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黒穴劇場

 

第1話   幼女と金盥  ①

 これはどうなんだろうと思う。


 閑静な住宅街だからといって、車や人通りが全くないわけではない。が、それがそこに居るのが当たり前のように、誰もが素通りしていく。電信柱とかポストとか床屋のサインポールとか、風化した地蔵菩薩のような無機質な設置物の類と同様に、景観に同化しているからなのか、誰も気付かないのであろう。


 ンなワケはない。見れば見るほどそれは異様な光景であるのに、それを誰も見向きもせず‥‥というか見えないのか、素通りである。まるで霊とか、見える人にしか見えないような類のモノ、だとでもいうのであろうか。


 ……見えるその一人が自分だと――。


 これまで一切そんなことはなかった。ただ自分では気付かず、普通の人間と変わりなくその類を普通に見えていたとでも――それはそれで怖い。


 だから、これはそんな類の現象では絶対にない。これからも恐らくそんなことは一切ない‥‥と思う。


 しかし、声を掛けるべきか掛けざるべきか、躊躇する。


 ダンボールやみかん箱に入れられ捨てられた子犬や子猫の如く、直径1メートルの金盥かなだらいの中に座る姿形は、どう見ても幼女だ。何処かで洪水が起こり、ノアの方舟然り、流れ着いたのがウチの門の間‥‥なのかな。


 この状況でなければ、悩むところではないし、考え倦ねることでもない。躊躇せず無視し、この場から直ぐに立ち去るべきなのだ。関わってはイケナイ。関わると、大抵碌なことにならないのがセオリー。


 しかし、謎、疑問、不可解、不可思議、何であれ、そう思うのは当然と思う。


 学校から帰ってみれば、オレンジ色のワンピースを着た小さい女の子が、独り金盥の中で、家の門の間に居座っている光景は、異常にも程があるのだから、悩み、考え倦ね、躊躇もソリャするだろう。


 サンドロ・ボッティチェリのヴィーナスの誕生の絵のように、でっかい貝殻にでも立っていれば‥‥それもそれで人ン家の前で裸女が待ち構えていたら、一応驚きながら全身を上下一往復――以下、自嘲。だから貝殻の代わりに金盥、裸女の代わりに幼女となれば、普通に心配にもなる。


 家に入るのなら、金盥の脇を通れば問題ない。問題は彼女の存在を無視し、ずーっとそのまま家の門の間に居座っていたとしたら、彼女はどうなってしまうか、だ。


 いつから彼女がココに留まっていたかは定かではないにしろ、運良く誘拐や拉致されずにいるのは幸いである。保護されて然るべき存在が保護されずにいるのは、許されるものではない。ただし、目の前の幼女が形而下に存在していることが前提ではあるが。


 しかし、さっきから彼女の前に立ちはだかり、目の前を塞いでいるにも拘わらず、両手で金盥の縁を掴み、中で両膝を立てて座り、真っ直ぐ見つめる彼女は、俺のことを無視している。まるで俺のことが見えていないようだ。


 ん? 


 まさか、存在していないのは俺の方であり、その類であったとでも。それを今の今まで気付かずに過ごしていた――ということは、残念ながらない。そんな使い古されたホラーの手法では、何の面白味もないし、現実そんなこともない。


 徐にしゃがみ、彼女の目線の高さに合わせる。目と目があってはいるのだが、彼女は俺を透かした先を見ているようで、相手にされていない感を憶える。気のせいだろう。


「えーと、こんにちわ」


 ビクッ!


「ん!」


 幼女は突然掛けられた声にか、目の前に人がいたことにか、そのどちらにもであろう驚き、身体を一瞬竦ませていた。何もしていないけど、何故か罪悪感。でも、どうにか俺の存在を認識してくれたらしいので、ファーストコンタクトに成功。


「驚かせてゴメン。お嬢ちゃんお名前は?」


 今度は怪しい者ではないことを認識して貰うため、笑顔で訊ねる。自分では笑顔を作っているつもりだが、それで通すしかない。


「……」


 聞こえてないわけないよな。笑顔が怖かった、わけでもなさそうだが。


「名前は何ていうのかな? 教えてくれたら、友達になれるよ」


「……」


 マズったか? 流石に『友達になれる』はないか。ないよな。お菓子をあげるでは、誘拐犯だろうし。友達になったところで、彼女に何の利点もない。どう考えてもないな。


「……」


「……」


 金盥の縁に文字のようなものが‥‥

「‥‥み・ふ・る。〝みふる〟ちゃんっていうのかー。カワイイ名前だね」


「!……」


 何故金盥に名前が書かれているのか――彼女の所有物なら書かれていても可笑しくはないのだが、物が金盥だけに、何と言うか‥‥何故そんな物を幼女が所有しているのか、と不思議に思わざるを得ない。違うのだろうか?


