第2話 突き落とす一手はわたしから

〈side 真帆〉



『ここの問題難しいな』

 過去問を解く側で、イヤホンから流れる鳴瀬の声に耳を傾ける。

『くじけちゃダメ! 絶対、真帆と同じ高校に行くんだから』

 わたしと比べて成瀬の学力が根本的に劣っているわけではない。

 それでも、本格的に受験勉強を始めたのが十月では、流石に追いつけないだろう。

 もちろん追いついてもらっては困るが、絶望的過ぎるのは鳴瀬とのこれからを考えると良くない。だからこんな中途半端な時期に、自分の志望校を伝えたのだ。

『うー……こんなペースじゃ間に合わないよ……』

 鳴瀬が弱音を吐くのも無理はない。鳴瀬がギリギリ間に合わないように計算して、伝えたんだから、そりゃ苦しいだろう。

 わたしと一緒にいるために、わたしの掌の上で踊る鳴瀬を観察していると、どうしても興奮してしまう。

 とても人には見せられない表情をしながら、鉛筆を動かす。数学の大問も、七割程度の確率で最後まで解けるようになってきた。

 本番では鳴瀬ボイスブーストがかからないから不安ではあるけど、それは同じ会場になる鳴瀬の息遣いで代用出来るようにこれから調整しよう。

 さて。とりあえず自分の分は終わったから、明日、鳴瀬に教える問題を解こう。

 鳴瀬に勉強を教えることで仲を深めながら、自分の学力も上がる。なんて効率の良い勉強法だろうか。

『足を引っ張るのは嫌だけど、明日はここを聞こう』

 そこで詰まると思ってたから、もう準備出来てるよ。

 でも、いざそこを明日教えるとすると、詰め込みすぎになっちゃうから、準備しないほうがいいね。

 だったら今日の勉強はおしまいにして、鳴瀬を観察することにしよう。

 成瀬の勉強机に仕込んだカメラの映像を、スマホと連動させて、ベットに寝転びながらそれを眺める。

『これが解けてるってことは、真帆は凄い頑張ったんだよね。私も頑張らないと』

 自分ではそういうけど、鳴瀬が頑張ってるのはわたしが一番よく知ってるよ。

 ずっとこうして見てたからね。私は鳴瀬と、より仲良くなるために、上の学校に行きたかったから、隠れてコツコツ勉強してただけで、集中力は鳴瀬の方が上だし。

 わたしが上を目指してるってもっと早く知ってたら、真帆がわたしといる為だけに、志望校を下げてた可能性もある。それはそれで嬉しいけど、ちょっと健全過ぎて、満足出来ないよね。

