白い世界の最果てにて
スカイレイク
終わりゆく世界に残された兄妹二人
「おはよう、スフィア」
「おはよ、お兄ちゃん」
俺と妹のスフィアとの朝のあいさつ、今日も俺たちは生きている。
この何気ないやりとりができることがとてもうれしい。
だって当たり前にできることではないのだから。
一年前、世界は突然現れた謎の生物によって人類は隅に追いやられ、地球の大半を生物(便宜上ミステリーと呼ぶ)に占拠されていた。
だから俺たちは極に近い場所、とても寒い地域に来ている。
幸いミステリーは低温に弱いらしく、残された人類は南極と北極近辺に移動していった。
その過程で大勢の人間が死んでいった、だからこそこのスフィアとの日常的なやりとりはこの上なく素晴らしい人間としての会話だった。
「今日は何人減った?」
こんなことが日常になっていいのだろうか? とにかく俺たちは死んだ人間の数を数えることはやめ、生きている人間の数を数えるようになった。
「三人、私たちの地域ではね。スティーブおじさんにナルミおばさん、あとは二人の子供。
「名前は何だっけ?」
「忘れたしどうでもいいことじゃない?」
「それもそうだな」
俺たち二人が生きることで精一杯で、他人を助けるほどの余力も資源も残っていない。数少ない資源を分かち合うための人数の確認であって、死を悼むといった感傷的な行動はとうの昔にしなくなった。
「俺たちの分け前は?」
「コミュニティは現状維持って発表してますね、人数が減ってもリソースが同じ以上の速度で減ってますからね。これでもまだマシな方でしょう」
人類はミステリーの討伐をとうに諦め、現状維持と人間がわずかでも種として生きながらえる方を選んでいる。それさえもかなり怪しいラインであるが絶望しているわけでもないのなら少しはマシなのだろう。
多くの人間は、他人との距離感をとり、「コミュニティ」に管理される方を選んだ。
大半の人間は資源を奪い合うよりも独裁的でも責任が及ばない方法で資源を管理することにした。
口の悪いものはビッグブラザーなどと呼んでいたが、彼らはミステリーや同じ人間と殺しあって消えていった。
「また次の世代が一人消えたのかあ……」
「お兄ちゃん、言い方は悪いですけど次の世代はもう無いのかもしれませんよ? 私たちが人間的な生活をしているので十分でしょう?」
「多くは求めない、か」
スフィアは頷いて目を閉じた。
「なんでこんなことになったんでしょうね……人間が一体何をしたというんでしょう?」
「神がいるかいないかは知らないが、もしも神というものがいるのならずいぶんと性格が悪いんだろうな」
滅びつつある世界で昔の人間らしい生活を行えることはこの上なく贅沢で幸せなことだ。
せめてこの「日常」だけは手放したくない。
スフィアは蒸留水を固形燃料でわかしてインスタントスープのキューブを二つ、二人のカップに一個ずつ入れる。
そうして俺の元に運ばれたスープはとても温かく、人間の体温以外で、数少ない自分の体より温かいものだ。
「今日はパンもあるんですよ!」
「今日は当たりの日か」
パンといっても温かいトーストなどという贅沢なものではなく、固形のブロック状の堅いパンだ。しかしそれさえも贅沢品になってかなり経つ。
配給システムが敷かれてから定期的に「贅沢品」をローテーションしてもらえるようになっている。つまりは今日が俺たち兄弟の担当の日というわけだ。
「はい! どーぞ」
スフィアはアルミ箔に包まれたブロックを一つ俺に手渡してくる。一家庭あたり二個なので二人で分けると一個ずつになる。
「堅いな」
「そうですね」
俺は手渡されたアルミ箔をつかんで言う。
別に文句が言いたいわけではない、むしろ嬉しいといってもいい。スープ状の栄養食品以外に食べられる物はほとんど無い、だからこそ「堅い」というのは食品としての立派な褒め言葉だった。
ペリペリとアルミ箔を剥がすとパンと言っていいのかわからない固形のショートブレッドが出てきた。
脂肪分が大量に含まれたそのパンは今では貴重品になってしまったバターが使われていた、実際のところそれはマーガリンなのかもしれないが、それを確かめるすべはとうに失われている、もちろん文句をつけるような美食家はとうに宗旨変えをしていた。
モソモソと囓りながらスフィアと他愛のない話をする。今の時代の他愛のない話というのは誰が死んだだの、誰が失踪しただのといった新聞などがあった時代なら片隅に載るくらいのニュースバリューのある話だった。今ではそれが当たり前になってむしろ生存者が見つかった方がよほど話題になるのだった。
「連中の生存圏が広がってるとかあったりするか?」
「ミステリーなら極圏での発見はないですよ、私たちが死ぬまでは来ないんじゃないですか?」
「奴らが来るってことは死ぬってことだろうし、死ぬまで来ないというのはある意味正しいな……」
