エルフの寿命が尽きるそうです。
チクチクネズミ
ただいま
遠く離れた街から帰ってくるたびに、家の中から葡萄のアルコールの匂いが鼻につく。草のさわやかな香りが漂う森の中に家を構えているため、葡萄酒の匂いは余計に来る。
診察室兼寝室に入ると案の定、誰もいないことをいいことにクレモアがなみなみと葡萄酒を木のコップに傾けていた。
「クレモアまた昼間からお酒呑んで。お客さんが来たらどうするの」
「今日は一人も来ないのだからいいじゃない。それに老い先短い老人の最期の楽しみなんだから」
「だめ没収」
ボトルを奪い取ると思っていたよりも軽い。もうまるまる一本飲んでいた。顔を見てもちっとも顔は赤くなく、真っ白ですべすべの肌がテカる。とても五百歳とは思ない。
クレモアはエルフ族である。年は五百までは数えたらしいがそれ以降は忘れたと言っている。町一番のご長命であるおばあちゃんも七十二までは数えたけど、それ以降は数え忘れたというのだから老人特有の現象なのだろう。でも明らかに五百年以上前のことを昨日のことのように話すから、絶対倍は生きている。明日も死なないだろう。毎日のようにワインボトル一本も開けているのに、弱っていく日はまったくこない。どこが老い先短いのだろうか。
そもそも長命であるエルフの老い先とはいったいいつのことになるのか見当もつかない。そもそもエルフが寿命で死ぬということなんてあるのか甚だ疑問だ。もしかしたらまだ十五である私のほうが先に死んで、泣きながら私の墓の前で酒を飲むだろう。それでは老い先長いではないか。死ぬ死ぬ詐欺だ。
ワインを一気飲みして安楽椅子にもたれかかって怠惰を決めているクレモアを引っ張り上げて、調合台の前に立たせた。
「仕事がないのなら作りなさい。はいこれ、買い物ついでに薬の注文書を取ってきました」
「そんなにお金が必要なのかな。宵越しの金は私は持たない主義にしたと決めたんだけどね」
「仕事がないとエルモアがお酒を飲むからこうして仕事を作っているの。というか酒もお金かかっているんだからね」
けだるげに空返事をしてクレモアはサラサラときれいな金髪の髪をかきあげ、一つにまとめた。五百以上も生きているはずなのに、全く白髪も劣化もくすみもない最上級の生糸のような髪がきれい。私の黒くて、起きた時いつもくるんっと跳ねる癖毛とは全然違うし、いい匂いもする。
エルフ族は長寿のため老化も遅いというのもあるが、それに加えて魔法を使って老化しないようにしているという。私には魔法が使えないからその万能の化粧が非常に羨ましい。どんなに水で洗ってこすっても取れやしないそばかすも、おでこにできたぷつぷつニキビもクレモアが調合してくれる塗り薬を塗っているけど全然効果がない。魔法があれば全部解決なんだから、ずるい。
「どうして私に魔法を教えてくれないの」
「碌なことがないからだよ。何でも楽をしようとすることしか考えず、いつまでもあると思い続けてしまう」
「でもクレモアは毎日使っているじゃない」
「こんな怠惰な女にならないようにするための反面教師として私は魔法を使っているんだよ。ねえ、こっちの薬の調合手伝って」
うまいことあしらわれてしまいぶーたれたかったが、手伝いを嫌がるとまたお酒を飲みだしそうなのでしぶしぶ手伝った。
小鉢の中にアロエなどの薬草を混ぜていると玄関から来客用のベルが鳴った。小窓から覗いてみるとふっくら顔の町医者アンディ先生が立っていた。この前頼まれていた薬を取りに来たのだろう。
「先生、この前頼まれていた薬できてますよ」
「ありがとう。クレモア様の調子はどうですか」
「あと二百年は生きれるほど元気ですよ」
「こらこら」
「本当のことなんだからしょうがないもの。今日もまた昼間から酒を飲んで。あと煙草も」
「コルダ」
静かにクレモアが怒ると先生が「診察するからちょっと外してくれないかい」と助け船を出してくれたのでお言葉に甘えて乗らせてもらうことにした。ちょうど薬草が少し足らないから薬草摘みがてらに森の中でぶらぶらとしてみた。
さて、私たちが住む家には森があるとしているが、実際には草ばかりで森の根幹をなす樹木には葉も花も生えていない。住まいとしているこの森は『終の森』ともいわれていて柱を思わせる樹木があちこち立ち並んでいるのが特徴だ。
年老いたエルフは代々この森に住まいを構えて、命尽きるのを一人待つというのを聞いたことがある。しかしどうしてここが『終の森』という名前なのだろう。長い長い人生を過ごしてきたにしては、ここはあまりにもさみしい。町に住むおばあちゃんも静かに余生を送ると口にしているが、私ならこんな静かなところよりも町に住んで広場とか顔見知りがいっぱいいるところで囲まれて死にたい。
ふらふらと散策していると、ちょうど足りなくなっていたまだ未開花状態の彼岸花を見つけた。しかも運よくいっぱい生えていたからラッキーと手を伸ばそうとした。伸ばした指先に硬い石のようなものが当たった。見ると大きくて古い石が立っていた。よくよく見るとだいぶ古ぼけて刻まれた文字が見えないが、これはエルフの墓石だ。
