二人で一つのディストピア
神薙 羅滅
第1話 小さな一歩が落とし穴
<side 鳴瀬>
私と幼馴染の真帆は、互いのスマホに位置情報共有アプリを入れあっている。
きっかけは高校生になる時、違う学校になったから。
それを理由に距離が開いてしまうのが怖くて、お互いのプライベートを共有することにした。
使い始めた頃は、学校終わりに、自然と地図上のお互いの距離が縮まり、待ち合わせなくても、一緒に遊んだりするのに使った。
休日相手が家にいるなら、遊びに行くタイミングが掴みやすくて便利だった。
そうやって健全な使い方をしていた……はずだった。
それが次第に歪み始めた。もとより、こんなストーカーアプリを入れておいて、健全な運用など出来るはずがなかった。
真帆のいる場所がいつでもわかる。それは、とてもわかりやすい形で、安心を与えてくれた。
真帆と一緒にいられない空白の時間。考えるだけでゾッとするそれを、アプリは埋めてくれた。
友達と一緒に遊んでいるんじゃないか。恋人ができたんじゃないか。
空白の時間は、白いキャンバス。胸が締め付けられるような想像が無限に膨らんでしまう。
真帆が今どこにいるのか。それが分かるだけで、嫌な想像の余地が少しだけど減ってくれる。
ずっと一緒にいた真帆と、高校生になった途端に離れ離れ。
その不安に耐えられなくて、どんどん監視の目が強くなっていく。
休み時間のたびにアプリを眺めて安心していたのが、気付けば授業中にも位置を確認するようになり、食事中、布団の中……真帆の位置を知らないと落ち着かなくなっていく。
そうやって自分の中だけで完結している間はまだ良かった。二人の合意が取れた範囲だから。
※※※
位置情報を共有し始めて二ヶ月。真帆のスマホの電池が切れて、突然位置情報がわからなくなった。
授業中だと言うのに、思わず声が漏れた。
真帆と離れて私が辛うじて正気を保てていたのは、完全に空白な時間がなかったからに過ぎない。
いや、それどころか、監視は出来るが絆を育むことの出来ない、位置情報共有アプリに依存していた私の思いは屈折していく一方だった。
引っ込み思案の私に寄り添ってくれる真帆が側にいない不安を、歪な監視で埋め合わせる。
その状態が既に、正気を失っていることに気付くのが遅過ぎた。
突然、真帆との繋がりを完全に断たれた私は、自分で思っていた以上に錯乱した。
高校生になるまでは、相手が今どこにいるかなんて、気にしたことはなかった。。
長期休暇で何日も顔を合わせないことだってあった。その間メールでやり取りをすることもなかった。
そんな私が、たった二ヶ月の監視生活で狂わされた。
気付かない間に、距離が開くことに耐えられない体にされていた。
怖い怖い怖い。今、真帆がどこで何をしているのかわからないのがとてつもなく怖い。
位置がわかっているだけでは、本当の意味で全てを監視出来てなどいない。
そんなこと頭ではわかっている。だけど安心するのも、不安になるのも理屈ではない。
真帆の日常が完全な空白の中にいるのが、不安で不安で仕方がない。
真帆が寄り添ってくれる実感がない。支えになってくれない。それが耐えられない。
呼吸が乱れて授業どころではない。
真帆を探しに行きたい。最後に位置情報が途切れたのは学校だから、そこまで探しに行きたい。
真帆との空白を早く埋めたい。
耐えられなくて、衝動的に教室を飛び出した。
自分でもおかしいと思う。だけど、心臓が締め付けられて、頭がクラクラするような、得体の知れない不安のせいで、自分を抑えられなかった。
駅を何個も乗り継いで、真帆のいる学校の前に辿り着いた。
校内に入ろうとして、警備員に止められるが、強行突破して、真帆がいるはずの教室に突入する。
そこに真帆の姿はなかった。
絶望が胸を覆い尽くす。真帆が今どこにいるのかが全くわからない。
クラスメートに問い詰めても、さっき早退したと返してくるだけ。
早退したのなら家に帰ってるはず。迷うことなく、私は真帆の家に向かった。
しかし、家にも真帆はいなかった。こうなったらもう探しようがない。
場合によっては、警察に捜索願を出さないと……
と、とにかく、夜になるまではここで待とう。
「成瀬? ……こんなところで何してるの?」
何時間待ったかわからないが、午前中にここに来て、日が落ちていることから最低でも七時間は経っているか。
