生きた人間


 

「着いたぞ。ここがジャパリモールだ」


 俺の言葉を聞いたフレンズたちが目の前の大きな建物に感慨の声を漏らした。


 これまでに見通ってきた天井を指すような建物はいくつも見てきたが、ジャパリモールのように不規則的でだだっ広い場所は初めてなのだろう。興味深くちらちらと見渡しているのは敵への注意の糸を張り詰めているのもあるが、単純な好奇心があるのも見て取れる。


 しかし、気にしてもいられない。本当だったら建物の中の案内をしてあげたいところだがのんびりできる状況ではないのだ。


 広場の入り口から建物の入り口までに規則的に並べられたアーチを潜りながら、自動では開かなくなった自動ドアを手動でこじ開ける。


 瞬間、ムワッとした嫌なにおいが俺たちの鼻をいたずらに煽った。


「……っ、おびただしい、とはこのことか」

「アリサちゃん、お姉さんの後ろに隠れてて」


 キジヤの嫌悪感に包まれた声が場の凄惨な状況を嫌でも認識させられた。この状況を見せないようにアリサに配慮したオコジョの優しさに感謝したい。


 柔らかなベージュ色の床はどす黒い鮮血によって染められ、動物のイラストが描かれた壁も無残に汚されている。休日や平日においても人だかりが出来る店内も死んだようにして静まり返り、建物に入ったときから陰惨な空気を肌で感じ取れるほどだった。


 目にも感じ取れる明るさとはまた別の”暗さ”。屋内、明かりがないという話を他所においても威圧的な空気が充満している中で、アリサも顔を青ざめている。


「だ、大丈夫です。これぐらい、何ともありません」


 気丈だと、思った。


 こんな場所、大の大人ですら泣いて逃げ出したくなるような空気の中で大丈夫と言ってのけたのだ。本当であれば彼女も泣きたいはずだろう。コンビニから離れてまだ二時間も経ってないのだから。


 俺たちは居を決してモール内を進んでいった。途中、乾ききっていない血だまりを踏みつけながらも足を滑らせることなく歩んでいった。


 エゾヒグマが周りを警戒しながら前を進み、オコジョが後ろの方で注意を払っている。ディザスターの気配は、まだ感じ取れない。


 入口から離れていくたびに、いくつもののからっぽな店を横切りながら足を止めない。この閉鎖的で広々とした通路を歩いていくたびに人の気配を喪失した空間を背にするたびに言いようのない空虚さを胃に落ちてくる。


 そう、何もない。なにも、落ちてないのだ。なにも……


 ふいに、異音が俺たちの耳に届き、体をこわばらせた。


 敵か、敵なのか。アリサは怖がってオコジョの背中に隠れ、キジヤもつばを飲み込んで瞳を光らせている。エゾヒグマが周囲を警戒している中、手をあげて「大丈夫だ」と告げて俺たちは安心した。


「……見ろ、テーブルの上からカップが落ちている。さっきのはその音だ」


 通路途中、モール内でも評判だったフードコーナーから聞こえた異音の正体はそれだった。いくつもの和洋中を問わない店が並び、並べ立てられているイスとテーブルが通っていた客たちが落ち着ける場所だった。


 中には食事の途中だった客もいたのだろう。テーブルの上に”手が付けられてない食事”がいくつか見て取れた。


「……そうか、そうだよな。突然だったんだ。きっと、直前にまでヒトがいたはずなんだ」

「感傷的になってる暇はねぇ。せめて休むんだったら場所を……」

「あ、じゃああそこはどうかな」


 厳しくも的確な言葉を投げかけてくれたエゾヒグマの言葉を聞きながら、アリサが近くにある店を指さした。


 そこは数か月前にモールに入ったばかりの女性にも人気がある特徴的なクッションが置かれていることで有名な寝具店だった。店の中ではクッション性のある大き目の布団が設置され、果物や動物を模している物が多く並べられている。