 わたしに協力してもらって、頑張って努力して、それでもギリギリ届かなくて、離れ離れになる。それくらい辛い思いをしないと鳴瀬は狂わない。

 それにしても、わたしと会う時は家の中でもちゃんとしてるのに、一人の時はちょっとだらしない感じなの、最高過ぎる。

 わたしの前では可愛く在ろうとしてるのに、一人ならバレてないと思って油断してる。そういうところが可愛い。

 でもそれが不安でもある。こんな風に日常を観察されてても気付かないってことの証明なんだから。

 ちゃんとわたしが見守っててあげないと、危なっかしい。 

『あー! もう疲れた! 寝る!』

 そう行って不貞寝し始める鳴瀬の可愛さに悶えながら、わたしも寝ることにした。


 ※※※


 計画通り鳴瀬はわたしの第一志望には合格しなかった。わたしは合格した。

 鳴瀬をより悔しがらせたのは、わたしの第二志望には通っていたことだろう。

 我ながら本当に完璧な計画だった。

 わたしの立てた勉強計画に従って、第二志望に合格。さぞ悔しかろう。

 でもこの結果を少し残念に思う自分がいるのも事実だ。健全な友達以上、恋人未満の関係で高校生活を送るのも、はっきり言って悪くない。

 飽きたら告白して恋人になれば良いし、鳴瀬観察も続けれていればとても楽しい高校生活。そのまま大学生になって、社会人になって、一緒に住んで幸せな生活。うん、良い。

 でも、まぁ、もうちょっと踏み込んだ関係がわたし好み。お互いがお互いを観察し合うような、退廃的な奴が。


 ※※※


 「明日から真帆と離れ離れなんて嫌だよ……」

 卒業式も終わって、校舎の裏で鳴瀬がわたしに泣きついてくる。

 健全にわたしが好きで、健全に頼ってくれる。なんとプラトニックな関係だろう。さながら物語でも見ているかのようだ。

 でもプラトニックでも、わたしはもう少し暗黒面に両足が浸かってるような感じの方が好み。わたし自身がそうだから。

「わたしも鳴瀬と離れるの嫌だよ」

「もうちょっと頑張ってたら、同じ高校に行けたかもしれないのに……ごめんね」

「成瀬は充分頑張ったよ。それはわたしが保証するから」

 涙を拭う鳴瀬を本心から励まし、計画を第二段階に移すとしよう。

「それでさ。ずっと仲良しでいるための方法を考えたんだけど……このアプリ入れ合わない?」

 鳴瀬に見せたのは、以前から目をつけていた位置情報共有アプリ。わたしに言わせれば、こんな中途半端な観察アプリで満足出来るなら、健全な関係でいた方がお互いの為だと思うのだが……

 こんな煮え切らない相互観察を続けていたら、拗れるのは目に見えている。まぁ、今回はその中途半端な性質を利用させてもらうのだが。

「うっ……いくらなんでもこういうのは……」

「嫌になったらやめたらいいんだよ。学校終わる度に待ち合わせの連絡し合うのも面倒でしょ?」

「そうだけど……」

「大丈夫だよ。同じ学校じゃなくなっても仲良しでいられる。だけど安心感は大事だよ。わたしの不安を消すと思って。ね?」

 自分で言っててなんと白々しいのだろうと思う。今までずっとプライベートを観察していたのに、そこには触れずに、対等に観察し合おうなどと宣うのは。

「……うん、そうだね。そうしたらずっと二人でいられるもんね。そうしよう」

 渋々といった様子で、鳴瀬はアプリを入れて、私とフレンドになる。

 これでどちらかが相手をブロックするなり、通知をオフにしない限りは、自分のプライバシーが相手に筒抜けのまま。

 まぁ、そんなことしなくてもわたしは鳴瀬のことを観察出来るから、有り難みはあんまりない。

「これで離れ離れになっても安心だね」

 わたしが言ったことを、鳴瀬は納得していないのが見て取れる。

 こんなことしたって安心出来ないって言いたそうに。

 まぁその通りだよ。こんな程度じゃムリ安心なんて到底出来ない。そんなこと、わたしが一番よく知ってる。

 下手に観察出来る分だけ、おかしくなる。

 鳴瀬に素質があるのなら、これでわたしと同じところまで堕ちて来てくれるはず。

 それを首を長くして待つことにしよう。


 ※※※


 最初の真帆は位置情報をさして気にかけてもいなかった。せいぜい待ち合わせに使うくらい。

 それが少しずつ、ほんの少しずつだけど、か細いプライバシーの観察に依存していった。

 別離なんて大半の人は耐えられるように出来ている。

 わたしはムリだけど、本来の真帆なら出来てしまう。

 だけど、その別離が中途半端だと、いつまでたっても割り切れない。それが歪であればあるほど、狂気に走って行かざるを得ない。

 同じ学校の友達同士であれば、位置情報くらいなら壊れずに済むのかもしれない。

 だけど、真帆はどこかわたしに依存していて、自分の努力不足で距離が離れたと思っていて。そこまで条件を整えてやれば、常人でも充分狂い得る。

 用事があるから位置情報を確認していたのが、特に意味もなく気になって調べた。

 そのたった一度をきっかけに、真帆は度を越した観察生活へと転落した。

 


 高校生になって二ヶ月が過ぎる頃には、真帆は完全に壊れた。

 四六時中わたしの位置情報を確認していないと、不安を感じるようになっていた。

 食事中も、登校中も、授業中も、寝る直前まで、鳴瀬はわたしの位置情報を確認し続けていた。

 その表情は楽しいことをしているというより、強迫観念めいた何かに突き動かされている感じだった。

 それを見て、そろそろ堕とせると確信したわたしは、計画を実行に移すことにした。

 前触れもなく今の鳴瀬がわたしを見失ったら、何が何でもわたしを見失わないような策を弄してくれる。そう考えて、スマホの充電をし忘れたように見せかけて、位置情報を絶った。