その間飲まず食わずだから、ちょっと足元がふらついていた。
「わざわざ家まで来るってことは、なにか重大な用事があるんだよね」
全てが乱れた私と違って、至って平静な真帆を見ていると、なぜかイライラしてくる。
私がこんなに真帆を必要としているのに、真帆は私との繋がりが断たれても何も感じていない。
そのすれ違いが我慢出来ない。アプリを入れようと言って来たのは、真帆の方からなのに……
「……平気そうな顔しないで。イライラする……」
「どうしたの成瀬? そんな追い詰められたように……」
「スマホの電池切れてるでしょ!」
「えっ……あっ、本当だ。全然気付かなかった。それがどうかしたの」
「真帆の位置情報が消えたのが不安だったの」
「ちょっとの間だけじゃん。もしかして、それで家まで来たの?」
「そうだけど」
「……ちょっと前から思ってたけど、最近の成瀬、気持ち悪いよ」
この反応を見て理解した。真帆はアプリを入れた時点で満足してしまう人間なんだと。
私のように、全てを監視していないと、気が動転してしまうような、異常者ではないのだと。
私の位置情報を日常的に確認し、安心を得ていないから、スマホの電池が切れても、丸一日気付くことはないんだ。
いくら苛立っても、声を荒げても、この私の不安が伝わることはないのだろう。
だったらこうするしかない。
「私も最初、こんなアプリ入れようって誘ってきた真帆のこと、気持ち悪いって思ったよ。はい、これ」
真帆の罵倒も意に介さず、自然にカバンに入ったモバイルバッテリーを渡す。
「なにこれ」
「充電切らさないようにしてね」
「……アプリの設定変えれば、位置情報見られないように出来るんだけど」
「そんなことしたら許さないから」
真帆に釘を刺してから、家路につく。
十分近く歩いて、駅に着いた辺りで、イヤホンをつけて、アプリを開く。
『今日の鳴瀬……本当に気持ち悪かったな』
イヤホンから聞こえて来る真帆の声。さっきあげたモバイルバッテリーには盗聴器が仕込んである。
その音声をスマホで聞けるんだから本当に便利。
使うつもりはなかったけど、真帆がああいう態度を取るなら仕方がない。
モバイルバッテリーと盗聴器の電池は別々で、盗聴器の方は充電なしでも二週間持つ。その上充電すれば、モバイルバッテリーと盗聴器の両方ともが充電される。
ちょっとお高かったけど、良い買い物だった。
『距離置かないとまずいかな。でもそれしたら何されるかわからないし……面倒だなぁ』
これで位置だけじゃなくて、声まで知れる安心に心が満たされて行く。
もっともっと真帆のことを監視したい。
離れ離れになってしまった分を、埋め合わせしないと。
※※※
位置情報共有アプリから始まった真帆を監視する生活は、悪化の一途をたどった。
盗聴器を仕込んだ機械を渡したのをきっかけに、自分の中にあった良心という箍が完全に壊れた。
本来の目的……真帆を近くに感じるという目的の為の監視が、監視の為に真帆の近くに行くようになった。
真帆の家に盗聴器と監視カメラを付けに行くつ為に遊びに行く。
真帆のプライベートで使うカバンに盗聴器を仕込む為に、遊園地に遊びに行った。
手段と目的が入れ替わっていることには気付いたが、もう止められなかった。
中学生までの私が知っていた真帆は、私といる時の真帆だけ。
私が介在していない時の真帆は、伝聞でしか知らなかった。
監視していると、真帆の知らなかった部分が私の物になって行く。
それがたまらなくて、どんどん真帆を監視することに、のめり込む。
位置情報だけではわからなかった真帆の空白が、少しずつ埋まっていく。
不安の色で塗り放題だった白いキャンバスの上が、少しずつ埋まっていく。
時には確たる安心で。あるいは、確たる不安として。
会話と位置情報から恋人がいないのは明らか。
だけど仲の良い友達がいて、その子たちと遊んでいるのがわかる。
何が嫌かって、私と行ったことのないような場所にも真帆が遊びに行っていること。
真帆がボーリングなんて好きじゃないの知ってるし、本当の意味で楽しんでいないのは声でわかるけど。だからといって納得は出来ない。
真帆とボーリングをした思い出を誰かが独り占めしてるなんてズルい。
