第九話 空異跳陣
場が静まり返っている。誰も何も語らないどころか、身動き一つ取っていない。
そんな事を考える俺も、この話を聞いて語る言葉を一切持てなかった。
何という事だろう。世界が既に滅び去ってしまっていた、など。
だが、それを語る存在がいるというのは幸運なのか、あるいは悲劇なのか。俺には判断を付けようもないな。余りにも重い。重すぎる。
彼女達の心中は如何ばかりだろう。かつて住んでいた世界が、遥か大昔に滅んでしまっていたという事実を知らされた絶望の、その重さ、その深さ、その冥さ。
隣の席に目をやっても、椅子に座ったまま口を閉ざす涼香さんの表情は窺えない。だが膝に置かれた拳が固く握り締められ、微かに震えているのが分かる。
茨木は、腕と足を組んだまま、渋い表情で目を閉じている。
ディアは――相変わらず表向きは冷静なようにも見えるけど……一体何を考えて、何を見据えているのだろうか。
「是が世界の現状だ。生者はなく、希望もなく、道標すら失せた。星に穴が穿たれ、元に戻す術はこの
「――ヴァロン様、今の話で確認したい事がございます」
「申せ」
「はい。『辛うじて遺された文明の残滓は全て土砂の中に埋もれる事となった』との事ですが、ドルムセイル城塞も、現在は地中に埋もれているという事でしょうか?」
「然様」
「どこに埋もれているのかは、分かるのでしょうか?」
「分かる。だが、それを知って何とする?」
「私は、そのドルムセイル城塞に所属しておりました。地中に遺されているならば、そしてその姿を見られるのならば――是非この目で確かめたく思います」
「ふむ、なるほど。地上にある【
「構いません。私が仕えたお方が治めていた地の末を、この目で見たいのです」
「そうか。ならば随意に致せ。我がその議について関知する事はない」
「――しやけど、これでウチら、帰る場所ものうなったな……
「むこうにかえって、せいかつする。それもいい」
「ええ……ウチ、またあの生活に戻るんか……しんどいわ……そうや、黒埜。ウチを養え。そうすりゃ解決やで」
「何の解決ですか何のっ!?」
軽口を飛ばした茨木に大声で反応してしまった俺。ファティさんから『書庫内ではお静かに』と窘められ、やや理不尽な思いをしたのはご愛嬌……なのか?
「帰るで思い出した。クロノとやら、汝は
そのやり取りで先程の一件を思い出したらしいヴァロンさんが質問してくるので、俺は首肯を返した。するとヴァロンさんの瞳の青い煌めきが一際輝きを放つ。
「よもや
「もっ、紋? 見せるとは、一体何をどうすれば――?」
「簡単な話であろう。手の上に陣を展開すればよい――このようにな」
そう言いながらヴァロンさんは右掌を上に向け、低い声で何かを詠唱する。すると彼の掌の上に青く光るホログラムのような、小さい魔法陣が浮かび上がった。
「ヴァロン様、申し訳ありません。黒埜さんにはまだそのやり方を教えておりませんでした。急を要するものではないと思っておりましたので……」
「よい。
――ん?
何か、即席の授業が始まる感じになってしまっていますね?
まさかこんな場所、こんなタイミング、こんな状況でそんな話になるとは……
幸いにして、唱える言葉そのものは短くて簡単であった。早速、教えられた言葉を復唱してみよう。
「
その瞬間、俺の掌から白く輝く魔法陣が姿を――現さない?
いや、魔法陣は出てきている。正確には、魔法陣を分解したような
中心にある紋様と外周の魔法円はこれまでにも見たものだったが、中間に描かれた紋様が何も浮かんでいない。お絵かきツールでレイヤーを非表示にしたかのような、歯抜けのイメージ。
「――あら、おかしいですわね。詠唱は問題なかった筈ですのに――」
そう言いかけた涼香さんを遮るように、突然大きな声と物音が安置室に響き渡る。その紋様を見たヴァロンさんが、座っていた椅子からガタっと勢いよく立ち上がり、俺の元へと慌てて駆け寄ったのだ。その両眼はこれまでになく強く光り輝いている。まるでそれは混乱と惑乱を色にしたかのようで――
「――イルブルギ。汝はこれを
「えっ――ヴァロン様、そっ、それは一体どういう――」
「よく見るのだ! これは断じて
――ん?
――んん???
一体何が起きている? ヴァロンさんが目を見開いて俺の掌の上に浮かぶ魔法陣を凝視し、驚愕に固まっているのは雰囲気から分かる。
だが――今、俺の身に何が起きているんですか!?
