Epi87 式典は斯くも緊張せり
「で、興奮した?」
登校中に明穂に聞かれたのは、昨晩の陽和を見てしまった件。
「しないってば」
「してればできたのにね」
妹とする兄なんてただの変態だ。
「陽和ちゃんも女の子だからね。あたしと一緒だし、抱けばいいのに」
「無いってば」
明穂はシスコンとかブラコンに抵抗無いんだろうか。マザコンにも抵抗無さそうだし。なんでこんなに壊れてるんだろ。他が優秀過ぎるから余計に残念に思う。
「少しは期待したかもよ?」
「もし陽和がそんなことを期待するなら、それまでの変態バカ扱いと整合性取れない」
「だから言ったじゃん。人は変わるんだって」
それまでは無能で引っ込み思案で、ネクラぼっちの気持ち悪い奴が、一躍脚光を浴びる高い評価を得た。兄の持つ才能がなんと高校生の頂点、ともなれば妹としても鼻が高い。純粋に異性としての魅力度も上がるから、例え兄とは言え憧れの存在になる。その兄から「抱きたい」と言われたら、その気になってもおかしくない。が、明穂の言い分だった。
「無いでしょ」
「でもなんか言ってたんでしょ? 残念そうだって言ってたし」
確かにぼそっと聞こえた言葉は意味深だし、残念そうに見えたのも事実だけど、単に俺がそう思っただけって可能性の方が高いし。
なにより絶対無いって言い切れる根拠は、俺と顔がよく似てるってこと。
「それって自分を好きになってる状態だと思う」
「いいと思うよ。自分を嫌う人は後ろ向き、自分を好きになれる人は前向きだから」
自信を持てれば自分を好きになれる。俺は自信が無さすぎて自分を嫌っていた。見た目も嫌っていてそれが表情にも出てたから、みんな近寄り難かったのだとか。
「一応言っておくと、自分を好きっていうのは、ナルシストとは違うからね」
自己愛が強すぎればただの変人だけど、適度に自己愛がある人は自信に満ちた人。自信があれば自分を愛せるし、他人も同様に愛することができる。心に余裕が生まれるから、それが愛情へと向かう力になるのだとも。
学校が終わって家に帰って陽和と顔を合わせると、以前と違って可愛らしく見えなくもない。これって自分を少しは好きになれたってこと?
「お兄ちゃんなに?」
見てたら気付かれたみたいだ。
「いや、明穂にいろいろ言われて、ちょっと」
「なに言われたの?」
「自己愛について」
「自己愛?」
陽和もまた自分を好きになれてるってことなのかな。気持ちに余裕があれば愛せる、だったらお互い前向きになれてるって。いい傾向なんだろうけど、だからって明穂の言う抱くだの抱かないだの、そんな話にはならないでしょ。なんかすぐ丸め込まれちゃいそうになる。妙に説得力あるからだろうな。
あ、そうだ。
「陽和、昨日見ちゃったけど、悲鳴も上げないんだね」
「悲鳴?」
「普通は見られたら悲鳴のひとつやふたつ、ありそうだけど」
少し俯いた感じで俺を見上げてる。で、なんか顔が赤くなってない?
