第3話 相互監視の終着点

<エピローグ>


 私たちの人生が破綻するのに時間はそれほどかからなかった。

 二人で合意を取って監視をし合う関係で妥協し続けるなんて、無理な話だった。

 真帆が別の学校で勉強して、誰かに見られて、私の知らない真帆が秒毎に増えていく。

 盗聴器を付けて、学校の机にカメラを仕込んだとしても、真帆の側にいるのには到底敵わない。

 それは真帆も同じ気持ちで、同じくらいの時期に、このまま別の高校に通いながら理性を保つのは無理だと結論付けた。

 高校二年生になるのを待たずに、私たちは自主退学した。

 そのまま人生を閉ざすのは嫌だから、とりあえずしがらみの少ない高卒認定試験を目指した。そこから大学生になって、同じ大学に通いはじめた。

 この人生設計は途中まで上手く行っていた。少なくとも、同じ大学には行くことが出来たのだから。

 誤算だったのは、別の高校になった時点で、全てが手遅れになっていたこと。

 ただお互いの位置情報をさらけ出し合うなんて、大したことのないはずの真帆の提案に乗って、行き過ぎた私のために全てが狂ってしまった。

 今の私たちは、必修単位を取得することが難しかった。

 必修授業は抽選でどのクラスになるか決まるものがある。真帆と違うクラスになることも少なくない。

 それが今の私たちには耐えられなかった。相手の存在が視界から外れてしまうだけで、気が動転してしまうのだから。

 それはもう、位置情報なんてものではどうにもならず、盗聴器とか監視カメラを用いても、症状が治まることはない。

 同じ部屋にいる時に、視界から消えるだけでそうなるのだから、広い大学の中で離れ離れなんて、とても耐えられない。

 よしんば同じクラスになれたとして、指定席が隣になるとは限らない。お互いに相手の方を向くことで誤魔化しながら辛うじて授業を受ける。

 明らかにどうしようもなくなってきている。ちょっと相手のことを監視しているだけで満足出来ていた、高校時代が懐かしい。

 真帆と一緒にいるだけで満たされていた中学生までが懐かしい。

 もうあんな風に、健全に生きていた日々には戻れない。

 ほんの少し歪な関係を築いただけで、尋常ではないほどに真帆を求めてしまうようになってしまった。

 もう自分ではこの衝動を止められなかった。

 それでも強く思う。元のまともな人生に戻れれば、と。

 きっかけは真帆だけど、先に一線を超えて真帆の友達に嫌がらせをして、真帆が狂わざるを得なくさせたのは私だ。

 私のせいで、自分の人生だけじゃなくて、真帆の人生までダメにしてしまった。

 その責任をどう果たせば良いのかわからない。

 せめて真帆が望めば、まともな人生に戻れる道を残そうとして大学を選んだつもりが、結局上手く行かない。

 取り返しのつかないことをしでかして……真帆が不意に目の前からいなくなると、頭が冷静になって罪悪感で狂いそうになる。

 今が幸せな日々の連続なのか、辛いだけの日常の連続なのか、もうわからなかった。

 


