第十話 地球未還
――お家に帰ってきたら自分の故郷がなくなっていました。
これだけを聞くと何の話だか分からない事と思う。
「ここは、一体、何処、なん、だ――」
今俺は、瓦礫の山と化した大地を目の当たりにしていた。
俺の家はどこに? アパートは? ビルは? 道路は? 何もかも見当たらない。かつてそうだったのであろうものなら山程ある。ひん曲がった信号機らしき鉄柱に、たわんだケーブル線。建物は朽ち果て、見る影もない。路線バスやトラックの残骸がそこらに横転して放棄され、土埃のような白い何かに覆われている。
空を見上げれば下弦の月が東の空に浮かんでいる。丑三つ時を過ぎた辺りだろう。
人の気配などあろう筈もない。それどころか、動いているものすらない。
さらに、今の環境は――
「ケ、ケン! だい、じょう、ぶ……!?」
「お、おい黒埜! 自分こないな環境で、人間の癖に何平気なツラしとんねん!?」
「くっ……今すぐ、結界を、用意します! 少しだけ、どうかご辛抱を!」
二人と一匹が苦悶の表情を浮かべている。訳が分からないが、かなりまずい状況であるのは窺い知る事ができた。と思っているうちに、世界が〝裏返った〟。
涼香さんが中腰で膝に手をつきながら、息を整えている。相当苦しそうだ。
「だっ、大丈夫ですか黒埜さんっ!? ここは、とても
「俺は何ともありません! それよりも、一体ここはどこなんですかっ!? 俺達は地球に戻ったのではないんですか!?」
「黒埜、まさか陣の構築を失敗したんちゃうやろな?」
「そんな筈はないでしょう! よしんば俺が失敗していたとしても、あのくしゃみが原因だと思いますけどね!?」
「ああ、やかましい怒鳴るな! それよりもホンマ一体ここどこやねん!?」
あっ、こいつ話を逸らしやがった! いい性格してるよ本当に!
こめかみに青筋が立ちかけたが、俺は顔にも態度にも、ましてや声にも出さない。無職マンたるもの、常にクールたれなのだ。
「――結論から申しましょう。ここは確かに地球、黒埜さんの家があった場所です」
「えっ、こんな廃墟じみた場所が!?」
淡々とした涼香さんの言葉に思わず声を荒げてしまうが、内心納得している自分も確かに存在した。目に入る景色のそこかしこに面影が存在しているのだから。
しかし一体何が……一日も経っていない筈なのに、何がどうしてこうなった?
そして、涼香さんの言葉はそこで終わりではなかった。更に俺達は衝撃的な一言を彼女の口から聞く事になってしまった。
「――ただし、時間は
「ひゃ――百年後!?」
「はい。信じられないでしょうけれど、事実です。転移門に刻まれた位置情報は問題ありませんでしたが、時間だけ、ちょうど百年未来を指しておりました」
「どっ、どうして――」
といいかけ、俺は口をつぐんだ。原因なんて
「どうしてそうなったのか、今はおいておきましょう! まず、転移門が残っている今のうちにモルドニアに戻って、正しい時間でもう一度戻らなければ……」
「でっ、ですが! おかしいでしょう! 一体百年後の地球はどうなって――」
「おい黒埜、落ち着け!」
「これが落ち着いていられるかっ! 何だよこの世界! これじゃまるで滅亡――」
その続きは、茨木の右手によって止められた。俺は顎を掴まれ、目を赤く光らせた茨木に真正面から睨まれて、二の句が継げなくなってしまう。
「――しやから黒埜、落ち着けいうとんねや。この世界は、自分だけやなくウチらやディアにとっても生きていかれへん環境になっとる。他の所がどうなっとるかまでは知らんがな、この調子やとこの世界全体が似たようなもんや。こんなとこにおってもできる事なんぞ何もあれへんで。今は一旦戻るんが先決や、分かったか!?」
「わっ、
「茨木、お離しなさい! 黒埜さんを殺すおつもりですかっ!?」
その一言でようやく茨木が手を離してくれたが、顎がきしんで痛みが治まらない。馬鹿力にも程があるだろう! ましてこんな時に――
だが、落ち着けという言葉はその通りだ。俺は、今自分が置かれた状況を考える。
結界を通じて見える景色は地獄かと見紛うばかりの廃墟。文明の残骸らしきものが俺の視界と意識に虚しく映り、空に浮かぶ弓張月が冷たく大地を照らしている。
遠くに見える連なる山々の形にも見覚えがある以上、ここはかつて俺が住んでいた土地なのだ。だからこそ余計に、一体何が、何故――という思いが強い。
――俺の人生、メチャクチャじゃないか……?