そしてこの彼岸花はきっと、お供え物だったものだ。
エルフの最期はこんなさみしく終わるのだろうか。クレモアも静かに死にたいと思っているのだろうかと私は墓石に頭を傾けた。
先生が帰ると私たちは夕食を食べた。そしてクレモアにエルフの墓石を見たことを報告し質問した。
「どうしてクレモアはここに住んでいるの」
「エルフの習慣だよ。エルフは花の一生と例えられてね、生まれた時には白い花が咲き乱れ、種が遠くの土地へ行くようにある年齢まで達すると別の土地へ生まれた里から独り立ちし、枯れる時期はここを終の棲家にして自分の墓を建てるんだ」
「寿命が近いとどうしてこの森に住むの? 薬屋を営むのなら町のほうが近いじゃない。それに町のほうがにぎやかだし」
「人前でぽっくり逝くって色々迷惑がかかるものなんだよ」
そうなのだろうか。この町や森は平和だけど外に出れば、病気や戦争で突然死ぬ人だっている。それに生きていても私に迷惑をかけている。それとどこが違うのだろうか。
ずずっと残ったスープを口に流し込むと今度はいつ死ぬか尋ねた。
「何度も聞くようだけど、エルフの寿命っていつなの?」
「私が知っている限りは一番若く寿命で死んだのは七百歳ぐらいで、長い人で千歳かな」
「じゃあクレモアはあと二百年も生きるじゃない」
「そうとは限らない。もしかしたら何かしらの病気を抱えていて寿命が縮まっているかもしれないし、もしかしたら突然戦火に巻き込まれて死んじゃうかも」
あははと深刻な表情をせずに笑うクレモアに、私の顔が急にぎゅっと力が入った。その拍子にスプーンがテーブルから落としてしまった。
「ごめん言いすぎたよ。今日の片づけは私がするから、寝てな」
「いい。自分でできるから」
食べ終わった自分の皿を片付けて流し台に置く。クレモアは居心地が悪そうに「残りの薬を調合するから診察室に行っておくよ」と部屋に引きこもってしまった。
私の本当の両親は従軍医として人の命を救おうとしていた。けど戦火に巻き込まれて逆に命を落としてしまった。幸いクレモアが両親の師匠であった縁があり独り身で生きることは免れた。けど、もしもクレモアがいなかったら、ちゃんと面倒を見てくれる優しい人でなかったら、戦争が続いてクレモアも死んでしまったら。
そんな最悪のたらればをうまくかわして私たちは生きているのに、死ぬことを気軽に口にするのだろう。デリカシーがない。ゴシっと強くヘチマたわしをこすると大事にしてした木目の皿が割れてしまった。
翌朝の目覚めは悪かった。昨日のクレモアの話でよく眠れなくてまぶたが重くぼやぼやする。ふらふらと寝ぼけまなこのままクレモアの診察室に足を運ぶと足元に細い束のようなものに触れた。
膝を折ってそれをよく見ると金色の髪が一房落ちていた。白髪も混じっていて、体が硬直する。
嫌な予感がする。そして目の前のクレモアが寝ているはずの診察室へのドアノブに手が強く忌避していく。ゆっくりとドアノブを回して中を覗き込む。
「おはようコルダ」
しわがれた声が私を迎えた。診察室の椅子の上には、灰のようにこげ落ちた白髪の髪とくしゃくしゃにまるめた紙を貼りつけた見知らぬ老婆がそこに座っていた。けど老婆の隣にクレモアが愛用しているなみなみに葡萄酒が注がれたコップを見て、やっとその老婆がクレモアだと認識した。
家を飛び出した。
どこに向かうのか私自身もわからなかった。こんな時は先生を呼ぶべきなのに、私は別方向を走っていた。
魔法で若作りしているのなんてずっと前から知っていた。けど信じたくなかった。あのきれいなクレモアがあんなしわくちゃの老婆だったなんて。
どれくらいは知ったのだろうかよくわからないまま足が棒固くなり始め、昨日見つけた彼岸花が生えた古びた墓石のところで動けなくなった。
怖かった。なにに? あのきれいなクレモアがしわくちゃの老婆だったから? そんなこと頭でわかっていた。魔法の下には醜い女の姿があると。でも本当に目の当たりにした時頭に思っていた感情が消え去り、むき出しの感情で逃げ出したんだ。
クレモアがこの殺風景な森の土の下に消えてしまうことに、怖がってしまった。
顔を上げると古い墓石が目に入る。よく見るとだいぶ苔が生えていて、石が少し脆くなっている。きっと誰も手入れされていないんだ。おそらく何十年も手入れに来る人がいなくなったのだろうに。
ふと墓石の文字が私の見知ったものに一瞬変化して、のけ反った。もしこのまま私が去ってしまったら、クレモアをこの墓石のようにさせてしまう。
恐る恐る家に戻って探してもやはり若いクレモアの姿はなく、診察室にあの老婆のクレモアがいるだけだった。
「クレモア。ごめんなさい」
「コルダ。悪いけど外に行ってきて先生を呼んできてもらえる」
クレモアは何事もなかったかのようにしわがれた声で、いつも私に買い物をお願いするような口調で頼んだ。
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