第十一話 一念発起

 時分はもう昼間に近い午前、俺と涼香さんは二人で、繁華街に足を運んだ。大きなターミナル駅の改札口を抜け、待ち合わせの人でごった返している大きなビジョンの横を抜けると、さして広くない道に抜ける。車道にトラックやタクシーが溢れ返り、歩道はまっすぐ歩くのも困難な程の人混み。雑居ビルがそこかしこに林立していて、夕暮れ時にもなれば喧騒は更に度合いを増すだろう。


「やはり大きな街ですね。人の流れが多くて、慌ただしくて――」


「ええ、そうですね。一応西日本では一番大きな街ですから」


「かつての私の国の王都も、このように混雑していましたけれど……」


 そう言いながら辺りの景色を見上げ、照りつける陽光を手で遮りつつ自分の記憶に思いを馳せる涼香さん。この時間はとにかく人が多い。ここに来て少し失敗したかなとも思ったが、涼香さんは案外楽しんでくれているようだ。


 そんな涼香さんは軽装だった。藤色の薄いブラウスにベージュのロングスカート。帽子は被っていないが、熱中症にならないか少し心配。


「そういえば以前にもちらほらと出てきていましたが、ラスパイア……でしたっけ、涼香さんの国」


 以前にも出てきていた〝ジェスティ〟や〝ラスパイア〟などの名前は、多分彼女達の世界にある地名、それも国の名前だろうという予想はついているが、確認した訳ではない。こんな場で聞くのもどうかとは思ったが、俺は話を振ってみる事にした。


「その通りです。私はラスパイア王国で生まれ育ちました。一通りの教育を受けた後ドルムセイル城塞という場所に配属され、任務を帯びてこの世界に来たのです」


「成程、王都と言うからには王国だろうとは思いましたけどね――それではディアの言っていた〝ジェスティ〟は?」


「――詳しく話すと長くなるので割愛しますけれど、ラスパイア王国の隣に位置した帝国……それがジェスティです」


「ということは、ディアも涼香さんのいた国の近くにいたと――」


「そうですね。ですがこの話をすると本当に長くなるので、また近い内に改めて」


 涼香さんはそれだけ言うと、『蒸しますわね』と言って、再び空を仰ぎ見る。

 本当に話が長くなるというのもあるだろう。歴史とはそういうものだ。だが彼女の対応は、あまり触れたくないという意識もにじんでいるように思える。


 もしかしたら、態度に出さないだけで涼香さんはやはり自分の世界が千年以上前に滅んでしまった事を気にかけているのかもしれない。いや、きっとそうだろう。


 ――良く考えてみれば涼香さんやディア、そして茨木だって俺と同じ境遇なのだ。いや、俺は『未来』、彼女達は『過去』の出来事な分、こちらの方がまだマシだ。

 だが、そんな彼女達が自分の置かれた状況を差し置いて、俺の心配をしてくれる。

 彼女達の気遣いに感謝すると同時に、自分が何もできていない事が歯がゆい。


「――日が暮れるまでには帰るとして、今日は何を……黒埜さん?」


「えっ、あ、少しぼうっとしていました、すみません。何でしたっけ?」


「気分が優れませんの? 大丈夫ですか?」


「いや、ちょっと考え事をしていただけですよ。大丈夫です」


「……それなら良いのですけれど。それで、今日は何を買いましょうか?」


「そうですね、靴がボロボロになってきているので――」


「あら、それは良いですわね――」


 そんな事を話しつつ、俺達の一日は始まり、時間が経っていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ケン、リョーカ、おかえり」


 色々と店を巡ってあれこれと買い物を済ませ、部屋に戻ったのはおやつ時を過ぎた時分だった。俺も涼香さんも両手に荷物を抱え、玄関に置いて一息つく。

 ディアも存分に昼寝を堪能したのだろうか。異世界人の転生した姿とはいえ、猫は寝るのが仕事のようなものだ。


「涼香さん、お金を持っていないなら持っていないと先に教えて下さいよ……」


「それは本当に申し訳ありません。山での暮らしが長かったものですから」


 ――それとこれとは関係がない気がするぞ?

 千年以上、この人はどうやって暮らしてきたのだろうか……?

