また会いましょう
急いで先生を連れてクレモアを診てもらった。でっぷりとしているがめったに汗をかかない先生だが、額からぽつぽつと雨が降り始めた時のような嫌な染みを発汗しだす。
「おそらく体力が減退して、魔法を維持する力もなくなったのでしょう。クレモア様は自分の体や顔に若作りの魔法を常時かけていたので、魔法を維持する負荷が大きくかかっていてそれが突然解けてしまったのかと。おそらくもう寿命が近いです」
「それって後何十年後?」
「長くて数年かと」
「数年って。八年とか九年とか」
「それより短いことは確かです」
すがろうとしていた糸が無常にも断ち切られた。きっとこの人のことだからまだ十年単位で生きるだろうという楽天思考が、あと数年もしないうちに死ぬという事実に。置き換えられた。
今後は定期的に来ると告げて先生が去ると、椅子に座っていたクレモアが骨が見えるほど細くなった脚で立ち上がる、ベッドの足元からなにかを取り出そうとしていた。傍から見るとまるで今すぐに折れそうな幹のようで不安になる。
「座ってて私が取る」
「これぐらい自分で取れるよ」
「でも」
「見た目は変えられても体力はそのまま若いまま状態で過ごしてきたの。いつか魔法が弱くなったら見せてあげようと思ったけど、こんなすぐとはね」
そう言いながら重たそうな袋を机の上にずしりと乗せた。袋の中身は金貨がいっぱい入ったお金だった。死後のお金は遺さないと言っていたのにいつの間にこれだけの大金を用意していたのか。その出どころを聞くよりも先に、この金がどういう意味かまだ人生十五年しか生きていない私でも容易に察せた。
「いままで苦労かけたわね」
「やめてよ。そんな急におばあちゃんみたいなことを言って」
「とっくにおばあちゃんなんだよ私は」
皺と骨が浮き出る手の甲にあごを置く姿も相まって、本当の老婆だった。これが本当のクレモアなのだろうか。私の心はすでに決まっているのに突き放そうとするクレモアにポカポカと叩いた。もちろん痛くない程度に軽く。
「勝手なこと言わないでよ。やだよ、絶対にここから離れたくない。まだ魔法も教えてもらってないし、クレモアを一人にさせたくないもん」
「子供みたいに駄々っ子なんだから」
「まだ子供だもん」
わがままを言う私にクレモアは乾燥した手で私の頭をなで、受け止めてくれた。
***
それからクレモアは私に魔法のことを教えてくれるようになった。といっても指先から火が出るとか若返りの魔法みたいなものを出すものではなく、どの魔法と組み合わせたら良いか悪いかといったとか魔法についての知識のみだった。
私に魔力がないから仕方がないと言えば仕方がないが、クレモアとまだこうして居続けられる喜びが大きいかった。そして幸運なことにクレモアは医者の先生の予想よりも元気に過ごしていたことに驚いていた。その分皺が増え足腰も日に日に弱くなっていた。
いつもの食事にも気を付けなければならず、食べ物も柔らかくて消化に良いものが増えるようになったが、これが意外とうまかったりするので好きなメニューが増えた。
今晩のメニュー柔らかく煮込んだ煮豚煮込みは自信作であっという間に食べてしまった。
「クレモア、前にエルフの里のこと話してくれたよね。あの時白い花が咲いていたけどどうして生まれると花が咲くの? 植物は地面から芽が出て咲くのが普通でしょ」
「花が咲くというのはエルフが生まれ変わったという比喩なんだよ」
「比喩?」
「蕾は前の体。花が新しい体を意味するの。花々はちょうどエルフの子供が生まれたと同時に開花するの。生まれた時が花という言葉があるぐらいに、エルフにとって花は新たなスタート地点なんだよ」
初めてクレモアが人間と違うことを理解できた。寿命がとか耳がとかの身体的な違いは今まで見てきていたが、私が思い描いていた死んだあとのことについて感じ方が違うことに違和感を覚えていた。だけど、死が新たな始まりを表すということなら、死後のことについて無頓着だったのも次もスタートするから悲しむ必要がないということかもしれない。
「ねえ今度エルフの里に連れってくれない?」
「年老いたエルフが里に戻るのはあんまり通例ではないけど、この老婆の最後の願いを聞いてくれまいかってごねてみる価値はあるわね」
にひひと悪い考えを企むクレモアであるが「悪いこと考えるね」と私は笑っていた。
「それならもうちょっと長生きしないとね。エルフの里はちょっと長旅になるし、まだコルダに教えたいことがあるから酒も煙草もやめてみようか」
「煙草はそうだけど、クレモアが飲んでいる葡萄酒は続けた方がいいよ。最近の研究だと葡萄酒は血液をサラサラにしてくれる成分が多く含まれてて、愛飲している人は長生きするって本に書いてあったから」
「へーえ、コルダったらまるで医者か薬屋のようなことをいっちょ前に言うじゃない」
