第十二話 異空理論

 翌日、俺は再びモルドニアの悠久書庫レムスタルニカに来ている。涼香さんとディアも一緒だが茨木は〝お化けに用はない〟と言って、きていない。

 ファティさんは、筆頭司書長たるヴァロンさんの横で相変わらず直立不動の姿勢を保っている。


「――成程。汝の世界滅びゆく運命……か。数奇なものよな」


 威厳に満ちた、しかしどことなく幼さを漂わせる声が響き渡る。

 俺達が百年後の地球で目撃した光景、そして遺されていた魂から抜き出した情報を涼香さんがヴァロンさんへ簡潔明瞭に説明した時の、彼(?)の反応だ。俺に目線を向けながら、若干の同情を漂わせたその言葉の余韻は、あまり長くは続かない。


「話は理解した。つまりは、汝の世界を救うための知識をこの悠久書庫レムスタルニカで探したいという事だな。〝ケルデメニアスの憤激〟の伝承から滅亡を回避する策を見出すか……成程、一理はあるが……」


 歯切れの悪い言葉を呟いたヴァロンさんは組んでいた腕を解き、口元に手を当てて思案にふけっている。何かを言い出そうとして逡巡している様子に見えるけど、何が引っかかっているのだろうか。


「ヴァロン様、何か懸念でもございますか?」


「……そうだな、懸念というよりは、恐らくその伝承を読み解いても事態の解決には何ら寄与しないであろう……そう率直に伝えるべきか否かと考えていた。今こうして言ってしまったからにははっきり言うが、恐らくクロノやイルブルギの求めるような話は、何一つ記されていないであろうよ」


「何故そう思われるのか、理由を聞かせて貰えるでしょうか」


 いきなり出鼻をくじかれた気がした俺は、できるだけ感情が声に乗らないように声を出したが、少し声が大きくなってしまったかもしれない。だがヴァロンさんは俺に視線を投げかけ、淡々と俺の問いに答えてくれた。


「我は書庫に所蔵されている全ての文献を頭に入れている。当然、汝らが探し求める〝ケルデメニアスの憤激〟にまつわる話もだ。その上で敢えて言わせて貰うが、汝の世界に〝ヴェセロカーダ〟を造る技術が存在せぬ限り、悲劇は不可避と知れ」


「ヴェ、ヴェセロ……それは一体何なのでしょうか」


「ヴェセロカーダ。エールにつたわる、そらのふね。そらのむこう、ほしのむこう、とおくまでとぶ、でんせつ」


 その話から判断するとどうやら巨大な宇宙船の話をしているようだ。空の向こう、星の向こうまで飛んでいくソラ(きっと宙と書くのだろう)の船……

 宇宙船そのものは開発できる水準にある。しかし――人類を救う手段となりうる程技術と経験が発達しているとは思えない。まして、破局まで後十二年という制限まで存在する現状では、設計図は描けてもただの画餅でしかないだろう。


「クロノよ、気を落とすな。幾千万年の歴史を誇る我が世界においてなお、ヴェセロカーダは奇跡の所業と語り継がれている。汝の世界に伝わる技術がどの程度の水準にあるか不明なれど、その手段を十年余りで用意するなど、およそ不可能であろうよ。仮に実現しえたとしても――」


 人類全員を救い出す事は絶対不可能。となれば、船に載せて脱出させる人員を選ぶ必要が生じる。当然そこには不平不満が集中する。下手をすれば――下手をせずとも争いが生じるのは必至、それに労力と時間が大きく費やされる。対策を講じる手間を考慮しても、とても十二年で全てを解決できるとは思えない……

 ヴァロンさんの言葉を整理するとこうなる。そして、それは俺の考える所と何一つ異なる所がなかった。


「そ、そう、ですか……」


 つまり――俺達の希望はいきなり潰えた。目の前で分厚い扉がきしんだ音を立て、閉まってゆくような錯覚が自身の意識を苛み、暗澹とした気持ちにさせられる。


「黒埜さん、まだ他にも道があるはずです。この悠久書庫レムスタルニカには、膨大な量の文献がありますから、私達で手分けして方法を探し出し――」


「まあ待て、イルブルギ。我の言葉を早合点するな。我はこう言ったのだ、〝伝承を紐解いても解決にはならぬ〟とな。クロノに気を落とすなと言ったのも、そんな事をしている暇などない、と思ったまでよ」