「みふるちゃんは、いくつかなー」


 変態に思われないだろうか。


「フッ」


 鼻で笑われた。年齢を訊いたことにか、変態に思われないだろうかと思ったことにか。それとも、俺の顔を見てか。考えすぎだろう、たぶん。


「みふるちゃんは、近所の子?」


 彼女は、ブンブン、と顔を横に振る。毛先が舞っている。


「えーと、どこから来たの? お父さんかお母さんは?」


「……?」


 今度はクニュッと小首を傾げた。


 それに釣られて、俺も小首を傾げ――ている場合ではない。


 これまで彼女から得られた情報は、『みふる』という名前しかない。それもなんとか読めたひらがな表記のである。名字さえも分からない状態。


 いや、名前がどうのこうのっていう問題ではない。姓名判断するわけではないのだ。問題はここで何もせずにいたら、御近所さんに怪しまれる。怪しまれるだけならいいが――よくはないが、通報されでもしたら、それ以上のダメージが、最悪のイメージが今後一生纏わり付き、立ち直ることさえできずに生涯を終えるだろう。


 いやいや。何故にネガティブな発想しかしないのだ。小さい女の子と遊ぶ微笑ましい光景に見られてもいいじゃないか。


 と思ってる場合ではない。この状況を打開する方法が‥‥ああ、一応頼りになる人物が家の中に居るではないか。すっかり忘れていた。自分の母親を。


 入り口を塞ぐように居座るみふると金盥の横を通り、玄関を開け中に入る。


「母さーん」


「……」


 返事もなければ、生活音さえもない。流石です‥‥そんなところ感心しているところか。


「母さーん。居るのは分かっているんだから、素直に出てきなさい」


「やーだぁ」


 家の奥から声がする。何我が子に甘えた声を出しているんです。


「ちゃんと云ってくれなきゃ、行かなーい」


 今日も鬱陶しい。


「チッ……母上様」


 あなたは杉の梢に明るく光る星か、


「はーい」


 その子どものどちらかのようです。しっかりキャラを決めてください。


 スリッパ履きで廊下を音もなく駆け寄ってくる。


 ウチの母親は、遡れば豪族からの系譜で、貴族、武家と言った由緒正しい家柄の子孫らしい。貴族から武家になったのは怪しいものの、彼女の田舎の家は、それを裏付けるような蔵のある大きなお屋敷で、〝お嬢様〟と呼ばれていた。年齢は秘密らしい。この国の女性は自分の年齢を何故か隠したがる。年嵩を恥とでも思っている節があるのだ。不思議だ。彼女の秘密はそれだけではないのだが、まぁそれはそれとして、


すいちゃんお帰り~」


 未だにちゃん付けで呼ばれて――! 母さん、あなたって人は。由緒正しい家柄でお嬢様と呼ばれているくらいで、着ている服装は厳かな着物と思いきや、年甲斐もなく薄手の半袖ニットにホットパンツ姿で現われてくれました。


「ちょっ――」


「あらあら、今日はカワイイ彼女を連れてきたのね」


「え?」


 母さんの目線を辿り、着いた先には自分の傍ら立つ〝みふる〟がいた。母さんにも見えるってことは、やはり霊とかその類のモノではないってこと。取り敢えずは安心。っていうか、いつの間に横に来ていた?


「アレ?」


 後ろを振り返り、開け放たれたドアから門の方を見遣る。そこにあった幼女と金盥の姿は当然ない。みふるはココ。金盥はドコ?


 そうこうしている内に話は進んでいる。


「お名前は?」


 母さんはしゃがんでみふるに名前を訊ねていた。


「……」


 みふるは答えようとせず、俺を見上げる。代わりに答えろ、と。何だろう、懐かれた?


「この子〝みふる〟っていう名前」


「そう、みふるちゃんっていうの。カワイイお名前ねー」


「!‥‥‥‥‥‥ニャヘッ」


 ニャヘッ?


 さっきまで始終無表情に近いみふるの顔が、今までそんなこと云われたことがなかったのかのような驚きの顔を見せ、それからようやく理解したのであろう、デレた。


「きゃーカワイイー」


 俺の横でモジモジしているみふるを、母さんは自分の方へと引き寄せ、そのまま抱え上げると、家の中へと連れ去っていった。


 みふるの足からポタリと落ち、玄関の土間に跳ねて転がるサンダルという遺留品。


 目の前で子供が拉致されるところを初めて見た。そうなることを危惧し、相談しようとした自分の母親が、まさか犯人になるとは……。


 みふるのサンダルを揃える。これで俺も共犯者、か……。


 まぁ、今の段階では、そんなことにはならんだろう、たぶん。

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