濡れ衣を着せられて会社をクビになり、婚約者には逃げられた。
道端で出会った白猫と美しい鬼たちに請われて異世界に行ったら滅んでいた。
そして一旦地球に戻ってこようとしたらそこは百年後で、どうやらそこも――
一体俺が、何をしたっていうんだ!? 〝運がない〟で済ませられるほど生易しいレベルじゃないぞ、これは……
俺は一体前世で何をやらかしたっていうのか……!?
俺のせいでなければ、神様は本当に意地が悪い!
――などと恨み言をいってみても始まる筈もない。
とりあえず現状を受け入れるしかない。地球の未来は暗澹たるものだった、と。
「涼香さん、ここが百年後の地球だというのは分かりました。であればモルドニアへ戻る前に、一体何が起こったのか、手がかりだけでも探せないでしょうか……?」
「ケン、きっとむり。このせかい、ニャにもけはい、かんじニャい」
「――いえ、ディアちゃん。一つ、手はあります」
ディアが投げた匙を、涼香さんが空中でキャッチする。何か手立てがあるようだが一体何をどうするというのだろうか……ディアのいう通り周囲には何も見当たらず、何を調べればいいのかすらも分からない。暗中模索とはこの事だろう。
「長居はできませんが、少々の時間であれば、私たちなら耐えられます。この辺りに魂が残留していたらそれを捕らえて、それから戻りましょう」
「たっ、魂を捕らえる? 魂なんかどこに……それに、捕らえてどうするんです?」
その問いに、涼香さんは緊張を解かず、しかし穏やかな口調で答えた。
「――私は
□■□■□■□■□■□■□■□■
〈伊吹! こっちや! こっちにぎょうさん固まっとるで!〉
〈分かりました! 今すぐそちらに向かいます!〉
俺とディアは涼香さんが作ってくれた結界の中で待機中。現在の環境にある程度の耐性があるといっていた涼香さんと茨木が結界を出て、周囲を探索していた。
彼女たちの声が意識の中に響く。茨木が使った【
〈リョーカ、ハルカ。もうあまり、じかんニャい。てんいもん、そろそろきえる〉
〈ありがとうディアちゃん! もうあと数分で戻れますから大丈夫です!〉
宣言通り涼香さんは茨木が見つけた魂の群れを回収し、転移門の元へ戻ってきた。そして何とか俺達は、転移門が消える前にモルドニアへ戻る事ができたのだった。
再び鬱蒼とした森に戻った俺は樹木にもたれかかって腰を落とす。
――まだ信じられない。
地球全体が滅びたのか、それとも日本だけなのか、あるいはあの地域だけなのか、一切情報がない。ただ茨木のいった『他の場所も似たようなもの』が真実だとすればあの星はすでに生存に向いていない環境だといってもいい――
「――おい黒埜」
――今の地球に戻ったとして、俺に何ができる? 最大限楽観的に見て大阪だけがあんな状態になるのだとしても、俺にはどうする事もできやしない。
俺は、一体どうすれば――
「おい、黒埜! 呆けとる場合か! 今から伊吹が大事な話をするんやで! お前が聞かんでどないすんねん!」
「えっ――そんなに時間……経ったのか?」
「もう伊吹は大体の事情を聞き出した。あとは自分待ちや、シャキっとせえ」
「ケン、だいじょうぶ。きっとケンのせかい、たすけるほうほう、ある。みつける。でもいま、リョーカのはニャし、きいたほうがいい。いっしょに、きこう」
「あ……ああ。済みませんでした、涼香さん――お願いします」
三対の視線を一身に浴びた涼香さんは、俺の言葉に一つ頷く。しかし、その表情はとても暗く、とても深刻で、しかしどこか機械のように冷徹だった。
「――覚悟してお聞きください。相当大変な事になっています」
~~~~~~~~~~~~~~~~
涼香さんの話はそれこそ人類史の最悪をなぞるような展開で、俺は文字通り言葉を失った。茨木は頭を掻いているが、やはり顔は渋い。ディアも無言のままだった。
