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 慶は構内にある古めかしいベンチに腰かけた。

「君の内申書を読ませてもらった。特待学区からここにきた件についてだが……いろいろあったようだし、それは後でゆっくり聞くとしようか」

 生徒指標報告書。それが通称・内申書の正式名称であり、賞罰、学力などによって総合的な評価が全生徒にくだされる。その閲覧を許されているのは学区長のみで、夕星の転校理由も書かれていた。

「この駅は大合併による名残ですか?」

 大合併とは人口減少により、全国の市町村で統廃合が行われた二十二年前の出来事である。

 大合併には二十三年前に発生した東海大地震で深刻な被害を受けた地域を遺棄する狙いも含まれている。その復興支援策として政府の推奨する宅地が安価で提供されたこともあり、全国で爆発的な転居ブームが起きた。

「駅だけじゃなく、この学区のすべてが棄てられた街でできている。通常は大合併や大震災後に住人のいなくなった街は更地にされるが、ここはそんなリストからも外された土地なんだ」

 慶は降りしきる雨を眺め、新参者である夕星との心理的な距離を推し量っているようだった。

「特待学区はどうだった?」

 成績優秀者や一芸に秀でた者のみで構成された学区――それが特待学区で第一学区から第十二学区に相当する。評価が基準を下回るとすぐに他学区への転校が決まる厳しいシステムを導入していた。

「他の学区を知らないから比較できませんが、たぶん普通です」

「うちの学区はクセのある奴が多くてね。もちろん、その中には俺も入っている」

 慶なりのジョークなのか判断のつかない夕星は無言である。

「……いまのは冗談なんだが」

「そうなんですか」

 夕星は苦笑いして言ったものの、慶のユーモアセンスは、ずれているのかもしれないと思った。

 内容はともかく、冗談を言うくらい砕けた一面が慶にはあるようだ。

「苦手な食べ物があるなら、いまのうちに聞いておきたい。俺が料理を担当しているから」

「ここでは学区長が料理を作ってるんですか!?」

 雑務を他の生徒にまかせるのが学区長のイメージだっただけに意外である。

 それもそうだが料理しているのにも夕星はびっくりした。いまの時代は調理機に食材を入れ、メニューボタンを押せば自動で完成する。

「調理機は便利だが、メニュー数に限界があるのが欠点だからな」

「なるほど……食べられないものは特にありません」

「それはいいことだ。バランスの取れた食生活は肉体と精神を安定させる」

 それが持論らしい慶は言いながらうなずく。

「料理はいつからしているんですか?」

「小学生のころからだ。中学生のときに調理師免許をとった。すぐにでも出店できるが、学区内で生徒が無許可で商売をするのは禁止されているからね」

「中学生で調理師免許を取るなんてすごいですね」

「必要に迫られて調理師免許を取っただけで、すごいとかそんなものじゃないんだ」

 慶は床に広がる雨滴の黒い染みを見つめ、つぶやいた。

「さっき話しにもでましたけどこの学区の生徒って、どんな感じなんですか?」

 学区長を見ればどんな学校かわかると考えていた。

 しかし予想以上に慶の捉えどころがなかったので夕星はさっきの話題を掘り下げてみる。

「ここの奴らは個性的だ。君が前にいた特待学区では、まず会うことがない連中だといっておこう」

 慶の表情に変わりないのが、逆に夕星を動揺させる。

「じゃあ、さっきのクセのある奴が多いっていうのは冗談じゃないってことですか?」

「冗談ではない、という冗談だ」

 慶は微笑みながらいったが、夕星にはいよいよ理解できなかった。

 慶にからかわれているのかと疑ったが言質に悪意の成分は感じられず、夕星は首をひねるばかりである。

(初対面なので断定できないけど、誰に対してもこういう人なように見える)

