幼女と金盥  ②

 靴を脱ぎ、家の中へと入る。行く先は、居間。みふるを連れて行った先はソコしかない。


 居間に通じる扉を開ける。


「!」


 そこには座卓に着いてオレンジジュースを傍ら、母さん手作りの苺のチョコレートケーキを頬張っているみふる。


 早業過ぎませんか。


 既に彼女はこの家に馴染んでいた。その横で微笑みながら見ている母さん。


 そして、和んでいた。


「あら彗ちゃん。そんなところに立ってないで、手を洗ってらっしゃい」


 どうやら俺にもおやつが用意されるらしいです。ありがたいです。っていうか、みふるの食べているやつが、元々俺に用意されていたのであれば、早業は理解できる。


 二階に上がり自分の部屋に行き荷物を置く。下に戻り洗面所に行って手を洗う。何か忘れている気もするが、居間に戻ってみると、みふるの隣に自分のケーキと紅茶が用意されていた。


 みふるはクッションに座り、二個目のケーキ食べている。


 その横に並んでケーキを食べる。


 みふるはグラスを両手で持ち、ストローでオレンジジュースを飲む。


 俺は紅茶(無糖)を一啜り。


「どう、おいしい?」


 うまいです。


 二人頷く。


「よかった」


 母さんは殊の外喜んでいる。


 餌付け成功のようですよ。


 パンッ!


 向かいに座り直した母さんは、胸の前で両手を打ち、少し睨むように俺を見てきた。


「さて、どういうことか説明してちょうだい」


「?」


 何を、でしょう。


「やーねー。みふるちゃんがどうしてココにいるかよ」


 それはあなたが連れ込んだからです。拉致していく現場をあなたの息子が目撃してしまいました。


「それじゃぁ、誰が家まで連れてきたのよ」


 そう、それ。思い出しました。そのこと。でも何だろう、俺が誘拐してきたみたいに思ってます? あなたの息子は変態ではありません。


「いや、家の前で金盥の中に座ってたんだよ。名前を訊いても何処の子か分からないから、母さんに――」


「母上様!」


 鬱陶しい‥‥です。


「……母上様に相談しようとしたんじゃないか」


「あら、そうよね」


 ちょっと待て、『そうだったの』ではなく、『そうよね』とはどういうこと。やはり自分の息子を疑っていたんですか。


「此処ではないことは、確かなようだけど……」


 母さんはみふるの方を見る。どうやら『そうよね』は、なかったことになったようだ。


 近所の子ではないとなると、何処から来たのだろう。


「パパとママのお名前、憶えてる?」


 みふるは座卓の上から覗かせた顔を傾げる。


「パパとママ、分からないのかしら?」


 近所には児童養護施設や保育所なる物はない。だから、そこから自分の金盥を持って、抜け出してここまで来たとは考えにくい。まして金盥を用意して捨て子する親もいないであろう。が、みふる独りで金盥を担ぎこの家の前に辿り着いたとも思えない。思えないが現に居たわけで、残されるはトンデモ話しかなくなる。SFやファンタジックなモノ、ホラーっていうトンデモ話も現実的ではないわけではあるが。


「でも変ねぇ……」


 母さんは座卓の端に置いていたスマートフォンを掴み、ちょっと待っててと云い残し、部屋を出て行った。


 そうです。最初からそうすべきだったのですよ。警察に保護して貰うのが一番。選挙権を有し、責任を取れる立場の人間が連絡を入れるのが筋なのです。理路整然と説明すれば、相手も分かってくれる筈なのだから。あなたの息子が、こんな幼気いたいけな幼女を古典的なお菓子で拐かし連れ込んだと思われぬように。あなたは一瞬そう過ぎったようだが、警察は微塵も思わないでしょう、たぶん。実際、家の中に連れ込んだのは母さんだし、手作りの苺のチョコレートケーキを食べさせたのも、母さん、あなたです。まさか自分が疑われたら、俺に擦り付けようとは微塵も思っていませんよね。血を分けた可愛い息子に。


 ただ、皆が不審に思うとしたら、あの金盥の存在だろう。アレだけはどっからどう見ても単なる金盥なだけに、不審かつ疑問に思う。


 そう云えばあの金盥、ドコに行ったんだ。


 などと思っていると、母さんが笑顔で戻り、「話つけたわ」と。


 ?