 想像するのは少し怖い気がするので、やめておくとしよう。


 そんな事を話しつつ、俺は荷物を片付けながら、昨晩考えていた事を彼女達にいつ話そうか、そのタイミングを測っていた。順当なら晩飯を食べた後だろう。


「ケン、サバカン、サバカン」


 ディアは相変わらずサバカンにご執心のご様子。だが今は荷物を片付けているからもう少し待っておくれ。


「黒埜さん、これはどちらに――」


「――それはその棚の上に――」


 ――こうして、日は落ちてゆく。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 晩飯もつつがなく終わり、涼香さんの淹れてくれたお茶をすすって、何とはなしにテレビを見ている。昔から続いている、一日ぶっ通しで行われる生放送番組だ。

 ――本当にそれで地球が救えるのならば、十二年後にその力を発揮して欲しいね。


 そんな事はさておき。

 話を切り出すなら今が最適だろう。俺の人生の、重要な分岐点だ。


「――ディアと涼香さんに、少しお話があります」


「ニャ?」「はい?」


「俺は――」


 続く言葉を音にする間際、様々な思い出がフラッシュバックし、これまでの全てが俺の脳裏を駆け抜けてゆく。一瞬言い淀んだ俺は、それらを無理やり振り払った。


「――俺はモルドニアに行こうと思っています。あの幽霊が『救世を成して欲しい』と言ったからには、世界を救えば暮らせるようになる……そうなんですよね?」


「えっ――黒埜さん……どうしたんですか、急に……?」


「あの世界を救えるのは俺をおいて他にない、あの幽霊はそう言っていましたよね。だったら……俺に何ができるのか分かりませんが、俺が役に立つのなら……」


「ケン、ほんとうに、それでいいの? むこうに、すみたいの?」


「そうだな。この世界もあと十二年で滅んでしまうんだろう? しかも人類の力ではどうしようもない、宇宙規模の災害で……」


「――じゅうにねん、ある。そのあいだに、ニャんとかたすけるほうほう――」


「助けて何になるんだろうか」


「えっ――黒埜さん、一体何を」


「いえ、色々考えていたんですよ。もう二人には話したと思いますけど、俺は仕事をクビにさせられました。しかも、濡れ衣でね。友人達に話を聞いて欲しくても、誰も連絡がつかなかった。誰も俺の話なんか聞いてくれなかった。誰も自分の都合でしか動いてくれなかった――」


「――――」


 涼香さんは俺を不安そうに凝視し、ディアは瞳を緑に輝かせながら、何も言わずに俺を見据えている。だが――俺はもう、後には引けない。


「もちろん滅んで欲しい訳じゃない……でも、俺の居場所がもうどこにもないんだ。裏切られて捨てられて……誰も味方をしてくれない……なら、俺を必要としてくれる所に行って――」


「――そして、そこで、しぬの?」


「――しっ、死にたいだなんて誰もいって――」


「ウソ」


「うっ、嘘なんかじゃ……」


 しかし、その言葉を言い切る事はできなかった。本当に、嘘ではないのだろうか?


「――ケン」


 気まずい沈黙がしばらく続いた後、ディアの言葉が俺にかけられた。


「いきているいじょう、ぜんいんみかた、そんニャこと、ぜったいニャい」


「……」


「いきていれば、てきもできる。うらぎりもある。あらそいもおきる。ぼくもそう。ニャかまにうらぎられて、いのちうしニャった」


 諭すような彼女の言葉が痛い。得も言われぬ説得力が俺の耳を突く。彼女は前世で仲間に裏切られ、背後から襲われて死んだのだと話していた。そんな彼女の言葉は、俺にとって重くない訳がない。


「でもケン、わすれニャいで。いきていれば、ニャかまもできる。しんらいもある。へいわも、やすらぎも、しあわせも、つかめる。ケンにもある。ぜったいある」


「ディアちゃん……」


 涼香さんの声に構う事なく、ディアが俺へ次々と言葉を、そしてそれに込められた想いを投げつけてくる。


「だから、ケン。このせかい、みすてたらダメ。じぶんのせかいうしニャうこわさ、きみ、しらニャい。じぶんのせかい、きらったらダメ。ニャにがあっても」


「……黒埜さんに申し上げた通り、私は今や貴方を守護する立場です。私達と一緒にあちらの世界へきて頂くのは、もちろん嬉しいのですけれど――」


 ディアの言葉を受け継いだ涼香さんも、穏やかに、噛み締めるようにつぶやく。


「――今日、あの街を見ました。人が多くて忙しなかった。ですが、道行く皆さんの笑顔が――私には眩しかったのです。それにあの赤く大きな……観覧車、でしたね、落ち着いたら、あれに乗ってみたいと思いました。この地を守りたいとも」