 この店はL字のような内装をしていて、、奥の横手にスペースがある。身を隠しておける所としては確かに十分だ。


「広い場所にいるより狭い所にいれば気兼ねなく休憩できる。なにより敵を迎え撃つのに背後を気にしなくていいから確かに安全だな」

「私が店の前に立っています。アキさん、アリサちゃんのこと、よろしくお願いしますね」

「ああ、分かった」



 店の前にオコジョ、曲がり角の所にエゾヒグマを立たせて俺たちはクッションの上で寝転がった。


 体に張り詰めていた緊張の糸が一気に解れ、まだ安全ではないとはいえやっと気を休める事が出来たように思う。


 ほぼ地面に置かれてるだけのクッションの上なのに、こうして寝転がっても地面の硬さが伝わってこないところに話題通りの品質だ。これは一つくらい持ち帰りたい。


「はい、アリサちゃん。炭酸は飲める?」

「あ、はい。大丈夫です」


 キジヤさんのほうはコンビニで拾ってきた飲料をアリサに渡している。水分補給は大事だ。特にこの状況下においては。


 俺の方もキジヤさんから飲み物を分けてもらう。中に入っている緑茶の方を貰い、喉の渇きを潤した。


「ヒラナリ君、ここから食料のあるところ……食料品店はどれくらいかな」

「ここは生活用品が置かれてる店が多いエリアなんです。食料洋品店……大手スーパーがあるところはここからだいぶ離れてるところにありますね」


 キジヤさんの言葉に、俺はこのモール内の内装を思い出す。食料洋品店は区分けされているモールの中で、だいぶ離れた場所にあるはずだ。敵との戦闘を思えば、このわずかな休息は貴重だ。


 さきほどのレストランやフードコーナーで調達をすませようかとも考えた。けれど、レストランともなれば生鮮食品の方が多いはずだし、何よりも腐らせないための冷蔵庫は今は使えないはずだ。


「エゾヒグマちゃん、ここからディザスターがいる可能性は?」

「確実にいない、とは言い切れない。なにせ、こんだけだだっ広いのなら一匹や二匹は隠れていてもおかしくはねぇ」


 エゾヒグマの言葉には気休めの言葉を絶対に吐こうとはしない。


 こんなにも広く、ましてやモールの中で起きたあの惨劇。スーパーの所まで、決して戦闘がないなんて保証できない……


 いや、起きる。絶対に起きるはずなのだ。この緊張を切り落としたら簡単に命を落とす、それだけは確信を持てた。


 だからこそ、せめてできる限りの安全をこの子には与えたい。


「なら、万が一のためにアリサちゃんとここで待っててくれるか? 食料を取りに行ってくるから、この子だけは危険な目に合わせたくない」

「それは絶対に出来ねぇ」


 キリ結ぶような瞳と切れ長の瞳から、俺に対して威圧感を発してくる。


「こんなっ、広くて何があるか分からないような場所だぞ。目的地に向かう俺たちにも、そして残った方にも何があるかわかったもんじゃない。死地へ向かわせようともそいつは俺たちについてきた方が安全だぜ」

 

 エゾヒグマの言葉は確かにその通りだ。


 先ほどの戦闘だってエゾヒグマ一人でも苦戦したのだ。まだ見たことのないディザスター、まだ体験していない複数体との戦闘。それらを考慮すればオコジョだけで敵に立ち向かうなんて無謀だ。


「わ、私なら大丈夫ですっ。その、おねがいっ、一人に、しないでっ……」


 気丈に振舞う姿を見せてくるアリサに、俺とキジヤさんは何も言えない。


 この子だって怖い思いをした。怖い思いをして一人取り残されるか、怖い思いをしてまで一人にならない方がどちらの方がいいだろうかなんて……


「あ、あー……そのっ、話でもしないか?」


 話を切り替えたい。作り笑いを浮かべた俺はさぞ不気味だろうが、さすがにこの空気が良くないと言うのは分かっていた。


「思えば俺たちってこの災害に遭遇した被災者の集まりみたいなもんでしょ。だからさ、こう、ちょっとお話でもしようかなーって」

「……ま、休憩時間の気休めとしてはいいかな。わかった、乗ろう」


 先に口を開いたのはキジヤさんだった。


 そういえば、この人は昨日の夜にあっただけでそこまで親交があるわけじゃない。アリサだって、オコジョはともかくとしてこの人の事は「ついて来てる知らないおじさん」なわけだし、自己紹介を兼ねて話してくれる方がいいだろう。


 アリサの方は割と興味津々のようだ。大人の男の話を聞けるのだし、こんな空気の中では貴重な娯楽でもある。


 それに俺も気になっていたのだ。この人の事、すこし不可思議な部分があったからだ。


 「俺はもう言っただろうけどフリーのジャーナリストなんだ。某新聞社を経て、顔見知りやツテを頼ってそれらの情報を頼って……自分のブログにインタビューや取材などで調べたモノを載せたり、とかね。この町に来たのも仕事の上でなんだ」


 話の内容は俺の想像通りのモノだった。


 この人、町の中やモールの時もそうだけど歩きなれていない感じが伝わってくるのだ。ここに来るまでに街の景色をやたらチラチラと横目で見たり、妙に歩いているときもこの町の地図を手放していなかった。モールの時にも俺のような高校生を相手に情報源として頼ってくるあたり、町の外から来た人なのは察せられた。