「ヴァロン様には、他に何かお考えが――」


「そうさな……ない事もない。だが、それを教えるには我からも条件がある」


 そういってヴァロンさんは組んでいた腕を解き、机の上にある一枚の石板を手に、言葉を継いだ。きっと、あの話の事だろう。


「先ず、先日話した我が望み――これを受けると約すならば、汝の世界を救う方法について我の思う所を語ろう。更に――」


 思わせぶりな口調で石板を片手で持ち上げ、肘掛けで頬杖をつきながら不敵に笑うヴァロンさんの双眸に、青い輝きが妖しく宿る。


「――救世を成し遂げた暁には、当書庫にある一切・・の閲覧許可をくれてやる」


 彼の提案に反応したのは、横に立つファティさん。その顔には少しばかりの驚きが浮かび上がっている。


「――ヴァロン様、一切というのは……これらの特殊文献も含むのですかな?」


「然様。モルドニアの救世を託す以上、報酬として不足はあるまいよ」


「――御意」


 ファティさんはその一言で再び沈黙する。


「受けるかどうかの前に、救世を行う手段について、ヴァロンさんの考えを聞かせて貰えますか。俺の頭では皆目見当が付きません」


「ふむ、そうさな。汝、空異跳陣デラスを使えるのであろう?」


「どうやらそのようです。百年後の地球に行ったらしいので」


「未来に飛べるのであれば、過去にも飛べる。簡単な事だ」


「――過去に……一体過去で何をすると? パラドックスはどう解決するんです?」


「その〝パラドックス〟とは如何なるものか?」


「――逆説とも、背理ともいいます。時間遡行に関して一番有名なものは、親殺しのパラドックスでしょう」


「ああ、成程。その言葉なら解る」


 この世界ではパラドックスという言葉が通用しないようだ。俺は言葉を変え、更に例文を交えて説明する。


「簡単にいえば、俺が数十年の過去に戻ったとします。そこでとある人物を死なせてしまったと仮定しましょう。この人物が俺を生んだ親であった場合、その後の未来は一体どうなるのか……という考え方です」


「ふむ。汝が生まれる前に親の存在を消してしまえば、汝が生まれてくる事は無い。だが汝が生まれてこなければ、そもそも汝の親を過去で消した人物が、いなくなる。つまり汝は生まれてくる事になり、その汝がまた……これが永遠に続くな」


「その通りです。これこそ時間遡行が不可能な証明であるというのが、俺の世界での定説になっています」


「理解した。我も実際に過去へ飛んだ事はない故、確かな事は不明。関連する文献が悠久書庫レムスタルニカにあるという記憶も皆無である。汝が過去で果たした行為がその後の未来にどう波及するかについては、無責任ながら未知数であると言わざるを得ぬ」


 ヴァロンさんはそれだけ呟き、口元に指を当て沈思の表情を見せる。そこに割って入ってきたのは、俺の膝の上で香箱を作っているディアだった。


「ぼくも、じしんニャい。でも、かのうせい、ふたつある」


 一つ、過去で何をなそうと未来は変わらない。または過去で俺達が干渉した結果が今の未来に繋がっている、という考え。

 二つ、過去で俺達が干渉をした結果、それは元の未来(つまり今俺達がいる場所)とは異なる世界に分岐し、異なる未来を歩み始める、という考え。


「……いずれが真理なのか、我にも判然とせぬ。あるいはそれ以外にも可能性があるやもしれぬ……だが、過去に飛ぶ事そのものは可能。そして、この世界を蘇らせよと我が守護者たる賢者様が御言葉をお遺しになられている以上、我は諦めるなどという選択肢を取る事を是とするつもりはない」


「では改めて質問します。過去に飛んで、何をせよと? 逆説を避けるために必要な事も含めて、考えを聞かせて下さい」


「幸いにして、ここは悠久書庫レムスタルニカ。モルドニアが滅ぶまでの王国史は全て収めている。過去に起きた出来事を知り、過去でその出来事を崩さずに行動する。その上で――」


