グレートエスケープ

きさらぎみやび

グレートエスケープ

 学校へと向かう方とは逆の電車に乗ってみようと思ったことに、別に理由はない。


 あえて言うなら少し冷たさを纏いはじめた秋風に背中を押されてのことだった。いつもの通学電車を待つホームの反対側、階段を上りきった私を出迎える様に滑り込んできた電車に踏み込むと、嚥下するようにドアは閉まった。


 冗談みたいに遠ざかっていく学校を思うとくすくすと笑いが込み上げてくる。変に思われやしないか、と少し心配になりこっそりと周囲を見回すと、つかの間の同居人たちはちらりと目線をこちらに向けるものの皆一様に無関心を装っていた。


 食道のように狭い住宅地の隙間をすり抜けていく線路の先には、胃袋を思わせる大きな街が広がっている。栄光も挫折も欲望も後悔も丸ごと受け入れる悪食な街へと、車内の人々の大半が飲み込まれていった。


 そこを過ぎれば、線路は腸のように曲がりくねり始める。

 窓を流れる景色はさっきまでとは装いを変え、昔話のような風景が山間に広がっている。


 あちこちで野焼きの煙が上がっていた。まるで示し合わせたように。私の逃亡を知らせる狼煙のように。

 私と世界を繋ぐ板に表示された繋がりの強さを表す三角形が小さくなる前に、私は自ら電源を切った。たったそれだけのことで私はぽつんと取り残されたような気持ちになる。温もりを求めて椅子に深く座りなおす。


 そういえば、冷房から暖房に切り替わったのはいつだったのだろう。

 季節は滑らかに主役を交代していた。


 人もまばらな車内では、普段は気にもしなかった環境音が聞こえてくる。

 たたん、たたん、と穏やかなリズムを繰り返す走行音は、寄せては返す波を思わせた。

 波に揺れる小舟を思い浮かべるうちに、少し眠ってしまったらしい。

 いつの間にか窓の外には本物の海が広がっていた。


 とぼけたような秋の日差しに誘われて、海に面した駅で下車した。昼食代が詰まったICカードのおかげでなんなく改札をすり抜けると、目の前には穏やかな海。ついこの間まで火傷しそうな熱を持っていたはずの砂は、人肌の温もりを持って足元に広がっている。


 波打ち際を歩いていると、困ったような顔をした白い犬と出会った。

 待ち受ける様にしゃがみこんだ私の所まで、心配そうに駆け寄ってくる。


(どこから来たの?)と心の中で問いかけると、「どこから来たの?」と問いが返ってきた。驚いて振り返ると、私の後ろにいつの間にか女の人が立っていた。焦茶色のフレアスカートに、濃い緑色のカーディガン。どうやら白い犬の飼い主のようだった。


「その制服、この辺りの高校じゃないよね」

「……」


 答えかねていると、くすりと笑ってその人も私の隣にしゃがみこんだ。

 行儀のよいことに、そのさらに隣に白い犬も座り込んだ。


「サボりかな?」

「……ええ、まあ……はい」


 他に答えようがないので素直に肯定すると、ぷふっと吹き出して「ずいぶんと素直に答えるのね」と膝の上で両手で頬杖をつきながらこちらを見つめる。


「なんでサボっちゃったの?」

「……なんででしょうね。なんとなく、です」

「ふーん」


 女の人はそれだけ言うと、それ以上私を見ることもなく、ただ秋の海を見つめている。私達の間には、穏やかにリピートする波の音と、白い犬のへっへっ、という呼吸音が流れていく。知らない人がすぐ隣にいるのに、なんだか妙に落ち着いた気持ちだった。


 どれだけそうしていただろうか。


「コーヒーでも飲もっか。すぐそこに犬も連れて入れるカフェがあるの。奢ってあげる」


 唐突に女の人は立ち上がって、スカートについた砂を払うと、こちらを見下ろしてそう告げる。そのまま私の答えを待たずに歩き始めた。白い犬も黙って後をついていく。


 私は慌てて立ち上がり、砂を払いながら女の人を追いかける。

 防波堤のすぐそばに、小さなコーヒーショップがあった。


 勝手知ったように女の人は店に入ると、一番奥の席に座る。その足元で白い犬も伏せをする。注文もしていないのに、コーヒーが2杯運ばれてきた。女の人が口をつけるのをみて、私もおずおずとコーヒーを口に含む。思ったよりも体が冷えていたのか、ゆっくりと飲み込むと温かいコーヒーが喉を通って胃に流れていくのが分かった。


 ほとんど会話もしていないのに、全てわかってもらえたような心地がする。


 コーヒーをじっくりと時間をかけて飲み終わる。一杯のコーヒーをこれだけかけて飲んだのは初めてだった。


「……帰ろう、かな」


 女の人は何も言わずに頷いた。「ごちそうさまでした」とお礼を言って、私は駅に戻り、ちょうど来た電車に乗りこんだ。

 ボックス席の窓からぼんやりと外を見つめる。

 自由、という言葉の意味を初めて理解した気がした。

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