 何だろう『話つけたわ』とは。『連絡入れたわ』ではなく、『話つけたわ』?


「ええそうよ」


「何の話をつけたんだよ」


「しばらくの間、みふるちゃんを家で預かることに決まってるでしょう。バカな子ね」


 そう来たのは予想外です、ホント。


「バカなのはそっちだろう。できるわけないだろうそんなこと。犬猫じゃあるまいし。なんだよソレ、トンデモ話に良くある定番のストーリー展開は。誰だよ〝良い〟って云った奴は?」


「!!」


 ? 何ですか、ソノ格好は? 口元に手を添えてワナワナと震えてみせるのは? 何のドラマを見て憶えたのですか、母さん。いえ、母上様。


「彗ちゃんが、彗ちゃんが、母上のことを『バカ』と云った」


 へなへなとその場に崩れ落ちた。しなやか過ぎる。


「彗ちゃん、やっぱり心ない人間に育ってしまったのね。だからあの時『名前に心を付けましょう』って云ったのに」


 ×慧→○彗=心ない人間


 ……。


 そんなことを云われても、名前を決めたのはあなたたちですよ。それに、いつ俺が心ない人間に堕ちたんですか。仮にそうだとしたら、育て方を間違えたのもあなたたちです。まして、我が息子に面と向かって吐き捨てる言葉ですか。そんな大事なことをこんな状況で暴露された俺は、どう受け止めればいいの?


 その嘘泣きを止めなさい。ほら、みふるが気を遣って、母さんの側まで駆け寄り、頭を撫でだしたじゃないか。おいおい、それに乗っかる気ですか。みふるを抱きしめて「私たちで強く生きていきましょう」って、いつから俺はあなたの不貞の夫役なのですか? ホラ、やっぱり嘘泣き。みふるから見えないことを良いことに、声で泣いて、顔は笑ってるじゃないか。ワザとそれをおれに見せつけている。


 大体にして、あなたは怒ると強いじゃないですか。もう手が付けられぬほど強い。それに怖い。どうやら御近所にはまだバレてないようですけど、確か、屈強な男五人相手に一分もかからず伸してましたよね。か弱い素振りをして、何が『私たちで強く生きていきましょう』だよ、どの口が云ってるのです。


 あなたは十二分に強かです。


「はいはい、すみませんでした。ごめんなさい」


 嘘泣きがバレぬようみふるを身体から剥がし、クルッと俺の方を向かせ、「分かって貰えればそれでいいのよ」と。


 バレバレのような気がしないでもないが。


 それよりみふるのこと、いいのだろか? 


「じゃぁ彗ちゃんは、電柱に張り紙や駅前でビラ配りでもすればいいって云うの? 『みふるちゃんを預かっています』って」


 それは随分あからさまな誘拐犯です。


「みふるちゃんを見棄てるなんて、できないじゃないの。だから家で預かることに決めたのよ」


 そう云うことではなく、みふるを預かることに問題が生じないかと云うことなのだが、話の行く先が違ったまま進んでいく。みふるを預かることで問題が家に生じるのであれば、責任は家にあるのだし、それに大した問題はない。だが、預かることによって彼女自身に問題が降りかかってしまえば、意味がない。


「だから『話をつけた』のよ」


 とっておきのスマイルで、我が子にウィンクをして魅せる。


「……そ、そう」


 疑問は大いにある。云ってしまえばソレしかないのだが、ココは敢えて納得しておくに限る。何故なら、今までソレで解決しないことが全くないのだから。


〝笑顔でウィンク〟。最強の武器。怖いです。


「あっ、それと、お弁当箱はちゃんとキッチンに出しておきなさいよ」


 何の脈絡もなく出た話だが、


「はい」


 何か忘れてる、と思ったのがソレだと、いま思い出しました。


 流石です、母上様。




 外は茜射す。


 季節は夏を迎えようとしていた。


 そんな頃にみふるという小さな女の子が家に来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

m9 6w 黒穴劇場 @black_hole_theater

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