 鳴瀬の制服に仕込んだ盗聴器から聞こえてくる息遣いから、狼狽える様子が手に取るようにわかる。

 我慢出来なくて教室から飛び出し、わたしのいる学校に向かい始めたのは位置情報で簡単に分かったから、早退したことにして、学校を後にする。

 教室に突入してきた鳴瀬を、向かいにあるビルから観察する。

 周りにいるクラスメートにわたしの行方を問いただしている鳴瀬の瞳は、狂気に満ちている。

 それに満足を覚えながら、おぼつかない足取りでわたしの家に向かおうとする鳴瀬を観察するのことにした。



 わたしの家に辿り着いた真帆は、そこにもいないことを知って、その場に崩れ落ちた。

 わたしの現在に関する情報をすべて失った鳴瀬は、正気を失ったまま、全身をわずかに震わせる事しか出来ない。

 六月になって気温も上がってきたにも関わらず、何時間もカバンの中に入った水筒に口をつけることさえなく、ずっと家の前でわたしの帰りを待ち続ける。

 それは一言、狂気としか形容のしようがなかった。

 同じところまで堕ちてきてくれたことを充分に確認し終えて、満を持して鳴瀬の前に姿を現すことにした。

「成瀬……こんなところで何してるの? わざわざ家まで来るってことは、なにか重大な用事があるんだよね」

 何事もなかったかのように、ただ家に帰ったら、友達が待っていた風を装う。

 ほとんど極限まで追い詰められた鳴瀬は、わたしの態度を見て露骨に苛立っている。

「……平気そうな顔しないで。イライラする……」

 わたしの位置がわからなくなっただけで、正気を失って、手がかりがないとわかるや、植物か岩になったかのように活動を停止する。その一部始終を全て見て、感じていた。

 そりゃ、こんな態度取られたら嫌だよね。

「どうしたの成瀬? そんな追い詰められたように……」

 でも、そんなの関係ない。もっと、もっと追い詰められて欲しい。

「スマホの電池切れてるでしょ!」

「えっ……あっ、本当だ。全然気付かなかった。それがどうかしたの」

「真帆の位置情報が消えたのが不安だったの」

「ちょっとの間だけじゃん。もしかして、それで家まで来たの?」

「そうだけど」

「……ちょっと前から思ってたけど、最近の成瀬、気持ち悪いよ」

 心にもないことを言うことに抵抗がある。最近の鳴瀬は素敵だ。どんどん魅力的になっている。

「私も最初、こんなアプリ入れようって誘ってきた真帆のこと、気持ち悪いって思ったよ。はい、これ」 

 鳴瀬が唐突にモバイルバッテリーを押し付けて来る。一週間前に通販で購入していた盗聴器付きの物だ。

「なにこれ」

「充電切らさないようにしてね」

「……アプリの設定変えれば、位置情報見られないように出来るんだけど」

「そんなことしたら許さないから」 

 暗く澱んで瞳で睨みつけて踵を返す鳴瀬の背中を眺めながら、早速もらった盗聴器兼モバイルバッテリーでスマホを充電して、アプリを開く。

 なんだかんだで下手な発信機を付けるより、このアプリの方が精度が高いし、手軽に確認出来るから便利だ。

 あと数分もすれば駅に着くだろう。さて、せっかく盗聴器を上手くわたしに持たせたのだから、成果を与えてあげるとしよう。

 どんな内容だと、もっと狂ってくれるだろうか。

 きっと鳴瀬の知らないわたしを知れたら喜ぶ。それをこの盗聴器を通して鳴瀬に発信してあげよう。

 そしたら、もっと酷くなって行くから。


 ※※※


 ある日、鳴瀬が家に遊びに来た。わたしが飲み物を取りに自室を出て、部屋に設置した監視カメラの映像を確認する。

 そこに映し出された映像には、机の裏やベッドの脇に監視カメラを仕込む鳴瀬の姿だった。

 素人なりに調べたのがよくわかる、ありがちだけど目につきにくい場所にカメラを設置している。微笑ましい。

 監視カメラを隠れて設置する自分が、今まさしく観察されているなんて夢にも思っていないのが可愛い。

 時間をかけて飲み物とお菓子を用意して、鳴瀬がちょこんと座布団の上に腰を下ろしたのを確認してから、部屋に戻った。


 遊園地に遊びに行った時、ジェットコースターに二人で乗った。

 昔からこういうのが苦手だった鳴瀬は自然と私に抱きついてくる。その瞬間、鳴瀬か、友達のふりをしている人と遊びに行く時にだけ使うカバンに何かを仕込んで来た。

 まぁ盗聴器だろう。何かの拍子に壊してしまわないように気をつけないと。

 いや、その時はその時で、鳴瀬の新たな一面が観れるかも知れない。

 だけど今は、鳴瀬の思うがままにわたしを観察させてあげよう。

 