「――ッ!? えっ、こっ、これは、ま、まさか――!!」
「ようやく気づいたか。これは
~~~~~~~~~~~~~~~~
――
大忘術。空間と次元に加えて時間を越えて、あらゆる場所への転移が可能となる。ただし、時間を越えた転移には様々な条件や縛りがあって、無条件に好きな時間軸へ転移する事は不可能。
太古に失伝した
――簡単にいうと、条件付きのタイムマシンだ。
□■□■□■□■□■□■□■□■
ヴァロンさんの説明が、部屋の中に響き渡る。今俺は、何を言われたのだろうか。〝大忘術〟という言葉は以前涼香さんとディアの
「――よもや、大忘術が現代に蘇ろうとはな……汝の正体、俄然気になるものよ」
「黒埜さん、申し訳ございません。まさか貴方が遥か昔に失伝した
「い、いえ、それはいいんですが……それでよく無事に転移できたね、と――」
「その心配は無用だ。今も説明したが汝の
と、目の前で文字通り以上の意味で眼を輝かせている(気がする)ヴァロンさんの言葉を受け、俺は先程の言葉を詠唱しなおした。当然最後を
しかし、一体何故俺が
「これが
「細かい所に差異がございますけれど、確かによく似ています」
「何や黒埜、自分思ったよりけったいな事なっとんな……」
けったいとは失礼だな君は! 俺だってなりたくてなった訳ではないのです!
そして失敬な事をいう茨木とは裏腹に、ディアは俺の事を持ち上げていた。
話を聞いていたヴァロンさんは口に手を当て、何事か考える仕草を見せている。
「――ファティ」
「御意」
簡潔すぎるやり取りの後、ファティさんがローブの裏から布地を何枚か取り出し、色とりどりの石板が並ぶ陳列棚にかけてゆく。布地は光を完全に遮断し、部屋の中を照らすのはファティさんとヴァロンさんの体から発せられる青い光のみとなった。
――というかあのやり取りだけで指示を出せるヴァロンさんも、何の指示なのかが分かるファティさんも、訳が分からないよ!?
「こやつらにはしばしご退席頂きました」
「うむ。余計な情報を与えぬも、我らが務め。さて――」
ファティさんの言葉に頷いたヴァロンさんが、次いで俺に目を向ける。
「……成程、我が守護者たる賢者様が遺された御言葉の意味がようやく理解できた。我が待ち望んでいたのは、正しく汝であったのだろう」
そんな風に何事かを一人で得心しながら、ヴァロンさんは面白そうに頷いている。対照的なのがファティさんだ。何を言われても全く直立不動を崩さない。多分あれはそういうポーズなのではなく、緊張でガチガチになっているだけではないだろうか。
何となくそんな気がするが、深くは突っ込まないでおこう。
「――これで、汝にかけるべき言葉は定まった」
暫く俺の顔をジロジロと眺めていたヴァロンさんがニヤリと不敵な笑みを浮かべてそんな事を呟いている。俺にかけるべき言葉は定まった――だって?
「そ、それは一体どういう――」
「――我が守護者様の御言葉通りに、汝がここへと到った。そして我もまた、世界の全てを包む事なく伝えた。であれば、我が次にかける言葉など、自明の理であろう」
そう言いながら、ヴァロンさんは細長い人差し指を突き出し、俺の鼻先に向けて、静かに――しかし厳として次の言葉を放った。
「汝には力あり。その力をもって、どうか救世に力を貸して頂きたい」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ああ――確かに面影があります……あれは、城塞の中央尖塔――」
今俺達は、涼香さんの先導で
「ケン。ぼく、あるける。かかえてもらってうれしい。けど」
「大丈夫だディア。地面に何が落ちているか分からんし、お前さんは重くない」
「――ん、ありがと」
――
選択権は俺に委ねられた。『汝にその気がなければ是非もなし』とヴァロンさんは決断を急がなかった。
『どうせ千年以上も待ったのだ。今さら急いても仕方あるまいよ』
『――済みませんが、さすがに今ここで決めるには話が深刻すぎます。俺に一体何ができるのかも分かりませんし――』
『ヴァロン様、その話を受けるか否かを含めて今後どう進めていくのかはさておき、先ず片付けたい事がございます』
戸惑い逡巡する俺の言葉を遮るようにして、涼香さんがヴァロンさんに口を開く。
彼女によると、片付けたい事とは主に以下の用件だった。
一つ、ドルムセイル城塞の遺跡を探し、過去に葬られた同胞を弔う。
二つ、食料を確保するために一旦地球に帰還する。
三つ、再度モルドニアに来る場合、地球側で後始末と準備を進める。
『ふむ、道理である。汝らには飲食が必須。分かった。急ぎはせぬ。腹が決まったら再び我が元を訪れよ。そこで何をなすべきか、語ろう』
――といったやり取りを経て、今俺達は森の中に埋もれたドルムセイル城塞、その遺跡にやってきていた。