話を分かりやすくするため、俺達が昨日転移門を出してモルドニアに転移した日を起点として、聞いた話を時系列にまとめるとこうなる。
転移日から二年後の冬、猛烈な感染力を持った病原菌が東のとある大国で大発生。瞬く間に世界に拡がるも、管轄機関が『パンデミック』の宣言を見送って、その結果各国の対応が後手に回ってしまう事態に発展してしまう。
最終的に『パンデミック』は宣言されたもののそれはすでに手遅れとなっている。この宣言は東の大国と歩調を合わせた『策謀なのではないか』という疑惑が噴出し、批判合戦まで起き始める。
そして世界各国は蔓延を防ぐ為国境封鎖を相次いで発令、物流と交流が途絶える。
失業率が跳ね上がる。各国が補償を相次いで実施した結果、債務も膨れ上がって、経済は死に体同然となり、民心が急速に悪化。
夏に差し掛かる頃に、北半球では収束の兆しを見せるものの、南半球で更に猛威を振るい、世界同時の根絶とまではいかず、病原菌が循環するような形で地球を巡り、世界は緩慢に、しかし確実に蝕まれてゆく。
更に二年後、債務不履行に陥り破綻する国家が出始め、暴動や騒乱が各地で勃発。世界連合は機能不全に陥る。東西の超大国が責任のなすり合いから経済戦争、または軍事摩擦などの紆余曲折を経て断交寸前となり、修復困難な状況に陥る。西の大国はその間にも病原菌感染が拡散、選挙で指導者が変わったりするなど、混迷を極める。各国は東西の大国がそれぞれ覇権主義、圧迫外交主義に舵を切り始めるのを端緒に、その動きに倣う形でそれぞれ孤立主義、軍拡主義に舵を切る事となる。
また、経済的に安定している国も自国民に経済、食料、人道支援などを行う一方で復興目的の特別税を徴収し始めるという滑稽ながらも深刻な悪循環、債務不履行へのスパイラルへと陥ってゆく。
その更に四年後、病原菌の発生国とされる大国が、疲弊しきった周辺国家群へ宣戦布告を行った直後に領土領海への侵攻を始め、北に隣接する国々と軍事同盟を締結、太平洋を隔てた超大国と衝突し第三次世界大戦が勃発。『赤の同志』と『青の連合』と呼ばれる陣営に別れ、各地で激しく干戈を交える。
そんな中、遂に局地的戦術核が撃ち込まれて領土が汚染される国が続出する。
そして『赤の同志』に属するとある独裁国家が、日本の主要都市に向けて核弾頭を立て続けに撃ち込み、統治機能がことごとく壊滅状態に陥る。さらにその報復として『青の連合』諸国が戦術核を撃ち返し、人類は不可逆的な衰退の道を歩む。
――この戦いは総人口が十億人を切る程、苛烈を極める事となる。
大戦は六年続くが、これを終結させるものは人類の良心でも経済の疲弊でもない。
第三次世界大戦は、大気圏の外でも繰り広げられる。熾烈な宇宙戦の影響で様々な人工衛星が破壊され、通信や観測などの手段は前時代へと逆行する。
その間隙を縫って、地獄の業火が襲いかかって来るのだ。
全てを育み、あるいは照らす母、太陽。
その太陽が、まるで『愛しい子の体に巣食う無益な害虫』を駆除するかのように、突如として地球に牙を剥く。
極大スーパーフレア。史上最大のフレアが発生し、成層圏以上を完全に破壊。
地球のありとあらゆる防護構造が吹き飛ばされた後、太陽風や宇宙線に曝されて、全て燃えてしまう。宇宙規模の巨大なヒートガンの前にある、むき出しの林檎。
地上の一切が燃え尽き、更に猛烈な量の紫外線や宇宙線が容赦なく照り付ける。
こうなっては、戦争どころではない。人類はほぼ残らず死滅するだろう。
そして、そのスーパーフレアによって人類がとどめを刺される日。
西暦二×××年三月二十日。
――人類の余命、あと十二年。
ああ、俺の心は最早、真っ黒に染まろうとしている。感情の抑えがきかない。
□■□■□■□■□■□■□■□■
「――黒埜さん」
「……何ですか」
「まだ、終わると決まった訳ではございません。あくまで私達が垣間見てきたものは未来なのです。あと十二年ありますから――」
「あと、十二年?