「もう十八になるんだから、もう子供じゃないもの」
この数年で私の背は少し伸び、いつも欠かさず塗っていた薬が効いてきたのかニキビの数も減っていた。少し前の私が見たらきれいになったねと希望を持って言われるだろう。
「私から見たら、まだ赤ん坊だよ」
「エルフ基準からでしょ。赤ん坊はお酒が飲めないんだから」
「じゃあ赤ん坊でないのならお酒飲めるのね。そろそろ私の葡萄酒が切れたことだし」
「調子いいんだから」
お互いの姿が変化しているはずなのに、私たちはいつもと変わらない会話をしていた。
そして昨晩、クレモアが愛飲していたワインがちょうど切れてしまった。
酒を買うお金と初めてクレモアと酒を飲むために他に必要なものがないか聞くためにクレモアの部屋に入ると、クレモアは膝に毛布をかけて椅子に座って寝ていた。
まったく時々椅子で寝る習慣は変わらないのだからと、寝ている体を揺らした。
「クレモア? クレモアってば、こんなところで寝ていたら風邪ひくよ。年取っているんだから、私が世話しないと大変なんだから。ほら風邪じゃないのなら早く起きて。今日の朝ごはんクレモアご希望のお肉ですよ。冷めちゃいますよ。ねえ、ねえ……本当に起きてよ……起きないと、朝ごはん、かたづけちゃうよ、今日、ワイン新しいの買ってくるって、楽しみに、して、いた、じゃない」
いつまでも目を覚まさないクレモアの体をゆすりながら、膝が崩れ落ちた。だって、昨日の夜はまだ生きていたのに。どうして…………そうだ先生を呼ばないと。でも間に合うのかな。そうだ受注していた薬今日までだったはず、私一人で完成できる? 無理だ。謝罪しないと、それから葬儀のこととかあと。
頭の中がわあっと広がる目の前のことに、袋小路に何度もぶつかりぶつける。
突然、玄関の扉が開くと先生が血相を変えてやってきた。
「コルダさんいますか!」
「先生、どうして。そうだクレモアが、クレモアがね。あのあの、目が覚まさなくて」
「落ち着いて。深呼吸して」
言われた通りに肺に空気をいっぱい吸って吐き出すと、中で詰まっていたものが一緒に出てきたようで気分が楽になった。
「はい。大丈夫ですよ、今朝方クレモア様からの伝書鳩で体が芳しくないとの手紙が届きましたので、慌てて飛んできたのです」
「クレモアが」
先生が受け取った手紙を見せてもらうと間違いなくクレモアの字だった。そこには自分の命が尽きること、頼まれていた薬を代わりに作るように頼んでいたことなどをレシピも添えて、自分が死んでしまった後のことを事細かく指示してあった。
「やっぱり、クレモアはすごいな」
でも最期に一言だけでも話をしたかったな…………
次々クレモアが書いた手紙を見ると、後ろの方から徐々に筆圧が弱くなっていくのが目に見えてわかった。まるで魔法でも使って自分の死期を予知したかのように手紙を書いていたのだろう。すると最後の紙に『コルダへ』と私宛の手紙が入っていたことに気付いた。
少し手が震えた。最後に私に遺した言葉は何か。何百年と過ごしてきた彼女がたった十八年だけ一緒だった私に特別なことを抱いていなかったらと思うと思わず紙を捨ててしまいそうになる。
ううん。そんなことない。
どこからか出てきた勇気をもって、開いた。
『愛しいコルダへ、私が帰ってくるときには新しいワイン一本買っておいてね』
たった一行だけのいつものことを頼むような手紙だった。
するとふわりと一片の花びらが開いた窓から入り込んできた。この森に花が咲くなんてないはず。振り向くと朝起きた時には気づかなかった、たくさんの花が森を埋め尽くしていた。
森中に立ち並んでいた柱のような木々すべての枝にある粒の芽が膨らみ、弾けて、開花していた。花弁はエルフの特徴であるどこにも交わらない朝焼けの白さで、根っこは髪と同じ透き通るような金の色合いだった。
ああ、そうか。きっとどこかでクレモアは生まれたんだ。
そのことを見越して、帰ってくるんだ。
「あはは。クレモアったら赤ん坊にお酒あげても飲めないじゃない。飲める頃にはもう十年物になっているよ」
ふわりと風が花びらと冷たい空気を巻き込みながら部屋に流れ込んできたので窓を閉めると、ベッドで横になっているクレモアどこか笑っているように見えた。
クレモアの墓を立てたらこの家を出て行こう。遺してくれたお金と大好きな葡萄酒を持って新しく生まれてきたクレモアを探しに行こう。私の顔や体が老いる前に、人間の時間はエルフと違って短いのだから。
「エルフの里でまた会いに行くからね。クレモアおばあちゃん」
エルフの寿命が尽きるそうです。 チクチクネズミ @tikutikumouse
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