大量破壊兵器でミステリーの殲滅を図った国もあったが、今となっては国の概念が残っていない。その使用を責める気は無い、どのみち滅ぼされるのは明らかだったのだから、早いか遅いか程度の問題でしかない。
ショートブレッドをかじってスープを飲む、久しぶりの贅沢だ。固形物が胃に入っていき、久しぶりに胃袋が仕事をしてくれているのを実感する。
「お兄ちゃん? もし私が死んだら体はちゃんと焼いてくださいね? あれになるのはごめんですから」
「ああ、俺が先だったら頼むぞ?」
「わかってますよ」
死はすっかり人類にとって身近な物になり、ミステリーはタンパク質を食べている。それを栄養源にしていると思われるため、例外的に死体は貴重な燃料を大量に使用して焼き尽くされる。
こんなかつては心を病んだ人間の集まりでしか聞かないような言葉も今では日常にどんどんと入り込んでいる。かつての繁栄の反動だろうか、生活レベルの低下に耐えられない人間もいた。もちろんそんな贅沢が言える状況ではなくなり社会的、あるいは物理的に消されていった。
「なあスフィア、ここはいつまで持つだろうな?」
ここは地球の極に近いが徐々にミステリーは生存圏を広げつつある、つまるところ逃げ道なんて物はないし、より南極よりにすんでいる人類も時間の問題であることは理解しつつあった。
「さあ? できれば私たちが老衰で死ぬまでくらいもってくれるとたすかるんですがね」
北極と南極の付近に集まっている人類がどのくらい持つのかはわからないが、極圏に近づくにしたがって連中の活動が弱くなるのは初期に発見されていた、まだ人類が奴らと戦えると思っていた頃だ。
俺たちはゆっくりとした朝食を食べながら、あまり明るくはないだろう未来について話す。すっかりと未来という言葉に絶望しかなくなってしまったが、絶望でさえ日常になれば乗り越えられるようになっていた。
パンの最後のひとかけらを口に放り込み、しばらくの間、液体のみが食事であると考えると気分は重くなってしまった。
「ごちそうさま」
「はい、ごちそうさまです」
俺たちは普段こんな食後の挨拶はしないのだが、まあそこは固形物を食べられた記念のような物だ。
食器という物はマグカップ以外に使う物がないし、飲料水も貴重なので基本的に最小限の水で流して終わりだ。まだインフラが生きていることに感謝をしよう。
「お兄ちゃん、食べ終わったので食後のゲームでもしますか?」
「何を賭けるんだ? もう食べ物は残ってないだろ?」
少し前までは食料を賭けの対象にしたゲームが流行っていたが、現在は賭けの対象がない。ちなみにもう少し前だとたばこや酒が定番だったらしい、嗜好品はあっという間に使い尽くされてすぐに賭けの対象は変わっていった。
「ではお金でも賭けますか」
「そうだな」
人間の時代には多くの国で御法度だった金銭をかける行為もお金の価値がほぼ無くなってからというもの、形式上の賭けのチップのような使い道になっている。いわゆるところの麻雀の点棒のような扱いだったりする、もちろん換金できないやつだ。
ゲームはトランプ、幸いにもプラスチック製なので湿気で癖がつくこともない仕様だ、この時代には賭けるお金よりもトランプ自体の方が価値が高かったりする。
「ババ抜きでいいか?」
「ポーカーの方が好きですね」
「じゃあその二つ以外で決めるか」
得意分野で争うとワンサイドゲームになるのであまりプレイしないゲームにすることになる。
「ダウトでいいか?」
「そですね、その辺が平等でしょう」
俺たちは平日、もっとも平日に働き休日に休むという習慣もなくなったが、にトランプに興じていていいのかと言えば別にかまわなかったりする。
生産活動といえるものはほぼほぼ止まり、人間の活動は既存の資源を食い潰すことになってしまった。未来は無く、過去を消費することで俺たちの日常は成り立っている。
「あ、それダウト」
などと怠惰も極まる生活を送れるのもコミュニティのおかげだ。彼らが特権を振りかざしているのかもしれないが、人々は絶望的な数字を眺めるくらいなら多少の特権を与えてでも、いやな役目を押しつけてしまった。
そうしてできたのが「コミュニティ」だ。組織のおかげで怠惰な生活を送れるし、減り続ける資源の具体的な現在の量から目を背けることができた。
「退屈ですね……」
退屈ねぇ、ずいぶんと贅沢な悩みではあったのだろうが現在では最も重要な悩みとなっている。
次世代が存在できそうにないのなら人は今の世代で精一杯資源を使い切ろうとする、おかげさまで働く必要もない、働いている人も一部いるが彼ら彼女らにはそれなりの利益が与えられている。それが果たしていくら残っているかわからない人生の時間を消費してまで欲しいかと言えば俺たちには必要なかった。