 つまり、ディアの説明の一つ目にあった『過去で俺達が干渉した結果が今の未来に繋がっている』という考えに基づいて動く、という事だ。万が一そうならなくとも、可能な限り齟齬を小さく抑える必要性も考えなければならないけど。

 そして、ヴァロンさんの言葉は続く。


「――過去から可能な限りそこに住む者達を救い出し、この世界に連れ帰る。これが我の考える方策だ」


「ヴァロン様、それではやはり歴史が変わってしまう事になりませんでしょうか?」


 それまで黙って話を聞いていた涼香さんが質問するが、ヴァロンさんはその言葉を受けて即答する。恐らく彼の中では道筋がもう定まっているのだろう。


「通常ならばそうであろうな。現在に至るまで文明が連綿と続いているのであれば、それこそ〝パラドックス〟だったか、そこら中に溢れかえるであろうよ」


 だが――と言い、ヴァロンさんは椅子から立ち上がって俺達の前にゆっくりと歩み寄りながら語り続ける。


「不幸にして、モルドニアは滅びている。先日も伝えた筈だ、この地には汝らを除き生者はいないとな。隕石の影響でこの星は劫火に包まれ、一切が尽く焼き払われた。何をせずとも〝パラドックス〟とやらは、最早砕け散っていよう」


「…………」


「無論、飛ぶ先の時代は厳選する必要がある。詳しくいえば、隕石が落下する瞬間を狙うしか、歴史を崩さず、未来を取り戻す術はなかろう。問題は――」


 ……軽く仰ってますが、隕石が落ちる瞬間を狙うっておかしくないですかね?

 いいたいことは解りますけどね。なるべく歴史を大きく崩したくないという前提を考えると確かにそのタイミングしかないのだろうけど……

 それにしたって、文明を滅ぼした隕石が落ちる瞬間って、リスク高すぎでは。


 ――そんな俺の内なるツッコミをよそに、そこで一旦ヴァロンさんは口を閉ざし、手に持っていた石板を目の前に掲げる。先ずは彼の話を最後まで聞こう。


 ヴァロンさんは机の前でゆっくりと歩きながら、勿体を付けた態度で俺達の反応を楽しんでいるように見える。まるで講義の内容を理解していない生徒を面白おかしく観察している教授のような、ある意味きざったらしい振る舞いだった。


「――我らに都合のいい遡行点そこうてんが、果たしてあるのか、という事だ」


 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 遡行点とは何か、と? まあ、良かろう。協力を仰げるならばその程度は容易い。

 以前にも説明した通り、空異跳陣デラスは無条件に好きな時間へ転移できる訳ではない。

 正確にいえば『過去を遡る際に様々な制限が存在する』のだ。

 この概念を異郷人オールが正しく理解するためには、理解すべき概念が今一つ存在する。少々複雑やもしれぬが、我の話をよく聞け。


 我が今手にする石板は【刻識石板ボルデアルカブ】という。これはこの星、この世界が歩んできた歴史を刻んだものだ。年表、といっても構わぬ。

 悠久書庫レムスタルニカはこの刻識石板ボルデアルカブを保管するのが主な責務。他にもこの地で著された書物や絵画、音楽などの文献を収蔵、保管するのも大事な役割ではあるが、重要なのはこの刻識石板ボルデアルカブ故、今は捨て置け。


 この刻識石板ボルデアルカブだが、歴史が動く際に自動で刻まれる。流石に日常の乱闘などという軽微な事象については記されぬが、おおよその事件や事故などは遍く石板に刻まれ、後世に伝えられると思って差し支えないだろう。


 一度この刻識石板ボルデアルカブに刻まれた事象は、未来からの改変は禁忌、あるいは不可能だ。先程風妖人エールが言ったように何をしても変わらないのか、全く別の世界に発展するかは不明なれど、ここにある事象は動かす事能わず、と思っておくのが無難であろうよ。


