11話 刺青俠



 あたしの名前は白鷺月夜。

 目の前で起きた出来事に対して、脳の処理が追いつかなくなった普通の高校二年生だ。


 あらためていいたい。

 あたしは普通の女の子だ。


 剣と魔法を使った冒険ファンタジーは小説や漫画の世界だけのフィクションだと思っているし、ましてや巨大な仏像を前に、素手で戦う高校生はこの世にいるなんて、想像すらしていなかった。


 今目の前で起こっている出来事を誰かに話したとすれば、きっとあたしは嘘つきだといわれるかもしれない。


 だけど。


 普通人であるあたしは。

 ただ、目の前の出来事を解釈抜きで受け入れるしか、今はできない。そう思った。

 

《あ、あががが……》


 ずずんとオバケ観音の膝が地面に落ちた。


 自分と同じ顔の位置まで落ちたオバケ観音の顔面を、神太郎は冷めた眼差しで見つめている。


 なにが起きたのか、あたしにはわからなかった。


 わかったのは……。


 神太郎の全身から『文字』の刺青が浮かび上がった。

 その刹那。

 地面に穴が二つできた。

 人間の『足の裏』に象られた穴だ。


 穴ができたとあたしが認識した時には。

 神太郎の姿は目の前になかった。


 どっ。


 オバケ観音の膝が地面に落ちた。


 時間にすれば。

 5秒くらいだったろうか。


 その5秒の間に。


 オバケ観音の顔面がめちゃめちゃに歪んでいた。


《あ、あががが》

 

 陶器を鉄のハンマーで殴りまくったように、オバケ観音の顔面の至る所にヒビと亀裂が入っていた。


《て、テメェ……》


 ぺきぺきぺき。


 渇いた音がオバケ観音の中から聞こえる。

 亀裂の数が、時間が経つごとに、顔から全身に増えていく。


 ぱきっ。


 オバケ観音の金色の皮膚の一部が、剥がれ落ちた。


 その瞬間。


 がらがらがらがら。


 全身を覆う金色の皮膚が、堰を切ったように一気に剥がれ落ちる。


 まるで大量の窓ガラスが割れたみたいに、金色の皮膚ががちゃがちゃと音を立てて地面に霧散する。


 金色の皮膚が剥がれ落ちると同時に。

 オバケ観音の体が、頭から一気に崩れ落ちていく。


 あたしが意識した時には、オバケ観音の姿は消えていた。


 オバケ観音の代わりに。

 砂金が混ざった大きな砂山が、神太郎の前にあった。


 ……死んだの?


 あたしがそう思っていると。


《クソガキが!》


 どっと、砂山の中から腕が突き上がった。

 ひっと悲鳴をあたしは上げた。


 死んでないの? まだ……。


《なめたマネしやがって》


 鋭い鉤爪で砂山を掻き広げ、コウモリの羽が生やした毛むくじゃらのゴリラみたいなバケモノ『あすもでうす』の姿が現れた。


 ビルみたいに大きなオバケ観音から。

 サイズがさっきの10分の1くらいに縮んでいる。


 比率感が多少狂ってはっきりとわからないけど。


 多分、2メートルかそれぐらいか。


 小さい。

 そう思った。


 両眼が真っ赤に充血させ、耳まで裂けた鋭い牙を剥き出しにして獣のように喉を鳴らしている。


 神太郎は、口を一の字に固く結び、砂山からあすもでうすをじっと見つめていた。


《てめぇ、その刺青……『死の世界のチカラ』だな》


 あすもでうすがいった。

 神太郎の体が一歩前に進む。


 ばっ。


 あすもでうすの姿が消えた。


 その瞬間。


 神太郎の目の前に鉤爪を振りかざすあすもでうすの姿があった。


《しねぇ!》


 ぐしゃ。


 あすもでうすの振りかざした鉤爪が派手に折れ曲がった。


 5本、全部だった。

 5本の指全て、神太郎の固く握られた右の拳で叩き折られている。


 強烈な雄叫びだった。


 まるでライオンが吠えたみたいな、あすもでうすの強烈な咆哮が、あたり一面に響いた。

 

「ぐっ」


 突然、神太郎の体が止まった。

 

 だらだらだら。


 神太郎の上半身の右肩から左脇にかけて、真っ赤な血が垂れ落ちる。


 血が流れると、全身を覆う神太郎の『刺青の文字』の光が弱くなった。


《く、くくく…やはりそうか》


 あすもでうすの耳まで裂けた口の端が、きゅっと吊り上がる。


 間髪入れず、神太郎は左脚であすもでうすの右足を払い飛ばすように蹴り飛ばした。


 すかっ。


 神太郎の左脚があずでうすの右脚を通過した。


「え?」


 どういうこと?

 あたしは自分の目を疑った。


 神太郎のローキックは間違いなく当たったはずだ。

 なのに、どうして、外れたの?


 今のはまるで、ホログラムみたいに通過したようだった。

 あのバケモノの特殊能力?

 それともあたしの目が追いついてないだけ?


《祝福儀礼を施されようと、所詮は『形骸化された聖具』だ。その刺青の『死のチカラ』も、まともに理解されて施してるわけじゃないな》


 どっ。

 

 あすもでうすの右足の前蹴りが、神太郎のお腹に深々と突き刺さっていた。


 神太郎のお腹にあずでうすの前蹴りがめり込んだ瞬間。


 神太郎の体が、まるでプラスチックのおもちゃのように、放物線を描いて遠くに飛ばされた。


 地面に落ちた頃には、ごろごろごろ!って凄い勢いで転がり、そのままうつ伏せのまま倒れた。


《クハハハハハ! ぶざまだな! カクレキリシタン! さぁどうする? これからどうするんだ?》


「神太郎くん!」


 あたしは立ち上がり、無我夢中で神太郎に駆け寄った。


 バケモノと戦うなんてできない。

 無力なあたしが前に出たところで役立たずなのはわかっている。


 それでも、あたしの体は反射的に神太郎を助けようと動いた。


《おいおいガキは大人しく死ねよ》


 目の前に、突然あすもでうすの姿が現れた。


 あたしの息が止まった。


 あずでうすの鋭い爪が、あたしの体目掛けて振り下ろされた。



To be continued....

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