私と遊びに行くのを断って、他の人と楽しそうにしているのを観て聴いているとどうしようもない気持ちが溢れて来る。
これ以上真帆が他の人といるのは我慢出来ない。
いてもたってもいられなくなって、真帆の携帯に電話をかける。
「真帆……今他の人といるよね。早く別れてくれないかな」
「どうしてそんなことまで鳴瀬に干渉されないといけないの?」
真帆の反応は私の期待とは真逆だった。
確かにそうだね、と答えて全てを捨てて欲しかった。
それなのに、自分のことに干渉しないでと言い放った。
「……確かにそれもそうだね。私が間違ってたよ。ごめん」
「いい加減にしないと、そろそろ本気で怒るから」
いい加減にしないと本気で怒るのはこっちの方だ。というか、もう本気で怒った。
もう容赦しないから。
真帆が今遊んでいる人が誰かなんてわかってるんだよ。誰にノートを代わりに書いてもらうとか、そんなことも。
最低限の関係なら我慢してあげたのに……真帆が悪いんだからね。
※※※
次の日から、真帆と遊んでいた人たちに連絡をするようにした。
私の好きな人に手を出さないで。真帆と遊ぶ時には私の許可を取るように。そう伝えた。
気味の悪い真帆のストーカーから直々の忠告。
この程度でも充分真帆から人が離れていくと踏んだ。そして、その通りになった。
確かに真帆は可愛いし、社交的だけど、仲良くしたらストーカーが攻撃してくるかも、となったら人はどんどん離れて行った。
真帆が教室で孤立し始めたのが、盗聴器を通して手に取るようにわかる。
真帆を取り囲む声が日に日に小さくなる。
そのか細い声の主にも、電話をかけて真帆に触れさせまいとする。
一ヶ月もしないうちに、盗聴器からは真帆のすすり泣くような声だけが聞こえるようになった。
※※※
「鳴瀬……話があるんだけど」
真帆が私以外を失い、そのことに満足していたある日のこと、学校から帰ると家の前に憎悪に支配された真帆がいた。
まぁ、そこにいることはわかってはいた。だけど、どうしてこんなに怒っているのか。全然わからない。
「鳴瀬だよね。わたしの周りの人に、嫌がらせしてるの」
「そうだよ。だって真帆を独り占めしたかったんだもん。別に良いでしょ。私がいるんだから」
「……」
当たり前のことを言ったつもりだったのに、真帆の反応は想像と違った。
化け物を見るような、冷ややかな視線。それは、最初位置情報共有アプリを入れようと提案された時に、私がしたのと似ていた。
「……いい加減にして。やめなかったら怒るって言ったよね」
「言われた通り真帆には何もしてないでしょ」
「……話が通じないってことはわかったよ。それで、やめるつもりはないんでしょ」
「したくてしてるわけじゃないんだけどな」
「……」
真帆は諦めたように俯いて、観念したように呟いた。
「携帯出して。そこにある連絡先、わたしが選別する。やってるならSNSとかも全部見せて。気に入らない相手はブロックするから。鳴瀬だけわたしを支配するのは、不公平でしょ。もう取り返しつかないことしたんだから、釣り合い取ってもらうよ」
真帆の提案は願っても無い物だった。お互いに相手の全てを監視をし合う。気に入らなかったら、捨てさせる。
それは自分の自由意志を差し出しあうことで、互いの幸福を保証する最高の関係。
今の私はアプリを入れた時とは違って、一般的には最低と呼ばれる関係を、最高の関係だと思うようになってしまった。
真帆も取り返しのつかない場所まで堕ちてきてくれた。それが、ただただ嬉しい。
「今日帰ったら盗聴器買って、鳴瀬に付けるから。あと監視カメラも部屋につけてもらうよ」
嬉しい。こっそりと真帆の全部を知るのも悪くなかったけど、合意の上で互いの全てを監視しあうのも、この上なく素晴らしいことに思えた。
「うん。それじゃ、私も真帆の家に……」
「鳴瀬はそんなことしなくてもいいでしょ。別のことにお金使いなよ」
立ち去る間際に放った真帆の言葉は、全てを見通しているような明瞭さがあった。
盗聴器を仕込んだことも、監視カメラを設置していたことにも気付いたからこそ、家までやってきたのだろうか。
「意外とお金かかるから。こういうのって、本当に限界ないんだから」
真帆が言っていることの意味が、その時の私にはよくわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます