12話 信仰心


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 僕の名前は黒翼神太郎。

 神様なんて、この世にいないと思っている小学一年生だ。


 僕のお家はお寺だ。


 だけど、みんなが知っている普通のお寺なんかじゃない。


 普通。

 お寺でお祈りするのはホトケ様だ。


 でも、うちはホトケ様以外に、もう1人『別の神様』をお祈りする。


 でうす様という神様だ。


 でうす様はホトケ様とは違う神様で。

 この世界を作ったすごい神様だ。


 動物、植物、鉱物、人間。


 すべてを作ったのはでうす様だ。


 でうす様はこの世じゃない、ホトケ様とは違う『別のあの世』に暮らしていて、毎日、感謝のお祈りを捧げれば、でうす様と幸せに暮らすことができる。そう、じいちゃんが僕に教えてくれた。


「ただし、神太郎。でうす様のことはみんなには内緒だぞ」


 じいちゃんがでうす様のお話をする時、必ず僕にそういった。


 僕は「どうして?」と訊くと。


「ご先祖様との約束だからだよ」


 じいちゃんはそういつも返してくれた。


 僕のお家はちょっぴり変わったお寺だ。


 じいちゃんは、お昼は袈裟を着てホトケ様の前でお経を唱える。


 夜は地下に潜って。

 ご先祖様のミイラに囲まれながら、お経じゃない呪文をぶつぶつ唱えている。


 じいちゃんだけじゃない。

 お父さんもお母さんも、夜にはじいちゃんと同じ地下に潜って、ぶつぶつお経じゃない『呪文』を唱えていた。


 呪文を唱える時。

 じいちゃんは木を削った小さな『十字架』を強く握りしめている。

 それは一体何?ってじいちゃんに訊くと。


「ご先祖様のカタミだ」


 と教えてくれた。


 僕もその十字架が欲しいといったけど、じいちゃんは「神太郎が大きくなったら」なと言って、僕の頭を撫でるだけだった。


 正直、僕はでうす様がすごい神様だと思わなかった。

 サンタクロースと同じで、今まで見たことがないし、サンタクロースと違って、じいちゃんたちに枕元にプレゼントもしたこともなければ、じいちゃんたちが困った時に助けたこともない。

 

 でうす様は、ゲームのドラゴンやモンスターと同じで、誰かが作った想像上の生き物だと僕はすぐにわかった。


 じいちゃんに僕はそれを教えてあげようと思ったけど、僕にはそれができなかった。


 じいちゃんは。

 でうす様が本気で存在していると信じているからだ。


 本気で神様を信じているじいちゃんに。

 神様なんてこの世にいない。

 なんて、いうことをいえば……。

 じいちゃんはきっと悲しい顔をする。


 じいちゃんを悲しい気持ちにすることなんて。

 僕にはできなかった。


「お前んち、カルトなんだろ?」


 ある日、学校帰りに隣のクラスの田辺が唐突に僕にいってきた。


 カルト?

