10話 経文術
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海円寺悪魔騒動事件の目撃者である田辺誠一(52)は、テレビ取材スタッフに対して次のように語った。
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円斎が生きていた頃、一度だけ本堂の中に案内してもらったことがあるんですよ。
本当は部外者である私は入っちゃいけないらしいんですけど、長い付き合いだし、興味あるなら覗いてみるか? みたいな、軽いノリで入らせてもらったんです。
当時の私は、カクレキリシタンってどういう宗教なのかよくわかってなくて、なんとなく妙ちくりなデザインの謎の神様を信仰しているカルト宗教かなにかだと勝手に想像していました。
まぁ、円斎本人が、どこぞの政治団体の宗教法人みたく軽率に自分の宗教の入信を勧めるトンチキ野郎じゃないし、私としても世間に隠れて信仰している秘密宗教の本堂ってどんなものか、ちょっと興味あったので、ちょっとだけ覗いてみようかなって思ったんです。
あれですよ。
観光地に置かれている歴史的な仏像を見る感覚みたいなやつです。酒の席とかでハナシのタネにしようか、それぐらいの感覚した。
「経文術?」
本堂の中に案内する前に、円斎が教えてくれたんですよ。
これから案内する場所には『経文術』に深く関係する場所でもあるんだって。
「その経文術って、坊さんの間で有名な奴なのか?」
そう私は円斎に訊いたら、円斎はかぶりを振りました。
「カクレキリシタンたちの『迷信』みたいなものだ」
当時、禁教令が敷かれた江戸時代。
各地のカクレキリシタンたちは様々な方法で信仰を守ってきた。
魔鏡の技術を応用し、鏡の中にイエスキリストの絵図を仕込む『隠れ切支丹鏡』や、神君家康の人形の首の裏側に十字架を仕込む『仕込み人形』など。
幕府の目を欺くため。
いや。
日の本のこの国に潜む『悪魔』たちに対して。
「あんたらカクレキリシタンが悪魔退治する必殺技みたいなものか」
私が茶化すと、円斎は苦笑して「そうだな」と答えていました。
カクレキリシタンたちはあらゆる方法で隠すことに工夫を凝らしてきた。
その一つに、『経文術』と呼ばれるカクレキリシタンの秘術がある。
そう円斎は捕捉で説明してくれました。
「昔の人間は『トンチキ』なことを考えてやがる。とくに『カクレキリシタン』はかなりトンチキだった。じゃないと、何百年と隠れて信仰なんて続けられねぇだろうからな」
最初に円斎は、海円寺の本堂……『内陣』を案内してくれました。
内陣って?
知らないんですか?
ほら、仏像が祀られた部屋あるじゃないですか。あれが内陣っていうそうなんですよ。
天井に曼陀羅があって、壁際にくすんだ色の仏像とかが設置されているあの部屋ですよ。朝にお坊さんがお経読んでるあそこです。わかります?
で、その内陣ですが、
ぱっと見はなんてことはない、普通のお寺の内陣でした。
でもね。
その内陣。
ちょうど仏像の手前あたりの仏具をどかすと。
錆びた金属の輪っかがついた床下に地下に続く『扉』があったんです。
そうです。
隠し扉ってやつだ。
円斎曰く、この隠し扉の先に、カクレキリシタンたちが幕府や悪魔から身を隠して祈りを捧げる『祈祷場』があるのだと教えてくれました。
「足元、気を付けろ」
隠し扉を開くと、地下に続く縦穴が続いてました。
ちょうど下水道に続くマンホールの中みたいに、縦穴の底が真っ暗で何も見えなかったんです。
円斎は手に持った懐中電灯に灯りをつけました。
縦穴の壁面には錆だらけの鉄梯子があるんですけど、円斎はそれに足をかけて、地下に続く縦穴に躊躇なく入っていきました。
おいおい、本気か。
ここに入るのかよ。
なんだか、おっかないな。
嫌だな。
そう感じた私は、一瞬縦穴に入るのを躊躇しました。
しかし、まぁ。
ここまで来て辞めるのもなんだか面白くないと思いまして、仕方なく私も円斎の後を追いかけました。本当は嫌でしたけど。
──それで。
縦穴を降りると、目の前に横穴が広がってました。
壁を剥き出しの土で固められた、天井が低い『トンネル』です。
腰を屈めて円斎がトンネルに入って行きましたので、私も円歳の後をついていきました。
ふと何か気配を感じたんです。
私は気配を感じた方向に振り返り、ポケットに入れたジッポーを取り出し、火をつけて壁を照らしました。
「うぉ!」
本当、驚きましたよ。
壁にあったのは、白い着物を着た人間の死体だったんです。
その死体は壁に埋め込まれていて、カラカラに乾いていました。
いわゆる『ミイラ』というやつです。
しかも、そのミイラ。
ただのミイラじゃなかった。
「なんだこれ」
ミイラの表面には、青い『文字』がびっしり細かく書かれていました。
これ。
まさか『お経』か?
なんて書いてる?