慈悲深いことに「コミュニティ」は自分たちへの批判すら許している。しかし批判があまりにも生産的な活動でないことから、彼らへの不満を代弁していた人たちはもういなくなってしまった。
人が結構な数の罪を犯したから神とやらがミステリーを作ったのだという陰謀論者もいた。化け物に好意的な人間は真っ先に近づいて食い殺されていった、あきれるほどそのお決まりのパターンを繰り返した後でそのグループも本格的にやばいんじゃないかと思い始めた。
そいつらがいたから人類が滅んだわけでもないし、おそらく結果は変わらなかっただろう。どう言ったところですべては後知恵にすぎない。
カララとカーテンを開け、一面の雪景色を眺める、これが現在のもっとも一般的な暇の潰し方だ。
「楽しいですか、それ? 真っ白でしょう?」
「真っ白だよ、幸い血痕も炎や爆発も見えない」
平凡で結構、俺たちは見飽きるほど残酷な現場を見てきたのだから。誰もいない雪景色は平和の象徴であって、衰退の象徴でもある。
白一色の雪景色を眺めながら俺は銀塩カメラで日課にしている写真を一枚撮る。
デジタルカメラはリソースの消費が大きいということで早期に没収され、代わりに昔ながらの銀塩カメラと交換された。なお現像機器は存在していないので写真にすることはできず、景色がフィルムに記録されているという自己満足しか存在しない趣味だ。
「毎日コミュの塔をとってもしょうがないでしょう?」
「いつか、それは人類じゃないかもしれないが、誰かが見る可能性はあるだろう?」
スフィアは肩をすくめて「ご自由に」と言って暖炉のそばに寄っていった。
ここから見えるのはわずかにてっぺんが見えている「コミュニティ」の本部の塔だけだ。
人間は数が減り、広大で不毛な土地を与えられたので、ご近所さんというものは遙か遠くに存在しているばかりだ。
カメラのフィルムを巻き取ってから、あといくつこの「平凡」を記録できるのかに思いをはせる。
誰が見るでもない写真を撮ることに意味があるのだろうか? それを言い出したらもはや人類の活動にすら意味が無いことになるので誰がとがめるわけでもなく、ただ自分の持つ空虚感を決して現像されることの無いフィルムが埋めてくれた。
いつも通りの真っ白な写真を撮った後で俺も暖炉に近づく、燃料はなんとかまだあるらしい。燃えているのは木だったり、石炭だったりする日もあるがとにかく室温を人間が生活できる程度には上げることができている。
「はー、あったかいなあ」
「そうですね、人間らしい生活感がありますね」
人間らしいとは一体何だろうか? 物資にあふれていたあの頃の人間らしい生活の基準からすれば、現在はとても人間らしいとはいえないのだろう。それでも生きているだけで十分に人間らしいといえる時代になってしまった。
俺はかつて人間が生物のトップだった頃を思い出していた。銃火器で狩れない生き物はいないと思っていたし、なんなら不老不死の実現と自分の寿命、どっちが先だろうかとさえ考えていた。
そんなものは連中がすべてぶち壊しにして、残ったのは日常になった緩やかな死と絶望だけだった。
この日々を過ごしながら、俺は窓の外に目をやった、見えるのは白い氷ばかりで俺たちは現在のところ死ぬことも生きることもなく、ただ「存在」しているのだった。
ーーー
「以上がこの星で発見された「人類」と呼ばれていたものたちのデータです」
頭が三角錐で体がモノリス状の生物たちが会話をしている。
「この記録に書いてある「ミステリー」が我々の目下敵対している連中なのか?」
もう一体の生物が問う。
「はい、おそらくそうでしょう。光学的に物体の様子を記録する装置にわずかばかり対象のデータが残っていました」
「ふむ、データにしてみると確かに連中のようだな。その様子だと生存していたものは居なかったか?」
どこか落胆を含む声で話が進む。
「これを残した生物の兄妹は手をつないで生命活動を停止していたそうです、それ以上の生物は確認不能でした」
「そうか、我々も面倒なものを作り出したな……」
そう答えた一体はどこか悲しみと呼べそうな感情を表していた。
「次の目的地は&%#$"34だったな」
地球にかつて存在していた人類には確認不能な言葉で次の目的地を問いかける。
「はい、次は生物が残っているといいのですが……」
「仕方のないことだ、あれは我々の戦争が生み出した最悪の生物だからな。いくら時間をかけようと根絶する義務がある」
「そうですね」
そうしてこの二体の乗った物体は光を発して消えていった。
そうして残された一つの反物質爆弾により「ミステリー」はいよいよ地球から根絶されたのだった。地球というコストを背負ってようやく星から片付けられたのだった。
白い世界の最果てにて スカイレイク @Clarkdale
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