 初めて聞いた言葉に、僕は戸惑った。


「父ちゃんが言ってた。お前ん家、危ない家だって」


 田辺のお父さんは、じいちゃんとお金のことで昔トラブルを起こしたことがあって、それ以来、すごくじいちゃんと仲が悪くなったことがあるとお母さんから聞いたことある。


 僕と田辺はクラスが違う。

 とくに僕と田辺は仲がいいとか悪いとかはない。お互い名前は知っているけど、とくに付き合いのある関係はない。友達なんかではない。


 だけど、その日の田辺は。

 なぜか僕にしつこかった。

 しつこく僕と僕の家を馬鹿にした。

 虫の居所が悪かったのか単なる好奇心だったのか。

 一体どうしてなのか、僕にはまるで身に覚えがないし、わからなかった。


「お前の家のじいちゃん、宗教で金儲けしようとしてるんだろ? 父ちゃんがいってた。お前ん家のじいちゃん、人殺しもしたことあるんだって!」


 気がついた時、田辺の鼻から泡立った血が水道みたいに垂れ流れていた。


「神太郎。どうして友達を怪我させた?」


 その日の夜。

 本堂の内陣で僕の対面に座るじいちゃんが、僕に訊いた。


 じいちゃんは厳しい顔で僕を見つめている。

 僕もじいちゃんの顔を真っ直ぐ見つめ返した。


「田辺がじいちゃんのことを悪くいった」


 僕がいうと、じいちゃんは肩を落とした。


「だと思ったわい」


 じいちゃんが僕から視線を外した。

 ぞくっと僕の肌に寒気が走った。


 僕の体が反射的に動いた。


 後ろにのけぞって、気がつくと世界が縦に回った。


 だんっ。


 両足が内陣の畳に強く着地していた。


 真っ直ぐ前を見ると。


 じいちゃんの右の拳が真っ直ぐ僕に向かって突き出ている。


 不意打ちの『直突き』だ。


 ボクシングの右ストレートみたいに捻りが入ってない分、速いパンチ。しかも、じいちゃんのパンチはスポーツ選手よりも速いし怖い。


 まともに当たれば。

 コンクリートブロックを二〇枚一気に打ち砕くこともできる。


 プロ格闘技の人がうちに稽古で来た時、じいちゃんの強さがどれぐらい強いのか聞いたことがある。


 ──あんたのじいさん、バケモノだ。

 ──人間じゃ、勝てない。


 そう一言いった。


「神太郎。お前に『拳法』を教えているのは人を傷つけるためじゃない」


 じいちゃんは右手を引っ込めながら、畳から立ち上がった。


 僕は両手を前にかざし、足を広げて構えた。


 来る。

 来るぞ……。

 次の攻撃が……。

 じいちゃんの攻撃が来る!


 右から?

 左から?

 それとも正面?

 蹴り?

 パンチ?

 それとも掴み?


 じいちゃんの左足が前に出た。


 僕はそれに合わせて、腰を落とす。


 じいちゃんがため息をつく。


「何もせんわ、ばかたれ」


 呆れたような表情を浮かべて、じいちゃんはいった。


「神太郎。お前はこの家から出るんだ」


 じいちゃんが僕にいった。


 え?