 

 鳴瀬はあの手この手でわたしの全てを観察しようと、段々となりふり構わなくなって行く。

 その症状が進行するのに比例して、真帆から正気と余裕が失われる。

 観察するだけで済んでいたのが、支配に変化するのにそう時間はかからなかった。

 わたしの持つ、上っ面だけのの交友関係に口を挟んでくれるようになったのだ。

 それが聞き入れられないとなると、わたしにではなく、わたしを取り囲む人に対して嫌がらせを始めた。

 嬉しかった。ここまで堕ちてしまえば、わたしの望みを聞き入れてくれるはずだ。

 これでようやく、成瀬がわたしの物になる。


 ずっと昔から鳴瀬には、誰も近寄って欲しくなかった。ずっと独り占めしたかった。でも、そうはならなかった。

 人と話すのが苦手な鳴瀬に話しかける不届きな人間はいつどこにでもいた。

 それが不愉快でたまらなかった。鳴瀬の魅力に真っ先に気付いて、話しかけて、学校生活を支えてあげたのはわたしなのに。

 ちょっと社交的になった鳴瀬に後乗りしてくる人を許せるはずがない。そんなしょうもない人に、愛想を振りまく鳴瀬の方も、許せない。

 わたしは鳴瀬の方だけ見ていたい。だから、鳴瀬はわたしの方だけ見ていればいい。


 ※※※


 さも不機嫌そうな面持ちで、鳴瀬が家に帰ってくるのを待ち伏せする。

 ここまで思い通りの鳴瀬になってくれたことが嬉しくて、嬉しくて、つい口角が上がってしまいそうになるのを、頑張って抑える。

「鳴瀬……話があるんだけど」

 わたしがここにいることを知っている鳴瀬は特に驚く表情も見せない。イヤホンを外して、まっすぐわたしを見据える。

「鳴瀬だよね。わたしの周りの人に、嫌がらせしてるの」

 されて嬉しいことを、さも嫌なことであるように語るのは骨が折れる。今更、こんな風に取り繕う必要はないのかも知れないけど、もっともっと壊すために、芝居を打とう。

「そうだよ。だって真帆を独り占めしたかったんだもん。別に良いでしょ。私がいるんだもんね」

「……」 

 ダメだ……嬉しくて、湧き上がってくる歓びを隠しきれなくなりそう。

「……いい加減にして。やめなかったら怒るって言ったよね」

「言われた通り真帆には何もしてないでしょ」

 わかるよ……わかる。鳴瀬の気持ちが。わたしもそうたから。相手のことが欲しくて欲しくてたまらなくて、相手のことが全然見えなくなる。

 自分にとって都合の良い存在になって欲しくて、何もかも壊れて行く。

 鳴瀬はもう、わたし以外とは話が通じないだろうし、わかってももらえない。

「……もう話が通じないってことはわかったよ。それで、やめるつもりはないんでしょ」

「したくてしてるわけじゃないんだけどな」

「携帯出して。そこにある連絡先、わたしが選別する。やってるSNSも全部見せて。気に入らない相手はブロックするから。鳴瀬だけわたしを支配するのは、不公平でしょ。もう取り返しつかないんだから、釣り合い取ってもらうから」

 それを聞いて鳴瀬が嬉しそうにする。相手に狂い過ぎて孤立している一人と一人が合わさって、相互監視をし合う終末的な関係。

 今この瞬間、そうなれたのだと思って、嬉しそうにしている。

 でも本当のところは違う。

「うん。それじゃ、私も真帆の家に……」

「鳴瀬はそんなことしなくてもいいでしょ。別のことにお金使いなよ」

 これはもう、ただの儀式。お互いに相手の了承を得るという意味しか持っていない。

 これからすることで、お互いが相手に見せている情報量に変化はない。

 相手のことを縛り付け合う。どこまでも際限なく。

 この先二人の身に起こるのは、相手の何もかもが気に入らなくて、鎖の種類が無意味に増えて、締め付けが際限なく強くなって、何もかもめちゃくちゃになる。

 楽しみだね。

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