「……」


「黒埜さん、私はモルドニアの者です。けれど千年以上この世界に留まって、色々なものを経験し、見聞して参りました。この世界も、私は大好きなのです。ですから、皆で一緒に探しましょう――モルドニアとこの世界を救う方法を」


「涼香さん……ディア……」


 ――ああ、何だ。俺の事を考えてくれている人は、ここにもいた。

 北海道に住む妹、会社で俺を守ろうとしてくれた先輩。そして、異世界からきた、涼香さんとディア。

 ……そうだ、俺は全てを失った訳ではなかった。自分の事ばかり考えすぎていて、目が曇ってしまっていた。


「……ありがとう。何といえばいいのか分からないけど……俺は――」


 続く言葉を音にする間際、様々な思い出がフラッシュバックし、これまでの全てが俺の脳裏を駆け抜けてゆく。一瞬言い淀んだ俺は、それらを全て受け止めた。


「何ができるかは分かりません。ですが、力を貸してください。そして、何とかして見つけ出しましょう――この地球と、モルドニアを救う方法を」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――また、あの夢を見た。明晰夢だから、本当にタチが悪い。


 隕石が落ちて来る。

 何度も繰り返された地獄絵図。吐き気を催す気にすらならない。


 万物が燃え、焼け、枯れ、焦げる。あらゆるものが赤に飲み込まれてゆく。

 俺の中のあらゆる感覚が、凄絶な光景に悲鳴をあげる。


 ……この夢は本当に、何を俺に見せようとしているのだろうか。

 分からない。分かりたくもない。


 俺はそのまま、目をうっすらと開けた。俺の隣にはディアが丸まって静かな寝息を立てている。彼女を起こさないように俺はベッドを下り、冷えたビールを取った。


 苦いが心地よい喉越しが、微妙に火照った身体を冷やしてくれる。背中に張り付く汗が気持ち悪い。俺はそのままシャツを脱ぎ捨て、タオルで汗を拭った。


「――ケン、だいじょうぶ? ニャんか、うニャされてた」


 洗面所で鏡に映った自分の顔を見ていると、後ろから声がかけられる。


「済まない、起こしてしまったか」


「もんだいニャい。それより、ほんとうにだいじょうぶ?」


 俺は新しいシャツを着込んで、ベッドに腰かける。横にちょこんと座ったディアの頭を優しく撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らす。本当に普通の猫と変わらないな……


「子供の頃から、変な夢を見るんだ。隕石が落ちてきて世界が滅ぶ――そんな夢を」


「そうニャのか。それ、ファトランのはニャしと、にているニャ」


「ああ、そうだな。あんな話を聞いたから思い出したように夢を見てしまったのか、偶然〝また〟見てしまっただけなのか、分からないけどね」


「かんがえても、しかたニャい。もう、ねよう。あしたから、またいそがしい」


「そうだな。今は――三時か。変な時間に起きたものだ」


 俺はそう言って、毛布を直して被り直す。どうせ眠りに落ちてしまえば、毛布など蹴っ飛ばして何処かにやってしまうものだけど、寝直す時ぐらいは直さないとどうも居心地が悪くなる。何故だろうね。


『ファトランのはニャしと、にているニャ』


 ――そうなのだ。伊吹山で気絶した時といい、異世界で聞いた話といい、どうしてこうも、俺が幼い頃から見ている悪夢と奇妙に繋がろうとしてくるのだろう……


 横で再び丸くなるディアに背を向け、俺はそんな事を考えながら、今度は赤くない世界に旅立った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 次の日、それまで珍しく晴れ間続きだった天気が一気に崩れ、空は雨模様。頭痛が酷いが、今日は涼香さんやディアと今後の予定について話し合う事になっているので余りダラダラともしていられない。


 〝二つの世界を救う方法を探す〟という目標は昨晩固まったが、具体的な方策は何も見えていない。今日は漠然とした目標に向かうための方向性と、大雑把な予定を決めようという事になっている。