「お願いします、落ち着いてください。途方に暮れたい気持ちは分かりますが――」
「落ち着いて何になるっていうんですか!? 俺の人生って一体何なんですか!? どうして俺ばかりこんな目に遭わなくてはならないんですかっ!? もうイヤだ! やっぱりあの日、あのまま電車に――」
「黒埜さん――」
「裏切られて見捨てられて、挙句の果てに帰る場所もなくなって、大事な家族までも皆喪って! 理不尽にも程がある! どうして……どうしてっ……!」
「――アヌバエイラ」
やり場のない様々な負の感情が森の空気の中に吐き出され、俺は我を失いかけた。それを柔らかなディアの言葉と緑の光が包む。すると、それまで我が身を苛んでいた闇が嘘のように消え失せてゆく。
「ケン、おちついて。これからどうするか。いま、それがだいじ」
「ディ、ディア――」
「黒埜、ディアに感謝しーや。あと少しでウチがきついゲンコツ見舞っとったで」
「――本当に済みません。取り乱してしまいました……」
「大丈夫です、黒埜さん。貴方の気持ちは本当によく分かります。やりきれなさも、無念さも……先の見えなさも」
「……」
――そうだ。あまりの展開の目まぐるしさに失念してしまっていたが、涼香さんも茨木も、そしてディアも――千年以上前に故郷が滅んでしまっていたのだ。
俺一人で絶望して喚いて叫んで……理不尽な人生だという気持ちは変わらないが、それと同等、あるいはそれ以上の悲しみや無力感を抱いていてもおかしくない人達がそれでもぐっと叫びたいのをこらえているというのに……
――ん?
待てよ、何かがおかしい。
ディアはモルドニア世界から地球に転生してきた種族だと言っていた。しかしこの世界は千年以上も前に滅亡したと――であるならば……
ディアは一体、いつの時代からきたんだ?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――あと、たった十二年……」
今俺は、自分の部屋でベッドに突っ伏している。
茨木は用事があるといって、さっさと帰ってしまった。涼香さんとディアは結界の裏側で休むという。
『
『ん、きばらし、ひつよう。ぼく、るすばんしてる。ふたりで、いくといい』
涼香さんが結界の裏側に入り込む直前に言い出した提案にディアが賛同した事で、明日の予定は決定された。
自分の体臭が染み付いた枕に顔を埋めると、
――荒野と化した、未来の地球。
人が住めるような場所ではないという、過酷な環境。
そして、人類がそこまでに歩んだ道程。
どこをどう切り取っても、洋々たる未来とは程遠い光景。
多分、実際に地球はあと十二年で滅んでしまうのだと思う。今の俺は完全に
俺は確かに異世界の大地を踏みしめた。異世界の化物を目撃した。異世界の現状を聞いた。そして何より、異世界の力を自分で使った。
今までの常識など、最早何の足かせにも、基準にもなりはしない。
やはりこの世界があと十二年で迎えるという結末も、信じる方が現実的だ。
――この話に比べれば、俺がこの数ヶ月で受けた仕打ちなんて生易しいのだろう。
元職場で受けた非道な扱い、元婚約者に言われた言葉、連れ去られた猫――
――前言撤回しよう、中々ハードな展開だった。
そして、改めて思う。こんな世界に、俺は固執する必要はあるのだろうか?
昔の偉大な小説家が書いていた。『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい……』
言葉面だけは、何となく今の境遇に似ている感じがする。
「あれば人でなしの国にゆくばかり……か」
本来の意味とは乖離しているが、モルドニアはその〝人でないもの〟の世界。
千年以上前に滅んでしまったとの事だけど、そんな世界で出会った幽霊によれば、『救う手立てはある』らしい。そして、それを成せるかは俺次第だ――とも。
俺はずっと自分なりに奮闘し、人のため自分のため、あるいは世界を少しでも良くするために生きてきたつもりだった。だが、これまでの自分を否定したのは〝人〟という存在だった。俺はその人が作る社会に弾き出されてしまった。
ならいっそのこと〝人でなしの〟モルドニアに自分の居場所を求めてみるか――
夢と現の境界線を彷徨いながら、俺はそんな事を考え……そして眠りに落ちた。
――ああ、何だ。
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