揚雲雀[あげひばり]
略 たあん
第1話
ちょっと開けたところへ出た。畑が雪に覆われている。人家は見えない。晩冬の日があたりを平等に照らしている。畑のふちにはぱらぱらと低木の茂みがあって、硬い葉に雪を少しずつ乗せている。ところどころに露出した畝を歩いて、畑の半ばまでやってきたところで、僕は揚雲雀を見つけた。
見つけた、といっても本物の雲雀を見たわけじゃない。だいたい、揚雲雀というのは上空で囀る雲雀の声を言ったもので、それを見るというのはおかしな言い方だ。正確にいうなら、僕はそいつを見つけ、ついでそいつを揚雲雀と名付けた。
揚雲雀は低木の陰にうずくまっていた。一抱えくらいの大きさがあって、たぬきみたいな黒茶色の毛にもさもさと覆われている。嘴は細く長かった。どっちかというと豪州だかに住んでいるキウイに似ているようだ。他にこれと行って眺めるべきものもなかったので、僕はしばらくそいつを眺めていた。五分くらい我々は微動だにせずそこにいた。そして出し抜けに揚雲雀は飛びたった。
囀るために飛びたったんだ、と直感された。しかし、上空に舞い上がるには彼はあまりにもくたびれていた。僕は雲雀の生態にも、ましてキウイの生態にも詳しくないけれど、長い冬が彼に食料をほとんど与えていないことは簡単に想像できた。
そんな訳で揚雲雀は一メートルくらい飛び上がってそこで静止してしまった。細長い嘴は垂直に天をさしていた。嘴の下にはふさふさした楕円体の体があるばかりで、翼のようなものはない。冷静になるとどうしてそんな鳥が飛べるのか不可解だけれども、そのときは別になんとも思わなかった。ただ、飛翔の意志と重力がぴったり一致したのだ。
揚雲雀は一生懸命飛翔の意志を持ち続けたけれど、それより一センチも上へはいけないようだった。彼はマグリッドの岩よろしくそこに留まっていた。僕はやはり立ちすくんだまま揚雲雀を眺めていた。
やがて、飛び上がった時と同じ唐突さで揚雲雀はくるりと身を返し、地面へ落下した。さっきは空へ向いていた嘴が、今度は深々と雪に突き刺さっている。
かわいそうに、囀ろうにも口が開けまい。
何かしてやれることがあるとは思えなかったけれど、立ち去ってしまうのも気が引けて、とりあえずぼんやりと周りの景色に目を移した。相変わらず特に何もない。雪の積もった畑がいくらか広がり、畑が終わるところから山が始まっている。針葉樹(おそらく杉)に葉の落ちたブナ科の木々がポツポツと混じる、典型的な日本の山。空を仰ぐと、すっかり午後の太陽だ。雪は徐々に緩んできている。
視線を戻すと、揚雲雀は立ってこっちを向いていた。先ほどは気がつかなかったが首が長い。あるいはこいつはさっきの揚雲雀とは違う鳥なのかもしれない。彼はその首をぬ、ともたげて
「あつい」
と言った。
喋る鳥なんて少々気味が悪い。僕はその場を立ち去ることにした。もはや彼が保護を必要としているようにも見えなかった。
僕はまた畝を辿って山をくだり始めた。今さら、雪が靴に入って冷たいことに気づいた。なんとなく足先がおぼつかない。足を引っ張るような、振り回すような感じで息を詰めて歩いた。
百メートルほど来たところで振り向いて見ると、揚雲雀はまだこちらをじっと見ていた。首が一段と伸び、さらには体全体も大きくなって心なしかエミューのような風貌を帯びている。
ますます気味が悪くなって、足がもつれるのも構わず、畑を抜け、山道に駆け込み、そのまま走れるだけ走った。息が切れたところで、なんとなく予感を感じつつも後ろを確認すると、ずっと向こう、木々の梢の上にぐーんと高く揚雲雀の首が屹立している。そして迷いなく僕を見ている。
あと十歳若かったら、と僕は思った。あと十歳若かったら、あの珍妙な生物と涙ぐましい愛情を育むことができたのに。
揚雲雀[あげひばり] 略 たあん @ryakutaan
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