 ――と、これが刻識石板ボルデアルカブに関する基本概念である。


 そしてここからが本題だが――遡行点もこの刻識石板ボルデアルカブに刻まれているのだ。

 遡行点とは空異跳陣デラスまたは空異転陣ケラスによって〝異なる時空間を往来する〟転移門が開かれた痕跡を指す。時空軸の歪みが石板に記録されるという仕組みである。


 つまり空異跳陣デラスを用いて時間遡行をする際、この遡行点に合わせなければ、術式は成立しない。何故なら未来から過去を改変する事は禁忌、あるいは不可能だからだ。

 ただし刻まれているのは歪みが生じた時間のみ。転移門が出現した場所については記録に残っていない。転移する時間さえ合わせれば、理論上はどこでも門を出せる、という事だ。無論、【魂鎖堂零マダガラウム】などが張られている場所は無理だがな。


 未来については話が異なる。今回は詳しく説明しないが、現在から未来への跳躍は基本的に任意の時間に飛べる。何故なら、その時点での歴史が未確定だからだ。

 時間を操作せぬただの転移は、説明の必要もあるまいよ。単純に転移門が開かれ、その事実が刻識石板ボルデアルカブに記録されるだけの話だ。


 ただしこれにも注意が必要だ。空異跳陣デラスを使い未来へ跳躍すると未来の刻識石板ボルデアルカブにその事実が刻まれる。すると、そこまでの歴史が確定してしまうのだ。だがこれは、過去程には問題視されないだろう。未来から過去を改変する事は出来ぬが、その逆も然りという事にはならぬであろうからな。


 空異跳陣デラスを用いた時間遡行に関しては他に禁忌や留意点があるが今は説明せずとも良いであろう。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~


「――以上が、遡行点の概念である。汝にはその遡行点の一つを用いて過去に赴き、滅びゆく文明から可能な限り民を救い出して貰いたいのだ。空異跳陣デラスが使えなければ不可能な所業である。これを成せるは汝をおいて他におらぬ」


「……話を聞いて、ますます事の重大さに震えが止まりません。時間を下さい」


「構わぬ。重ねていうが、我らは千年以上も待ち続けた。今さら数刻延びようとも、大して違いはなかろうよ。しかし――」


 頬杖をついたヴァロンさんが、俺と涼香さんの顔を交互に見比べながら、何事かを得心したような笑みを浮かべる。


「これで合点がいった。我が汝らの顔におぼろげな既視感を覚えた理由が分かった。汝らとは確かに、過去で顔を合わせているのであろう。はっきりと覚えておらぬ故、袖触れ合った程度ではあろうがな」


「――確かにそのような事を仰っていましたわね。私がまだラスパイア王国で研鑽を積んでいた時、ここにはお世話になりましたけれど……」


「――はて、ヴァロン様のお言葉を受けて思い返すと、私めもうっすらと記憶があるような、ないような……」


 横で相変わらず直立姿勢を保ち続けているファティさんも追従する。それにしてもいくら幽霊とはいえ、ずっと立ちっぱなしでしんどくはないのだろうか。

 ――ないのだろうな。きっと。


 そんな事よりも、今回の話だ。過去に飛んで世界を救え、隕石から民を救えとは、何という恐ろしいお願いだろうか。普通に考えれば自分に務まるとは到底思えない。あまりにも荷が勝ちすぎる話であり、どうしても二の足を踏む。


 しかし、ヴァロンさんはこれを〝交換条件〟だといった。この話を請けなければ、悠久書庫レムスタルニカで調べ物をするのに支障が出てくるのだろう。


「――仮に俺がこの話を謝絶すると、悠久書庫レムスタルニカでの調べ物は……」


 という細かい事を確認せずにはいられない、慎重臆病な俺だった。


「無論、随意に致せ。ただし、特殊文献の閲覧許可は出せぬ。それはあくまで救世の助力を乞うた見返りである故にな」


「ちなみに特殊文献というのはどういう内容の――」


「それも言えぬ。ただし、唯一無二の知識や術式がそこに眠るとだけいっておこう。ともすれば……汝の目的にも関わるものやもしれぬな?」


 これはもうフラグでしかないだろうな。俺は詳しいんだ。

 ……そして。


「ケン、ぼくもちからかす。いっしょに、がんばろう」


「当然私も助力致します。黒埜さんだけに任せる訳には参りません」


 元々こちらの要望だけを通すつもりはなかったが、話のスケールの大きさに尻込みしていた俺。だがしかし、これで腹をくくる事ができた。


「――分かりました。最善を尽くします」


 ――こうして俺は、正式に二つの世界を救う第一歩を記した。

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