おまけ エリと雑賀の放課後

 秋も冬に近づいてきた十一月の下旬。秋風が落ち葉を僅かに舞い上げてからからと立てる音は、否応なしに季節を感じさせていた。

 東校舎、古い木造校舎の床は踏みしめるたびに木が軋む音がしている。床が軋むのは年中変わらないはずだが、エリはその音さえも秋のゆったりとした時間の流れを喜んでいるように感じていた。


 エリは亜麻色の髪に秋の夕日をたくさん浴びて、東校舎の階段を上り進めた。エリが一段ずつ上ると、その動きに伴って髪もゆさゆさと揺れていた。普段とは異なり、左右の髪を編み込んでハーフアップにした髪型を、エリは少し大げさに揺らしていたのだ。


 東校舎の二階の一番奥。そこには、部員僅か四人の弱小天文部の部室がある。

エリは部室の前までくると、鞄から手鏡を取り出して前髪を整えた。


「お疲れさまでーす!」

「ああ、エリちゃん。お疲れ」

 エリが元気よく挨拶をすると、雑賀は小さく微笑んで応えた。


 エリは自分の指定席に座ると、編み込まれた髪をやはり少し大げさになびかせてみた。

 しかし、すぐにそれはただエリの髪が揺れただけのことになってしまった。雑賀はエリの期待とは異なる話題を始めたからだ。


「そういえば、エリちゃんたち一年生は模試なかったの?」

 雑賀は複数の問題冊子と参考書を突き合わせていた。

「……あー、ないですよ。今日の模試は二三年生だけみたいです」

 問題冊子に目線を落としたままの雑賀を、エリはじっと見つめた。


「センパイは……髪サラサラですよね」

 エリは意味ありげな視線をちらちらと送り、雑賀の様子を伺った。しかし、雑賀は「そうかな」と言うだけで、そこから話は進展しなかった。

 エリは少し不満げな表情で頬杖をついた。


「センパイは勉強たのしいですかー?」

 エリは雑賀に悟られないほど僅かな嫌味を込めて訊いた。

「うーん。たのしすぎて腹がよじれるっていうほどではないかな」

 問題冊子のとあるページの一点を見つめたまま、雑賀は片手間に応えた。エリはそんな雑賀を器用だなと思いつつも、寂しい気持ちになった。


 エリはしばらく雑賀を観察していると、ふとペンを動かす雑賀の手が止まり、一瞬表情が険しくなった。それはすぐに普段の柔和なものへと戻ったが、ごく小さなため息が雑賀からこぼれた。雑賀は少し雑に参考書のページを捲り、強い筆圧で何かをいそいそと書き込んだ。


「センパーイ」

「あぁうん」

 エリの呼びかけに生返事で返す雑賀に、エリはむっとしてしまった。


「センパイっ!」

 突然声を張り上げたエリに、雑賀はばっと顔を上げて目を見開いた。

「ど、どうしたの?!」

 驚いたような顔でエリを見る雑賀に、エリは口をきゅっと横に結んで、雑賀の参考書を取り上げた。


「センパイ、なんかいらいらしていて嫌なかんじです! 全然私のほう見てくれないし……」

 エリは参考書を取り上げるなんて幼稚だとは思ったが、その胸にぎゅっと抱いた。

「そうかな……ごめん」

 雑賀は目じりを下げ、ぼんやりとエリを見ていた。エリはその目に無性に腹が立った。


「勉強熱心なセンパイも……好き、ですけど、もっと肩の力抜いたらどうですか? それに無理していらいらしているのを隠さなくても、私は気にしないのに……」

 エリは思わず雑賀から視線を反らしてしまった。

 雑賀そんなエリの様子を見て、はっと我に返り、問題冊子を片付けた。

「気を使わせてごめんね。ピリピリしてて、感じ悪かったよね」


 エリは雑賀の行動に今一つすっきりできず、ぎゅっと参考書を強く抱きしめた。

「……エリちゃん?」

 エリの挙動の理由がわからない雑賀は、必死に原因を探した。しかし、結局その理由は分からないので、不思議そうにエリを見つめるしかなかった。

 エリは自分が抱いていた淡い期待に少し恥ずかしくなり、そして切なくなった。


「髪……」

 エリが悔しそうに呟くと、雑賀はいつもとは違う編み込まれたエリの髪を見てはっとした。

「その髪型、綺麗だね。かわいい」

「もう遅いですーっ! フンっ!」

 エリはくるりと背を向けて拗ねてしまった。背中を丸くするエリに、雑賀は困ってしまった。


「……やっぱり、遅かったか」

 申し訳なさそうに表情を強張らせた雑賀は、そっぽを向いてしまったエリを見つめた。

 すると、窓からオレンジ色の淡い光が差し込み、エリの亜麻色の髪をきらきらと輝かせた。編み込まれた部分の髪の間にも光が入り込み、それはクリスマスの電飾を思わせるような光景だった。


「エリちゃんの髪は、クリスマスのぴかぴかみたいだね」

 ふと雑賀がそう言うと、エリは顔を赤くして雑賀に迫った。


「ぴかぴかってなんですか! ばかにしてるんですか?!」

 エリは頬を膨らませて雑賀に抗議した。しかし、そんなエリを雑賀は可愛らしいと思ってしまった。


「クリスマスのオーナメントみたいで綺麗だったから、つい」

「べ、別に、いいですけど……」

 いつになく温かく微笑む雑賀に、エリは頬に集まる熱をどこに逃がそうかと考えた。


「そういえばさ、エリちゃん、クリスマスって予定ある?」

 雑賀は照れくさそうにぎこちなく笑った。その笑顔に、エリはさらに頬を赤く染めた。

「せ、センパイとの予定が、すでにあります……」

「そっか。聞くまでもなかったね」

 ふふと笑う雑賀に、エリは雑に参考書を返した。


 沈みかけの太陽が今日最後の光を放って、地平線の奥へと消えていった。薄暗くなった部室には、先ほどまでとは異なる温かさであふれており、エリと雑賀を包んでいた。


(終)

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弱小天文部員、星野エリの放課後 プリン @afterrunning21

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