 僕の中から張っていた気が抜けた。


「家を出る?」


「お前はこれから養子に出す。もう黒翼の性を名乗ってはいけない」


「どういうことなの?」


 ぼくはじいちゃんに訊いた。

 じいちゃんは厳しい眼差しで僕を見つめる。


「お前が人を傷つけたからだ」


 じいちゃんは答えた。

 冷たい抑揚のない声のトーンだった。


「いくらお前が手加減しようと相手に暴力を振るったという事実を消すことはできない。俺たちは決して暴力を振るってはいけないんだ」


「嫌だ。僕は養子になんかなりたくない! ここから出たくないよ」


 僕はじいちゃんに駆け寄った。


 じいちゃんは僕の前で手をかざし、これ以上に近づくなと牽制した。


「僕なんでもするよ! 毎日お堂の中を掃除するし、でうす様にお祈りもする! ピーマンだって食べるよ! だから、お願い……! 追い出さないで!」


 じいちゃんに懇願している間、僕の頭の中でじいちゃんとの思い出が駆け巡った。


 山の中で猪と戦った思い出。

 海の中で鮫と戦った思い出。

 じいちゃんにミニカーを買ってもらった思い出。

 じいちゃんがお馬さんごっこをしてくれた思い出。


 いろいろないい思い出が頭の中で走馬灯のように駆け巡ると、熱い何かが胸の奥から迫り上がってきた。

 迫り上がってきた熱い何かやがて僕の両眼にまで上がってきて、ぽたぽたと目から熱い水が溢れ出た。


 僕は袖で目を擦った。

 何度こすっても、目から溢れる熱い水を止めることができなかった。


「ダメだ」


 じいちゃんの顔は硬い岩みたいな顔だ。

 ゴツゴツした硬い岩の表面に、シワとか傷が切れ込みのように入っている。いわゆる強面という顔の形をしている。


 その岩みたいな硬い顔が僕をじっと見つめている。

 岩のまま、じっと厳しい目で僕を見つめていた。


「……じいちゃんは、僕のことを嫌いになったの?」


 僕はじいちゃんに泣きながら聞いた。


 じいちゃんは黙っていた。


 僕は涙を袖で拭いた。


「なんで黙ってるの?」


 もう一度、僕はじいちゃんに訊いた。


 じいちゃんは答えなかった。


 答えないじいちゃんに、僕は腹が立った。


「田辺はいったんだ。僕の家が危ない家だって。カルトだっていったんだ」


 じいちゃんは答えなかった。

 黙って僕を見つめている。


「じいちゃん……本当なの?」


「本当だ」


 じいちゃんは答えた。

 僕の体が止まった。


 体の筋肉と頭の中が、ぴたっと動くのをやめた。


 2秒経って、僕の口が動いた。


「……うそでしょ」


「俺たちの家は、世間でいうカルト集団だ。世間様に顔向けできない日陰者の集まりだ」


 じいちゃんはまっすぐ僕を見つめて答えた。


 僕は期待をしていた。


 うちはカルトじゃない。

 田辺のいったことなんて嘘っぱちだ。

 そんなこと間に受けたのか? お前。


 そういってくれることを僕は期待していた。


「俺たちは世間に受け入れられない存在だ」


 じいちゃんはいった。


「見たこともない神様仏様のために命を張る。死んで自分たちが報われるために……時には他人の命を奪うことだって正義だと信じる。それが宗教団体の本質だ」


 外から聞こえるウシガエルの鳴き声が静かになった。


 じいちゃんの声が、堂内で強く聞こえた。


「ましてや俺たちカクレキリシタンは400年間、世間から隠れて信仰している。世間から危ない連中だといわれても仕方のないことだ」


「どうしてなの?」


 僕はじいちゃんを見つめた。


「じいちゃんは悪い人じゃない。ただ隠れてお祈りしているだけで、でうす様にお祈りしているだけなのに、どうして田辺に悪く言われるの?」


「……神太郎」


「違うなら、違うっていえばいいじゃない。じいちゃんは悪い人じゃないっていえばいいのに、どうしていわないの?」


「何者も他者の『信仰』を否定することはできない」


 はっきりとした口調で、じいちゃんは僕に言った。


「それがわからないのなら、この家にいる資格はない。すぐに出ていけ」


 じいちゃんが僕を言葉で突き飛ばした。


 それからの1時間。

 僕はどうやって過ごしたのか記憶がない。


 気がつけば、僕は外にいた。


 夜の霊園の中を、一人で歩いていた。


 ──何者も他者の『信仰』を否定することはできない。


 じいちゃんが放った言葉だ。

 さっぱり意味がわからなかった。


 うちは仏教のお寺だ。

 檀家さんもいるし、お葬式でお経も唱えている。


 なのに、ホトケ様以外の神様が存在する。


 でうす様という神様がいる。


 じいちゃんや父さん母さん、みんな地下に潜って、でうす様に向かってお祈りをしている。


 変だとは思っていた。


 だけど、じいちゃんたちはでうす様にお祈りを捧げていて、それが正しいことだと信じている。


 田辺がいうように、おじいちゃんは間違っているの?


 わからない。


 数分前まで僕は信じたくなかった。

 だけど、今は何を信じていいのか、わからなくなった。


「神太郎……」


 声が聞こえた。


 僕はびっくりして振り返った。


 振り返ると、黒縁メガネをかけたエプロン姿の女の人が立っていた。


「母さん……」


「こんなところをほっつき歩いて……風邪ひくわよ」


 母さんはそういうと、僕のそばに歩み寄ってきた。


「……母さん、僕は家を追い出されるの?」


 僕が聞くと、母さんは僕を見つめた。


「そうならないように、母さんがおじいちゃんと話してるわ。でも……」


 母さんは言い終わる前に、目を伏せた。

 悲しそうな顔だった。


 僕は母さんの悲しい顔を見て、すべてを察した。


「僕は、家から出て行きたくない」


 母さんの前で、僕は自分の心の中の本当のことをいった。


 僕はじいちゃんを馬鹿にされて怒った。

 じいちゃんのために、田辺を殴ったのに、それなのに、僕の意見を聞こうたしないで、一方的に出ていけと告げられた。


 納得いかない。どうしても、納得いかなかった。


「ええ、わかってるわ」


 母さんはいった。

 母さんのセリフを聞いて、かちんと頭にきた。


「わかってないよ」


「え?」


 母さんが驚いた顔でこっちを見た。


 どうしてなの?


