美味しいものはいつだって…。

宇佐美真里

美味しいものはいつだって…。

初めて入るラーメン屋。暖簾を潜り、引き戸を開けると店内から威勢の良い声が飛んで来た。


「いらっしゃい!」


カウンターだけの小さな店だった。"L"字状に伸びたカウンター前に固定された椅子が八つ。其れだけの狭い店。時間が中途半端だったからだろうか、店内に客は一人しか居なかった。スタッフはどうやら、先程の威勢の良い声の主人独りの様だった。彼が小さな声で私の耳元に囁く。


「もしかして、"失敗"だったかな…此の店?」


私は黙ったまま、彼の脇腹を肘で小突いた。が、確かに、中途半端な時間帯だったとは云え、週末の夕方を少し過ぎた時間帯に客が独り…と云うのは怪しいな…と、一瞬、私の頭にも過った。


其の店は"食券制"で、私はシンプルに『ラーメン』とだけ記された食券機のボタンを押した。私は其れ唯ひとつだけ。何のトッピングも足さなかったけれど、彼はいつもの様にトッピングを"全て"網羅した『全部盛りラーメン』と云うボタンを選び、更に「餃子…餃子…」と何度か呟きながら、ボタンの列の中に其れを探し出して押した。三枚の食券を彼が、機械の下部にある受け取り口から取り出した。


カウンターに並んで座る彼と私。


カウンターの一段高くなった場所、お冷やの入ったピッチャーと、空のグラスが重ねられたトレイの間にある隙間に、食券を彼は並べて置いた。


「お願いしま~すっ!」

彼が叫ぶと、「あいよ!」と威勢のよい声がして、厨房の奥にある大きな寸胴鍋の前に居た、主人がカウンターまでやって来た。声から想像していたよりも、其の姿は割りと年配であった。並べられた食券を手にして、主人は言った。

「餃子を先にした方がいいかな?」


「あ…其うですね。じゃあ、先にお願いします。瓶ビールも一本…あ、食券を買った方が良いですか?」

「いいや。お金、此処で受け取るから大丈夫。グラスは其処にある奴を使ってね?」

彼は小銭入れから、瓶ビールの代金を取り出すと、主人に直接手渡した。


すぐさま、主人がビール瓶を持って来る。カウンター上に重ねられていた空のグラスを二つ、彼が取り、一つを私の前に置いて、瓶からビールを注いでくれる。

「ありがと…」

其れ程、お酒に強くはない私。グラスに半分程注ぐと、自分のグラスにも続けて注ごうとするので、私は代わりに注いであげようと瓶に手を伸ばしたが、「いいからいいから…」と彼に拒まれた。自分のグラスには並々とビールを注ぎ終える。傍らに瓶を置き、並々のグラスを私のグラスに「乾杯…」と言いながら、チン…と軽く当てると、其のまま口を付ける。私もグラスを手に取り、喉を潤した。


カウンターの上には幾つか、調味料の類いが揃えられたトレイが置いてある。胡椒、辣油、醤油、お酢が小瓶に入れられ、辛子は形の違う蓋付きのステンレス容器に入れられて、トレイに収まっていた。


「お待たせ」と言いながら、主人が餃子の皿を手に遣って来る。其れ程待たされた感覚はない。カウンター越しに私が餃子の皿を受け取る間に、彼は小皿に醤油を用意しようとするが、調味料の置かれたトレイは、彼からは遠く届かない。


「醤油取って貰っていい?」

彼が言う。私はトレイから醤油の小瓶を取り、二つの小皿に注いでいった。

「辣油にお酢もね?」

「分かってるって…」

辣油、お酢の順に、彼、私…其々の小皿に注ぐ。注ぎ終えると、私は其れ等を全てトレイへと戻した。


皿には餃子が五つ並んで居る。

「頂きます!」と箸を持ちながら、両手を合わせ一礼すると、彼は箸を割り、餃子を一つ摘み上げる。私も彼の後に続いて、一礼の後、餃子を摘むと、小皿の醤油に二度三度浸して、口に運んだ。


思っていたよりも皮が厚く、もっちりとした食感だった。ひと噛みすると、中から熱い肉汁が溢れて来る。

「熱つつつっ!ハフッ!ハフッ!」

餃子を丸々ひと口にしながら、彼が言った。

「慌てて頬張るから…」

私は溜め息交じりに言いながらも、同じ目に合わない様に、用心深く残り半分の餃子を口に入れた。


「美味しい…」

「うん。旨い!」

頷きながら二つ目の餃子へと箸を伸ばす彼。懲りずに二つ目の餃子もひと口で彼の口の中へと姿を消した。

目を瞑りながら、口の中の餃子を味わった彼は、小声で再び言った。


「"失敗"どころか、寧ろ"成功"だったね…此の店?」

「穴場なのかもね?」

私も答えながら、二つ目の餃子へと箸を伸ばした。


「そろそろラーメン出るよ!?」


カウンターの奥、寸胴鍋の前で主人が叫んだ。

「タイミングも絶妙だね…」

彼はいかにも嬉しそうだった。

「ラーメンも期待出来そうだ…」

私は餃子を頬張りながら頷いた。


「はい、ラーメン二つと…、此れが『全部盛り』のトッピングね…」


カウンターの上に二つの丼と、トッピングの別盛りされた皿が置かれた。私達は丼を其々、自分の前へと下ろす。豚骨醤油系のスープだった。トッピングの皿には、焼き海苔三枚、薄く茶色に染まった味玉、白髪ネギ、焼豚二枚、ほうれん草、支那竹、其して、柚木胡椒が少々載せられていた。


「胡椒を取ってくれる?」と彼が言う。

トレイから胡椒を取る私。胡椒を丼へと振りながら彼が更に言う。

「お酢と辣油もね…」

「はい…はい…」と言いながら、一つずつ調味料を彼の側へと置いていく。


彼の目の前は凄いことになっていた…。ビール瓶、其のグラス、ラーメン丼、トッピング満載『全部盛り』の小皿、残り一つとなった餃子の皿、其の醤油皿、胡椒、お酢、辣油の小瓶が、何処狭しと並んで居る…。


「大変なことになってるね?」私が言う。

「なってるね」ニンマリとしながら、彼は答えた。


「三年前には此んなことになるだなんて、夢にも思わなかったよ…」

彼は笑いながら言った。


「美味しい物は何時だって君が教えてくれた…」


其うだった…。彼と食事を一緒にする様になった頃、彼は「ラーメンも餃子も殆ど食べたことがない」と私には信じられないことを言ったのだ…。

「中華料理屋には行かないの?」と訊く私に、「定食しか頼んだことがない…レバニラ定食とか?」と言った。


「醤油にお酢を垂らして餃子を食べることも、ラーメンのスープにお酢を垂らしてみたりすることも、みんな君が教えてくれた…。美味しく食べる方法は、みんな君が教えてくれたんだ。中華だけじゃなく、和食や洋食もね…」


美味しいのは…貴方と私、二人で食事をするからだよ…。其う思ったけれど、私は照れ隠しに言った…。


「何だか私…凄い"食いしん坊"みたいじゃない?」


「え?今頃、気がついたの?」

彼は笑いながら冗談を言った。



-了-

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