕元に置いてある。スイッチを入れると小さな白色灯が辺りを淡く照らした。


「……ふぅ、またか」


 俺は疲れの混じった独り言を呟きながら半身を起こした。


 ヴァロンさんの言葉が今でも俺の脳内で反響している。この世界を救わなければ、俺の世界は救えない。何がしかの力を俺が得られなくても救えず、何もかも首尾よく進んだとしても、救える保証はない――

 何という無理難題なのだろうか。さっきも思ったが、俺には荷が勝ちすぎる話だ。ハイリスクローリターン、もしかしたらノーリターンなのかもしれない。


 いずれにしても、もう少しじっくりと考えなければならない話ではあるだろうし、俺一人で考え込んでも仕方ない事だろうとは思う。ただ、何故だろう……俺は本当に昔から『やらずの後悔よりやる後悔』が染み付いている気がする。俺も覚えていない幼少の頃に、何か大きな悔いの残る出来事があったのだろうか。


「……しかし、まさか違う世界に来ても同じ夢を見るとはね……」


 俺はそんな事を力なく呟きながら、緊張と疲労で凝り固まってしまった首を回す。俺の隣で静かな寝息を立てる白毛の子猫が丸まっていた。気持ち良さそうに夢の中を満喫している様子で、俺はその姿に少し癒やされるものを感じ、頭をそっと撫でた。


 そういえば、今の今まで振り返る余裕も無かったけど、彼女は一体いつの時代から大阪まで転生してきたのだろうか? 今回の旅に同行出来るという事は、今回俺達が転移するよりも昔の時代なのだろうけど、それは具体的にいつなのだろう?


 しかし、本当に気持ちの良さそうな寝顔だな。どんな夢を見ているんだろうか?


「……ニャ……サバカン……」


 ……彼女が今見ているのは気持ちよさそうな夢ではなく、美味しそうな夢だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る