「――――」
苔と蔦に覆われた、かつては尖塔であった構造物。千年の時を越え、ヴァロンさんの言葉を借りれば『暴れまわる熱風と劫火と、降り積もる瓦礫と風雨』を耐え凌いだそれに対して、全容を知らない俺でも畏敬の念を抱かずにはいられない。
涼香さんは蔦や苔を振り払い、むき出された石壁と自分の胸に手をあて、黙祷するかのように押し黙って俯いている。
横髪に隠れてよく見えないが、もしかしたら泣いているのかもしれない。
――一体、何を想い、誰に祈りを捧げているのだろう。
俺が終わりを迎えた時、俺にもこんな風に祈りを捧げてくれる人はいるだろうか。
まだ日が高い筈なのに薄暗い森の中、俺の心は周囲と同じように鬱蒼としていた。
□■□■□■□■□■□■□■□■
「では、そろそろ一旦黒埜さんの部屋に戻りましょうか」
涼香さんが自分の内にあった何かに踏ん切りをつけ、心なしかすっきりしたような顔で振り返る。茨木は相変わらず面白くもなさそうな顔をしていたが、茶々をいれるような真似もせず、静かに涼香さんの行動を見守っていたようにもみえた。
「ん。おニャかすいた。サバカン、たべたい」
「せやな。ウチもミクド食いたいわ……腹減った」
「黒埜さん、こんな時にこんな場所で申し訳ありませんけれど、折角ですので一つ、講義を致しましょう」
「伊吹、何悠長な事言っとんのや。向こうに帰ってからでええやろ」
――ここは茨木と同じ気持ちだ。今それをここでやる意味が俺には掴めない。だが涼香さんは彼女の言葉を聞き流し、更に続ける。
「先程ヴァロンさんの前で
そう言いながら何かの紋様を掌の上に浮かべる涼香さん。確かこれは
「ええ、折角ですし
「勿論詠唱すべき術式も失伝しておりますし、
「な、なるほど……? 分かりました。では
「ちっ、はよせえや……こっちは腹減ってんねん」
「ハルカ、がまん。ケン、がんばってる。みずさし、げんきん」
「分かっとるよディアちゃん。こうなったら付き合うしかないわな」
青空の下で行われる、臨時講義。涼香さんの説明を要約すると大体こんな感じか。
すると光の玉が徐々に魔法陣の形を取っていくが、組み上がってゆく速度は個人の資質と経験、後は対象となる
言われた通りにやってみよう、先ずは
それから、頭の所までそれを移動させて……
魔法陣を組み立てて……これが一番時間と集中力が求められる。
「大忘術ですから、時間がかかると思います。焦らず、じっくりといきましょう」
そんな涼香さんのアドバイスも、どこか遠い音にしか聞こえない。
よし、今の所は集中できている。構築は順調だ。あとは座標を――
あれ、そういえばどうやって座標を指定するんだ?
「……あ、あの涼香さん……座標はどうすれば……」
折角組み上げた魔法陣がバラバラに崩れてゆく感触が体内を駆け抜けてゆく。だがこれは転移門を作るためには欠かせない要素なので、聞かざるを得ない。
「あっ、そうでした。済みません。とりあえず黒埜さんの家がある座標は――」
やっぱり聞き慣れない文字列だが、これを頭に入れておいて再度
「ぶえええええええええっくしょい!!!!」
ちょっと誰だ大事な所で盛大なくしゃみをしたのは!!!!
涼香さんはイメージ的にこんなえげつないくしゃみをしない筈。ディアはそもそもこんなに大声を出す事ができない。となれば、残るは――
「……!!!」
涼香さんが思いっきり、隣にいる茨木の頭をどついていた。
本当に勘弁してくださいよ、結構これしんどいんですからね。
「――
思わぬ妨害が入ったが、俺のその言葉で魔法陣が完成した。
以前よりも複雑な形状をした門が俺達の視界を支配する。
そういえば
――そこまで考えて、ふと俺は『この世界と俺の世界に時差はあるのか?』という疑問にぶつかった。初回の転移時、地球が朝の時にはこちらが夜だった。一旦戻って夜に転移してきたら、こっちは明るかった。今は夕暮れ時に差し掛かっているけど、これで向こうに戻ったらどんな時間帯なのか確認してみよう。
むしろこの世界と俺の世界って、一日の進み具合は同じなのだろうか……?
「黒埜さん、お疲れ様でした。では参りましょうか」
「ちっ……あない強くドつかんでもええやんか……」
「ハルカ、げひん。すこし、れいぎべんきょうして」
「おいおいディアちゃん、きっついでそれ……ウチ傷つくわ」
これでもキャバクラで指名トップなんやでとかいっているけど、ディアはそもそもキャバクラが何なのかが分かっていないから意味のない主張ではある。
さて、そんな話はどうでもいい。一旦家に帰ろう。
そう思いながら、転移門を開けたのです、俺はね。
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