「モルドニアを救う方法は、恐らくヴァロン様の胸の内にあると思います。私達はそれを一度きちんと確認した上で、本当にできるのかを検討した方が良いでしょう」


 梅昆布茶を飲みながら、涼香さんが口火を切る。その件について俺に異論はない。


「あと、この地に降りかかる災厄についても何が起きるのかは予め分かっています。それを回避、もしくは防御する方法が悠久書庫レムスタルニカで見つかるかもしれません。この星の技術水準では間に合わなくとも、モルドニアの技術や知識で対処できる可能性がある以上は、調べてみる価値は充分にあると思います」


「ケン、かくにんしたい。すーぱーふれあ、いったいどんニャものだ?」


 ディアから質問を頂いたのだが、自分の知識では概略しか分からない。そこで俺はノートパソコンを開いて検索してみる事にした。涼香さんが画面を覗き込んでいる、というよりノートパソコンそのものに興味を持ったようだ。


「私が住んでいた伊吹山でも一台、こういった道具は持っていましたけれど、現代のものは本当に小さくなっているのですね……黒埜さん、後で使い方を教えて頂けると嬉しいのですけれど」


「ええ、話し合いが終わったら。それで、スーパーフレアとは――」


 太陽フレアとは、太陽における爆発現象。別名・太陽面爆発。

 太陽系で最大の爆発現象で、小規模なものは(中略)。

 生命に有害な宇宙線を多量に含んだ太陽風が降り注ぎ、地球上のあらゆる生物から機械まで、深刻な影響を与える自然現象。

 極大スーパーフレアが発生すれば、地球を保護するオゾン層や電離層などを破壊し地上にこれらの宇宙線が到達する可能性が高いと言われている。もしそうなった場合地上における生命活動の維持は極めて困難、または不可能となる。


「ふうん……つまり……どういうこと?」


 やっぱりただサイトに書いてある事を読んだだけじゃ伝わらなかった。ここは俺が自分で解釈して説明する他はないだろう。


「つまり簡単に言えば……太陽からとてつもない熱風が吹き付けられて、あらゆるものが焼き尽くされる――そう思ってくれたら間違いないと思う」


「ニャるほど、わかった。モルドニャーにも、にたようニャはニャし、ある」


「ディアちゃん、それはもしかして〝ケルデメニアスの憤激〟の伝承ですね?」


「ん、そう。あれも、だいちてらす、あかきほしの、いかりのはニャし」


 その伝承を簡単に聞いた所、現象そのものは多分そう大きく違わなかった。大地を照らすあの赤い太陽が猛烈な熱風を吹き付けて、あらゆるものが焼き尽くされたと、伝承は伝えているらしい。


「その伝承には確か、その時に文明を営んでいた祖先がいかにして災厄を逃れたかを記した章があったと記憶しております。私も士官学校で一度だけ講義を受けただけで詳しくは覚えていないのですけれど……」


「分かりました。ではその伝承について、モルドニアの図書館で調べれば何かしらの手がかりは見つかる可能性が高い、という事ですね」


「ん、そういうことだニャ。ほら、ケン。きぼう、いきニャりでてきた」


 ディアの言う通りだ。スーパーフレアという現象を遥か昔に経験し、その対処法も後世に伝えている可能性がある伝承が、異世界に存在する。解決できるかできないか分からないけど、調べてみない事には始まらないのだ。


「兎にも角にも、もう一度悠久書庫レムスタルニカに向かいましょう。調べ物をするには最適ですしヴァロン様にももう一度詳細を伺う必要もあるでしょうから」


「分かりました。それでは、次はいつ向かいましょう――」


 そんな俺の問いは、突然鳴らされたドアチャイムに遮られる。このマンションにはセキュリティゲートがある筈だけど、いきなりドアチャイムを鳴らされるとは、一体誰だろうか――


「おう、ちょい開けえや。荷物重たいねん」


 インターホン越しに聞こえる茨木の声。『荷物が重たい』とは一体何の話だろう。俺は不吉な予感を胸に抱きつつ、ドアを開ける。そこには――


「アパート引き払ってきたわ。ここに住んどった方がコンビニにいくんも楽やしな。んじゃ、今日から世話んなるで」


 ――大きなスーツケース二つを引きずった、茨木の姿があった。

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