 どうして、じいちゃんたちは、でうす様にお祈りを捧げているんだろう。

 自分たちが間違っているとわかっていることを、どうして、やり続けているのだろうか。


 サンタクロースは、お祈りをすればプレゼントをくれる。


 お正月に初詣に来る人は、みな自分の願望を神様にお願いする。


 流れ星を見つけたり、笹の葉に短冊をかかげたり、あるいは藁人形に五寸釘を打ちつけたり……人は自分では到底為し得ない欲望を、『神様』にお願いする。


 サンタクロースは、必ず12月25日にはプレゼントをくれる。


 だけど、でうす様はお祈りをしても、何もくれない。


 くれたことなんて、一度もない。

 聞いたこともない。


 ホトケ様も、その他の神様もそうだ。


 こんなに苦しんでいるのに、神様はお願いごとを叶えたことなんて一度もない。


 神様はこの世界にいないんだ。


 いないから、何もしてくれない。


 僕がじいちゃんのために田辺を殴ったのに、その僕が家を追い出されても、神様は何もしてくれない。


 僕はじいちゃんが好きだ。

 でも、存在しない神様という生き物を強く信じているじいちゃんの生き方が嫌いになった。


 じいちゃん。


「神様はいないんだ」


 僕は声に出してつぶやいた。


「神太郎」

 

 母さんが僕を呼んだ。

 はっと僕は我に返った。


 そうだ。近くに母さんがいたことを忘れていた。


「……神様に会ってみたい?」

 

 母さんはにっこり笑って僕を見つめた。

 てっきり僕は母さんに怒られるかと思った。

 

 神様に会ってみたい?


 それってどういう意味?


「会うことできるわよ。神様に」


 母さんが何を言ってるのか、僕は理解できなかった。

 神様に会うことができるって、どういうこと?

 そんなのできるわけがない。


「おじいちゃんは教えてなかったね。神様は、このお寺に住んでるのよ」


 母さんはそういうと、僕の手を取って歩き始めた。


 神様がいる。

 今まで空想上の存在だった神様がこの世にいるって、そんなことあるの?


 正直、信じられない。

 だけど、神様に会わせるといったのは母さんだ。


 母さんが嘘をつくとは到底思えない。


「ここよ」


 母さんが案内したのは、墓地の奥にある小さな祠だった。

 この祠……たしか。


「じいちゃんがここの祠には触るなって」


「そうよ。だってここに神様がいるんだもの。触っちゃダメっていうに決まってるわ」


 もっともらしいことを母さんはいった。


 たしかに、そうかも。

 でうす様がもしここにいるなら、濫りに触ったりしたらバチが当たるかもしれない。


「今日は母さんがいるから、いいわよ」


 母さんは僕から一歩離れると、祠を指さした。


 僕は祠を見た。


 祠の扉が少しだけ開いている。


 この祠の扉を開ければ、神様に会うことができる。


 神様ってどんな顔しているんだろう。


 動物、植物、鉱物、人間。


 この世界を一から作った神様。

 じいちゃんが毎日お祈りを捧げる神様。


 一体、どんな存在なんだろうか。


 神様にお願いすれば。


 僕が養子に出ることがなく、この家で暮らせるようにしてくれるのかな……?


「神太郎! 離れろ!」


 遠くから声が聞こえた。


 じいちゃん?


 僕は祠の半開きの扉を掴んだ瞬間、じいちゃんの声が聞こえた。


 祠から離れて振り返ろうとした。


 すると。


「あぐ!」


 息ができなくなった。


 ごつごつした硬い何かが、僕の顔面を鷲掴みにしている。


《400年ぶりの娑婆だ》


 母さんの右手が僕の顔を掴んでいた。

 母さんの腕は、母さんの腕じゃなくなっていた。

 2倍3倍と太くなっていて、黒い体毛が肩から指先にかけてびっしりと生えている。まるでゴリラのような太くてゴツゴツした腕だった。


《400年っていう年月は半端がないな。いくら強力な結果を使ったとしても時が経てば効力も弱まってくる……キリシタンどもの結界も、400年が使用期限だってことだったな》


 母さんの顔が歪んだ。

 ぐにゃぐにゃに歪んで、風船のように膨れ上がっていく。

 服も破れて、体中に黒い体毛がわしゃわしゃと生え始める。


 ばさっ。


 母さんだった人の背中に、大きなコウモリの翼が生えた。


 頭にはヤギの角。

 真っ赤な両眼に口が耳まで裂け、唇の中にはカミソリみたいに鋭いギザギザの牙が並んでいた。


 その姿はまさに。


 悪魔そのものだった。

 


 To be continued....

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十字架を背負ったバケモノ 有本博親 @rosetta1287

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