糞野郎備忘録

IORI

第1話 処暑の歌

「ねぇ、〇〇は?」

色とりどりの淡い花々が敷きつめられた青い座席。黒い境界で違えた背後の対岸。白いシーツをかぶる頭部からは悪戯な手が覗き込む。

「あ、うーん。ねぇ。」

視線を逸らした。というよりは前を向いたのだ。元々、身体をひねって話し込むのは得意ではないからちょうどいい。

「え、なんで隠すの?ずるっ。」

ずるい?ずるいのは間違いなく彼女だ。後ろに黒い髪を結えた彼女だ。こちらのことは覗き放題なくせして、自分はというと触れられもしない安全地帯に居座っているのに。

「いや、だって、お前やもん。」

唐突に他人が開催する。全く誰のセリフだかは気にしないで。はた迷惑の典型例だ。揺れる。


「何で耳赤いん?真っ赤や。真っ赤。」

下克上に騒ぐ糞野郎。彼らは藤吉郎の如く勝ち誇った顔をする。全くもってベクトルを履き違えているというのにだ。馬鹿らしい。馬鹿らしいが教えてやろう。所詮、発想がチンケな彼らは一生理解し得ないだろうから。まず、根本的に結果にこだわりはないのだ。プロセスにゲームのような楽しみを覚えていただけであって。よくよく考えてみても、元から結果であるものにさほど靡いていたかと言われるとそうでもない。本当はもっと均衡を崩したいという我が欲の悪たるところによるもの。時折、卑しい気持ちへの猛省もあるのだが。ただ、それが無惨にも無神経に幕を引かれるとなると、どうにもこうにも腹立たしくて仕方ない。熱もこみ上げてくるものだ。

「…。」

後ろから強い振動を感じる。裏切り者にみせる面はないのだが。まぁ、そうはいいつつも鬼ではない。礼儀として返事をしてやることにした。

「なぁなぁ!「いや。」だって。…まぁ、ドンマイ。」

「あっそ!」

喜ぶ内心も突き放す。何しろ直接耳にしていないのだから信じてやる義理もないだろう。本人の顔をみる。彼女もチラッとこちらを見る。僅かな微笑に見える少しの恥じらい。どちらともとれる表情だ。それに「いや。」だって最低でも二種類はある。必ずしも拒否であると決めつける根拠はどこにもないのだ。ただ、思い返してみると、スピーディーに受諾にできた可能性だって大いにあった。3日前の選択を間違えなければ。あの時、いとも簡単に口が動いた。足を引きずりながら無理やりにでも回避した。でも、彼女の表情は?瞳は?果たしてどうであっただろうか?でも、そんなことはもう今さら考えても仕方ない。


 「え!で、××は?」

思考を整理している間にもしばらく時は経過していた。それを身勝手にも時効だと判断し、会話に復帰する。それでも大半の奴らは読み通りもう何も気にしちゃいなかった。だってもう目的を達成したから。ただ一人を除いては。

「〇〇。…で、人のは、聞くんだ。」

そう、彼女だけは。彼女だけは許してくれないようだった。目をまじまじとみてそう呟かれたんだからはっきりと分かる。根拠はそれで充分だろう。バスは山道を抜ける。


その返事は未だに返していない。後方でのくだらない出来事だ。もう誰も覚えちゃいないだろう。




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