 悪人ではないという情報のみでも夕星には大きな収穫であった。学区長としてはまともな部類らしく、最果ての学区といわれたこの場所でそれは幸いといってもいいだろう。

「今日の夕立ちは短いほうだったな」

 雨が小降りになり、雲の隙間から青空がのぞくようになると蝉の声がもどってきた。

「それって長いときもあるってことですよね」

「長いと、あと一時間は降っている。また雷雨がこないうち、学校にいこう」

 無人改札をぬけ、二人は駅前にでた。

 夕星にとって驚愕だったのは、二十数年前の街並がそのまま残っていたことだ。

「ここに初めてきたとき、俺も足を止めたよ。あっちには服屋もあるし、肉屋もある」

 現代における商業施設は一箇所に集中し、このように個別の商店が軒を連ねることはない。

「これが商店街……まるで博物館みたいですね」

 一軒一軒を観察しながら夕星は歩いていく。

 さすがに店内は荒れ放題だがカレンダーやポスターが貼られていたり、わずかに過去の暮らしぶりが垣間見えた。

「この店なんて商品がそのままになってる」

 夕星が眺めているのは酒屋で棚には大地震で割れた日本酒の瓶、床には四角い酒枡がひっくりかえっている。

「当時は更地になる予定だったから、すべてを置き去りにして転居した人も多かったようだ」

 二人が歩くアスファルトのひびからは雑草が生え、歩道の道路標識はなにが書いてあるのかわからないほど錆びていた。

 この世界には自分と学区長しか存在していないのではないか、と夕星は感じる。それほど荒廃した街並であり、終末世界を題材にした映画セットのようであった。

(――実際に終わってしまった場所なんだ、ここは)

 商店街に面した道路には先端が傾いだ街灯があり、前輪とサドルのない鉄屑めいた自転車が路肩に放置されている。

 車の通らない交差点の真ん中で立ちつくしていると空虚なときが流れ、このまま自分も朽ち果てていくように感じた。

 アーケードが穴だらけの商店街を突っ切ってから九十九折つづらおりの舗装路を登っていくと、陽光を反射して鏡のように輝く海が遠くに見える。

「できれば車で駅まで行きたかったが、あいにく修理中だ」

「車の運転が許可されているんですか?」

「学区内は法律上、私有地で免許がいらない。他の学区では校内まで食料が無人運搬車で運ばれてくるらしいな。しかし、ここは駅から校舎までが離れているから、独自の判断で車を使っている」

「それって無許可じゃないですか!?」

「政府からなにもいわれないから、黙認されている」

「それ、冗談ですよね?」

「冗談ではない」

 まともそうに見えた学区長だったが豪胆なところがあるらしく、夕星は頭をかかえそうになる。

 学区内で生徒が車の運転など厳罰ものの違法行為だが、それよりも夕星が呆れたのは政府がすべてを放任していることだった。

(さすが最果ての学区……)

 政府からも見捨てられた場所なのを、夕星はひしひしと感じる。

 もはや学区ですらなく、ただの無法地帯といっても過言ではなかった。

「この学区は自由だけが取り柄だ。最低限のレポート提出で進級できるし、課題が早く終わってしまったらあとはなにをしてもいい」

 慶はこここに順応しきっているらしく、声に余裕があった。

「学区長はいつ、この学区にきたんですか?」

「高校入学と同時に。そのとき、生徒は俺だけでね。最初の半年なんて校舎を掃除したり、校庭の雑草を抜いたりで授業どころではなかったよ」

 二人が歩く坂道のガードレールはところどころ途切れ、道路工事を投げ出したような有様である。

 額に汗が滲む夕星は学区長の車運転もこれでは仕方ないと納得した。

 重い食料をこの学区の生徒たちが徒歩で駅から学校まで運んだとして、どれだけの時間が掛かるのか考えたくもないし、実行したくもない。

「あれが寄宿舎だ」

 坂が終わって道が平坦になると慶は赤煉瓦の建物を指差す。

 二階建ての寄宿舎の玄関まで続く短い階段をのぼると円形広場になっている。その中心部にある噴水は使用されておらず、藻の浮いた緑水が溜まっていた。

 夕星には寄宿舎とヨーロッパの古い礼拝堂の姿が重なる。

 現代の校舎と寄宿舎はすべてが無機質なコンクリート建築で教室の位置、廊下の幅、部屋の大きさなどの細部にわたってミリ単位の統一規格があった。それは学校の地域差をなくすための処置だ。そのことからも、この寄宿舎は規格外も甚だしかった。

「見た目はボロいが中身はしっかりしているから安心してくれ」

 白壁の上部に大きな採光窓があり、玄関内は明るい。

 殺風景なのは下駄箱がないからで土足が基本だと夕星が知ったのは、慶が靴のままで内部の廊下に入ったからである。

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夏色のシャングリラ 炒飯 @gyo_za

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