「ああ、そうだよ。俺がここに来たのは近年、世界中で起きてる異常気象や超常現象についての情報をこの町にある出版社に売り込みに来たのさ」

「出版社?」

「ああ、そこではオカルト関係の専門誌をいくつか出しててね。一部のマニアやら陰謀論めいたものをあくまで架空の存在として楽しむ層からは昔から人気があったんだ」


 ……知らなかった。この町そのものは駅ビルと伴って開発が進んでいる地方都市というくらいが特徴だったのに、まさかそんな知る人ぞ知るみたいなマニアックな出版社があったのか……


 しかし、異常気象と聞いて昨日の朝を思い出す。世界中の急激な環境の変化、突然の天候変化。テレビひとつで隔てれば感じられる遠い世界が、今となってはこの地方都市にまで及んでいる。


 しかも、それがディザスターと呼ばれる謎の怪物に襲われてからは、それらの事が無視できない存在となった。


 そうなれば変に深読みする陰謀論者やちょっとしたオカルト好きみたいなのが湧いてくるのが世の常。きっとその出版社も昨日までの異常気象騒ぎに食いついたオカルト好きが好き放題深読みと机上の空論で並びたてた雑誌を本屋に並べるつもりだったのかもしれない。


 そんな風に閑雅ながら、キジヤさんが所持していた雑誌を俺たちに見せてくれた。


「……その本、よくコンビニで見たことあるかも」

「お、そうかい? ここのコーナーなんか、俺が持って来た情報が元に書かれた奴なんだぜ? これの編集長が昔からの知り合いでさぁ」


 アリサの食いつきの良さに、キジヤさんも気を良くしたのか饒舌になり始めてきた。


 表紙はどこぞで見かけたことのあるようなピラミッド状の図形の中心に瞳が書き込まれ、あとはオーパーツらしき道具が表紙にちりばめられている


 パラパラとめくってくれているが、見ただけで「あぁー……」と思えるようなあからさまな見出しが視界に触れた。


 ただ、話しているキジヤさんのほうはとても楽しそうに見える。仕事内容はきつかっただとか、何々の出版社にいたときは金を渋られたなどシャレにもならない苦労話を交えながらもキジヤさんは笑い話として聞かせてくれた。


 まぁ、ブラックな職場についていようとも今の状況に比べればどこも天国のはずだ。それに、そんな目に遭いながらも今の仕事を続けていると言う事はキジヤさんにとっても”合っている仕事”ということだ。


「……思えば、妙なことをつぶやいてたんだよな。アイツ」

「? 何をです?」

「いや、大したことじゃないんだよ。なんでも来月の月刊誌に例の異常気象の事について触れる予定だったらしいんだがな」


 話の内容と共にキジヤさんの表情に影が差した。


「その時、郊外の方で面白いモノを見たから載せよう見たいなことを言っててさ」

「……世界中の異常気象の話で、なんで俺たちの近所の話が……」

「あの、みなさん! ちょっとこちらへ!」



「……何かが、いた?」


 休息中、キジヤさんの話を切り上げて突然報告してきたオコジョの言葉に耳を傾けた。


「は、はい。ここから、向こう側の通路の端っこの方になにか、動いていたんです。ただ、明確に何だったのかはわからなかったんですけども」


 何かがいた。


 この言葉はどんな結果が待っているのだろうか。考えられるのはわずかに頭の片隅に置いていた”敵”が、モールの中で歩き回っていると言う事が一番可能性が高い。


 そうなればもうココでジッとはしていられない。休息時間は短かったが、近くに敵がいる可能性があるのならば、俺たちは早くやるべきことを済ませてここを出なければならない。


 何よりもオコジョの指した方向がよりにもよって例の食料洋品店のあるエリアの方向だったのだ。


 覚悟を決めるしかない。気を緩めていたキジヤさんとアリサは軽く頷き、エゾヒグマとオコジョも自分たちは準備出来ているとばかりに体に力を込めていた。


 エゾヒグマに指示を出して、俺たちは先に進んでいった。明かりがなく、僅かに入って来る陽光で照らされながら、オコジョの指した扉の方まで向かう。


 ここからモールを区切るエリアを繋ぐ細い通路がある。ここを通っていけば生活日用品店が多いこのエリアから食料洋品店がある場所へと行くことが出来る。


 道すがら、一つの問題もなく俺たちは無事に進むことが出来た。


 扉を開け、そのエリアに到達した瞬間……


「ま、待てっ! 動くな!」


 必死の表情をした、生きた人間”たち”が俺たちに”槍”を向けて構えていた。


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けもラブD(ディザスター) robo @robokemo

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