ミミズがのたくったような妙な文字……文字なのはわかるが、何で書いているのかさっぱりわからん。
「円斎……これは一体?」
「俺たちのご先祖さまだ」
円歳がいいました。
しゅぼっ。
空間に火を灯す音が聞こえました。
「トンチキなご先祖様の成れの果てだよ」
懐中電灯の明かりが消え、代わりに蝋燭の火が灯りました。
トンネルの奥にやたら広い部屋がありまして。
その部屋の壁には、等間隔で蝋燭が設置されていました。
その等間隔に設置された蝋燭を、円斎は一つずつ火をつけていったんです。
部屋の壁すべての蝋燭に火が灯った頃。
私は驚きました。
驚きのあまり、言葉を失いました。
「なんだここは……」
天井の高い部屋だった。
部屋はドーム状で、壁側面には無数の白骨死体、いや『骸骨』が山のように積み上げられていたんです。
しかも、そこに積み上げられた骸骨。
どれもこれも骨の表面にびっしりあの謎の『文字』が刻まれていました。
「ここは俺たちカクレキリシタンの『カタコンペ(地下墓地)』だ」
円斎がいいました。
──カタコンペ。
カトリックの教会地下にある『地下墓地』をカタコンペっていうらしいんです。
海円寺の地下には。
カクレキリシタンたちが眠るそのカタコンペ。
つまり『墓』があったんです。
え?
死体に書かれた文字はなんだって?
ああ、それはですね。
「オラショだよ」
骸骨のひとつに円斎が指を差しました。
ええ、『オラショ』っていうのは。
仏教でいうところの『お経』みたいなものらしいです。
元々はカトリックのお祈りの言葉らしくて、カクレキリシタンたちはオラショを唱えて神様に祈りの言葉を捧げるそうです。
「海円寺のカクレキリシタンたちはな、異形の相手と戦う時、身体中に『オラショ』を刻んでいたんだ」
円斎は天井を指差しました。
天井を見上げると、巨大な『絵』が描かれてました。
いわゆる宗教画といいますか。
白い布を頭にかぶった外国の女の人の絵……。
ええ、そうですね。
──聖母マリア。
そうだと思いました。
その聖母マリアの周りには、あのミミズでのたくったような『オラショ』がびっしり描き埋めつくされてました。
「どうして体に刺青なんかを?」
私が円斎に尋ねました。
円斎はふっと鼻で笑いました。
「耳なし法一って怪談話あるだろ? あれと一緒さ。オラショを体中に描き刻むことで、『パライソ(天国)のチカラ』を得ようとしたんだ」
円斎が答えました。
私が円斎を見ると、円斎は遠い眼差しで天井画を眺めていました。
「パライソのチカラ? なんだそれは」
俺は円斎に訊ねたが、円斎は答えなかった。
首を項垂らせて、顔の前で合掌すると、口の中でもごもごと呪文みたいな何かを唱え始めたんだ。
「いんのみねぱとりすえとふぃりえとすぷりとぅすさんちえいめん」
「おい、円斎?」
急に読経されて私も戸惑いました。
なんだよ。
何してるんだこいつ。
って、思った。
すると。
《ああああああああああああああ》
声が聞こえたんだ。
血の底からライオンが雄叫びを上げているよう声っていうかなんというか。
なんか、この世のものとは思えない叫び声が地下墓地の中で響いたんです。
なんだ?
何かいるのか?
よくわからないが、なんかやばい雰囲気だぞ。そう感じてきた刹那。
「う、うわぁあああああ!」
絶叫しました。
そんでもって、思わず尻餅ついたんです。
だって。
びびりますよ。
目の前に『ミイラ』たちがいたんですから。
いや、違う。
そうじゃないです。
横たわっていたミイラたちが。
私の目の前に立っていたんです。
生きている人間みたいに、直立して、私たちを囲っていたんです。
「安心しろ。俺のご先祖様だ」
円斎が私にそう言った。
いや、安心しろって。
ミイラが立っているんだぞ!
ホラー映画か? これ。
なんなんだ。一体。
手品か何かか?
もうね、頭の中がパニックでしたよ。はい。
「『死の世界のエネルギー』を使って、動けるようになってるんだ」
円斎はいいました。
死の世界?
は? なんの話しているんだ。
「この世に生きるための『生のエネルギー』が必要なように、あの世に行くためには『死の世界のエネルギー』が必要なんだ」
円斎はミイラのご先祖様たちに向かって、頭を深々と下げました。
ミイラたちも円斎に向かって頭下げたんです。
私はめをこらしてミイラたちを見ました。
ミイラたちの表面に刻まれたミミズをのたくった文字が、ぼんやりを青白く光ってました。
「経文術は、『死の世界のエネルギー』を引き出す技術だ。イエズス教(キリスト教)と仏教をミックスさせた俺たちカクレキリシタン独自に編み出したんだ」
「な、なんのためにそんなことを……」
私が円斎に訊くと、円斎は私に振り向きました。
「決まってるだろ。『悪魔退治』のためさ」
私は苦笑いしました。
トンチキだな。
たしかに円斎がいうように、カクレキリシタンっていうのは、とんでもなくトンチキな連中だな。
そう思いました。
To be continued....
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