「だって、家の中に居るのって、お兄ちゃんかお母さんだけでしょ。悲鳴上げる理由ないもん」
まあ、確かにそうだけど、なんか漫画とか小説にあるパターンと違う。もしかして、明穂の言ってるのって。
「陽和」
「ん?」
「俺のこと好き?」
いやーん! 違う、そうじゃなくて。
「教えない。でも前とは違うから」
言いながら自分の部屋に入ってっちゃった。
明穂のせいで無駄に意識しちゃうじゃん。
そして表彰式当日になった。
「じゃあ行ってくるね」
「どのくらいで終わるの?」
「わかんない。表彰式のあと新聞のインタビューあるし」
「新聞にまで載るなんて」
余計なことして欲しく無いんだけどな。写真付きで載るならモザイク掛けて欲しい。
母さんと陽和に見送られて家を後にし、電車に乗って参宮橋へ行く必要がある。一番近い最寄り駅がそこだから。
駅から徒歩で青少年総合センターに向かい、近付くと制服を着た他校の生徒も増えて来た。徐々にだけど緊張も高まってくるし、周りは知らない顔ばっかりだし。
足は重いし帰りたくなってくるし。
人の流れに紛れて一緒に進んで行くんだけど、門の前に顧問の先生が居た。なんか知ってる顔があると安心する。
「来たな」
「はい。おはようございます」
「会場はわかるか?」
「全然わからないです」
ということで、顧問の先生に連れられ会場へ向かい、入口を通って中へ入りエレベーター待ち。
「結構な人数だな」
「そうですね」
「この生徒の中でも頂点だからな。胸張っていいんだぞ」
エレベーターで四階のセミナーホールに行くと、正面上に「第〇〇回全国高等学校文芸コンクール表彰式」と横断幕がある。ここに来てやっと実感した。ここは高校生の晴れ舞台でもあるのだと。
「最優秀賞受賞者は過去の事例から見て、文科大臣賞も同時に受賞してる。だから二冠は普通だが、三冠は過去にも例が無いから浅尾が初かもしれんぞ」
そういう初は緊張が増すだけだから要らない。
「じゃあ、浅尾は前の方で。こっちは後ろで見てるから。表彰が終わったら記念写真撮ってやるからな」
そう言って背中を押され前の方へと歩く。けど、足重い。心臓バクバク。なんか口から出て来そう。気分も悪いし。
適当な場所に座ればいいのかな? できるだけ他の人と離れて座りたい。そう思ってうろうろしてると、席がどんどん埋まって行くし。仕方なく隅っこで。
椅子に座ってもちっとも落ち着かないし。壇上を見ると演壇の横に最優秀賞、優秀賞、優良賞とか書かれてて、その上に表彰盾とか置いてある。
暫く緊張と戦っていると表彰式が始まった。
なんだかわからないけど、壇上で人が喋ってるし、でもその声はちっとも耳に入って来ない。なんか耳遠くなったのかな。この中が暑いのかどうかわかんないけど、頭もぼーっとしてるし。
その内、祝辞だかなんだかわかんないけど、それが終わっていよいよ表彰になったみたいで、緊張から吐きそうになってるけど、なんか呼ばれた気がした。
「浅尾大貴君」
呼んでるのかなあ。
なんて思ってたら、壇上に上がるようにとアナウンスされてるし。慌てて向かうと演壇の人が苦笑いしてる。
「最優秀賞、浅尾大貴殿、おめでとう」
なんか言われた気がしたけど、全然頭に入って無いし。聞こえて無いって言った方が正解かも。目の前に差し出されたのは表彰状?
受け取らないと駄目なんだよね。
で、手を差し出して受け取るんだけど、これ、一礼して下がるんだっけ?
下がろうとして壇上から転げ落ちた。静まり返った場内から笑い声が聞こえる。周りに居た人たちが駆け寄って「大丈夫か?」「緊張し過ぎたのかな」とか。
手を貸してもらい立ち上がって元の席へ。
すごく恥ずかしいし情けない。
式典が終わって顧問の先生が来てくれて、やっと少し落ち着いた。
「お前。まさか転がるとは思わなかったぞ」
「足がちょっともつれたっていうか」
「前代未聞だろうな。面白かった、と言ったら悪いが」
先生に記念写真を一枚撮ってもらい、その後、新聞社のインタビュー。
これも緊張し過ぎてなにを喋ったのか、まったく記憶にない状態で、全部終わると顧問の先生に連れられ「腹減って無いか? 飯でも食って帰ろう」と言われ、センター内のカフェテリアで食事をする。
「緊張したか?」
「はい」
「将来は小説家目指すのか?」
「一応」
明穂に導かれてる状態だけど。
「文芸集はどうする?」
「なんですかそれ?」
「おい。今回の受賞作をまとめた本だよ」
「えっと、一応もらっておきます」
もらうんじゃなくて三百十円必要だそうで。なら要らないと言ったら「記念なんだから申し込んでおけ」と。申し込んでおけば後で郵送されてくるらしく、不要なら文芸部で預かるって。みんなが見て今後の創作活動に励めるようにと。俺としてはそれで充分だから、そうしてもらうことにした。
食事を済ませると途中まで先生と一緒に帰る。
「新聞も記念に文芸部で取っておくからな」
「要るんですか?」
「記念だよ。初で快挙なんだからな。今後の新入部員へのいい刺激になる」
先生と別れて家に向かい、玄関を開けて中に入ると。
「終わったの?」
「うん」
「なんか元気ないけど?」
「緊張し過ぎて」
母さんの顔を見て、やっと緊張が解れた。
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