 ※※※



 膝の上で眠る鳴瀬の髪を撫でながら、最高の結末を迎えられた幸せを噛みしめる。

 二人の大学生活、もとい同棲生活は、この1Kの小さな空間で完結している。

 お金に余裕はあるから、もっと広い部屋にも出来た。だけど、広いとその分だけ距離が開いてしまう。

 二人で選んだのは、十畳にも満たないこの箱庭。

 お互いが相手の近くにいないと、泣き喚いてしまう、末期患者二人の退廃的な生活。

 強いて不満があるとすれば、鳴瀬がまだ普通の人生を諦めてくれていないことだ。

 せめて通信制大学にすれば良いのに、普通の大学を選んだり、無理だと知りながら、わたしといられない授業を受けに行こうとしたり。

 そんなことをしても自分が苦しむだけなのに。それになにより、わたしが苦しい。

 鳴瀬はここまで狂ってくれたのに、まだまだ満足出来ない。

 結局先に壊れていたわたしの方が、どうしても先を行ってしまう。根本がまともなのも相まって、鳴瀬は極限まで全てを捨て去ってはくれない。

「うん……真帆、どうしたの? 深刻そうな顔をして」

 それが不満でたまらない。自分の全てを捨てて、わたしの全てを奪って欲しいのに、それをギリギリで躊躇うもどかしさ。

 一線なんてとっくに超えているのに、自分の中にある”まともの”の境界を超えてくれない。人生の取り返しがつく範疇でしか、わたしに狂ってくれない。

 わたしは自分の人生なんて、とっくの昔にどうでもよくて。鳴瀬の全てを手にするために、全部捧げているのに。

 大好きで大好きでたまらない、それでもどこかお利口なままの壊れた鳴瀬。

 本当はもっと壊れて欲しい。

「明日の学校のこと? 離れ離れになる授業が多いから休む?」

 鳴瀬の正気を何が繋ぎ止めているのかがわからない。それを壊したくて仕方がない。

 この状態で何ヶ月か過ごしてみてわかった。やっぱり鳴瀬にはとことんまで壊れて欲しい。原型がなんだったかわからなくなるくらいまで。

 だから、鳴瀬の正気を繋ぐ鎖を今から見つけ出して、砕いてあげる。

「ずっと思ってたんだけど、大学行く必要なくないかな」

「いきなりどうしたの真帆……私よりよっぽど通えてるのに」

「だって無駄じゃん。この調子じゃ、就職なんて出来ないよ。出来たとして続けられないよ。だったら大学やめて、浮いたお金で、ずっとこの部屋の中でだらだらしてようよ」

 わたしの提案を聞いて、鳴瀬は苦しそうに顔を歪めた。

「……それはダメだよ。私のせいで真帆の人生狂わせちゃったんだから。まだ真帆はまともに戻れるんだから、私のことなんか捨てでも大学に通って普通に戻らないと」

 ……それを聞いて、なんとなくわかってきた。鳴瀬がどうして狂い切ってくれないのかが。

「鳴瀬が思ってるより、わたしはずっと昔から壊れてるよ。普通に見えるように擬態しているだけで」

「そんなことないよ。真帆はアプリを入れても一線を超えなかったのに、私が耐えられなくなって……私が全部めちゃくちゃにしちゃった。ごめんね……本当にごめんね」

 鳴瀬は今だに、馬鹿正直に全部を勘違いしていた。どこかで察していてもおかしくなかったのに、そんなこともなく、今の終末的な共依存が自分のせいだと思い込んでいる。

 そんなことないのに。全部私の筋書き通りなだけなのに。

 鳴瀬がわかっていないだけで、このまま大学に通えるか、全てが狂ったままなのか。その選択肢はわたしにある。

 それが嬉しかった。鳴瀬の人生を掌握出来ているという実感が、心を満たしてくれる。鳴瀬を支配しているという実感だけが、わたしに生きる意味を与えてくれる。

「鳴瀬はさ、自分のせいでこうなったと思ってるの?」

「実際そうだもん。私が真帆の友達に嫉妬しなければこんなことにはならずに済んだのに」

「……仮にだけどさ、わたしのせいでこうなってたとしたら、鳴瀬はどうする? 一緒に死ぬまでこの部屋で、だらだら一緒に過ごしてしてくれる?」 

 わたしの質問に、すぐには答えてくれない。仮定に仮定を重ねた問いかけに、長く想像を膨らませて、仮想の世界で自分がどう振る舞うかを考えてくれている。

「……昔の私がどう思うかはわからないけど……多分反対のことを思うんだろうけど、嬉しいんじゃないかな。ずっと真帆のことは好きだったから、先に私に狂ってくれていたんだとしたら」

 鳴瀬が苦心して出してくれた答えに、思わず笑ってしまった。わたしはちゃんと、最適解を選べていたということだ。

 中学までの鳴瀬ではわたしを受け止めてはくれなかった。時間をかけて少しずつ少しずつ、壊して初めて狂気が釣り合った。

 最悪を煮詰めた過去の遺産も、今の鳴瀬であればきっと最高のプロポーズとして受け取ってくれるだろう。

「ねえ、実は鳴瀬に隠してたことがあるんだ。ちょっと出かけない? それを見せてあげる」

 はてなマークを浮かべる鳴瀬の手を引いて、外へ飛び出す。

 向かうのは鳴瀬を隠し撮りした写真や映像、それに音声を隠したお母さんの別荘。

 そこでわたしたちの未来は閉じる。最高の形で。幸福な幕引きで。



 ※※※



 電車を乗り継いで連れて行ってくれたのは、小学生の頃に一度だけお邪魔したことのある、真帆のお母さんが所有する別荘だった。

「わたしの部屋にある物を見て欲しいの。今の鳴瀬ならきっと喜んでくれるから」

 そう言って真帆は、別荘のリビングにある吹き抜けの階段を登って、二階の部屋に案内してくれる。

 部屋の中は整理されていて、埃もなく、定期的に清掃されている様子だった。

 そんな空間の真ん中にとりわけ異彩を放つ物体が置かれていた。

 ただ一つ埃をかぶった、胴体ほどの大きさをした金庫が、部屋の真ん中に鎮座していた。

「これには触れないでって言っておいたの。ダイヤル式だから、相当忍耐強くないと中はわたし以外には見られないけど、どうしても触れられたくなくて」

 手際よく五つあるダイヤルを規定通り回している真帆を眺めながら、中身はなんなのかを考える。

 ここまで厳重に保管されている、私が喜びそうな物……正直全く見当がつかない。

 将来の不安がなくなるような大金や貴金属が入っていたとしても、私が抱えるこの罪悪感は今更消えてはくれない。

 もう全て手遅れなのだから。

 そんなことを考えていると、真帆が金庫を解錠して、扉を開いた。

「これがわたしの一番の秘密。隠し事をしないって約束した鳴瀬に、”人生の最期“まで隠してた秘密だよ」

 嬉しそうに、でも湧き上がる不安を必死に押し留めているのがわかる、苦しそうな表情で……真帆は一冊のアルバムを手渡してくれた。

 タイトルも書かれていない、シンプルなアルバム。傷ひとつない綺麗なアルバム。

 中を見るように真帆が無言で背中を押してくる。そこに強い意志を感じた私は、勇気を振り絞ってアルバムを開く。

 そこには、私の写真が入っていた。そこには撮られた覚えのない、私の写真だけが山のように収められていた。

「……こういう時って……怒るのが正しいんだろうけど、ありがとう真帆」

 自分でも不思議だった。こんなことされていて、いやなはずで、いやだと思わないといけないのに。

 そんな気持ちは全く湧いてこなかった。

 小学生の頃の私。中学生の頃の写真。真帆が何をしていたか、今の私はすぐに理解した。その時の気持ちも理解出来た。

 ただそうなったのが、私より早くて、一人じゃ寂しかったから私も引き摺り込んだだけのこと。

 子供の頃から何も夢なんてなくて、友達も少なくて、自分に閉じこもりがちな私だったから、現状に不満はなかった。

 壊れると称するほどの価値、私の人生にはないと自負していたから。

 成績も良くて、友達も多い真帆の人生を壊してしまったことだけが、後悔なのだから。

「……こんなの知っちゃったら、もう躊躇う理由ないんだけど、真帆はそれでいいの?」

「鳴瀬はまだまともだね。わたしはそんなのとっくに躊躇ってないよ。ブレーキないのくらい、これ見たらわかるでしょ」

 真帆の後ろにある金庫にはさっき見せてもらったアルバムが十数冊積まれていて、ディスクが何十枚と重ねられている。

「わたしはずっと昔から、我慢してたんだよ。鳴瀬が遠くに行っちゃうんじゃないかって、不安で押し潰されそうで。もうそういうのやめてね。これからはずっとだらだら、見つめあってようね」

 断る理由はもうなかった。二人でどこまでも堕ちて行くのを躊躇う理由を、真帆がなくしてくれたんだから。

 真帆が最初から望んでいたようになるだけなんだから。

「さぁ、帰ろっか。こんなに広くて、窮屈なお家じゃなくて……息が詰まりそうで、相手を感じずにはいられない二人のお家に」

 真帆がもう一度手を引いて、私を連れ出した。私たち二人以外存在しない、家に向けて。

 その瞬間、手に持っていたアルバムから一枚の写真が落ちた。

 この別荘で撮られたであろう写真。そこには真帆のことを何も知らないで眠る私が写っていた。






 


 わたしたちの人生は終わった。残ったのは、相手のことしか見えない壊れた人形だけ。

 相手以外を感じないために二人で定めた、鎖で雁字搦めにされた、相手の思う通りにしか動かない操り人形。

 でもそれはとても幸せなこと。だってそれさえ守ってさえいれば、幸せを二人で担保しあえるんだから。

 小難しいことを考えなくて、相手が望む通りに振る舞えば、二人は満足なんだから。

「ワタシ以外のこと考えてたでしょ? ダメだよそんなことしたら。ここで二人で閉じてくって決めたんだから」

 どちらが言い出したことかはわからない。とにかく、鎖がまたひとつ無意味に増えそうだ。

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二人で一つのディストピア 神薙 羅滅 @kannagirametsu

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